厩務員たちの取り調べ 1
出張馬房に併設された宿泊所の休憩室に、殺気立った空気が立ち込めていた。
トマト混入事件の犯人ベン・クロードは俯いたまま肩をすくめ、口を噤んでいる。
対面には元警察官のオリアナがテーブルに片肘を突いていた。
厩務員たちが取り込んで彼を見下ろし、憎々しげな視線を浴びせる。
大切なペガサスにトマトを与え、疝痛を引き起こそうとしたベンをどうしてやろうかと剣呑な思考を巡らせているようだ。
その証拠となるトマトがテーブルに置かれている。
解いた包みの上にあるトマトは細かく刻まれ、飼葉に混ぜやすくしてあった。
大人数がいるのにもかかわらず、誰一人として口を開こうせず、息の音もしない。
時おり外からペガサスのいななきが聞こえ、それが止むと耳が痛むほどの静寂が休憩室に訪れる。
その雰囲気に、恭介は飲まれていた。
息の詰まる空間にいるだけで逃げ出したくなった。
オリアナがテーブルから肘を離し、腕を組んでもベンから視線を外そうとしない。
彼が自分から証言するまで粘っている。
何も言わないベンに業を煮やして、周りの厩務員がいつ暴発してもおかしくない雰囲気が醸し出されているのだ。
――早くしてくれねえかな。
恭介はいたたまれなくなり口を開きたくなった。
だが、周りの雰囲気がそうさせてくれず、異物を入れられたかのように喉が重く感じた。
そもそも、と恭介は思う。
なぜ査問委員会がここにいないのか。
アイヴァーの話だと調査に動いているはずなのだが、それらしい人物はおらず、ただ厩務員たちが静かな怒りを湛えているだけでは事態は全く進展しない。
早いところ査問委員会が調査し、処分を検討するのが妥当ではないか、と思うのだった。
もちろん、恭介もベンを許す気はない。
大切なペガサスを手塩に掛け、調教を重ねてきたスタッフの努力を踏みにじったのだ。
どんな理由があるにせよ、ホースマンとして、いや、一人の人間としてベンの行為を許容することなど、できようはずがない。
しかしこのままでは何も解決しない。
元警察官とはいえ、オリアナが聞き取りをするには限界がある。
あとは査問委員会に引き渡せばいいはずなのだが、重苦しい空気も相まって誰もそのことへ考えが至らないようだ。
もしかしたら自分たちで落とし前をつける気なのかもしれない。
有無を言わさない雰囲気がすでに出来上がっていた。
未だに静けさが漂う中、不意にドアの軋む音がした。
厩務員たちが鋭い視線のまま、一斉にドアへ目を向けた。
それにつられて恭介もドアを見た。
彼らの剣呑な雰囲気をまともに浴びて、査問委員会のカワードがたじろいだ。
ペガサスレーシングクラブの規律を守り、行使する部署の一員とは思えないほど頼りなげであった。
「カワードさん」
やっと来てくれたか、と思う反面、この人で大丈夫かと内心訝った。
恭介の騎乗停止に反対してくれたものの、結局押し切られたのを目の当たりにしていたので、彼が役に立つとは思えなかった。
「遅れてすみません。トマト混入事件の犯人を捕まえたとの報告を受けました。あとはこちらで調査します」
「で、どうするんだ?」
パウルが進み出てカワードの前に立ちはだかる。
「どうするって……」
「俺たちは査問委員会にかけ合ったよな。飼葉にトマトを入れた奴がいるから調査してほしいってな」
パウルの目つきが鋭くなる。
「マジっすか?」
と恭介は小声でオリアナに訊いた。
アイヴァーから聞いた情報とは違う。
「マジ」
オリアナは横目で恭介を見る。
「はい、オーリックさんからそう伺いました」
「だが、査問委員会から職員を派遣せず、俺たちが合間を縫ってやるしかなかった」
「そんなはずはありません。主席も何人か見張りをつけたって」
「じゃあ、この中に見張りがいるっていうのか」
パウルは振り向き、一人ひとりの顔を見回した。
カワードも厩務員たちに顔を向ける。
すると何かに気づいたように目を見張った。
「そんな、たしかに調査をすると……」
カワードは言葉を失った。
「色々おかしいっすね」
恭介はまたオリアナに声をかける。
「ちょっと複雑ね。でも、この空気だとベンを引き渡せないかな」
オリアナは気怠そうに頬杖をついて恭介に顔を向ける。
「査問委員会って信頼できるんすか?」
「なにを言うんですか!」
オリアナに訊いたつもりが、カワードの耳に届いてしまった。
規律を司る査問委員の誇りにかけて恭介の言葉を捨てておくわけにはいかないようだ。
「いや、キョースケが疑問に思うのもしょうがない」
と、パウルが恭介を庇う。
彼も、いや、この場にいる厩務員たち全員がカワードに不信の視線を送っている。
査問委員会が頼りにならない以上自分たちで解決するしかないと一同が決心を固めていた。
恭介がレースに集中している間に結束したらしかった。
「だいたい、今回の開催、おかしなことだらけだ。キョースケの騎乗停止の件だってそうじゃないか? 明らかに処分が重すぎるし、そもそもキョースケが落馬の原因になったとは到底思えないな」
と、パウルは恭介に視線を送る。
「まあ、俺も納得いってないすけど」
急に話を振られた恭介は口籠りながら言った。
強気にパウルの言うことを肯定してカワードの反感を買ってしまうと、処分が重くなる危険がある気がした。
