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包囲網を破る

 恭介とデインよりも良いスタートを切ったのは、七番である。

 一切の迷いを見せずにペガサスを先頭に行かせる。

 事前にエレノアから聞いたところ、七番はスタートが上手く、間違いなくハナを切るという情報を得ていたので、これは織り込み済みだった。

 ちなみに七番はジュスタンのペガサスではなく、恭介を妨害する意図はないとみて良さそうだ。


 予想通り、七番の馬が逃げを打ち、十三番が出ムチを入れて並びかける。

 ちょうど恭介の前に構える格好となった

 そして恭介は外からデインに並びかけた。

 さらにその外に六番が並ぶ。

 予想通りジュスタン陣営は恭介をマークしてきた。


 第二コーナーを曲がろうとして、デインは外に膨れようとしていた。

 だが、恭介は引く気がない。

 そのままぴったりと馬体を併せて第二コーナーに差し掛かる。

 このコーナーはカーブが緩いので、騎手が意図しない限りあまり外に膨れることはない。

 デインが外に膨れようとしたのは、進路を確保するためだと恭介は睨んだ。

 デインは恭介のマークもあって内埒沿いを走っている。

 おまけに一馬身先には七番と十三番がいて閉じ込められる格好となっているのだ。


「なにすんだ!」


 思い通りに行かなかったデインは怒号をあげて恭介を威嚇する。

 だが恭介はその声を無視して平然とレースを進める。


「あとは」


 と独りごちる恭介。

 首を下に曲げて股の間から後続の様子を窺った。

 丁度真後ろに十一番がいる。

 一番人気の十番は後方に控えたままだった。

 前にいる十三番、外を併走する六番、後ろの十一番、そしてデインと恭介を馬群から出す気はないのは明白だった。

 加えて最内で逃げる七番の存在が恭介を包むには格好である、と彼らは感じているはずだ。


 恭介は顔を前に向けた。

 そろそろ最終コーナーに差し掛かるところだが、まだ仕掛けるタイミングではない。

 恭介の馬――八番の手応えが思ったよりも良く焦る必要はなさそうだった。


 その様子を見たのか、外にいた六番がポジションを上げて、十三番の右斜め後ろを位置取った。

 それに合わせて十一番も外から上がってくるのを横目で捕らえた。

 そして七番、六番、十一番、十三番が並んで先頭に立つ形となる。

 その間隙を突くスペースがなさそうだった。


 そのとき、後方から夥しい数の蹄音が耳を打ってきた。


 恭介は右後ろを振り返る。


 スローペースで流れていると見たのか、後続もポジションを上げ、先団にとりつこうとしている。


 またしても恭介は囲まれる形となった。


「悪いな、キョースケ」


 とデインが声をかけてきた。


「俺をマークするのはいい作戦だったけど、お前にこれが捌けるかな」


「出来るさ。この競馬場の特徴、そんで七番の力を考えればな」


「なに?」


 デインが前を振り向く、まだゴールまで距離があるのにもかかわらず、七番が遅れ始めた。


「進路がないのは、あんたの方だ」


 最終コーナーに差し掛かり、各馬ホームストレッチに進入していようとしていた。

 スピードのゆるんだ七番が内に張り付いたままコーナーを曲がる。

 恭介は重心を左脚に傾け、ぴったりとデインと併走する。


 デインは遠心力を利用して恭介に馬体を寄せて来た。

 しかし彼はためらいがちに少し手綱を右に引いただけだった。

 彼は恭介を気遣ってしまったらしい。

 鐙をつま先に引っ掛け立ち乗りをするモンキー乗りをする恭介に馬体を接触させてしまうと、落馬させてしまうと感じたのかもしれない。

 たとえジュスタンとオーリックがつながっていたとしても、落馬させてしまえばオーリックといえども降着や失格の処分を下すしかない。

