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深まる疑惑

 ペガサス競馬の査問委員会はペガサスレーシングクラブの査問部から派遣されてくる職員で結成される。

 開催ごとにメンバーは違い、基本的には同一年内に同じメンバーで組織されることはあまりないという。

 本部から派遣される職員の誰がどこへ派遣されてくるか直前までわからない。

 メンバー同士が仲良くなりすぎると、なれ合いになり正確なジャッジが下せない恐れがあるかららしい。

 査察部はペガサス競馬全体の規律を司る部署ともあって権限が強い。

 反面そういう部署でもあるせいか、時おり不祥事が起きる。

 特定の関係者に手心を加えて処分を甘くしたり、ひどい時にはもみ消したりもする。

 仲が良いからという理由だけではなく、お互いの利害が一致し、共謀することもある。


「じゃあ、オーリックには何らかの見返りがあるってことっすか?」


 と、恭介が訊いた。

 ジュスタンとオーリック、お互いに利することがあるとすれば、二人が手を組んでおかしくない。

 ジュスタンに関わりのある騎手やペガサスに甘い処分を下し、またジュスタンの所有馬を勝たせるために便宜を働いてもおかしくない気がする。


「おそらくな。それとアイヴァーから聞いたんだが、騎手たちも派閥を作っているようじゃないか」


「派閥と言えば派閥っすかね。ジュスタンさんの勝負服を着た騎手とそれ以外って感じに分かれていますし」


「俺とキョースケは第三者だな。けど、オーリックはそうは見ていない。キョースケ、今回の開催の処分、どういう内容になっているか把握しているか?」


 アイヴァーは前を見ながら訊く。


「いや、あまり……。レースで精一杯でしたから」


「プルネラの馬の顔に、鞭を入れた奴がいただろ」


「はい」


「そいつ、二週間の騎乗停止だ」


「そんなに重いんすか?」


 確かに反則ではあるものの、重すぎる気がした。


「偶然の事故とは言え、ペガサス保護法に抵触する騎乗だって言うのが表向きの理由だ」


 とアイヴァーが言うと、


「だが、お前がデビューする前、オーリックが担当した開催があるんだが、同じ反則でもそこでは三日間だけだった。基準がブレているなんてもんじゃない。明らかな恣意的判断と言っていいだろうな」


 ガウンが補足を入れる。


「それだけじゃない。昨日の騒ぎの処分もおかしい」


 アイヴァーが言う。

 プルネラとリジャイナとの諍いを発端に始まった乱闘騒ぎは、その場にいた全員が査問委員会から聴取を受けた。

 恭介とエレノア、それに乱闘を傍観していたデインは一言二言程度の聴取で済んだが、他の騎手がどんな処分を受けたまでは聞いていない。


「リジャイナの方が処分が重かったんだ。一ヶ月の騎乗停止、対してプルネラは二週間の騎乗停止だ」 


「まあ、明らかに挑発していましたもんね」


 あの場合、先に手を出した方が負けなのが日本の常識だが、マルスク王国の慣習ではどうなのか判断がつかなかった。

 自分の素性を探られないためにも言葉を慎重に選ぼうと、恭介は思った。


「けどこういうのは喧嘩両成敗、挑発したリジャイナも悪いが、頭突きをかましたプルネラも悪い。同等の処分が下ってもおかしくない。明らかに不公平だな」


 ガウンが上体を曲げて両膝に肘をつく。


 ――江戸時代かよ。


 中学の時、歴史の授業で聞いた言葉が出て驚きそうになった。

 もっとも江戸時代かどうかは怪しかったが。


「しこりが残る判断ですね。さて、どうやって取り持とうか」


 騎手組合会長らしく頭を悩ますアイヴァー。

 前を見ながらも心持ち状態を屈め、慎重に運転している。


「ほっとけ。騎手同士のいざこざまで会長が責任を取る必要はない」


「しかし、その要因を取り除かなければなりませんから」


 会長らしく責任を感じるアイヴァー。


「そういや二人が行ったとき、査問委員会の反応はどうだったんですか? あのおっさんが素直に聞き入れるとは思いませんけど」


「表向きはちゃんと意見書を受け取ってくれたがな」


 とガウンが言う。


「しかし、どこまで聞き入れてくれるかは不透明だ。少なくともキョースケの処分は軽くなると思うが……」


「完全には取り消されない、か」


「落ち込むな、キョースケ。何も悪いことばかりじゃない。上手くいけば、飛翔競走に乗る資格が得られるんだろ。騎乗停止期間に目一杯練習しておけばいいだろ」


 ガウンの言葉に、恭介ははっとなった。

 たしかに理不尽な処分ではあるが、次の開催からいきなり飛翔競走に乗るのは心許なかった。

 幸いマルスク王国には実際のペガサスを使って練習する施設がある。

 そこで騎乗停止期間中に、最低限の技術を身につければいいのだ。


 ――一流騎手って考えることが違うよなぁ。


 世界が違えど、腕のいい騎手ほどポジティブに物事を捕らえるようだ。

 たとえ理不尽な境遇に落とされてもそこで何をすべきかを常に考えている。


 恭介の先輩、佐山順平もそうだった。

 落馬で負傷し、レースに復帰してからもなかなか調子が上がらず、周りからもう終わりだと陰口を叩かれた。


 しかし順平は、復活した。

 療養中も常にレース映像を見て研究に余念がなく、完調とはいえない身体でも、できる限りのトレーニングをし続けた。

 

