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騎手たちの思惑

「アイヴァーさんってたしか、リジーズプライドの騎手だろ?」


 恭介はエレノアに耳打ちをした。


「そうよ。それに騎手組合の現会長でもあるの」


 簡潔に説明してくれるエレノア。


「まあ、固くならなくてもいい。何もお前を咎めようってわけじゃない。ただ騎手組合としても放置できないことがあるからな」


 と言って、アイヴァーは柔和な顔つきになる。


「俺、次のレースもあるんで、早めにお願いします」


 いまごろ、パドックで馬が周回しているはずである。

 あまり時間が取れそうもない。


「わかっている。じゃあ簡潔に言うが、昨日の査問の様子を聞いておきたいんだ」


「俺はもう騎乗停止を食らったんですよ。今さら話すことなんて」


「だから、そのせいで困っているって言ってるだろ」


 会長の横に立つデインが口を出す。


「ヴォートにも事情を聞いた。今は席を外しているがな。お互いの言い分があるだろうし、ここは公平に判断したいんだ」


 アイヴァーは頬を掻いて申し訳なさそうに言った。


 恭介は査問委員会の様子を包み隠さず言った。

 エレノアと話したことも言おうとしたが、ここで言うのは違うと思い直した。

 ジュスタンたちが手を組んで恭介を罠に陥れようとしていると話しても信じるわけがなく、もし話してしまったら恭介の印象が悪くなるだけである。


「オーリック主席に盾突いたのは良くなかったな」 


 アイヴァーは苦笑交じりに注意をする。


「すみません。でも、あんなのおかしいですよ。カワードさんとかは問題なさそうだって言ってたし、オーリックって人があまりにも横柄だったもんですから」


 ちょっと言い訳がましいなと、自分でも思った。

 それに傲岸不遜な男を軽くあしらえるほどの度量はなく、少々直情的にアイヴァーに訴えてしまった。


「だが、キョースケの気持ちもわかる。あの程度で騎乗停止処分を下すのは公平とは言い難いからな」


「あいつはなんて言ってたんですか?」


「ヴォートのやつ、キョースケのせいで落馬したって言い張ってたぜ。でもよ、そんなの信じられるわけがねえ。素人や三流記者ならともかく、俺たちの目は誤魔化せねえよ」


 デインが面白くなさそうに言った。

 恭介を擁護したいわけではなさそうだが、事実だから仕方ない、といった感がある。


「デイン、ちょっとは口を慎め。同じ仲間だろ。あくまでお互いの言い分を擦り合わせないと、余計ないざこざが起こるぞ」


 とアイヴァーは困惑気に言う。

 その態度にどこか頼りなげな印象が窺えた。

 恭介は何となく人の好さで会長をやらされている人なんだと察した。


「でもアイヴァーさん、あたしもデインと同じ意見です。キョースケは何も悪くないわ」


 髪の赤い小柄な女性騎手が言った。


「そうだ。あれぐらいのことで処分食らったらレースなんてできるか」

「キョースケは悪くねえ」

「ああ、変な乗り方してるけど、下手じゃねえしな」

「査問委員会を問い詰めようぜ」


 周りの騎手たちも同調して声を上げ始めた。


「こういうことか」


 昨日の騎乗でわざと落馬したヴォートがおかしいと感じ、しかも査問委員会の下した処分を不服に思っているのだ。

 これからも同じような事象が起きると、重い処分を食らう前例ができるのを恐れている。


 口々に不満の声が上がる中、恭介はもう一度エレノアに顔を近づける。

 そしてプルネラにも手招きして近づくように促した。


「デインの奴、あんなことしていいのか? ジュスタンさんの主戦だろ、あいつ。俺の味方をしても何の得もないんじゃないか」


「うーん。それはそれ、これはこれって感じなのかしら?」


 エレノアもデインの考えが読めないようだ。


「たぶんデインさん、専属を辞めたがっているのよ」


 プルネラが声量を落として言った。


「どういうこと?」


 と恭介が訊く。


「デインさん、あの人の主戦になってから成績が落ちているのよ。このままだと下手な騎手だって周りから思われるから早いところ契約を打ち切りたいんじゃないかしら」


 プルネラは確信めいた口調で言う。


「そうね。たしかデインさんってあの人に縛られているせいで、他の有力馬の騎乗依頼を断らなきゃいけないケースもあったんじゃないかしら」


 エレノアは顎に手を当てて考える素振りをしながら言った。


「そうなのか」


「ここでキョースケの肩を持てば、ジュスタンさんが怒って主戦契約を打ち切るって踏んだのよ、きっと」


