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恭介VSプルネラ

 開催二日目の第一レース未勝利戦、距離二〇〇〇メートルの平地競走、出走馬十五頭。


 恭介はエレノアと練ったプランの通り、スタート地点から大外に位置を取った。

 事前に厩舎関係者にもそう行くと伝えてある。

 幸い馬群に入ると怯えてしまうタイプのペガサスだったので、利害が一致した。

 おかげで、ジュスタンの妨害を避けやすくなった。


 このレースにはジュスタンの馬が三頭出走しており、そのうちの一頭、六番にプルネラが騎乗している。

 彼女のペガサスは二番人気の押されていて、十分に勝ち目があると予想されていた。

 他にも十一番と十七番がジュスタンのペガサスである。


 十一番のペガサスがスタート前から恭介に近寄ってきた。

 初めから恭介をマークするように指示を受けているのは間違いなかった。


 一方のプルネラは恭介には構う様子はなく、内側の位置を取ろうとしていた。


「プルネラ、邪魔すんじゃねえよ」


「うっさい、黙れ! どこにいようがわたしの勝手でしょ!」


「勝手じゃねえ。こっちも指示に従わねえといけねえんだ」


「そんなの知らないわ。ポジション取れなかったあんたが悪い」


 同じ位置を欲しがっている騎手たちと文句を言い合いながらも、位置を譲る気はなさそうだった。


「あそこまで性格が変わんのかよ」


 プルネラにちょっとした怖さを感じて、恭介も縮み上がりそうだった。

 勝気という言葉では収まらない荒々しさをプルネラは普段から隠し持っている気がした。

 男性騎手相手にも強い口調で物を言い、一歩も引かない気の強さは規格外である。


 スターターが台に上り、もうすぐスタートが切られようとしていた。

 出走馬が横一列に並び、体勢が整う。


 ロープが跳ね上がると同時に各馬がスタートを切った。

 恭介は無難にスタートを決め、隣にいた十一番を振り切り、先頭から五、六番手辺りの外につけた。


 後ろを振り返り、内側の馬の様子を窺ったとき、十七番のペガサスが外側に切れ込んできて恭介の馬に接近してきた。

 鞍上はヴォートである。

 スタートから馬を促し、馬体を併せてきた。


「なにしやがる!」


 普通のレースならありえない。

 リンウェルダウンズ競馬場の二〇〇〇メートル戦は第二コーナーのポケットからスタートするため、コーナーが一つしかない。

 開催二日目で芝の状態が保てているので、なるべく内側に進路を取って距離のロスを少なくするのがセオリーのはずだ。

 そればかりかヴォートはさらに外にペガサスを誘導し、恭介を外へと押しやる。

 結果、二頭が馬群から離れる格好となった。


 妨害してくるのは予想していた通りだが、ここまであからさまにやってくるとは思わなかった。

 強引に内側に寄せることも考えたが、昨日食らった騎乗停止のことが頭を過る。

 もし馬体に接触し、わざと騎手が落馬するようなことがあれば、騎乗停止期間が延長しかねない。


 最終コーナーが近づきつつある。

 このままでは大幅なロスは避けられず、後ろの馬に差されてしまう恐れがあった。

 ここで追い出しにかかり、ヴォートを突き放してから内側に進路を取るか、それとも仕掛けるタイミングが遅れるのを覚悟でペースを緩めてから内側に進路を切り替えるか。

 どちらかを選択しようと迷った。


 そのとき、ヴォートが身体を揺するように動かし、追い出しにかかった。

 鞍に直接尻を乗せているせいか、ひどく不格好に見えた。

 ペガサスの方は元々の力がなかったせいかもう脚色が一杯になってしまったようだ。


 ――少し我慢だ。


 一か八か、最終コーナー手前までこのままで行くことにした。

 その頃にはヴォートの位置が下がり、内側に寄せられるかもしれない。


 予想通り、ヴォートが後退し始め、差が広がりつつあった。


 このまま行けば最終コーナーで内側に切り込めると思ったとき、ヴォートが予想外の行動に出た。


 左鞭を一発入れたのである。


