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バロンクラウスカップ 3

 残り一〇〇メートルを切った。

 アーチャーズノートとリジーズプライドが熾烈な一着争いを繰り広げていた。

 首の上げ下げごとに順位が変わるほどの接戦である。


 観客たちの熱気が頂点を極め、耳を聾するほどの大歓声が轟く。


 今の恭介にはその熱気が伝わってこない。

 アーチャーズノートを勝たせることしか意識がなく、それ以外のものを完全に遮断していた。


 馬体を併せているリジーズプライドとアーチャーズノート、それに自分とアイヴァーしか存在しない瞬間にいる。

 アイヴァーが声を出しながら発破をかけ、それに応えるかのようにリジーズプライドの力強い蹄音が聞こえてくる。

 アーチャーズノートは恭介の鼓舞に応え、リジーズプライドの鋭い末脚を封じようと懸命に食らいついている。


 あと残り五〇。

 ここでリジーズプライドが僅差で先頭に立つ。

 その様子が恭介の目に映った。


「もらった!」


 アイヴァーは勝利を確信して叫んだようだ。


 しかし、恭介は勝負を諦めていなかった。

 素早く右鞭を入れ、さらに手綱をしごく。


「くっ」


 歓喜から一転、アイヴァーから苦しげな声が上がる。

 アーチャーズノートが差し返そうとしているだから無理もない。


 アーチャーズノートは馬体を寄せるとき、いったんはソラを使って走る気を無くしたが、リジーズプライドが追い上げたおかげで闘争心に火が点き、今になってようやくトップスピードに乗ったのだ。