 デインがそのことを理解しているらしく、ラフな騎乗に打って出ることができないのだ。


 これは恭介の読み通りである。

 査問委員会、特に主席のオーリックが半ば無理やり恭介に処分を下し、前例を作ったせいでデインの手綱さばきが委縮すると踏んでいた。

 だから、デインは恭介に馬体を寄せて外に膨らませることができなかったのだ。


 ホームストレッチに進入したとき、前の四頭がばらけた。リンウェルダウンズ競馬場の第三コーナーはカーブがきつく、どうしても馬群がばらけやすくなる。

 内埒沿いを走るならスピードを落とさざるを得ず、勝負どころでポジションを下げてしまう恐れがあるので、多少外に膨れてもなるべくスピードを維持する必要がある。

 今までこの競馬場で乗ってきて気づいた特徴である。


 恭介の真正面を走っていた六番と七番の間に、三頭分ほどのスペースができた。

 恭介は馬を促し、その間隙を突こうとする。


 それに気づいた六番の騎手が後ろを振り向いたあと、左に馬体を寄せて恭介の前方をカットした。


「連携するならちゃんと打合せしとけよ」


 慌てることなく恭介はそのままレースを進める。

 先頭の最内を走っていた七番が完全に手ごたえを無くした。

 鞍上が激しく手綱を動かし、右鞭を振るう。七番はずるずると後退し始めた。


「くそ! どけ、この野郎!」


 デインは呪詛を吐いた。

 このままではデインの馬が七番に突っ込みかねない状況だった。

 彼の外側には恭介がきっちり張り付いていることもあって進路を切り替えることができない。

 デインは追い出すことができず、やむを得ず位置を下げるしかなかった。


 その様子を見て、恭介は左鞭を入れ外に進路を変え、六番と十一番の間を突こうとした。

 六番が内側に寄せたため、十一番との距離が離れている。

 間隙とも言えないほどの広いスペースだった。

 ペガサスの反応が良く、すぐに後ろにとりついた。


 そのとき、十一番の騎手がちらとこちらを向いた。

 すでに恭介のペガサスの鼻先が六番と十一番の間に入っており、進路をカットできなかった。


 十一番の騎手には迷いが見えた。

 ジュスタンの指示通りに恭介の進路をカットすべきか、それともフェアにそのまま真っ直ぐ追うのかを考えているせいか、十一番の騎手の動きが固くなっている気がした。

 

 その隙に乗じて、恭介は腰を落とし、本格的に追い出しにかかった。

 すぐに十一番の左側にとりつき、頭差のリードを取った。

 そして左後方を一瞥する。

 七番の後退のあおりを受けたデインは進路を切り替え、先頭集団に追いつこうと必死に手綱を動かし、鞭を振るっている、


 ――にしても下がり過ぎだな。


 おそらく恭介が進路を確保している間に、七番は執拗にデインの進路を塞いだのだと思われた。

 七番はジュスタンの馬ではない。


 恭介は突き放しにかかった。じわじわと差を広げ、一馬身差で先頭に立つ。

 このペガサスには鋭い脚はなく、一気に差を広げることはできない。

 それでも六番、十一番、十三番の脚色は恭介のペガサスよりも鈍く、蹄音が遠ざかっていく。


 残り三〇〇メートルを切った。恭介はリードを保ったまま必死に手綱をしごく。


 このまま粘ってくれと祈りながら必死に追う。


「くそ、きやがった」


 恭介は後方から圧力を感じた。

 ちらと後ろを振り返ると、デインがじわじわと追い上げてくる。


 その差は五馬身ほど。


 ペガサスの力を比較すると、デインの方が有利だった。


 ――焦るな、フォームを保て。


 騎手になりたての頃の恭介は勝ち急ぐあまり、騎乗フォームの重心が前のめりになってしまったせいで馬の走りを邪魔してしまい、直線で伸びを欠いたしまうレースが続いていた。