 ある日、恭介は順平に聞いたことがある。


「出来る限りのことは、しておくもんだ。それにいい休養になる」


 なにを当たり前のことを言うんだと、そのときの恭介は思った。

 だが思い返してみると、順平が暗い顔をして落ち込んだのを見たことがなかった。

 レースに勝てない時期があっても順平はめげずに努力を重ね、次第に調子を上げて有馬記念を勝ち、元通りのトップジョッキーに返り咲いたのだ。


 今になって当たり前のことがどれだけ大事なのか思い知った。

 技術の巧拙はあるとはいえ、恭介もこの世界に来て勝てるようになり、責任感が生じ始めたせいなのかもしれない。


 ガウンの前向きな助言が恭介を刺激したらしかった。


 ――俺に足りないものが……。


 もう一つ見つかったな、と恭介はとらえた。


「どうした? 真面目な顔になって」


 ルームミラー越しに恭介の顔を見たのだろう、ガウンは疑わしげな声で訊いた。


「あ、いや。ガウンさんの言う通りだなって。できる限りのことはしないと」


「そうか」


 わからない、といった顔つきになりガウンはまたシートの背もたれに寄りかかる。


「とりあえず、オーリックのことに関しては開催が終わってからまた本部にかけ合って話し合いの場を設ける。このままだと騎手たちに不満がたまる一方だからな」


 アイヴァーがそう話を締めくくった。


   ◇


 宿で降ろしてもらい、アイヴァーとガウンは町の中心部へと車を進めた。

 手を振って車を見送ったあと、眠気が兆してきた。

 いろいろなことがあった一日だったので、なおさら疲れが溜まっていたようだ。

 もうすぐ寝る時間だなと思い、入り口のドアを開ける。


 ――エレノアは戻ってきたかな。


 早く寝ようかと思ったが、今日の出来事をエレノアにも報告した方が良いと思い、彼女の部屋へと足を進める。

 安宿だけあって照明が暗く、脚元がおぼつかなくなる。

 木製の階段の軋む音がして今にも踏み抜きそうになり、内心ひやひやしながら二階へと上る。

 エレノアの部屋は二階の奥にある二〇五号室である。

 色のくすんだドアの前に立ち、ノックをした。

 反応がなくもう一度ドアを叩く。

 やはり反応がない。

 戻ってきてないか、寝てしまったかのどちらかだろうと思い、恭介は引き返した。


「ん?」


 廊下の奥から人影が見えた。

 ジャケットを右腕にかけ、ブラウスのボタンを二つ空けている。

 人目につかないところで楽な格好になったようだ。

 気怠そうにため息を吐いたかと思うと、こちらに目を遣った。


「あら? キョースケ、どうしたの?」


「エレノア、今帰ったのか?」


「キョースケも?」


 とエレノアが言ったのは、恭介が荷物を持っていたのに気づいたらしかった。


「ずいぶん遅かったんだな。面倒な馬主でもいたか?」


「そうじゃないわ。ただ空振りに終わっただけ」


「そうか。残念だったな」


「別に気にしてないわ。これでめげていたら、調教師なんてできないもの」


 と言いながらも、エレノアは寂し気な微笑を零す。

 朝からウィントンとミスクララの状態を見、恭介の付添人を務め、さらに馬主への挨拶回りである。

 かなり疲れが溜まっているようだった。


「明日でいいか」


「なにが?」


「エレノア、疲れているだろ。早く休んだ方が良い」


「キョースケ」


 とエレノアは進み出て恭介に顔を近づけてくる。

 伺うような目つきでじっと見つめてきた。


「報告があるならちゃんと話して。大事な用事なんでしょ」


 語気を強めるエレノア。

 疲れのある表情をきれいだと感じ、恭介は思わず顔を背ける。

 すると、エレノアは逃がす気がないかのように移動し、恭介の顔をのぞき込む。


「あ、ああ。そうだな」


「まったく。疲れているけど、それとこれとは別よ。わたしは調教師なんだから、騎手からの報告は受ける義務があるわ。さ、中に入りましょ」


「へ?」


 恭介の間抜けな声が聞こえなかったかのように、エレノアは鍵を開けて自分の部屋に入って行った。

 恭介が立ち止まってまごつくとエレノアが部屋の入口から顔を出してこちらを見つめてくる。


「早く入って。他の人に聞かれると困るわ」


「あ、ああ」


 足取りがおぼつかないまま、恭介はエレノアの部屋に近づく。


 ――女の部屋に入るのも……。


 気が引けるな、と思った。

 自分から訪れておいて、その感情は矛盾しているように感じるが、女から誘われて入るのとは違うような気もする。


 それにマルスク王国の貴族令嬢はこんなにも隙があるのかと少々心配になる。

 恭介もチャンスがあればエレノアとの距離を近づけたい想いがあるが、無警戒に部屋に招き入れてくれると尻込みをしてしまう。

 この国の貴族の慣習なのかエレノア個人の性質なのかわからないが、いくら調教師と騎手の関係とはいえ、男を部屋に誘い入れるのはどうなのかと妙に常識人ぶった感想が浮かぶのだった。


 とはいえ、今日の出来事を報告しなくてはならず、恭介はためらいがちにエレノアの部屋に入った。


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