 二人はお互いの持てる技術を尽くした。

 あとコンマ何秒か勝負が決しようとしていたとき、二頭に馬体がぴったりと合った。

 首の上げ下げで着順が入れ替わる状況となった。


 お互いに譲らないまま、ゴール板を駆け抜けた。


「どっちだ!?」


 二人の声が合わさった。

 通常、騎手なら僅差でも勝敗がわかるが、あまりにも必死にアーチャーズノートを追ったので判断がつかなかった。


 恭介は息を切らしながらアーチャーズノートのスピードを緩めた。

 第一コーナーを少し曲がってからいったん止め、コースを引き返した。


 ここでようやく観客たちの反応を見ることができた。

 皆どちらが勝ったかわからず興奮混じりのどよめきが場内を覆っていた。


「どうなった?」


 声をかけて来たのはアイヴァーである。

 リジーズプライドをゆっくり歩かせながら近寄ってきた。


「さあ、わからないっす」


 不意に恭介は笑みが零れた。

 そしてアイヴァーも微笑を浮かべる。

 死力を尽くした者同士にしかない絆が芽生えた。

 今だけ、勝敗に関係なくお互いをたたえ合う気持ちが湧いて来たらしかった。


 恭介はアーチャーズノートを検量室へと誘導した。

 担当厩務員のパウルが手を大きく振っているのが目に映る。


「どうなりました?」


 恭介は息を整えながら訊いた。


「わからん、いまリプレイが流れているはずだが」


 と、そのときスタンドから声が聞こえてきた。


「どっち?」

「どうなった?」

「マジかよ」

「すげえレースだったな」

「デインの奴、なにしてくれてんだあのクソが!」

「頼むよ、カカアに殺される」

「今月ピンチだぁ……」

「生活賭けるな、バカタレ」

「プルネラー、つき合ってくれー!」


 いろいろな感情が渦巻き、時に意味のないヤジを飛ばす観客もいた。


「よくやった」


 観客の反応に苦笑していると、ルテリエがパウルの背後から近づいてきた。


「先生、俺たちが勝ったんですか?」


「わからん。だが、キョースケの好騎乗がなければこんな接戦にはならなかっただろうな」


「ありがとうございます。じゃあ、とりあえず、後検量してきます」


 恭介は下馬し、鞍を外した。


 問題なく検量を済ませてから室内にあるモニターでレースのリプレイを見る。


「さすがね」


 と、プルネラが声をかけてくる。

 汗でぬれた髪がほつれ、額が艶めいて見える。

 顔も洗わずに結果を待っているようだ。


「勝たなきゃ、意味がないさ」


 今の恭介は勝負の行方にしか興味が湧かなかったので、つい素っ気なく返事をしてしまった。

 それではいけないと気づき、恭介は言葉を足す。


「プルネラはどうだった?」


「逃げ粘って三着確保。なんとか面目を保った感じね」


「そうか」


 レース映像を見ながら各馬の位置を確認した。

 早々に進出を開始したデインは直線の半ばで失速し、着外に敗れた。

 グラントとリジャイナはペガサスの力が足りず、後方のままレースを終えた。

 そしてゴール前、アーチャーズノートがじわじわと差を詰め、首を下げたところでゴール板に到達した。

 それに対しリジーズプライドは首が上がっている。まさに首の上げ下げの勝負となったのだ。

 恭介は心臓の鼓動を感じながらモニターを見上げていた。

 やはり、映像を見てもどっちが勝ったかわからない。

 落ち着きを取り戻そうと深く息を吐いても、緊張感が和らぐことはない。


「同着もあるか」


 恭介は声に出して気分を紛らわせた。

 早く結果が出てこの緊張感から解放されたいと思った。


 そのとき、いきなり鋭い声が耳を打った。


「確定! 一着、アーチャーズノート」


 その声が検量室内に響くと騎手や付添人、それに職員までもが驚きの声を上げた。


「っしゃあ!」


 恭介は右手の拳を天に突き上げた。


「おめでとう、キョースケ」


 プルネラは笑顔で祝福してくれた。

 彼女も負けて悔しいはずだが、それとは別に死闘の末、勝利を掴んだ者への敬意を表したのだろう。


「ありがとう、プルネラ」


 恭介は夢心地になり、プルネラの両手を握った。

 そして喜びを抑えきれず、彼女に抱きついた。


「ちょ、ちょっと、キョースケ。なにするのよ、もう」


「あ、ごめん、つい」


 ここが日本ならセクハラで訴えられかねなかった。

 恭介は血の気が引く思いでプルネラから離れた。

 だが、彼女は不貞腐れたようにそっぽを向いただけである。


「どうした?」


 意味深長な性格を装いつつ、激しい気性を秘めたプルネラらしからぬ仕草だった。

 恭介はビンタの一発でも食らうかと覚悟したのだが、そうする様子は一切見られない。


「なんでもないわよ! ほらインタビューがあるでしょ。それにルテリエ先生やパウルさんにもお礼しなさいな」


 プルネラは強い口調でそう言うと、くるっと背を向けた。


「あ、ああ、そうだな」


 彼女の変な仕草に戸惑いを覚えながら検量室を出た。


「よくやった、キョースケ!」


 パウルが駆け寄ってきた。

 満面の笑みを浮かべると、抱きついてきて恭介の背中を叩いた。


「ありがとう」


 とルテリエはねぎらいの言葉をかける。

 ただ腕利きの調教師とだけあって冷静な顔つきである。

 G3程度では喜びを露わにしないようだ。


「こちらこそ」


 と言うと、恭介はパウルから離れた。


「ハタヤマ騎手、おめでとうございます」

「初重賞制覇の感想をお願いします」

「それよりもあの乗り方はなんですか?」


 いきなり記者たちが押し寄せてきた。

 我先にと質問してくるので、どう答えていいかわからず、落ち着きなく一人一人の顔に目を向けた。


 初めて重賞を勝ったので、どう振舞っていいかわからなくなった。

