バロンクラウスカップ 2
開催最終日のメインレース、それも重賞なだけあってリンウェルダウンズ競馬場は熱気に包まれていた。
平地競走の強豪リジーズプライドの前哨戦、そしてデビュー以来快進撃の続ける恭介が有力馬のアーチャーズノートに騎乗することもあって注目度が高い。
返し馬を終えてスタート地点へ向かう。
直線一六〇〇メートルのコース、この開催で何度もこなしてきたコースで、勝ち星も収めている。
各馬、良いポジションを取ろうとしてコースの外側に密集し始めた。
その中、恭介はあえて馬場の真中あたりにアーチャーズノートを誘導した。
というのも、アーチャーズノートはスタートが速く、すんなり先行できる脚があるので、スタート直後に外に進路を切り替えればよく、無理して外埒沿いの位置を取る必要はなかった。
だが、例によってジュスタンのペガサスが恭介の両隣についた。
二人の騎手は嘲るような笑みを浮かべ、こちらに視線を向けてくる。
ロープがコースに渡されて、もうすぐスタートが切られようとしていた。
遠く離れたスタンドから観客のざわめきが風に乗って耳に届く。
それに気を取られたのか、外側にいる一頭のペガサスが後脚を浮かして尻っ跳ねするのが横目に映った。
視線を正面に戻したとき、ロープが跳ね上がった。
アーチャーズノートは良いスタートを切り、両側のジュスタンのペガサスを置き去りにする。
すぐに右後ろを振り向き他馬の位置を確認した。
プルネラのペガサスを含む四頭が固まって先頭に立とうとする。
恭介はちらと右を見て、後続の邪魔にはならない判断すると、アーチャーズノートを外側の馬場の良いところへ誘導する。
ダッシュのついたペガサス四頭が先頭争いを繰り広げている。
恭介はそれらの動きを見たあと、首を下に曲げて股の間からアイヴァーとリジーズプライドの位置を探った。
リジーズプライドは道中後方に控え、仕掛けどころで鋭い末脚の使うペガサスである。
「え?」
と、恭介は声が出てしまった。
ジュスタンのペガサス二頭がリジーズプライドの両側にぴったりつけていたのだ。
その前には五頭が横一列に広がって、リジーズプライドの進路を塞いでいた。
この五頭はジュスタンたちとは関係がない。
鞍上もグラントやリジャイナといったジュスタン陣営と揉めていた騎手たちである。
ジュスタンのペガサスは恭介をマークすると思われたのだが、その予測は外れた。
ジュスタン陣営に不満を抱いている騎手たちの思惑がなんとなくわかった。
プルネラの馬はスタートダッシュが速く追いつけない。
デインの方は馬群の中団外目、馬群を容易に捌ける位置にいる。
残りのジュスタンのペガサス二頭は、恭介をマークしようとしたのだが、他のペガサスが前に壁を作ったせいで、やむなくリジーズプライドをマークする格好となったようだ。
グラントやリジャイナたちは、せめてこの二頭をマークして思い通りにさせないようにしたらしかった。
結果的にリジーズプライドは馬群に囲まれる形になった。
「好都合、とはいかないかもな」
当初の作戦では、仕掛けをワンテンポ遅らせてリジーズプライドに馬体を併せ、いったん先頭に立たせたあとの差し返しを狙ったのだ。
ところがリジーズプライドが馬群に囲まれた状況だと、併せ馬の形を作れない。
仕掛けどころで馬群がばらけた瞬間、鞍上のアイヴァーはその間隙を突き、アーチャーズノートと馬体を併せることなく先頭を差し切るはずだ。
他馬の余計なアシストのせいで本来のプランが狂ってしまった。
前方に目を移すと、先頭が固まっているのが見える。
プルネラが強気にハナを主張し、それに続く馬たちもつられた格好となっている。
彼女を楽に逃がすとそのまま押し切られる恐れがあったので、先行できるペガサスはプルネラに絡む選択を取ったのだと思われた。
先頭集団に馬群が引っ張られる形となり、レースは早めのペースで流れていた。
このまま終盤に差し掛かれば、後ろに控えているリジーズプライドが有利だった。
ハイペースなら後方、スローペースなら前が有利なのは競馬の定石である。
ただでさえ力の抜けているリジーズプライドにおあつらえ向きの展開となってしまったのだ。
――慌てるな。
恭介は胸の内で言い聞かせる。
あちこちに気が散ってはアーチャーズノートに恭介の迷いが伝わって戸惑ってしまう。
ここは腹を括る場面だ。
気持ちを切り替え、リジーズプライドの動向に気を配る。
なんとかしてリジーズプライドと併せられる形を作りたかった。
残り八〇〇メートルを切ったとき、レースに変化が訪れた。
デインが馬群の外からポジションを上げてきたのだ。
