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ミスクララのレース 2

 レースも中盤を過ぎ、そろそろ各馬が仕掛けるタイミングに差し掛かった。


 恭介は外埒沿いの馬群に目を遣った。

 デインが徐々にポジションを上げ、力のないペガサスを一頭、また一頭と追い抜く。

 そして、デインをマークするかのように十一番と十四番がポジションを上げていった。

 プルネラとアイヴァーはお互いに競ったまま、まだ動かない。


 残り六〇〇メートルを切った。

 すると、恭介の隣にいたグラントが手綱を動かし始めた。

 手応えが怪しく、伸びるどころか徐々に下がっていく。


「くそ、なんでだ」


 グラントは恭介の近くにいれば大丈夫だと思っていたようだ。

 恭介の思惑通りに事が運びそうだった。


 ――二流三流の騎手が多いとは聞いていたけど……。


 馬場の状態を読めないとは思わなかった。

 恭介がグラントの立場だったら、そのまま外の馬群にいたままレースを進める。

 普通なら恭介をマークすることなく、自分ができるレースを徹底したはずだ。


 グラントが下がって行くのとほぼ同時に、先頭を走っていた二頭が仕掛けた。

 身体を動かし、鞭を振るう。


「よし」


 恭介は思わず声をあげた。

 前を行く騎手二人が追うのに夢中になるあまり、外にヨレて内埒沿いにスペースができた。

 彼らもまた未熟な騎手である。


 すぐに内埒へ馬体を寄せ、ミスクララを促し始めた。

 反応良く進出を開始し、内埒沿いに割って入った。


「させるか!」


 すぐ横にいる騎手が全身を懸命に動かした。

 腕を使って手綱をしごき、鐙が激しく前後するほどの大きな動きである。

 馬の走法を阻害する騎乗方法であった。


 恭介はその動きに別の意図も隠されている気がした。

 嫌な予感がして、横に視線を向けると、彼は口元を歪めるとすぐに腹を括ったかのように真顔になった。


 ――やる気だな。


 おそらく、外からミスクララに馬体を寄せて、締め付けにかかる気だ。

 このペガサスは捨て駒で、ミスクララを負かすために妨害でもしろとジュスタンから命じられているはずである。


 予想通りジュスタンのペガサスが恭介とミスクララに接触した。

 モンキー乗りを駆使する恭介の右足が挟まれようとしていた。


「馬の力を考えろよ」


 鐙の位置の高いモンキー乗りをしているため、天神乗りをしている隣の騎手の太腿に当たる感触があった。

 だが、ミスクララは想像以上の脚を使ってくれたおかげで、妨害に遭うことなくジュスタンのペガサスを置き去りにした。


「ちょっと、じゃま!」


 リジャイナの甲高い声が届く。

 振り返らなくても彼女が馬群を捌けなかったのがわかる。


 内埒沿いの馬群を振り切り、残りはコースの外を走っている馬たちとの勝負に持ち込んだ。

 予定よりも早めに仕掛けてしまったので、最後まで脚が持つかどうかわからなかった。


 恭介は首を回して外の馬群に目を向ける。


 いつの間にか先頭が変わっていた。


 十一番と十四番がプルネラの前を位置取り、アイヴァーの前が開いているように見えた。

 デインはすでに追い込み体勢に入っている。


 手綱から感じる手応えからすると、ミスクララは充分の余力がある。

 あとはミスクララの脚にどれだけキレがあるかの勝負だった。


 恭介は手綱を動かし、腰を落として本格的に追い出しにかかった。

 ここからは外を見る必要がない。

 ひたすら真っ直ぐにミスクララを走らせ、彼女の力を引き出すことに専念すればいい。


 ミスクララは上り坂を苦にしないパワーがあった。

 四肢で芝を抉るように蹴り上げながら、加速して行く。

 内埒を頼りに、右鞭を数発入れて外にヨレないよう心掛ける。


 ゴール板を通過する寸前、外の馬群に目を遣った。

 半馬身差でアイヴァーのペガサスを抑えて一着になれたようだが、内外がかなり離れているため、正確にはわからない。

 もしかしたら負けているかもしれないと思い、恭介は淡々と検量室へと引き換えした。


