オーリックの言い分
オーリックが傲岸な笑みを浮かべ、休憩室にいる全員を見回した。
ふんと嘲弄するかのように鼻を鳴らすと、ドアを閉めた。
「カワード、なにをしている?」
オーリックの口調は怖いほど平然としていた。
その声に良からぬ雰囲気を感じる。
「トマト混入事件の犯人、ベン・クロードを聴取しています」
「それはここでやることではないだろう。査問室に連れて行って聴取すればいい」
「ここにいるほとんどの人が被害に遭っています。場所どうこうの問題ではありません」
「そうだ」
パウルが進み出てオーリックと対峙する。
「あんたを信頼できないから、俺たちやカワードさんが訊いてやってるんだ。だいたいあんた何をしてくれた? 見張りを出してくれって言ったのに無視しただろ」
パウルは語気を荒げた。
恭介の位置からではパウルの顔は見えないが、人を刺し貫くような鋭い眼光を放っていることは容易に想像できる。
「それは誤解だな。こっちはすでに犯人を捕まえた」
「なに?」
パウルの声が一層低くなる。
「なに言ってるんだ?」
「こいつがトマトを入れるのをオリアナが見たんだぞ」
「で、キョースケが捕まえてくれたんだ」
「そうだ。言いがかりつけるとただじゃおかねえぞ」
厩務員たちの目に人を刺すような眼光が帯びる。
見当違いのことを言うオーリックを信じる者は誰もいない。
恭介はその雰囲気に圧倒されそうになり、思わずオリアナの近くに寄った。
「どういうことっすかね?」
身を屈めてオリアナに顔を近づける恭介。
「聞いてみようよ」
オリアナの瞳に猜疑心が宿る。
厩務員たちの怒号が止むことなく、休憩室に響き渡る。
予想外の事態にカワードは首を回し、どうしていいかわからず顔色を曇らせる。
「黙れ!」
オーリックの大音声が轟いた。
固太りの体型にあった野太い声だった。
耳を圧する声を聞き、厩務員たちは口を閉じる。
「失礼」
とオーリックは薄ら笑いを浮かべ、謝罪する。
「落ち着いて聞いてほしい、たしかにトマト混入事件の犯人は、そこにいる厩務員、ベン・クロードだが、指示したのは違う人物だ」
「それは何となく察しがついている。おそらく――」
「ジャッド・クレイだ」
オーリックはパウルの言葉を遮り、指示した人物の名前を挙げた。
「だれっすか?」
知らない名前を告げられ、恭介は困惑しながらオリアナに訊いた。
「あたしも知らないわ」
オリアナの目に鋭さが宿り、オーリックを凝視する。
彼女はオーリックの言葉を全く信じていないようだ。
その視線に気づいたのか、オーリックはこちらに目を向けた。
「タドカスター調教場の厩務員、このベン・クロードの同僚だ。そうだな、ベン」
「は、はい。たしかに」
話を振られてベンは困惑げに返答した。
休憩室の中にざわめきが起きる。
今までの流れからジュスタンが指示したと思われたところに全く知らない人間の名前が挙がったのだからどう反応していいかわからないようだ。
「皆も、納得いかないだろう。よろしい、詳しく話してやる」
居丈高な口調で主席が言い放つ。
ここ最近、タドカスター調教場の成績が振るわなかったのは周知の事実である。
最新鋭の設備を整え、名調教師と名高いバジル・チャップルや腕利きのスタッフをそろえたのにも関わらず、ペガサスたちが良績をあげる気配が一向に見られない。
タドカスター調教場に預けた馬主たちがバジルの調教方針に異議を唱え、転厩も辞さないと強硬に言い出したのだ。
先日、恭介とエレノアと会談したニック・クレモントもその一人である。
タドカスター調教場は主にジュスタンの父親、マカベウス子爵とジュスタン本人の所有馬が数多く所属するが、それだけでは調教場はやっていけない。
レースで賞金を稼ぎ、馬主からの信頼を得るのが重要である。タドカスター調教場はじわじわと評判を落として行った。
その事態を憂慮したジャッド・クレイが、悪魔の囁きに耳を貸してしまったのだという。
ジャッドは腕利きの厩務員で、ジュスタンからスカウトされて調教場で勤めることになった。
給料も多く貰い、手厚く世話をしてくれるジュスタンにジャッドは恩義を感じており、タドカスター調教場を救うべく何とか手を尽くしたが、早く良い結果を出したいと焦ったらしかった。
彼が町で買い物をしていたときに、たまたまトマトの安売りしているのを見かけ、今回の不正を思いついたという。