 すると、右側に斜行し、恭介の馬と接触した。

 恭介はさらに外へ膨らんでしまった。


「マジかてめえ!」


 ここまでして勝たせたくないのか。


 馬は鞭を入れた方向と逆側に進路を取る傾向がある。

 それはペガサスも同じである。

 特に追い出しでまっすぐ走らせるのは容易ではない。

 そこで鞭を使って馬が斜行しないように補助するのだが、ヴォートは恭介を妨害するためにわざと左鞭を入れ外側に膨れさせたのだ。


 接触したとき、恭介のペガサスはスピードが落ちた。だが、ヴォートの馬はもう限界でずるずると後退していった。

 最終コーナーの手前で、ヴォートが完全に後退したのを確かめた。

 進路を切り替えても問題ないと判断し、すぐに内側に切れ込みながらコーナーに進入した。

 だが、コーナーの半ばあたりで馬群の外側にとりつこうとしたとき、またしても馬体を寄せてくる馬がいた。

 今度は十一番である。


「邪魔すんな!」


 恭介が怒鳴り声を上げても、十一番の騎手――ミルズは黙ったまま前を見ていた。

 恭介は後ろを振り返り、馬群の位置を確かめた。

 思ったよりも馬群が広がっていて、二人の真後ろにも何頭か控えている。


 ――やるか。


 ここで、賭けに出た。

 恭介は自分の左足が接触する寸前までミルズのペガサスに馬体を寄せた。

 それに驚いたのか、ミルズは目線を恭介の方へ向けた。


「わかっているのか」


 とだけ言ってきた。

 ミルズも恭介が騎乗停止処分を食らったのを知っているようだ。


「わかっているさ。落馬すれば馬群に巻き込まれるからな」


 恭介の言葉に騎手は目を瞠り、馬群を振り返った。

 もう一度恭介に目を遣ると、ゴーグル越しの目から怯えの色が浮かび上がる。


「わざと落馬しようもんなら、命にかかわるぞ。おい」


 そういうと恭介は内側に馬体を寄せて、ミルズのペガサスと接触させた。

 遠心力が利いているのでそれほど強い当たりではない。

 ただそれでも効果はあり、わずかにミルズのペガサスが内側に寄れた。

 恭介はさらに内側に幅を寄せる。


「てめえ正気か? そんな乗り方でやることじゃねえぞ」


 ミルズが叫んだ。

 恭介がモンキー乗りを駆使して馬体を接触させるのが信じられないようだ。


「これぐらいできなきゃ、騎手なんてやってられねえよ!」


 多少の不利があったものの、なんとか最小限のロスに抑えることができた。


 コーナーを曲がり切り、しばらく手綱を持ったまま仕掛けどころを探る。

 残り七〇〇メートルあたりで馬群にいる何頭かが追い出しにかかった。

 手応えが無くなり、レースから脱落する気配だった。


 残り五〇〇メートルを過ぎると、恭介は腰を落とし、手綱をしごき始めた。

 少し右にヨレると、すぐさま鞭を左手に持ち替えて一発入れた。

 すると馬はまっすぐ走り始めた。

 少しずつ前との差が詰まって行く。


 残りあと三〇〇メートル。


 このままいけば差し切れる。


 だが後ろから猛烈な蹄音が聞こえてきた。

 一頭だけだが、凄まじい圧力を背中に感じた。


「キョースケェ!」


 空を切る音に混じって、耳を圧するような女の声が聞こえた。

 振り向かなくても誰だかわかる。

 恭介は顔が引きつる感覚になりながらも、必死で手綱をしごいた。

 捕食者から逃げようとする馬の本能と同期するかのように、来るな、と胸の内で祈った。


「差してみろ! プルネラ」


 己を奮い立たせ、プルネラの圧力を跳ねのけるかのように声を張った。

 怯えていたはずの気持ちが闘争心へと生まれ変わったとき、プルネラの追い込みを凌ごうと必死で手綱しごいた。

 一瞬後ろを振り向いて、プルネラの位置を確認すると、やや離れた内側からプルネラが追い上げてくる姿が目に入った。


 ここで恭介はもう一発左鞭を入れた。

 本来なら闘争心を掻き立てるため、馬体を合わせたかったのだが、今乗っているペガサスは怖がりな面があり、しかもプルネラが馬体を寄せてくる可能性があった。

 そこであえて外側に進路を取り、プルネラとの距離を空けたのである。


 残り百メートル。

