レースの合間
第三レースでも恭介はジュスタンのペガサスに執拗に絡まれた。
レース前、担当の厩務員から怖がるところがあるから馬込みを避けてほしいと指示を受けていて、中盤まで馬群の外を回していたところ、ジュスタンの馬が外から被せてきたのだ。
厩務員が言っていた通り、ペガサスが耳を絞る素振りを見せ、明らかに怖がっていた。
おまけに馬体を併せてきて、何度も接触した。
さらにもう一頭、前を塞いできた。
それも追い出すタイミングで斜行し、恭介は手綱を引いてブレーキをかけざるを得なくなり、仕掛け損なってしまった。
満足なレースができないまま、恭介は五着に終わった。
検量室へ引き返すと、厩務員から憐れみの視線を向けられた。
「すみませんでした」
言い訳のしようがなかった。
素直に頭を下げると、厩務員は仕方ないというふうに何も言わず首をゆっくり横に振った。
勝てる見込みがあってレースに送り出したのに、消化不良に終わったのを嘆いていた。
とはいえ、恭介のせいだけではないとわかっているので、誰を責めたらいいかわからないのだ。
――エレノア、どこまで聞き出せたかな。
レースに集中しているつもりでも、彼女の動向が気になった。
ちなみに第三レースの一着はデインである。
検量を終え、控室に行こうとしたとき、デインと目が合った。
彼は不機嫌そうに口元を歪め、そそくさと戻って行った。
その素振りが気になって恭介は追いかけた。
さっき、エレノアがプルネラとヘドレイに聞きたいことがあると呼び出したので、恭介もジュスタンにかかわりのあるデインから何か聞き出せないかと考えたのである。
「よう」
と声をかけると、デインは振り向いた。
「なんだよ」
歩きながらデインは心持ち不機嫌な声で応じた。
「あまり嬉しそうじゃないな」
「気のせいだ。勝って嬉しくない奴なんて、いるわけないだろ」
デインは首を振ってそっぽを向く。
「そう焦るなよ。お前とプルネラ、今回の開催でずいぶん勝っているみたいだし、ジュスタンさんも喜んでいるんじゃないか」
「…………」
「これだけ大挙に出走させて成果が出ているんだから満足だろ」
恭介が覚えている限り、今回のリンウェルダウンズ競馬場の開催、ジュスタン率いるタドカスター調教場から計数十頭ものペガサスを出走させているはずである。
ジュスタンの主戦であるデインとプルネラはこの開催でかなりの勝利数を稼いだ。
「は、。人のこと気にしている場合かよ。おまえ、この開催で何勝した?」
「十二鞍乗って四勝だな。まあまあだと思うぜ」
「嫌味言いやがって」
ちっ、とデインは舌打ちをした。
「平地じゃあ、誰にも負けない自信があるからな」
「飛翔じゃそうはいかないぜ」
デインは得意げに言った。
飛翔競走の経験が口調に現れたらしかった。
「だろうな。モンキー乗りで飛翔をこなすには時間がかかるってことぐらい、理解しているさ」
「おまえ、マジで言っているのか?」
「ペガサスに負担をかけないように乗るには、モンキー乗りしかないからな。ま、飛翔で通用するかどうかはやってみてのお楽しみだよ」
「いっちょまえに言いやがって。あんなのが通用するはずがないだろ」
「でも、ジュスタンさんはそう思っていないんじゃないか?」
恭介は確信めいた口調で言った。
すると、デインは不意に足を止めて恭介を見据える。
「だってそうだろ。あれだけウザったくマークするんだからな。俺を気にしているって言っているようなもんだ。それに今回の開催、色々とおかしなことが続いているし。ま、そいつジュスタンさんの計算内の出来事なのかわからないけどな」
「……俺から言えるのは一つだけだ」
デインの顔に真剣さが帯びた。
「俺とプルネラは無関係だ。ただ勝てとしか言われていない」
「ってことは、俺をマークするのもお前には関係ないってか」
「そうだ。正直、ここまでおまえに嫌がらせをするなんて思ってもいなかったけどな」
「マークすることが?」
「だからそうだっつうの。俺みたいな騎手が何を知っているってんだよ」
「オーリックとの関係は?」
「さあな。あの人の交友関係なんてこっちの知ったこっちゃない」
