控室の騒動 2
他の騎手たちも喧嘩を止めに入ってきた。
だが、そのうちの一人が勢い余って恭介とリジャイナに体当たりをしてしまった。
彼はジュスタンの勝負服を着ている。
体当たりのせいで恭介の腕の力が一瞬ゆるみ、その隙にリジャイナはするりと抜け出してしまった。
「てめえ、女になにしてんだ!」
グラントが体当たりをした騎手に飛びかかり、見事なフライングエルボーを彼の頭に命中させた。
「てめえこそなにしてんだ!」
誰かが発した言葉を合図に騎手たちがグラントに襲い掛かる。
その弾みを受けた騎手がよろけ、近くにいた人に殴りかかった。
周りの連中が止めに入ったときも、互いに身体をぶつけあってしまい、またそこで別の喧嘩が始まる。
やがて、控室にいた全員の歯止めが利かなくなり、止める者がいなくなった。
「ああ、くそ! なんでこうなっちまうんだ」
恭介はこの場から逃げ出したくなった。
騎手や付添人たちが入り乱れた乱闘が始まってしまった。
互いに罵声を浴びせ、拳やビンタが放たれ、中には床に倒してマウントポジションを取って殴りつける男に対し、蹴りを入れる騎手もいた。
控室にいるほぼ全員が、血の気をたぎらせて暴れている。
この開催期間中、ジュスタン陣営が仕掛けた妨害がたびたび起き、他の騎手他意の不満が溜まっていたせいもあるらしかった。
いつ爆発してもおかしくなかった激情がプルネラとリジャイナの喧嘩をきっかけに箍が外れてしまったのだ。
もし二人の喧嘩が起こらなくても、いつか起きた乱闘なのかもしれない。
その証拠に、ジュスタン陣営の騎手と他の騎手たちが争う構図が浮かび上がっている。
「キョースケ―!」
エレノアが駆け寄ってくる。
いつの間にかプルネラが羽交い絞めを解き、またリジャイナに襲い掛かっていた。
「くそ、やめろ! やめろ!」
恭介は大声を張り上げて、乱闘を止めようとした。
近くで殴りあっていた騎手を止めようとするも、押し退けられてしまう。
「はは、いいぞやれやれ。こうなりゃヤケだ」
デインは観客気分で手を叩き、乾いた笑い声を挙げながら騎手たちを煽った。
「アジるなデイン! あんたも止めろ、おわっ!」
恭介は近くで喧嘩をしていた連中のあおりを食らってしまう。
それにもめげずなんとか乱闘を止めようとした。
「キョースケー! 大丈夫? あっこら、やめなさい。いやー!」
エレノアの悲鳴が聞こえる。
彼女も必死で乱闘を止めようとしているが、我を忘れて血気盛んに暴れまわる騎手たちには効果がなかった。
「エレノア、大丈夫か?」
「もう、やめて! やめなさい!」
エレノアの叫びもむなしく、控室の乱闘は収まりそうもなかった。
それどころかさらに激しさを増してきた。その中で恭介とエレノアだけが乱闘を止めようと必死で呼びかけ、時には割って入るも、収まる目処が全く立たなかった。
恭介とエレノアは乱闘のあおりを受けてもみくちゃにされてしまった。
「なにをしている! おまえら!」
突如、控室を震わせるような大喝が轟いた。
その声に皆が反応し、乱闘が中断される。
パドックへ続く入口近くに、アイヴァーが査問委員のカワードを連れていた。
アイヴァーの顔が厳めしくなり、怒り眼を露わにしている。
いつもの人の良さが鳴りを潜め、騎手組合会長らしい威厳が備わっていた。
カワードは呆れてぽかんと口を開けていた。
「な、なんの、騒ぎ、ですか?」
あまりの事態に、カワードの舌が固くなってしまったようだ。
査問委員に見られたとなっては言い訳のしようがなく、騎手たちはしょうことなしに喧嘩を止める。
中にはバツが悪そうにカワードから視線を外す騎手もいた。
「あ、いや、ちょっと」
と誰かが口籠った。
「ああ、俺から説明するよ」
見物を決め込んでいたデインがだるそうに右手を上げる。
それから淀みない口調で乱闘の詳細をアイヴァーとカワードに告げた。
説明を聞き終えたカワードの目元が一瞬痙攣を起こした。
「前代未聞の事件ですね」
当事者があまりにも多いため、どうしていいかわからないというふうに首を振ってため息を吐く。
「とりあえず、この場にいる全員、最終レース終了後に査問委員会へ来るように」
そう告げるのは精一杯のようだった。
カワードは踵を返し控室を出て行った。
