厩務員たちの取り調べ 2
「な、なにを根拠に?」
動揺したのか、カワードの声が上ずった。
彼がオーリックに対して一物を抱えている様子が窺えた。
「あんたがその気になれば、あたしたちに有無を言わさずにベンを引っ張れたはずだよ。例えば、査問の邪魔をするなら処分を下すとか言って、強権をちらつかせるとかさ」
「そんなことをすれば反感を買います。いくら査問委員会とはいえ、権限をほしいままに振るうわけにはいきません」
「けどさ、あんたから見れば、パウルさんは明らかに邪魔じゃない。なのに、パウルさんの言い分を無視しなかったんだから、カワードさんにも思うところはあるんじゃないの?」
「キョースケさんの処分については、重すぎると思っています」
「それだけ?」
「なにがですか?」
「ベンの処分はどうする気だったの?」
「……」
「この人、タドカスター調教場の厩務員でしょ。カワードさんはともかく、オーリックさんがどう判断するかな」
オリアナは肘をテーブルから離し、腕を組んだ。
さらに企んだような笑みが浮かぶ。
「なにが言いたいんですか? まさか我々がこの人を庇うとでも?」
「そんなこと言ってないよ。ただ査問委員会のシステム上、どうしても主席の権限が強すぎるからさ」
オリアナは両手を広げてわからない、という素振りを見せる。
「本職っぽいな」
いつの間にか恭介の横にいたパウルが小声で話しかけてくる。
「元警官ってだけのことはありますね」
恭介も自分にかかわりのあることだけに、気が気ではないが、パウルの能天気な感想に心がほぐれた。
カワードはオリアナに反論せず、じっと彼女を見つめている。
時おり気まずそうに身体を動かした。
「でさ、本来ならベンはどんな処分を受けるんだい? まさかペガサスにトマトを食べさせて無罪ってわけにはいかないでしょ」
「ペガサスレーシングクラブ及び関連施設への永年出入り禁止、つまり永久追放です」
「そんなバカな!」
いきなりベンが机を両手で叩き、立ち上がった。
目を見開き、銜を咥えたかのように強く噛みしめた。
驚愕が彼の顔にはっきり現れた。
「当然だな。あれだけのことをしたんだ。お前、自分がペガサスに関わる資格があると思っているのか」
パウルの口調は厳しかった。
ベンはパウルを一瞥すると、その厳しい態度に屈したかのように、力なく腰を下ろした。
ガタつく椅子の音が響き、ベンは肩をすくめてうなだれた。
「さてと、話してもらおうじゃない。事と次第によっちゃあ、処分が軽くなるかもよ。あんた誰の指示でトマトを混入したのさ」
待ってましたと言わんばかりに、オリアナの顔に薄い笑みが浮かんだ。
両肘をテーブルにつき、手を組んでベンを見つめる。
彼はおもむろに顔を上げ、力のない目つきでオリアナに目を遣る。
――上手いこと行くもんだなぁ。
さすがは元警察官ってとこか、と恭介は胸の内でつぶやく。
カワードを尋問するふりをして、ベンの所業への処分を告げさせた。
ベンが口を開かない以上別の切り口で攻めると思ったが、こんなやり口があるのかと感心したが、たまたまうまく行っただけの気もする。
そしてベンの態度からすると、トマトを混入するよう指示したのはジュスタンだろうと思った。
今回のリンウェルダウンズ競馬場での開催、恭介やエレノアを貶めたかったのだろう。
そのカモフラージュとして恭介の騎乗するペガサスのみならず、他の調教場に所属する有力馬にトマトを混入させた。
恭介を負かすためだけでなく、ジュスタンのペガサスが勝てるように練った策なのだろうが、あまりにも雑過ぎた。
あれだけのペガサスが体調を崩せば、怪しむのは当然である。
そして正々堂々とレースに臨む関係者たちの執念をみくびったせいだ。
日夜問わずに、犯人を追うとは考えなかったのだろう。
ところが、ベンは意外なことを供述した。
「誰の指示でもない。俺が勝手にやったことだ」
「なに?」
パウルが眉根をひそめ低い声で言った。
「俺は憎かったんだ」
「誰を?」
カワードは身をよじってベンに身体を向ける。
ベンはうなだれながら首を回してカワードを一瞥すると、右手をあげて恭介を指さした。
「おれ?」
意味がわからなかった。
ベンに何か迷惑をかけた覚えなどない。
タドカスター調教場で少し顔を合わせただけである。
あまりにも予想外の動機に、どよめきが起きた。
「キョースケ。お前、何かしたのか」
顔見知りの厩務員が肩を掴んで問い詰めに来た。
「やってませんて」
恭介は必死に手を振って否定する。
ちらとベンを見ると、彼は手を下げてまた俯いた。