デインは睨みつけるようにまっすぐ視線を向けてくる。
「とにかく、俺とプルネラはレースで全力を出しているだけだ」
じゃあな、と言ってデインは足早に離れていった。
――俺とプルネラねえ。
それ以外の騎手は勝たなくてもいい、と言ったのも同然だと恭介は思った。
◇
次に騎乗するレースまで時間が空いていたので、恭介はウィントンの様子を見に装鞍所へ向かった。
パドックの近くにある装鞍所には、すでに多くのペガサスがレースの準備のために馬房に入っていた。
中央にある植木を凹型に囲むように建てられた馬房には、ところどころから乾いた金属音が聞こえてくる。
鞍や頭絡を装着するだけではなく、蹄鉄もつけるため、装蹄師が金づちで釘を打っているのだ。
隅の馬房でオリアナがウィントンに話しかけていた。
馬には常に優しく話しかけるのは日本にいたころ、少なくとも恭介の周りでは馬に声をかけてあげるのが常識だった。
丁寧に扱う方針が徹底されていると改めて思った。
ウィントンはすでに装鞍がすんで、蹄鉄も打ち換えたあとだった。
オリアナが恭介に気づくと手を振った。
「おつかれさんです」
とオリアナに挨拶をすると、彼女はふっと微笑を漏らした。
どうやらウィントンの状態には何も問題がないらしい。
「なんだい。あたしが信頼できないってのかい?」
「そうじゃないっすよ」
と恭介は苦笑して応える。
「どうっすか、ウィントンは?」
「問題ないよ。馬糞もちゃんとしているし、トマトを入れられた感じはないよ」
「ならよかった」
恭介は馬房に入り、鞍や手綱を確かめる。
なんの問題もなさそうだ。
すると、ウィントンがいなないた。
「よしよし。大丈夫だ、心配ないぞ」
恭介はウィントンの首筋を撫でてやる。
「なにもこんなところまで来なくてもいいじゃない。控室でゆっくり休んでいたら」
というオリアナの目の下に濃い隈が浮かんでいた。
トマト混入事件の犯人、ベンがいなくなってからも、深夜の見廻りをしていたらしい。
「いや、万が一ってこともありますし、やっぱ自分の目で確認したいんすよ」
「ま、それもそうね。安心してレースに臨めるなら、あたしは文句は言わないよ。ああ、そうだ」
とオリアナは何か思い出したらしく、一瞬宙を見上げてから顔を寄せた。
「お嬢さま、なにがあったの?」
「エレノアがどうかしたんですか?」
「さっき、そこの待合所で何人かと入って行ったんだけど」
とオリアナはあるところを指さした。
年季の入った黒板塀のような外壁で建てられた小屋である。
そこで関係者たちが時間を潰しているらしかった。
「ああ、なんかプルネラやアイヴァーさんたちと話があるって控室を出て行きましたけど。あそこで話していたのか」
「うん。でもまだ出てくる気配がないんだよね」
「ずいぶん時間がかかっているな」
第一レースの後から話し合いをしているはずだが、もう二時間は経っているはずである。
エレノアのことだから彼らの騎乗予定は把握しているはずだが、それでも時間がかかり過ぎている気がする。
「あたしも様子を見に行きたかったんだけど、お嬢さまに止められてね」
「俺もレースに集中しろって言われました」
「大丈夫かな」
オリアナは心配げに待合所を見つめている。
「そういや、ベンの処分ってどうなったんすか? あれから何も聞いていませんけど」
「あたしもまだ聞いていないよ。いろいろ揉めているんじゃないの?」
そのとき、ウィントンがオリアナに頭を寄せてきた。
よしよし、とオリアナがウィントンの頭を撫でてやる。
「エレノア、まさかジュスタンさんの不正を暴く気なんじゃないですか?」
「ありえるね。でもどこまで聞き出せるかな」
「ウィントンのレースが終わったら、オリアナさんが取調べしたらどうっすか? 元警察官なんだしこういうのできるでしょ」
「どうかな。ベンのときは現行犯だったし、ヘドレイが白を切ったら何も言い返せないからね。とにかくキョースケはそっちに気を回さないでレースに集中した方が良いわ。あんたも十勝目がかかっているんだから」
「そうっすね。特にウィントンのレースは落とせないっすね」
と言って、恭介はウィントンの首筋をもう一度撫でてやった。




