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控室の騒動再び

 リンウェルダウンズ競馬場の医務室は思いのほか広かった。

 六床のベッドが二列に置かれ、皺ひとつないシーツがかけられてある。

 医師の机には薬箱らしきものが並べられていた。

 一箱だけ蓋が開いており、何本もの包帯がぎっしり詰まっていた。

 医務室らしく傷薬や消毒液のにおいが充満している。


 早速恭介は服を脱ぐよう老年の医師に言われた。

 隣にあった脱衣籠に勝負服、インナーシャツ、それにブーツとズボンを脱ぎ、椅子に腰かけた。


 医師の指示通りに身体を動かした。

 腕や脚の関節は支障もなく曲がり、痛みもない。


「ふむ。特に問題はないようだ。骨や関節に異常はないし、外傷も見当たらない。軽く魔法をかけておくだけでいいだろう」


 どうやらフォルアースでは医療技術に魔法を取り入れているようだ。

 以前エレノアが怪我をしたペガサスに魔法を使って応急処置をしたことがあった。

 かける魔法の種類によって人間には効きにくいものがあるらしく、エレノアの場合ペガサスに効き目があるが人間に対しては効果が薄いという。

 この世界の医師は人間に効く魔法を習得しているらしかった。


「包帯とか巻かなくて大丈夫ですか?」


 と訊いたのは、机の上にある包帯が目に行ったからである。


「ん? これは重傷患者に使うものだが。ハタヤマ騎手には必要ないだろう」


 医師は片眉を上げ、不思議そうに目を丸くした。


 ――やべっ。


 余計なことを口走ったと後悔した。

 医師に口ぶりからすると恭介に施した医療魔法はごく当たり前の診療らしかった。


「ちょっと気になったものですから」


 恭介は苦笑いを浮かべながら言い訳を探した。


「なにかね?」


「前にプルネラが落馬してここの診察を受けましたよね。怪我した感じでもないのに、乗り代わりになったもんですから」


 咄嗟の言い訳にしては上手くいったかな、と胸の内で自画自賛する恭介。


「あの子を診断したのは私ではないからな」


「あ、そうだったんだ」


 これ以上余計なことを言わないように気をつけながら言うと、上ずった声になってしまった。


「イアンという若い医者だ。慎重になってしまったんだろう」


「それで今日はあなたが?」


「昨日までイアンが担当していたんだが、急用ができたから変わってくれと連絡は入ってな。おかげでこっちは思いがけない臨時収入に恵まれたよ」


 かっかと朗らかに笑う医師。

 どうやらかなりの手当てがもらえるようだ。


「へえ」


 もう少し詳しく訊きたいところだが、ペガサスレーシングクラブの運営方法を知らない人間が言っても怪しまれると思い、相槌を打つにとどめた。


「とにかく、君は何の問題もない。以降のレースも騎乗して問題ないと伝えておく」


「ありがとうございます」


 恭介は服を着て診察室を出て行く。


 控室の近くまで行くと、エレノアがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。


「キョースケ、大丈夫だった?」


「ああ、どこも怪我はないってよ」


「よかった。ひどい落馬だったから心配したのよ」


「そんなひどかったのか?」


 落馬したときの記憶があまりなかったとはいえ、頭を打った覚えはなく、医師の診察も問題なしだった。

 上手く受け身が取れたぐらいにしか思っていなかった。


「すごい勢いで転がったから……オリアナも驚いていたわよ」


「大丈夫だって。ウィントンには乗れるから」


「そう、よかった」


「ウィントンの方はいいのか?」


 というのも、エレノアはオリアナと一緒にウィントンの装鞍に取り掛かっていたからである。

 駆けつけるのが遅れたのはそういう事情があったからだ。


「あとはオリアナに任せておけば問題ないわ。あとはキョースケが万全の状態でレースに乗ってくれたら」


「なら、大丈夫だな。それとちょっと聞きたいことが――」


 と、恭介が言葉を続けようとすると、控室から大声が聞こえた。

 声の主はアイヴァーのようだった。


「なんだ?」


 そう言ってエレノアと顔を合わせてから控室のドアを開けた。


 アイヴァーが控室にいる騎手たちに睨みを利かせている。

 肩に圧し掛かるような空気が控室に立ち籠めていた。


「なにがあったんすか?」


 押し黙った空気の中、恭介は厳しい顔をしているアイヴァーに訊いた。

 彼はじろっと恭介を一瞥しただけで何も答えてくれない。

 よほど腹に据えかねた事態が起きたらしい。


 控室には次のレースに騎乗する騎手以外、全員集まっていた。

 ほとんどの騎手が椅子に腰かけて成り行きを注視ている中、プルネラと恭介を落馬させたヘドレイという騎手が立っていた。

 互いに息を切らし、睨み合っている。


 ――またやらかしたのか……。


 二人は髪を乱し、勝負服が寄れていた。

 顔に目立った傷は見当たらないが、また揉め事を起こしたのは目に見えてわかる。


「お前ら」


 とアイヴァーが重い口を開いた。