 勝負は恭介とプルネラに絞られた。

 わずかに恭介がリードしているが、どこまで持つかわからなかった。


「や! は!」


 プルネラの掛け声が耳に届く。

 恭介も負けじと懸命に腕を使って馬を追う。


 一瞬プルネラのペガサスが先頭に立ったが、恭介のペガサスがもうひと踏ん張り利かせて、差し返そうとする。


 残り五〇メートルを切った。

 恭介の感覚ではわずかにプルネラがリードしている。

 だが、恭介のペガサスはあきらめようとしない。

 その気持ちに応えようと恭介は必死に追った。


 そして、二頭は内外離れてゴール板を駆け抜けた。


「もらった!」


 と声を上げたのは恭介である。

 ゴール板に差し掛かったとき、首の上げ下げの差で先にゴールした感覚があった。

 プルネラもそれがわかっていたのか、ゴーグル越しに恭介を睨んでいた。


「ああ!」


 プルネラは突然、悔しさを隠そうともせずに天を見上げて叫んだ。

 未勝利戦でここまで悔しさを露わにする騎手は珍しいと思った。

 だが、当の恭介も朝から熱いレースができた喜びが胸の内に迫ってくるのを感じて、笑いがこみ上げそうになる。


 検量室前へ引き上げると、スタッフたちから礼を言われた。

 恭介のペガサスは今まで惜しいレースが続いていたので、ようやく勝ててほっとしたようだった。


 懸念された査問委員会からの呼び出しもなく、検量を終えた。

 写真判定の結果、十四番が一着であると場内アナウンスが告げる。

 恭介の勝ちが決まった瞬間である。


「負けたわ」


 検量室の前でプルネラが声を掛けてきた。

 必死に身体を動かしたせいで顔が汗で滲み、力を出し尽くした人間特有の澄んだ目つきを帯びて、口元に柔和な笑みが零れている。


「いやあ、あんなに鬼気迫る顔見たの久々だよ。しかも未勝利戦でさ」


「いつも全力を出したいだけよ。ああ、勝てたと思ったのになあ」


 プルネラは蓮っ葉な言葉を使い、目を瞑りながら横髪を手で梳いた。


「二人ともお疲れさま」


 と声を掛けてきたのはエレノアである。


「エレノア、来てたの?」


「キョースケの付き添いよ。ちょっと気になることもあったし」


「やっぱり……」


 プルネラはエレノアの意図がわかったらしい。

 恭介が騎乗停止を食らった背景に心当たりがあるのだ。


「エレノア、キョースケ、気をつけてね。今わたしが言えるのはそれだけよ」


 というと、プルネラは二人の間をすり抜けて去ろうとした。

 そのとき彼女の行く手を阻む者が現れた。


「プルネラ、敵とずいぶん仲良くしているじゃねえか」


 デインである。

 彼はこのレースには乗っていなかった。

 わざわざプルネラに声をかけるためにここへ来たようだ。


「なんでもありません。友人と話すのがそんなにいけませんか?」


「別に責めているわけじゃねえさ。俺たちにも一枚噛ませてくれってだけだ」


 意外なことを口走った。

 あまりの展開に恭介とエレノアはお互いに顔を見合わせる。


「なんのつもり?」


 と訊いたのはエレノアである。


「昨日こいつが騎乗停止になっただろ。そのせいで俺たちは困っているんだよ」


「というと?」


 恭介が訊いた。


「ちょっと控室でいろいろと話していてよ。来てくれないか? 何ならエレノアも一緒に来ていいぜ」


「いいの?」


「付添人なら大丈夫だろ」


 三人はデインに連れられて控室の中に入った。

 部屋の真ん中あたりに騎手たちが集まっていて、視線を恭介に向け、心配そうな顔つきで見つめる。


「来たか」


 騎手たちの間を搔き分けて日に焼けた肌をした中年の騎手が前に出て来る。

 顔が四角張っていて眉が太く、目尻の下がったベテランの騎手である。

 一見すると武骨な外見だが、どこか柔和な印象を受ける。


「騎手組合会長のアイヴァー・コリンズだ。キョースケ・ハタヤマ、査問委員会で何があったかを話してもらえないか」


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