 とりあえず質問に答えたらいいのか、それとも公式のインタビューを先にすませた方が良いのか段取りがよくわからない。


「ちょっとすみません。キョースケ、ほらまずはインタビューよ。こっちこっち」


 声をかけてきたのはエレノアである。

 馬主と一緒にいるはずだったが、レース終了後、すぐにスタンドから降りてきたらしい。

 恭介に近寄ると、袖を掴んでどこかへ連れていく。

 記者たちを振り切るかのようにエレノアは早足になる。


「おめでとう」


 エレノアは振り向いて笑った。


「ああ、これで十勝目だ」


「覚えていたの?」


「当たり前だろ。帰ったら飛翔の練習、しなきゃな」


「厳しくいくわよ」


 とエレノアはいたずらっぽく笑う。


「あ、ほらあそこ」


 エレノアが連れてきたのはウィナーズサークルだった。

 色とりどりのロゴマークが描かれたボード立てかけられ、その前に円形の台がある。

 どうやらお立ち台らしく、そこに立ってインタビューを受けるらしい。


「わたしも近くにいるから」


「え?」


「詳しく聞かれると困るでしょ。ちゃんとフォローするから」


「ま、そうだな」


 地球という世界からやってきたと口を滑らせないために、エレノアが監視する目的もあるようだ。


「では、ハタヤマ騎手、こちらへ」


 と広報の職員らしき男性が事務的に案内する。


 恭介は台に立ち、目前にいる記者たちを見渡した。

 今まで見たことのない光景だった。

 彼ら全員が一言一句聞き逃さないように恭介を注視する。

 写真のカメラだけではなく、映像用のカメラもあり、これに映ると思うと下手なことは言えない気がしてきた。


 さっきとは別種の緊張感が胸の内に押し寄せてきた。

 何を訊かれ何を答えればいいのか。

 インタビューが始まるまえから視線があちこちに飛び、どう振舞うべきかを考えすぎて、頭の中が混乱してしまった。


「ハタヤマ騎手、おめでとうございます」


 女性のインタビュアーが訊いてきた。

 栗色の髪を肩まで伸ばし、くりくり眼の小柄な女性だった。

 どこか幼さが抜けていない観がある。


「ありがとうございます」


 とりあえず、聞かれたことを素直に答えればいいと思い直すも、固くなっている気がした。


 ちらと横を向くと、エレノアが「え・が・お」と口を動かしている。

 初めて人前で話す子供を見守るような感じになっていた。


「まずはスタートから振り返っていただきます。良いスタートを切ったように見えたのですが、控えましたね」


「ええ、スタッフと相談してああいう形になりました」


「レース中もしきりに他のペガサスを気にしていたようですが、なにか気になることでもあったのでしょうか」


「リジーズプライドの位置を確認してました。レース前からこの馬との勝負になると考えていたので、上手くいったと思います」


「ハタヤマ騎手の騎乗はファンや関係者の間で話題になっています。なぜあのような乗り方をするようになったのでしょうか」


 きたな、と恭介は思った。

 前に誰かに聞かれたときにどういう言い訳をしたんだっけと、思い出そうとした。

 地球の競馬で発展したモンキー乗りです、などと口が裂けても言えない。


「あー、あのぅ、色々と試行錯誤をしていたら、この乗り方が馬の負担にならないんじゃないかと思って、試してみたら上手くいったんです」


「そうでしたか。ですが、かなり慣れた感じだったように見受けられたのですが、以前からその乗り方をしていたのですか」


「いや、そんなに長くはないです」


 とだけ言う。

 するとインタビュアーがさらに何か訊きたそうに見つめてくる。

 彼女の無言の質問に根負けして恭介は言葉を頭で練って紡いだ。


「レースで通用するかなって思っていたんですけど、上手くいっているようなのでこっちも驚いています」


 なにがおかしかったのか、記者たちから笑い声が起きる。

 嘲笑するつもりはなく、喋り慣れてない感じがほほえましいと思ったのかもしれない。


「そうですか。今はスピレッタ調教場で働きながら騎手をしているとのことですが、エレノア・スピレッタ調教師とは普段どんな会話を?」


「あー、まあ、競馬のことがほとんどですね。色々と教えてくれますし、こっちも助かっています」

「一緒に街に出かけたりするんですか?」


「いや、そういうわけではないです」


「ですよねー。あのエレノアさんと一緒に歩いていたら、週刊誌が黙っていませんもんね」


 ――ずいぶん、突っ込んでくるなぁ。


 お立ち台に立ったときの緊張感は過ぎ去り、馴れ馴れしいインタビュアーを疎ましく感じつつあった。

 バロンクラウスカップのことだけを聞けばいいのに、なぜこんなプライベートなことまで聞いてくるのか理解に苦しんだ。


「ちょっとポリーさん。その質問はいただけないのでは?」


 と、男の記者から注意が入る。彼に目を向けると、以前タドカスター調教場で会ったライターだった。

 TPOはわきまえているらしく丁寧な口調だった。


「そうそう。愛と情熱は実況の時だけにしてくださいよ。ポリー・ストックウェルアナウンサー」


「あ、ごめんなさい。わたしったらつい」


 ポリーが顔を赤らめると、記者たちがどっと沸いた。


 ――この人があの実況だったのか。


 レース中は全く気に留めていなかったが、モニターで騎乗していないレースを観戦していたとき、熱のこもった実況だなと感じていた。

 まさか実況アナウンサーがインタビュアーを兼ねるとは思わなかったので、恭介は少々驚いた。


 ちらとエレノアに目を遣ると、彼女はうんうんと頷いていた。


「では、気を取り直して。レース終盤、凄まじい叩き合いになりましたが――」


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