 出迎えてくれたエレノアとオリアナの表情を見て、結果を確信した。

 恭介は安堵の息をもらす。

 下馬して鞍を外すと、エレノアが近寄って笑みを零した。


「ありがとう」


 と潤んだ声でエレノアが礼を言った。

 その声音がおかしく感じ、恭介はエレノアの顔をのぞき込むように見つめた。


 彼女の目元が滲んでいた。

 ミスクララが勝ってくれて喜びが抑えきれないようだ。


「勝ててよかったよ」


 恭介は端的に言った。

 喜ばしい事実に対して、多くを語る必要はないと感じた。


「キョースケのおかげよ」


 そう言うと、エレノアはなぜかはっとした表情になった。

 涙を流しているのに気づいたらしく、目元を拭った。

 喜びとは違う感動が彼女を駆け巡ったようだった。


「キョースケー、イェーイ」


 と、不意打ちをかますかのようにオリアナが飛びついてきた。

 腕を首に巻き付け、子どもをあやすかのように恭介の頭を撫でる。

 元警察官、そして厩務員らしく女性のわりには力が強い。

 想像以上の力に恭介は上体を屈められ、彼女の胸が顔に当たっている。


 思いのほか、柔らかい。


「ちょ、ちょっと、オリアナさん、検量があるから」


 という恭介もまんざらではない。

 オリアナは器量も体型も悪くないので、つい顔がゆるんでしまう。


「いいじゃん、少しくらい。こんなうれしい日はないよ。うーん、よしよし」


 オリアナは顔を寄せて、ほおずりし始めた。


 ――こんな人だったっけ?


 普段のざっくばらんな性格とは違うオリアナの一面を見た。

 恭介の胸中には嬉しさよりも意外性が頭をもたげているような感じがした。


「オリアナぁ、なにしてるの」


 エレノアの不穏な声が耳に沁み込んで来た。


 恭介は顔を上げてエレノアを見ると、なぜか彼女の顔にうっすら陰が現れた。


 笑顔が怖い。


「あ、すいません。お嬢さま、嬉しくてつい」


 オリアナはぱっと恭介から離れた。

 申し訳なさそうに苦笑いを浮かべ、顔を俯けて肩をすくめた。


「キョースケ、検量よ。早く済ませて写真撮影しましょ」


 エレノアが急かすと、恭介は気まずくなってそそくさと検量室へ入って行った。


 ――どうしたんだろ?


 オリアナが大げさに喜びをあらわにして。恭介が戸惑ったのは確かだが、それにしてもエレノアの機嫌が悪くなる理由が見当たらなかった。


 ――ま、どうでもいいか。


 所属馬のミスクララが勝ったのだから、いずれにせよ気にすることではない、と思い直した。


 検量を済ませ、ウィナーズサークルへ向かう途中、オリアナが急に真面目な顔つきになった。


「お嬢さま。今のレース、やっぱり」


「そうね。オリアナが未然に防いでくれたから、ミスクララの力が発揮できたんだわ」


「そういや、一番人気はどうなったんだ?」


「ドベだよ。やっぱりトマトを食べてしまったみたい」


 オリアナは声を落として言った。

 周りに関係者がいたので、憚ったようだ。


「まだウィントンのレースが残っているし、警戒しないといけません」


「オリアナ、やっぱりわたしも……」


「お嬢さま、ダメです」


 オリアナはきっぱりと断った。


「でも、オリアナの身体が心配だわ。あまり寝てないでしょ」


 エレノアがそう言ったのは、オリアナの目元に隈ができて少しやつれていたからだ。

 他の調教場の厩務員と協力しているとはいえ、終始見張りをするのは身体に堪えているようだ。


「この開催だけです。それに犯人をすぐに捕まえればいいんですよ。キョースケ、あんたもレースに集中しなよ」


 オリアナがぎこちない笑顔で言った。

 恭介とエレノアに心配かけないため、無理して笑みを作ったらしかった。


 ――オリアナさんや、エレノアのためにも……。


 早く十勝目をあげて、飛翔競走に乗る資格を得ないといけない、と恭介は胸の内でつぶやいた。


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