控室の騒動 1
控室ではジュスタン陣営とその他の騎手たちで分かれて椅子に腰を下ろしていた。
厳密に言えば、ジュスタン陣営の騎手の中には彼の勝負服を着ていない者もいる。
おそらく彼らと仲がいいのだろう。
恭介とエレノアは空いている椅子に座ると、ある女性騎手の様子がおかしいと気づいた。
二人のすぐ近くに座っているので、声をかけていいか恭介は迷う。
第二レースの本命馬、十番に騎乗していた女性騎手――リジャイナ・ヴォルテールが壁際の椅子に腰を下ろし、腕と脚を組んでいた。
くせ毛の赤い髪型と吊り上がった目尻が相まって跳ねっ返りの少女という印象を受ける。
不機嫌な素振りを隠そうともしなかった。
すると、エレノアがリジャイナに声をかけた。
「大丈夫? リジャイナ」
気遣うような声音でエレノアが寄り添う。
「大丈夫よ。あーあ、絶対に勝てるレースだと思ったのに、全然伸びないんだもん」
同じ女性ということもあってか、リジャイナの顔がぱっと明るくなり、気楽そうに言った。
「こんなときもあるわよ。次頑張ればいいじゃない」
「そういうけどさぁ」
リジャイナの顔が曇る。
かなり感情の起伏が激しい性格なのかもしれない。
「次は乗り替わりだよぉ。馬主さんカンカンに怒っていたみたいだし。あーあ、いやんなっちゃう」
「理不尽だよなぁ。騎手のせいじゃないってのに」
恭介にはリジャイナの気持ちがよくわかる。
馬のデキは騎手の責任ではない。
だが、馬主や一般のファンは中々そう思ってくれない。
レースに出た以上、全責任を騎手が背負っていると考えている人も多い。
ファンにとっては舞台の裏事情など知る由もないので、負けたレースは騎手の責任だと考えても仕方ないが、馬の実力や状態以上に走らせるのは不可能である。
特に人気のある馬に乗って惨敗したとき、騎手の乗り方に原因を求められがちだった。
記者からコメントを求められても、調教師や厩務員のせいにすると彼らとの関係が悪化してしまうので、敗因をぼかしてコメントを出す。
実のところ、馬に跨って少し走らせただけでも馬の状態はある程度わかり、調教に失敗したと感じることも多々ある。
だがそれを正直に言うと、責任転嫁だと思われてイメージが悪くなってしまうので言わないだけである。
「あたしみたいな騎手に勝つチャンスなんてめったに来るもんじゃないのにさ」
「リジャイナ、落ち込まないで」
エレノアはリジャイナの肩にそっと手を添えて宥める。
「たしかに、リジャイナはツイてないよな」
と後ろから男の声がした。
恭介は声のした方を振り向くと、縮れ毛で瞳の小さい男性騎手のグラント・ローチがこちらをじっと見据えていた。
彼が声の主らしい。
「おい、グラント。何を言い出すんだ」
グラントの隣にいた騎手が怪訝な声をあげる。
「リジャイナがボロ負けしたのは、こいつらのせいだろ」
とグラントは席を立ち、ジュスタンの騎手たちを指さす。
その中にはデインもいた。
「なに言ってんだ、こいつ」
なあ、と言って、その騎手はにやけ面を浮かべ仲間と顔を見合わせる。
ちなみにデインは怪訝な顔でその様子を眺めまわし、関係ないという体を装った。
「ジュスタン・タドカスターのペガサスに乗っている野郎だ、どうせきたねえ真似しているちげえねえよ」
どことなく時代がかった言葉遣いでグラントは嘲弄した。
「ちょっと、言いがかりはよしてよ」
ジュスタンの勝負服を着た女性騎手が声を荒げる。
「じゃあ、この開催でキョースケを執拗にマークしてるのはどう説明するんだ?」
「そ、それは作戦だ。キョースケの勝率は驚異的だからな。マークして当たり前だろ
「はん。自分の勝ちを捨ててまでやることじゃねえだろ。それにキョースケを勝たせないあまり、てめえら俺たちの邪魔ばっかしやがってよ」
グラントは騎手たちを睨みつけた。
「マジで?」
マークされているのはわかっていたが、他のペガサスに迷惑をかけてまでやっているとは気づかなかった。
どうりで荒い騎乗が目立つレースが続いたわけだと、恭介は悟った。