今回のリンウェルダウンズ競馬場での開催、レースレベルはそれほど高くなく、最終日以外は注目度が低いこともあって仕掛けるならこの開催しかないと思い至った。
だが、ジャッドはリンウェルダウンズ競馬場に来ていない。
タドカスター調教場に残ったペガサスの管理をしなければならなかったからだ。
そこで遠征する厩務員の一人、つまりベンにトマトを仕込むように指示をしたのだという。
ベンが騎手志望でなかなか推薦状がもらえないのを知っていたので、もし首尾よく成功したらジャッドの方からジュスタンを通して、バジルに推薦状を書いてもらうよう説得すると言い聞かせたのだ。
長々と喋ったが、オーリックの口調に澱みがない。
すでに知った事実を詳らかにしたと言わんばかりに、満足げな表情を浮かべる。
怪訝な色を浮かべて互いに顔を合わせる厩務員たち。
彼らの不審を感じ取ったのか、オーリックはさらに詳しく語った。
彼に事件を告発したのは、他でもない、ジュスタン・タドカスターである。
彼はジャッドの行動に不審を抱き、独自に素行を調査したらしかった。
そして今回のトマト混入騒ぎが起きて報告を受けたジュスタンは、ジャッドが関わっていると判断し、ジュスタンの事務所に呼び寄せて彼を問い詰めた。
彼は事実を突きつけられ、その場で力なく蹲ると苦悶の表情を浮かべた。
目元に涙を湛えて、自分が重大な不正を働いたと思い至り心底後悔した。
ジュスタンは心を痛めた。
優れた技術を持つ彼がなぜこんなことをしてしまったのかわからなかった。
ジュスタンは彼に寄り添うように、床に片膝をつき、腕をジャッドの肩に回して優しく問いかけた。
ジャッドは良くしてくれたジュスタンの恩に報いたいと願い、レースで好成績を挙げたかった。
だが、タドカスター調教場に集めたペガサスは一向に成長せず、どうしていいかわからずに今回の不正に及んだのだという。
自分が信頼を寄せていた部下が不正に絡んでいたとあっては、隠蔽することはできない。
そして、ジュスタンは自ら査問委員会に報告したのだという。
――アホか!
恭介はオーリックの言うことを真に受けず、胸の内に毒を吐いた。
ジュスタンの性格はわかっているつもりである。
恭介の初騎乗時、レオポルドという騎手に恭介を落馬させるように指示を出した。
さらに、ドリアードという素質馬を故障させたばかりか、バジルを公衆の面前で打擲を加えた。
不祥事を咎められたジュスタンは競馬場への出入り禁止三ヶ月という処分が下ったのだが、恭介を落馬させるよう指示を出したことについては証拠がなかった。
あのときの振る舞いから察するに、ジュスタンは他人に罪をなすりつけてでも保身に走る男だと感じた。
自らの過ちを認める潔さを称えるかのように、オーリックは陶酔した表情を浮かべる。
詳細を聞いた厩務員たちはどうしていいかわからず、戸惑いを隠せなかった。
「聞いた通りだ。だから今後、この事件の調査は査問委員会が引き継ぐ」
とオーリックは高らかに言った。
「しつもーん」
とオリアナが挙手した。
彼女もオーリックの言い分を信じていない。
頬杖をついて不真面目な態度を取っている。
「なんだ?」
オーリックの目に険が帯び、不快感を露骨に表した。
「警察へは報告しないんですか? ペガサス保護法に抵触しますよ」
「それはこちらで聴取してからだ。さあ立て、ベン。カワード、これから聴取するぞ」
「は、はい」
おもむろに立つカワードは困り顔になり、ベンの肩に手を置いて、行こうかと声をかけた。
ベンはうなだれたまま席を立ち、カワードが彼の腰に腕を回して外へ連れていく。
三人が出て行っても休憩室にいる人々は誰一人として口を開かない。
急転した事態にどう感想を漏らしていいかわからないようだ。
やがて静けさに耐えられなくなり、ざわめきが起きた。
「どうなんすかね?」
静かな雰囲気に飲まれ、恭介の声が低くなる。
「ベンの奴、ほっとしてたね」
「え?」
気づかなかった。
珍客が紛れ込んで戸惑ったとしか恭介には見えなかった。
「あいつ、一瞬笑ったんだよ。これは何かあるね」
オリアナの口調に確信めいたものがあった。
「やっぱり、ジュスタンさんの差し金っすか?」
「たぶんね。でも、証拠はないし、あたしたちができるのはここまでね。あとは本部の方へ抗議するしかないかな」
オリアナは憮然と首を回したあと、テーブルに両手をついて席を立つ。
「エレノアにはなんて言おうかな」
厩務員たちのざわめきが収まらない中、恭介は頭を抱えたくなる思いをした。
