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恭介の作戦

「うそでしょ」


 トマト混入騒ぎについてエレノアに話すと、彼女は絶句した。


 宿に帰ると、エレノアが食堂で遅い夕食を食べていた。

 料理人はすでに帰ったあとなので、どこかで買ってきたらしい。

 テーブルの上には包装されたパンや果物が置かれてある。

 各所への挨拶回りもあってエレノアも帰りが遅くなったらしかった。


「ほんとだよ。今ごろオリアナさんたちが見張っているよ」


「こうしちゃいられないわ」


 と、エレノアはいきなり席を立った。

 勢いのあまり椅子が後ろに倒れけたたましい音を立てた。


「どこへ行くんだ?」


「決まっているでしょ。こうなったら見張りよ」


 エレノアはすぐに食堂を出て行こうとした。

 歩幅を大きくして床板を踏み抜かんばかりに力を入れている。

 相当怒っているようだ。


「オリアナさんが言った通りだなぁ」


 慌ててエレノアを追いかけ、食堂を出たところで彼女の肩を掴んで止めた。


「キョースケ?」


「エレノア、落ち着いてくれ」


 こちらを振り向いて意外そうな顔つきになっているエレノアを見つめながら、恭介は冷静に言った。


「落ち着いていられないわよ。こんなの大問題じゃない。早く解決しないと大変なことになるわ」


「だから、それはオリアナさんたちに任せておけばいいんだ」


「でも、オリアナが大変じゃない。ミスクララとウィントンのお世話をしながら犯人を見つけ出すってことでしょ。絶対人手が足りないわよ。オリアナが過労で倒れたら調教師として失格だわ。スタッフの健康管理も大事な仕事なの、キョースケだってわかるでしょ」


「エレノアだって疲れているだろ。オリアナさんはエレノアのことを気遣ってくれているんだ」


「でも……」


 エレノアは力なく俯いた。


「それに、出張馬房にいるのはオリアナさんだけじゃない。パウルさんや獣医のダウドさん、それに他の調教場のスタッフも協力してくれているんだ。俺たちはオリアナさんたちを信頼して自分の仕事に集中すればいいんだよ」


 恭介は馬を宥めるときのような優しい声音で言った。

 強く言ってしまうと却ってエレノアを焚き付けかねなかった。

 ここで恭介も興奮していては説得できるものもできなくなってしまうと考えたのだ。


 その想いに応えてくれたのか、エレノアはゆっくり身体を回して恭介をまっすぐ見つめてきた。


「キョースケ……」


「この開催が終わったら、ちゃんと埋め合わせをしてやったらいいさ。なんか、その、ボーナスっぽいのをあげるとか」


 説得しておきながら、具体案の浮かばない恭介。


 だが、エレノアは不意に微笑んだ。


「わかったわ。正直、じっとしていられないけど、ここはわたしが我慢するところね」


「そういうこと」


 わかってくれてほっとした。


「うん。ちゃんとオリアナを信頼しないとね。なんてったって元警察官だし」


「マジで?」


 唐突に意外な経歴を聞かされて驚く恭介。


「警邏係を何年かやったあと、警察の騎馬隊でペガサスの世話をしていたの。ペガサスに触れて行くうちに競馬の世界に関わりたくなって退官してうちに来たのよ。あ、元々うちに仕える一族ってのもあるけど」