「へえ、キョースケをねぇ」
気のない言い方をするオリアナ。
「ああ、こいつみたいに、どこの馬の骨ともわからない奴がなんでレースに乗っているんだって」
ベンは視線を下げたまま声を震わせた。
感情が激しく揺さぶられ、消え細りそうな声音だった。
心持ち肩が震えている。
「おれは騎手を目指していたんだ」
ベンが言葉を続ける。
周りの厩務員たちもじっとベンを見据えながら口を噤んで聞いている。
「小さいころからペガサスに触れて、大学でもペガサス学を専攻していたんだ」
――そんな学問があんのか……。
大学が存在するのみならず、ペガサスを専攻する課程があることに驚きを禁じ得ない。
つい、声が出そうになった。
たしか海外の大学では競馬を学べる学部学科があるらしく、調教師や厩務員たちの中には留学した経験を持つ人もいると聞いたことがある。
異世界のフォルアースに来てそのことを思い出すとは思わなかった。
「で、研究するだけじゃなく、実際にレースに乗ってみたくなったと」
「ああ。だから大学を辞めて調教場で働きながら練習していたんだ。これでも、大学じゃ乗れているほうだったし自信もあった。でも、先生が推薦状を書いてくれなくて」
「チャップル先生だね」
オリアナは瞬時顔をしかめた。
かつてエレノアの父親キプロン伯爵の庇護の下、数々の名声を得たのに、タドカスター調教場に移籍した。
オリアナも彼の下で働いた経験があり、移籍の際にいざこざがあったという。
彼女もバジル・チャップルに思うとこがあるようだが、この場でそのことを言う気はないようだ
「ああ、タドカスター調教場が騎手志望のスタッフも募集していたから、すぐに応募したよ。採用されたときは嬉しかったな。あのバジル・チャップルのところで働いて騎手になれるんだから。けど、すんなりいかなくて困っていたんだ」
ベンの口が次第に滑らかになっていく。
「そりゃそうだよ。チャップル先生は下手な人には推薦状は書かないんだから、あんたの騎乗技術が足りないってことだろうさ」
至極真っ当な正論をオリアナは言った。
以前エレノアが、騎手に何らかの不手際があったら推薦した調教師も責任を負うと言っていた。
ベンの技術がわからないが、かつて名トレーナーとして名を馳せたバジルがそう簡単に騎手の推薦状を書かないことは、ペガサス競馬の仕組みに慣れていない恭介にだって想像がつく。
「けど、俺は努力した。何頭ものペガサスに調教をつけたり、寝る間も惜しんで世話をしたんだ。使い潰される覚悟で、身を粉にして働いているのに全然認めてくれない」
「だから、ぽっと出のキョースケに嫉妬したってわけね」
とオリアナが言うと、ベンは黙って頷いた。
オリアナの目つきがきつくなる。
ベンの言葉が真実かどうか警察官の経験を総動員して頭の中で精査しているようだ。
「あのさあ」
不意にオリアナが後ろ頭に手をやって呆れた素振りを見せる。
「ウソつくんなら、もっと整合性ってものを考えなきゃ」
「え?」
と誰かが声を上げると、休憩室がざわつき始めた。
ベンはおもむろに顔を上げて、不安げな顔色を湛えながら力なくオリアナを見る。
「だってそうでしょ。それならキョースケの乗るペガサスだけにトマトを入れたらいいだけだし、他のペガサスにトマトを仕込む理由なんてないんじゃない」
「なに?」
「バカだね、あんた。ほんとに大学に通っていたの? キョースケの乗るペガサスだけにトマトをやっていれば、あんたが恨みを持っていたって線で決着したのに、関係ないペガサスにも仕込むんだから、他に動機があるって考えるほうが自然ってもんでしょうよ」
「そ、それは……」
ベンは反論しようにも言葉が見つからず口籠った。
「私からもいいでしょうか?」
と、カワードが割り込んできた。
「カワードさん、ここで聴取する気なんすかね?」
恭介が小声でパウルに訊いた。
「こっちの方が都合がいいのかもな」
「やっぱ、オーリックに不信感があるんでしょうね」
「間違いなくな」
パウルと言葉を交わしていると、オリアナがこちらに視線を向けて片目を瞑った。
黙って見ておきなよ。
そう言っている気がして、恭介は軽くうなずいた。
「ベン・クロードさん、あなたがトマトを与えたのは、どこの調教場のペガサスですか?」
「え、と」
ベンは時おり首を回したり、手を頭に添えながら、調教場の名前を言い始めた。
未遂に終えたのを含めると、スピレッタ調教場をはじめ、各レースの有力馬を擁する調教場の名前を挙げた。
「やっぱりねえ」
オリアナは確信めいた笑みを浮かべ、脚を組んだ。