騒ぎを聞きつけたのか、外には記者たちが待ち構えているようで、なにかあったんですか? という声が聞こえてきた。
「プルネラ、リジャイナ。ちょっとこい」
アイヴァーの顔つきは相変わらず厳しい顔つきをしていた。
低い声音で言ったせいもあって騎手組合会長らしい迫力がある。
「……はい」
「申し訳ありません」
二人の声が合わさると、お互いに顔を見合わせてまた睨み合いが始まる。
絡み合う視線が空気に伝播したかのように再び剣呑な空気が漂った。
「いい加減にしてくれよ。ほら、これ以上喧嘩すると処分が重くなるぞ」
恭介は心底呆れて忠告した。
巻き込まれたせいで、目がちかちかする。
幸い騎乗に支障が出る怪我はないようだ。
「早くしろ」
と冷淡に言っただけで、アイヴァーの憤激が存分に伝わってきた。
さすがの暴れん坊娘二人もその眼光に怯んで身をすくめた。
アイヴァーが親指を立てて外へ出ろと合図を送ると、プルネラとリジャイナは出て行った。
「とんだ災難だ……」
恭介は肩を落として呟く。
「大丈夫? キョースケ」
エレノアが声をかけてくる。
「エレノアこそ大丈夫か?」
「わたしは平気よ。まったく、プルネラったら、あんな挑発に乗ることないのに。怒りっぽいんだから」
「エレノアがそれを言うか?」
恭介は、エレノアがジュスタンを張り倒したときのことを思い出していた。
「どういう意味よ」
エレノアが、むうっと頬を膨らませて恭介を睨む。
恭介はいらない軽口をたたいてしまったと気まずくなり視線を逸らした。
気がつくと騎手と付添人たちは不満げな声をあげて散っていった、あれだけの乱闘があったのにもかかわらず、大きな怪我をした騎手はいないようだ。
どうやら勝負服やズボンにかけられた緩衝魔法のおかげでダメージが軽減されたらしかった。
ただし、顔を殴られた人の口から血が流れていた。
今は目立った傷のある騎手がいないが、明日あたり顔が腫れているかもしれない。
一方、付添人たちの服には緩衝魔法がかかっておらず、まともに攻撃を受けてしまったらしく苦しそうに呻いている人もいた。
中には抱きかかえられて医務室に連れていかれる付添人もいる。
「さてと、準備するか」
デインがこれ見よがしにヘルメットをかぶりながら恭介の近くを通り過ぎた。
「あの野郎、高みの見物決め込みやがって」
恭介は恨みがましくパドックへ向かうデインの後ろ姿に目を遣る。
「トラブルに巻き込まれて騎乗停止になりたくなかったのよ」
「え? ってことは俺の騎乗停止期間も伸びるのか?」
「大丈夫だと思うわ。だってキョースケは喧嘩を止めたんだもの」
「ちゃんとしてくれればいいけどな」
主席査問委員のオーリックが難癖をつけて、騎乗停止期間を延ばすかもしれないと思うと、気が気ではなくなってくる。
「わたしと騎手組合が意見書を提出したから、キョースケがこれ以上不利になることはないわ。すでに査問委員会の本部に届いて吟味してくれているはずよ」
「本部って?」
「ペガサスレーシングクラブの査問部。オーリックさんやカワードさんはそこから派遣されているの。査問委員会は競馬場の職員と本部の査察部で構成されているのよ」
「そういう仕組みか。けど、オーリックみたいな奴に主席を任せているあたり、不安しかねえけどな」
「もう。これ以上心配してもしょうがないでしょ。まだレースはあるんだから集中しないと」
ほら、と言ってエレノアは調教師らしく、激励するかのように恭介の背中をポンと叩いた。
思いがけない仕草に、恭介はエレノアを見遣る。
今までのエレノアにはないやり方だと思った。
「どうしたの? きょとんとして」
エレノアは不思議そうな顔つきで恭介を見つめる。
「あ、いや。そうだよな。切り替えないとな」
あはは、と乾いた笑い声をあげてから肩を回し、やる気のある素振りを見せる。
「へんなの」
ますます疑わしげな目つきになるエレノア。
「へんじゃねえさ。今日はもう一つぐらい勝っておかないと、今後のことに関わるからな。トラブルに構っている暇はないって思っただけだよ」
咄嗟の思い付きにしてはいいことを言ったな、と胸の内で自画自賛をする恭介。
「ふうん」
エレノアは疑わしげな声をあげるだけだった。