ジュスタンのペガサスに騎乗している騎手たちが他の馬の迷惑を省みずにレースを進めていれば、妨害を受けた騎手たちは怒って当然である。
その報復を恭介の乗らないレースでもやっていたようだ。
おそらくプルネラが反感を買ったと仄めかしたのはこのことだろう。
今さらながら、レース映像を確認すべきだったと後悔した。
恭介はエレノアに顔を向け、真偽を確かめる。
「反則スレスレね。査問委員会は問題視してないけど」
「俺なんて騎乗停止食らったのになぁ」
「そこがおかしいのよ。今回の開催、変なトラブルが多いわ」
騎手たちが声を張り上げて言い合っている中、エレノアは右手を口の下に添えて考え込む仕草を見せる。
「よしな!」
といきなり声をあげたのはプルネラである。
今まで女子更衣室にいたらしく、その入り口ドアの前に立っていた。
控室にいた全員がプルネラに視線を向ける。
「グラントさん、あなたの言っていることはただの言いがかりよ。自分のミスを棚に上げているに過ぎないわ」
「あんたはだまってて!」
ここでリジャイナがプルネラの前に立ちはだかる。
恭介からリジャイナの後ろ姿しか見えないが、プルネラのきつい視線を見た感じ、お互いに睨み合っているようだ。
「リジャイナ、あんたは確かに不運だったよ。でもね、騎手なら結果を受け止める覚悟が必要よ」
「へえ、プルネラ、あんたがそれを言うんだ」
「どういう意味?」
プルネラの目つきが一層険しくなる。
――まずいな。
恭介の背筋に冷たいものが流れた。
ペガサス競馬に関わる女性は一癖あるのを知っている。
「あんたなんか、ジュスタン・タドカスターに気に入れられているから勝てているだけじゃない」
「馬主さんに気に入られるだけの腕を、わたしは持っているだけよ。ひがまないで」
「どうだか。馬主が気に入るのは腕だけじゃないでしょ。あんた、美人だからねぇ」
「なにが言いたいの?」
プルネラは拳を握った。
全身を震わせて激情を胸の内に押し込んでいる。
あと一歩のところで分別を働かせたようだ。
「あんたが色目を使えばイチコロでしょ。ねえねえ、売ったの?」
リジャイナが挑発じみた笑みを浮かべて言った。
「やばっ」
恭介は慌てて二人に駆け寄った。
プルネラが何をするのか予想がついた。
しかし、遅かった。
あと一歩のところで、プルネラはリジャイナの胸ぐらを両手でつかみ眉間めがけて頭突きをした。
低い打撃音が一瞬聞こえた。
――女の攻撃じゃねえ……。
さすが元ヤンキー、と妙な感心が湧いた。
だが、そんなことを感じている暇はない。
リジャイナも負けん気が強く手を振りかぶってプルネラの側頭部を張った。
プルネラも怯むことなくやり返す。
「くたばれ! メスガキ!」
「やってみなよ! 色ボケ女!」
お互い、気が鎮まる様子がない。
口汚く罵り、勝負服を引っ張り、互いの隙を突いて殴りあった。
「やめろ!」
恭介は二人の迫力に気圧されそうになりながらも、喧嘩を止めようとした。
「やめて! 二人とも」
エレノアも止めに入る。
「なにしてんだ」
「やめろ!」
「落ちつけ!」
怒号が飛び交う中、プルネラとリジャイナはお互いの服を引っ張り合っていた。
恭介が強引に二人の間に割って入った。
そのとき、プルネラとリジャイナの一撃が同時に恭介の頭を襲った。
とても女の一撃とは思えず、恭介の視界が一瞬暗くなった。
なんとか二人を引き離して距離を取らせると、エレノアがプルネラに羽交い絞めにし、恭介が二人の間に立ちふさがった。
「離して、エレノア。この女、地獄に叩き落す!」
元ヤンキーがかつての姿を取り戻したようだ。
プルネラは腕や脚を振り回して暴れた。
「やってみなよ」
さらに挑発するリジャイナ。
彼女はもう一度プルネラに突っ込んで行こうとしていた。
恭介は抱き着くようにしてリジャイナを止めた。
しかし、彼女は向こうっ気が強く恭介の制止を振り切ろうと必死でもがいている。
――ちくしょう! なんでこうなるんだよ。
改めてペガサス競馬に携わる女性たちが一癖ある、いや、あり過ぎると痛感した恭介であった。