「さすがに、自分とこのペガサスにはトマトを入れなかったんだね」
「当たり前だ」
ベンは弱々しい声で言った。
「それで、あなたにはどのようなメリットがあるのですか?」
「え?」
カワードの言葉にベンは目を丸くする。
「こんなトラブルを起こすぐらいです。なにか大きなメリットがあると思いまして。あ、キョースケさんを恨んでいるという話は私も信じません。オリアナさんが言った通り整合性がありませんから」
カワードはベンの供述を先回りしていった。
「メリットって……」
「取引でもあったんだろうね」
オリアナが決めつけた口調で訊いた。
「ありえますね。例えば、指示に従えば推薦状を書いてやるとか」
カワードもオリアナの意見に賛成した。
「ってことは」
「バジル・チャップルが?」
「いや、あの人がそうする必要なんて」
「わからんぞ。昔の栄光を取り戻すために」
「ちょっとまって」
周りの厩務員たちが騒ぎ出した。
凋落したとはいえ名トレーナーのバジル・チャップルが不正を指示したとは到底信じられないようだ。
「違う!」
いきなりベンが大声を上げた。
突然の変わり身に、厩務員たちが口を閉ざし、ベンに目を向けた。
「チャップル先生はそんなことしない」
「チャップル先生は、ねえ」
オリアナは至って冷静である。
ベンの言葉の裏に隠された真意を見抜こうとしているようだ。
脚を組みなおして腕も組んだ。
「チャップル先生のこと、庇うじゃないのさ。さっきまで推薦状を書いてくれないってぼやいていたくせに」
「本当に関係ないからだ」
「だとすると、あんたに指示したのはジュスタン・タドカスターだね」
オリアナ確信を持って言い切った。
手のひらを返してベンを指さす。
「……」
「今回の開催、タドカスター調教場の成績は良好ですからね。それに、デイン・レギュラス、プルネラ・ハートレー両騎手の活躍が目覚ましい。二人ともジュスタン・タドカスターのペガサスに乗って多くの勝ち星を挙げています」
カワードが補足する。
「トマト食ってないんだから当たり前だな」
パウルが苦々しげに言った。
「ちょっといいすか」
と、恭介が手を上げる。
「どしたの?」
突然恭介が訊いてきたので、オリアナはきょとんと不思議そうな顔つきになった。
「いや、この人がプルネラとデインのことをどう思っているのかって」
「え?」
ベンは乗ってくれた二人のことに考えが及ばなかったらしく、目を見開いて意外そうな顔つきになった。
「仮にも騎手を目指していたんならさ、プルネラとデインが心無い奴らからどんな言葉を浴びせられるか想像がつかなかったのか?」
「……う」
ベンは顔を背けて肩をすぼめる。
「あんたがとんでもないことをしたせいで、プルネラやデイン、タドカスター調教場の馬に乗った騎手も一味なんじゃないかって思う奴だっているかもしれねえんだぞ。そいつが真実じゃないにしても、思い込みって質が悪い。いつまでもねちねち絡んでくるんだ」
「……っ」
ベンは息の詰まった声を出すと、身体が震えだした。
恭介から目を背け、また俯くとテーブルに頭が当たりそうなくらいうなだれる。
日本にいたころ、先輩の佐山順平がG1のレースで圧倒的一番人気の馬に騎乗し四着以下に敗れたことがあった。
馬券が外れた恨みがあったのか、SNSで八百長をしたの情報が流れた。
根拠のない噂なのですぐに沈静化したが、未だに順平が八百長をしたと思い込んでいる頭の足りない連中がいる。
恭介がベンを咎めたのはそのことを思い出したからである。
マルスク王国にインターネットはないが、その代わり人の口から口へとデマが飛び火し、プルネラやデインも犯行と関わっているという噂が定着しないとも言い切れない。
仮にも騎手志望だったベンがそのことに考えが至らなかったのか。
恭介は怒りよりも、情けなさが先立つ思いだった。
「下手したら、一生疑いをかけられるかもね」
オリアナがつぶやく。
カワードも恭介に顔を向け、周りの厩務員たちの中には小さく呻く者もいた。
「ベンさん。事実を公表しましょう」
カワードはベンの肩に手を添えて言った。
「でも、そうしたら俺は……」
ベンは涙目になり、声を震わせた。
「騎手には、なれないでしょうね」
「……」
「でも、状況に寄ります。正直に話してくれたら――」
カワードが説得しようとしているとき、いきなりドアの開く音がした。
あまりの大音に、厩務員たちはびくっと身体を震わせる。
休憩所にいた皆が入口に顔を向けた。
そこには主席査問委員のオーリックが入口を塞ぐようにして立っていた。