「そんな上手くいくかねぇ」


 どうもデインの考えが甘すぎる気がした。

 ジュスタンの主戦騎手を辞めたい気持ちはわかるが、立ち回りが下手な気がする。

 エレノアの主戦を務めている恭介を擁護したら却ってジュスタンの機嫌を損ね、さらに不遇を重ねるだけではないかと思うのだ。


「苦肉の策って感じじゃないかしら。なんとかしてジュスタンさまから離れたくて無茶しているのよ、きっと」


 プルネラが真面目な顔つきになる。

 当の彼女もジュスタンの第二主戦騎手なので思うことは山ほどあるようだ。


「けどなぁ、顔の広い馬主を敵に回すと厄介じゃねえのか。おまけにジュスタンさんって大馬主の息子なんだろ」


「そうね。ジュスタンって多くの馬主さん、記者たち、それにペガサスレーシングクラブの関係者にも顔が利くし、裏切ったら大変なことになりかねないかも」


 エレノアも妙に真剣な顔つきになった。


「あの人ってずいぶん顔が広いんだな」


「だから大変なのよ。批判記事に査問委員会の処分。たぶんキョースケを目の敵にしたジュスタンの差し金よ」


「証拠でもあるのか?」


「ないわよ」


「……エレノア、憶測で言うなよ」


 恭介は窘めた。

 どうもエレノアはジュスタンのことになると冷静さを欠いて、敵意を表すようだ。

 もっとも彼の振る舞いを見ていると、嫌う気持ちもわからないでもないが。


「でも、状況的にはジュスタンと仲いい人がキョースケを貶めているようにしか見えないわ」


 エレノアは持論を曲げようとしなかった。


「しっかし、こう言っちゃなんだけど、ジュスタンさんってなんでそんなに顔が広いんだ? いくら大馬主の息子だからってそこまで親しくするもんか」


「もともと実業界で成功している人だから顔が広くて当然よ。手練手管、口八丁手八丁を駆使して利益になる人を味方につけるのが上手いって評判だし、だからビジネスで成功したのよ」


 プルネラの言葉も憶測じみていた。


「とにかく、デインさんも気をつけないといけないわね」


 エレノアがデインに目を向けた。

 恭介もつられて彼に顔も向けると、騎手たちと不満を言い合っていた。


「やめろ!」


 ざわつく控室に、アイヴァーの大喝が轟く。

 騎手たちの声がやみ、控室にいる皆が彼の方へ顔を向ける。

 いざとなったら会長らしい威厳が出せるようだ。


「とにかく、お互いの言い分はこれで聞いた。あとは騎手組合の役員会議で話し合う。ここで不満を言っても何も解決しない。この場は収めてくれ」


 アイヴァーがそういうと、騎手たちは渋々黙った。


「キョースケ。騎手組合としてもお前の処遇は不公平だと考えている。役員会議で意見をまとめたあと、騎手組合の総意として査問委員会へ意見書を提出するつもりだ」


「エレノアもやってくれたよな」


「別よ、別。わたしは独自にやっただけ。騎手組合が動いてくれるなら心強いわ」


 エレノアは自分のことのようにほっとした表情を浮かべる。


「この話は以上だ。みんな騒がせてすまなかったな」


 アイヴァーがそう言うと、騎手たちは三々五々散っていく。

 表面上はアイヴァーの言うことに従っているようだ。

 だが、その中に明らかに納得していない騎手たちが何人かいた。

 彼らの中にはジュスタンの勝負服を着ている者もいた。


「とりあえず一安心ね。キョースケ、あと四勝よ。念のためこの開催で決めた方がいいわ。処分の変更がいつになるかわからないから」


「ああ、できるだけのことはするよ。けどちょっと気になることがある」


「キョースケも気づいた?」


「エレノアも?」


「うん。ジュスタンの騎手たち、なにか考えているわよ」


「でも、昨日の今日だからな。無茶なことはしないとは思うけど」


「頑張ってね」


 エレノアは不意に恭介の右手を取って、祈りを込めるように両手でぎゅっと握った。


 突然の行動に、恭介は顔が熱くなり、胸が高鳴る。

 じっと見つめてくるエレノアの目がいつもよりも冴えて見え、見惚れそうになった。

 少し手の力を強めて握るエレノアに、恭介の無事と成功を祈っている気がした。


「じゃあ、あとでね」


 エレノアはそう言って手を離すと、控室を出て行った。


 恭介は右手をじっと見つめ、エレノアが残していった余韻に浸った。


 ――わからねえな……。


 エレノアが、恭介を一人の男として見ているのか、それとも単なる主戦騎手として見ているのかわからなくなった。

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