「だからトマトを見つけられたんだな」


 よくよく考えてみると、暗い厩舎の中で細かく刻まれてトマトを見つけられたのは、元警察官ならではの観察眼あってのことかもしれない、と恭介は飛躍した発想を浮かべた。


「今度オリアナ本人に聞いてみたら。結構面白い話が聞けるわよ。さあ、明日に備えましょう。キョースケ、明日乗るペガサスのことなんだけど」


 切り替えの早さを見せるエレノア。

 さっきまでの息巻く態度とは違うせいか、恭介は思わず笑顔になった。


 二人そろって食堂に入った。


 夕食を食べながら明日恭介が乗るペガサスの癖や能力、相手関係、その他もろもろの事柄をエレノアが教えてくれた。


   ◇


 リンウェルダウンズ競馬場の開催三日目。


 昨夜の騒ぎがありながらもペガサス競馬は行われる。


 ペガサスレーシングクラブには報告が行っているはずだが、被害にあっていないペガサスの関係者や、楽しみにしている観客のこともあって中止にはできないようだった。


 この日の恭介は四鞍のレースに騎乗する。

 トマト混入事件のこともあり、コンディションを保てているかどうかが焦点となる。


 パドックに行く前、恭介とエレノアは装鞍所で今日騎乗するペガサスの具合を事細かく訊いた。

 中にはパウルが信頼を寄せる厩務員や調教師もおり、すでにトマト混入されている恐れがあると聞いた者もいた。


 レースで人気になりそうなペガサスのスタッフは多少の異常を感じている、という噂が流れた。

 中には水っぽい馬糞を出すペガサスもいたらしく、獣医の診察を受けたという。

 ちなみにリンウェルダウンズ競馬場に来ている獣医はダウドだけではなく、数人が詰めているらしかった。


 獣医の中には診断書を書くから出走取消(スクラッチ)した方が良いと勧めたらしい。

 万全のコンディションでレースに臨めないのなら、思わぬ故障を発生する危険性もあるので、当然の忠告である。

 しかし、獣医の言う通りに取り消す陣営もいれば、出走を強行する陣営もいる。

 本音で言えば被害に遭ったどの陣営も出走取消をしたいのだが、馬主が頑なに出走しろと命じるケースもあるらしかった。

 他にも獣医師が診断に迷うケースもあり、出走取消できなかった陣営もいるという。


 これらの話はペガサス競馬新聞には載っていない。

 エレノアが言うには、新聞に載る情報はレースのおよそ三日前のものであり、直前の情報を載せるのはどうやっても不可能である。

 この世界――フォルアースにはインターネットがないため、リアルタイムの情報を発信する術に乏しかった。


 そのような状況下、恭介はパドックで待機していた。

 第二レースのパドックでは恭介の騎乗する八番のペガサスには異常は見られなかった。

 引き綱を引く厩務員の顔つきも平然としていた。

 近走の成績が振るわず、トマトのターゲットに選ばれるほどの実力馬ではないので、恭介が乗っても勝ち目がないと見たらしい。

 実際の人気も下から数えた方が早かった。


 一方、未勝利脱出も時間の問題と見られている十番は首を下げてのっそりとした足取りでパドックを周回していた。

 明らかに調子を落としているが、モニターに映っているオッズでは二倍を切る圧倒的一番人気である。


 そしてこの第二レースにもジュスタンのペガサスが四頭出走する。

 中でも二番のペガサスは近走惜しい競馬が続いており、勝ち目がありそうだと見られていた。

 首を弓なりに曲げて、程よく気合が乗っていた。


 二人引きでパドックを周回しているあたり、気性が荒いのか、それとも勝てると踏んで二人で勝利の喜びを分けあう準備をしているのは定かではない。

 鞍上はデイン・レギュラス。


 ちなみにプルネラはこのレースに騎乗していない。


 この時点で判断するのは早計だが、それでも恭介はトマト混入の犯人はジュスタンにかかわりがあると感じていた。

 間違いなく二番は勝ち負け、つまり一着か二着になる可能性が高い。

 恭介を妨害するのみならず、他馬を貶めようとするジュスタンを喜ばせる真似だけはしたくなかった。


 騎乗命令が下ると、各騎手がペガサスに騎乗する。


 滞りなく本馬場に入場し、返し馬を行う。

 担当厩務員から聞いていた通り、コンディションは問題なさそうだった。

 辺りを見回して、ジュスタンの馬たちがどんな調子かを確認する。

 デインが乗る二番の馬はすでにスタート地点に向かっていて、様子を見ることができない。

 他のジュスタンの所有馬――六番、十一番、十三番には異常が見られない。

 この三頭は先行できる脚を持っており、恭介を徹底的にマークすると予想された。


 スタート地点に行くと、すでに何頭かが輪乗りをしていて、恭介も騎乗馬をその一団に加えた。

 そして恭介はデインを探した。

 ちょうど向かい側でジュスタンの勝負服を着ているデインを見つけると、恭介は輪から外れ、デインに近づいた。


「なんだ?」


 デインは不機嫌に訊いてきた。


「いやなに、こっちの作戦だからな。悪く思うなよ」


「作戦?」


「そ。おっとそろそろスタートだな」


 ロープが渡された。

 それを見た各馬がスタート地点へと向かう。

 恭介はデインの横を離れようとせずに、馬体を併せる。


 結果、恭介とデインは真中あたりを位置取り、スタートに備えた。


 真横のデインは怪訝な色を浮かべ、横目で一瞥してからロープに顔を向ける。


 そして、ロープが跳ね上がり、スタートが切られた。


 思ったよりもスタートが良く、いったんは先頭を窺いそうになった。


 デインのペガサスもダッシュを利かせて抜群のスタートを切る。

 しかし、デインは手綱を抑え他のペガサスを行かせようとした。

 逃げて地から発揮するタイプのペガサスでないので、そうするしかないようだ。

 それを見て、恭介もスピードを落とし、デインのペガサスと馬体を併せる形でレースを進める。 


 恭介がそうしたのは訳があった。

 

 このレース、恭介ジュスタンたちのペガサスを利用して勝つつもりでいたからである。


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