◇
恭介はリンウェルダウンズ競馬場の門を出た。
思ったよりも時間が経ち、星月の光を遮る雲のせいで辺りは暗闇に閉ざされていた。
マルスク王国の競馬場のほとんどが町から離れた草原に建てられていて、ここも例外ではない。
すでに観客たちが帰ったあとで、帰りの交通手段がなくなっていた。
開催期間中ということもあって職員たちが残業をしている。
蛍が同じ場所で止まっているような灯がぽつんとあるだけで、門の入口のところまで灯が届いていない。
ここから宿泊先へは少々距離がある。
競馬場発のバスはとっくに運行を終え、タクシーや馬車もない。
頼みのエレノアも馬主への挨拶回りですでに競馬場にはいない。
全き自然に囲まれた夜道を歩いていくしかなさそうだった。フォルアースという世界にはどんな動物がいるのかよくわからず、下手したら猛獣が徘徊しているかもしれない。
それにアイヴァーが前に言ったように、この世界にはモンスターがいるらしく、迎撃手段のない恭介が襲われたらひとたまりもないだろう。
引き返して職員の誰かにタクシーを呼んでもらおうかと思ったとき、一台の車がライトを照らしながら門から出てきた。
緩やかなスピードで近づいてきたかと思うと、その車は恭介の前で停車した。
日本で言うところのボックスカーに近かった。
暗い車中に運転手の姿がうっすらと映る。
恭介は目を凝らして中の様子を見ると、見慣れた顔がそこにはあった。
彼は身をよじりこちらを覗くようにして窓に顔を近づけた。
「アイヴァーさん」
すでに帰ったはずだが、何らかの事情があって競馬場に引き返したらしい。
首元にはネクタイが巻かれており、仕立ての良いスーツを着ていた。
アイヴァーが乗るように手招きをすると、恭介は助手席のドアを開けて乗り込んだ。
「よう、キョースケ」
と、後部座席から声がした。
振り向くと、リンウェルダウンズ競馬場の開催に騎乗していないガウン・ボウズが寛いでいた。
相変わず口髭を生やしている。
「ガウンさんもっすか」
「ああ、アイヴァーと一緒に査問委員会のところヘな」
「何かあったんすか」
「前に言っただろ、組合から意見書を出すって」
宿はどこだ、とアイヴァーが訊いたので、恭介は行き先を告げる。
「そういや、会合があるって言ってましたっけ」
「そうだ。まあ、役員全員が集まったわけじゃないがな。俺は今日、第五レースで終わりだし、ガウンさんは休養日だ。今回の開催、お前の騎乗停止に始まっておかしなことだらけだからな。オーリックさんに直接抗議するためにな」
だから、オーリックが宿泊所に来たのが遅れたのだと思った。
おそらくオーリックは厩務員たちがベンを詰問する前に、二人の抗議が長引いて足止めを食らってしまったのだ。
本来なら、もっと早くベンを連れ出したかったはずだ。
アイヴァーが車を発進させる。
マルスク王国の車はガソリンではなく魔力を動力源にしていると聞いたことがある。
そのためかエンジン音が静かであるものの、それなりのスピードが出る。
オートマチックの車種らしいのだが、どうやら地球の車と仕組みが違うらしく、詳しいことは専門家でないとわからないようだ。
「お前の騎乗停止処分、あれはない。おまけにトマト混入事件に控室の乱闘騒ぎ。こりゃ荒れるぞ」
ドアミラー越しに見えるガウンは、両手を後ろ頭に組んでシートに大きく背をもたせると天を見上げた。
「あ、そうだ。トマト混入事件の犯人わかりましたよ」
「本当か」
アイヴァーは上体を曲げ、首を回して恭介を見る。
「アイヴァー、前を見ろ」
ガウンが前のめりになって注意をする。
「すいません。で、その犯人は?」
アイヴァーが顔を前に戻して言った。
――ガウンさんの方が先輩なんだな。
どうでもいいことに気が行く恭介。
さっきまでの休憩室のやり取りを二人に話した。
「正気じゃないな」
話を聞き終えたガウンは、またシートに背を預けた。
「デウスエクスマキナじゃあるまいし」
「なんすか? それ」
「都合の良い登場人物ってとこだ。それはともかく、主席も強引すぎる」
「二人の前でこういうのもなんですけど、あのオーリックっておっさん、信頼できるんすか?」
「おまえがそう思うのも無理はないな。アイヴァー、キョースケにどこまで話す?」
「ガウンさんの裁量に任せます」
アイヴァーはガウンに全幅の信頼を置いているようだ。
ガウンは頷いてから言い始めた。
その内容は恭介の想像を超えたものだった。