「それに他のレースだっておかしい。俺はちゃんと見ていたぞ。キョースケよりも危険な騎乗をした奴らの方が処分が軽いってどういうことだ?」
「そ、それは、こちらに落ち度があったので改めて検討している最中です。意見書も届きましたし、一考に値すると私は見ています」
「私は、か」
パウルは一歩前に進み出て、カワードに顔を近づけた。
一切目を背けず、針のような鋭い眼光でカワードの目をのぞき込んだ。
「他の委員はどうなんだ」
「どうって」
カワードは痛いところを衝かれたようだった。
パウルの視線に耐えきれず、一歩下がって顔をそむける。
「とにかく、この件はあんたらに任せておけないな。俺たちでこいつから言い訳を聞いておく」
「それだけじゃないね」
不意にオリアナが言った。
「だいいち、ベンがやったことはペガサス保護法に抵触するからね。このまま警察に引き渡したっていいんだ」
元警察官らしい物言いでオリアナは告げた。
――そういや、そんな法律があった気が……。
以前、エレノアからペガサス保護に関する法律があると聞いたことがあった。
あのときは馬主がペガサスに天寿を全うさせる義務を課しているぐらいの認識だったが、考えてみれば保護法というぐらいだから、傷害や虐待を防ぐ条文があってもおかしくない。
日本の動物愛護法を厳しくしたようなものだな、と恭介は大雑把に把握し直した。
「しかし、開催時の出来事に関してはペガサスレーシングクラブが扱う範疇に該当します。例えベン・クロード厩務員がペガサスに危害を加えたとしても、調査、処分に関してはクラブの内規によって……」
「御託はいいんだよ」
パウルは有無を言わせぬ口調でカワードの言葉を遮った。
「あんたらにこいつを引き渡すと、真実を握りつぶされかねないからな」
「そんなことしません。処分が決定次第、外部に向けて公表します。いつもそうやっているじゃないですか」
「そうする保証がどこにある? お前たちがすぐに動いていれば俺たちが日夜通して見張り番なんてしなくても良かったんだ」
「ですから、オーリックさんはちゃんと職員を派遣したと」
「だから、そんな奴いねえっつってんだろ」
そこから侃侃諤諤の言い合いが始まった。
あくまで査問委員会の職務を全うしようとするカワード、その部署を信頼したくないパウルと厩務員たち。
両方とも一歩も譲る様子がない。
このまま堂々巡りに陥りそうだった。
ここで、恭介には気になることがあった。
「オリアナさん、オーリックが一枚噛んでいるってことはないですか?」
カワードと厩務員がやりあっている声が飛ぶ中、呆れて見ていたオリアナに訊いた。
「心当たりでもあるの?」
「エレノアが少し気になること言ってたもんですから」
恭介はオーリックに疑惑があることをオリアナに告げた。
「そういや、そんな噂聞いたことがあったね。なるほど、ジュスタンさまとオーリックかぁ」
「やっぱ、ジュスタンさんが関係しているんすかね?」
恭介がそう訊いたのは、ベンがタドカスター調教場に勤める厩務員だからである。
ジュスタンがトマトを混入するよう命じた可能性があった。
「ありえるね」
「それに、カワードさんが嘘をついているとは思えませんし、パウルさんが頑なになる理由もわかる気がするんです。んで、カワードさん、オーリックに一杯食わされたんじゃないすか」
「かもね。じゃあ、そこを突いてみるよ」
オリアナが向かい側に座るベンを見据えた。
彼もパウルとカワードの言い合いの行く末を見ていた。
横目でオリアナの視線に気づいたらしく、また正面を向き、顔を俯ける。
オリアナが何をするのか不安になったらしく、瞳が揺らいでいた。
するとオリアナは、いきなり手を強く鳴らした。
乾いた音が休憩室に響き渡ると、パウルとカワードは言い合いをやめて彼女に顔を向けた。
そして周りの厩務員たちの視線もオリアナに集まる。
「ちょっといい? パウルさん、カワードさん。揉めるのはあとにして。今から尋問するから」
「ちょっと待ってください。ここからは査問委員会が……」
「いやいや、ベンのことだけじゃないよ。カワードさん、あんたにも聞きたいことがあるの」
「私が、ですか」
自分に矛先が向くとは思っていなかっただろう。
機先を制された形となったカワードは目を丸くした。
オリアナの言葉に周りの厩務員たちがお互いに顔を見合わせてざわつき始めた。
「座って、カワードさん。別にあんたを咎める気はないから、そこは安心していいよ」
不意にオリアナは笑顔を見せた。
心からのものではなく、すかしたのだろう。
尋問をする警察官のやり口っぽいな、と素人ながらに恭介は思った。
「はあ」
怪訝な色を浮かべて、カワードはベンの隣に腰を下ろす。
冤罪で取り調べを受ける被害者のような感じがした。
「キョースケがヒントをくれたよ」
オリアナは前置きをし、椅子に腰かけてから前のめりになりテーブルに肘をつく。
「ヒントって?」
厩務員の誰かが声をあげる。
他の人たちもオリアナの意図が掴めず戸惑いの色を浮かべて事の成り行きを見守る。
そして、オリアナは口角を上げて笑ったかと思うと、いきなり核心を突いた。
「カワードさん、あんたオーリックを疑っているでしょ」