 それに気づいた先輩の佐山順平がアドバイスをくれ、騎乗フォームを強制したことがあった。


 今の恭介はデインに追い上げられ、焦りが生じていた。


 ――大丈夫、大丈夫、このままなら勝てる。前のめりになるな。馬の邪魔をするな。


 懸命に手綱をしごき、鞭を振るいながら胸の内で自分に言い聞かせ、心を落ち着ける。


 恭介の想いに応えてくれたのか、ペガサスは懸命に走り、もうひと伸びしてくれた。


 デインが馬体を併せてくる。


 坂を上り切り、残り一〇〇メートルを切った。

 恭介とデインとの差は半馬身まで詰まる。

 デインのペガサスの方が脚色が良い。


「粘れ!」

「差せ!」


 勝負は首の上げ下げで決まると感じた。


 ゴール板に達したとき、二頭の馬体がぴったり合わさった。


「よっしゃ!」


 恭介は勝利を確信して叫んだ。


 ホームストレッチを引き返し、検量室へ向かう途中、内馬場に浮かんだマジックビジョンに目を遣った。

 ペガサス競馬でもレース直後にストップモーションが流れる。


 恭介が感じたとおり、鼻差で先着できたのを確認できた。

 それを見た観客たちの、喜怒哀楽の入り混じったどよめきが洩れる。

 どちらかと言うと嘆きの声が多かった。

 人気のない恭介が勝ち、一番人気が馬群に沈んだはずなので馬券を当てた人は多くないはずである。


 検量室前で担当厩務員に礼を言われた。

 彼はこのレースに勝てるとは思っていなかったらしく、恭介の抱きついて望外の喜びをあらわにした。


 後検量も問題なく終わり、恭介の勝利が確定した。


「おつかれさま」


 と声をかけてきたのはエレノアである。


「何とか、勝てたよ」


 呼吸を整えながらエレノアに言った。

 目一杯に追ったので疲れていた。


「けど、すっきりしないな」


 というのも、一番人気の十番はやはり体調を崩していたらしく、着外に敗れていたからだ。

 もし体調が万全でスムーズなレース運びができたらほぼ確実に負けていたはずである。


「こればかりは仕方ないわ。キョースケは全力を出したんだもの。気にする必要はないわ」


 というエレノアもどこか浮かない表情である。勝負だと割り切っていても、トマトを混入させた犯人の存在が気にかかるようだ。


「やってくれたな、ったく」


 デインが声をかけてきた。

 初対面の時の不遜な態度は鳴りを潜め、苦笑いを浮かべている。

 控室での振る舞いと言い、本来のデインはこんな感じなのかもしれない。


「策士策に溺れるってやつだな」


「けっ、気づいていたか」


「あれだけやられりゃ気づくよ」


 と、恭介も苦笑する。


「デインさん、お話があります」


 エレノアが一歩前に進み出て訊いた。


「おっと、エレノア。ジュスタンさんのことなら答えられないぜ。仮にも雇い主だからな」


「一つだけ聞かせてください。ジュスタンさまは何か仰ってませんでしたか?」


 エレノアは訊く耳を持たずに質問した


「エレノア、それはストレートすぎないか?」


 もう少し言い方を考えればいいのに、と恭介は思う。


 うーん、と唸り声を上げてデインは宙を見上げる。


「別にないな。俺とプルネラは勝つことだけ考えろって言われただけだ。だから、こいつに蓋されたのは痛かったよ。こりゃあとで絞られるぜ」


「大丈夫か? あの人けっこう怒りっぽいし、今度はあんたが殴られるんじゃないか?」


「俺を馬群に閉じ込めたやつが言うセリフかよ」


「それはそれ、これはこれさ。こっちだってレース中は必死なんだからしょうがねえだろ」


「ま、言い訳ぐらい考えておくよ」


 じゃあな、とデインは右手をあげて背を向けた。


「どうかしらね」


 エレノアは右手を口の下に添えて考え込む。

 デインは差し障りのないことしか言っていなかったので、ジュスタンがトマト混入事件に関わっているかどうか判断がつかない。


「やっぱ、エレノアもジュスタンさんが怪しいって思ってるんだろ」


「そういうキョースケだって」


 お互いに顔を見合わせて意見を交わす二人。


「あ、ここで話すのはまずいな」


 リンウェルダウンズ競馬場の検量室の前には様々な関係者が行き交う。

 調教師や厩務員、騎手、付添人のみならず、競馬新聞の記者たちも張り込んでいる。

 現に何人かの記者が恭介とエレノアが話しているのを見ていた。

 ネタ探しに夢中な彼らは恭介とエレノアに近づこうとする。


「控室に戻るか」


「そうね」


 二人の息が合い、記者たちに背を向けて検量室の前から去った。

 ちょっと、と言う記者の声が背中に届いたが、あえて無視した。


「トマトのこと、記者たちは知っているのか」


 控室へ向かう途中、恭介は小声でそう訊いた。


「たぶん、まだわかっていないんじゃないかしら。でも記者って耳ざといからすぐ記事になるわね」


「あんまり騒いでほしくないけど、こればかりはなぁ」


「そうね。騒動になるのも時間の問題だわ。ペガサスレーシングクラブも迅速に調査して公式記者会見したあと、犯人に重い処分を下すに違いないわ」


「膿は早いうちに出しておく、か」


「信頼回復にはそれしかないわね」


 話をしながら控室へ引き返した。


 このとき二人は、控室でもう一悶着起きるのを予想していなかった。


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