デインのペガサスは長い脚を使うタイプである。
これしかないと決め打ったに違いない。
馬群がスタンドの前に進入する。
耳を圧するような声援がにわかに飛び込む。
腹の底から感情を爆発させた絶叫だった。
自分の応援しているペガサスの命運がもうすぐ決まるとだけあって、直情的な言葉がリンウェルダウンズ競馬場に飛び交った。
ましてや重賞である。
未勝利戦や条件戦と違い観客たちの注目度もそれなりにあり、馬券もかなり売れているはずだ。
熱狂しないわけがない。
仕掛けどころに差し掛かるまえ、恭介は首を回してリジーズプライドの位置を探った。
前に壁を作っていた五頭のうち、端の二頭の手応えが怪しく、騎手が激しく手綱を動かしていた。
さらに、リジーズプライドの両隣りにいたジュスタンのペガサス二頭はすでに後退し始めていた。
首を戻し、前を走るペガサスの様子を見る。
外埒沿いに三頭固まっており、相変わらずプルネラが先頭を走っている。
思ったよりも手応えが良く、あわよくばそのまま先頭で押し切る構えを見せていた。
そのとき、激しい蹄音が耳に入った。
ちらと左に目を移すと、何頭ものペガサスが追い上げて、アーチャーズノートを追い越そうとしていた。
しかしこれらも騎手が必死に促していて、脱落するのは時間の問題だった。
相手にする必要はなさそうだ。
隣のペガサスが後ろに下がり、進路が確保されると、恭介はすかさずアーチャーズノートを左に誘導し、比較的脚色の良いペガサスと馬体を併せた。
あとはリジーズプライドが仕掛けてくるタイミングを見計らい、仕掛けるだけになった。
手応えは充分にある。
隣のペガサスを置き去りにした直後にリジーズプライドに馬体を併せられると踏んだ。
残り五〇〇メートル、恭介はまだ手綱を持ったままの姿勢を保っている。
何千何万もの観客が声を張り上げる。
お互いの声が打ち消し合い、不明瞭な歓声が恭介の耳を打つ。
恭介は後ろを振り向き、リジーズプライドの位置をもう一度確認した。
「なに?」
リジーズプライドの姿が見えなかった。
いったいどこへ行ったのかと左に目を移すと、馬群から大きく離れた馬場の真中、ギリギリ荒れていないところに走っている姿が見えた。
アーチャーズノートからおよそ二馬身ほど後ろに控えているリジーズプライドだった。
外側の進路を選択しなくても勝てると踏んだようだ。
「しまった」
恭介は自分の判断ミスを悟った。
馬群の外を選択するにしろ、大きく離れるとは思わなかった。
アイヴァーは間違いなく併せ馬の形を作らせないために、その進路を取ったに違いない。
アーチャーズノートは隣のペガサスを置き去りにした瞬間、ソラを使い、リジーズプライドと馬体を併せる前に集中力を切らしてしまう恐れがある。
アイヴァーはその瞬間を狙って仕掛け、併せ馬の形を作らせずに先頭でゴールを駆け抜けるはずだ。
すぐさま前に目を遣ってプルネラの様子を探った。
まだ手応えが充分でつついてきたペガサスの方がスタミナを消耗し少しずつ後退してゆく。
――いや、まだ我慢だ。
残り四〇〇メートルを切ったとき、恭介は腹を括った。
リジーズプライドの能力が高いとはいえ、そろそろ仕掛けなければならないはずだ。
恭介は依然として手綱を持ったままである。
プルネラのペガサスの逃げ切りも頭にあったが、リジーズプライドの脚力が勝る方に賭けた。
そう決めたとき、鞍上のアイヴァーがリジーズプライドを促し、徐々に進出するのを目の端で捉えた。
――ここだ!
鞭を構え、手綱をしごき始めた。
アーチャーズノートがスピードに乗り、馬群から抜け出そうとした。
横の馬を抜いたとき、恭介は左を向いた。
リジーズプライドが離れた左斜め後方にいた。
恭介は右鞭を入れ、急速に左へ進路を切りかえた。
アーチャーズノートがわずかにソラを使い、一瞬気が抜けたものの、なんとか馬体を併せることができた。
まだ半馬身差でリードしている。
ミスを挽回し、二頭の追い比べに持ち込めた。
徐々にリジーズプライドが迫ってくる。
恭介は腰を落とし、手綱を懸命にしごき、右鞭を振るってアーチャーズノートを鼓舞する。
迫ってくるリジーズプライドに反応してまたエンジンがかかり始めた。
「簡単には勝たせてくれないようだな!」
観客たちの歓声に混じってアイヴァーの声が飛んできた。
「あとは気力勝負!」
恭介はアイヴァーの声に応えた。
手綱をしごきながらも、遠く離れた外埒沿いを走っていたプルネラを追い抜いたのを目端で捉えた。
戦前の予想通り、バロンクラウスカップは二頭の一騎打ちとなった。