 人の良い騎手組合会長らしからぬドスの利いた低音であった。

 その声にびくっと肩を震わせたのはヘドレイである。


「同じ馬主の騎手同士で争って何がしたいんだ?」


「わたしは、ヘドレイが汚いことをしてキョースケを落馬させたのが許せなかっただけです。あんなことをして平然としているなんて信じられません」


「それはお前が決めることじゃない。査問委員会に任せておけばいい」


「ですが――」


「それに」


 とアイヴァーは声を大きくしてプルネラの言葉を遮った。


「プルネラ、お前リジャイナに私的制裁を加えて処分が下ったのを忘れたのか」


「……」


「まったく、もう一度揉め事を起こしたら無期限騎乗停止だってあり得るんだ。少しは自重しろ」


「……はい」


 プルネラは得心が行かないようで、顔を歪めて顔を俯けた。


「どういうことだ?」


 と恭介は後ろを振り返り、小声でエレノアに訊いた。


「プルネラも結構溜まっているのよ」


 とだけエレノアは言う。

 レース前にプルネラと二人で話し合いをして何らかの手応えを感じていたらしい。


「あと、ヘドレイ。キョースケに謝罪するんだな」


「はい」


 と返事をしてもヘドレイは動く様子がない。

 恭介の目に映るのは憮然と顔を逸らし、不貞腐れたような態度を取る騎手の姿である。


「ヘドレイ、さ」


 アイヴァーが促す。


 ヘドレイは舌打ちをして恭介に歩み寄る。


「キョースケ、すまなかった」


「ヘドレイ、一つ訊きたいことがあるんだけど」


「……」


「なんであんなことをした? 反則だって誰でもわかることだろ。どう考えても正気の沙汰じゃない」


「……」


「まさか俺にあんなことして、だんまりを決め込むわけにはいかないだろ」


 恭介の声音がきつくなる。


 ヘドレイは相変わらず憮然とした顔つきのまま、恭介と目を合わせようとしない。


 その態度が、恭介の怒りを買った。


 恭介はヘドレイの胸ぐらを掴み、グイっと引き寄せた。


 明確な悪意を持って妨害し、あまつさえ悪びれた様子も見せない騎手を許したくなかった。


「やめろ! キョースケ」


 すかさずアイヴァーが恭介の肩を掴んで仲裁に入る。

 アイヴァーは、真剣な眼差しで恭介を見据えている。

 騎手組合会長である前に一人の人間として止めに入った気がした。


 彼の顔を立てなければとわずかに分別を働かせ、あと一歩のところで踏みとどまった。


 そして突き飛ばすようにヘドレイから手を離した。


「ねえ、ヘドレイさん」


 と、エレノアが声をかけてきた。


「ちょっと話さない? 大丈夫よ、悪いようにはしないから。それとプルネラ、あなたも」


「わたしも?」


 プルネラは意外そうに目を丸くした。

 また話し合うとは思っていなかったようだ。


「アイヴァーさん、いいですね」


「エレノア、なにをする気だ?」


「色々気になることがあります。少々込み入った話になると思うので、場所を変えようかと。できればアイヴァーさんも同席していただけると助かりますわ」


「わかった」


 騎手組合会長の責任もあるせいか、アイヴァーは首肯した。


「俺も行こうか?」


 と恭介が訊く。


「いえ、キョースケはレースに集中して。詳しくは帰り話すから、ね」


 エレノアは片目を瞑った。


「じゃあ、行きましょう」


 エレノアはそう言うと、すぐに控室を出て行った。


 ――ジュスタンの不正を暴く気だな。


 今回の開催で起きたトラブルのほとんどがジュスタンに絡んでいるとエレノアは見ているのだ。

 プルネラとヘドレイ、二人ともジュスタンの騎手である。

 なのに、プルネラはヘドレイに対して怒りを露わにした。

 ヘドレイは不機嫌な素振りを見せる。

 同じ馬主のペガサスに跨がる騎手同士が争う背景には、余程の事情があるに違いなかった。

 

 エレノアそこに目をつけ、ジュスタンの不祥事を暴こうとしているようだ。


 見方を変えると、ヘドレイはジュスタンの指示に従っただけで、自分が悪い訳では無いと思っているのかもしれない。


 ほぼ間違いなく、ジュスタンが今回の開催で起きた一連のトラブルを影で操っていると思われた。 


 エレノア一人だけが聞いても、ジュスタンとつながっているオーリックがまともに取り上げるとは思えなかった。

 アイヴァーを同席させたのは、第三者の証人が必要だと感じ、ヘドレイに証言させようとしているのだ。

 もしかしたら、騎手組合を味方につけ、ジュスタン及び査問委員会を追求する下地を作るためとも考えられる。


「プルネラ、ヘドレイ、行くぞ」

 

 アイヴァーが促して控室を出て行くと、二人もそれに続く。

 ヘドレイは依然として機嫌が悪そうに顔を歪めている。


 途中、プルネラが足を進めながら恭介を見つめた。

 力のない表情を浮かべ、寂しげな視線を投げかけて目の前を通り過ぎていった。


 ――どうしたんだ?


 プルネラの真意がわからず、恭介は首を傾げるだけだった。


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