控室にて
翌日、恭介はリンウェルダウンズ競馬場の控室で新聞を読んでいた。
調教やレースの合間を縫って勉強していたので、文章の大意はつかめるぐらいの読解力は身についていた。
恭介が興味を持ったのは、以前に辛辣な批評を書いた、リュー・コネル記者のコラムである。
今回は短めのコラムだが、それでも恭介が腹を立てるには十分な内容である。
《以前、私が指摘したようにキョースケ・ハタヤマ騎手は凄惨な事故を起こすところだった。
昨日の第二レース未勝利戦、ハタヤマ騎手の危険な騎乗によりヴォート騎手を落馬させたのだ。
私が、いや、多数の関係者が危惧したように、いつ起きてもおかしくない事故が起こってしまった。
あの腰を浮かした騎乗方法ではペガサスを御することが難しく、コーナーを曲がり切れずに他の馬と接触してもおかしくないと、誰も気づかなかったのだろうか。
もしペガサス競馬の関係者でハタヤマ騎手の騎乗に何も問題ないと感じていたのなら、プロとして失格である。
さらに、エレノア・スピレッタ調教師の責任も重い。
ハタヤマ騎手が初騎乗初勝利を挙げたとき、スピレッタ調教師はアマチュア時代の輝かしい実績があるのにもかかわらず、曲芸じみた騎乗を褒めたたえ、あまつさえペガサス競馬に革命をもたらすと盲言を吐いたのだ。
かつて競馬場をにぎわせた才媛の騎手も、この程度だったのかと私は失望を禁じ得ない。
ハタヤマ騎手の上っ面の成績だけを見ているに過ぎず、他者を巻き添えにする可能性を考慮しなかった浅薄さが浮き出た格好である。
たしかにハタヤマ騎手はデビューして間もないのにもかかわらず、素晴らしい勝率を上げている。
しかしそれは他の騎手が彼の騎乗を危険だと感じて避けているだけであり、ハタヤマ騎手は心理的、または間接的に他の騎手を妨害しているのだ。
この意見に違和感を持つ読者もおられるかもしれないが、再三指摘してきたように、ハタヤマ騎手は馬に害を与えるばかりか、周りの危険も省みない身勝手極まりない騎乗方法で迷惑をかけているのだ。
そのことに気づかない騎手をレースに乗せる資格があるのだろうか。
ペガサスレーシングクラブの上層部がハタヤマ騎手に騎乗方法の是正を勧告し、賢明なる判断を下してくれると祈るばかりである。》
記事を読み終えると、恭介は新聞を床に叩きつけた。
相変わらず見当違いの意見を臆面もなく書く記者の存在が疎ましくてならなかった。
なにが心理的、間接的妨害なのかさっぱり理解ができない。
レースに乗った他の騎手は恭介を恐れておらず、ガウン・ボウズのようにラフプレイを仕掛けてくる騎手もいるのだ。
それで落馬したこともなければさせたこともない。
仮に昨日の落馬を責めるなら、不可解な落ち方をした騎手を責めるべきではないか。
自分の都合の良い情報だけを盲信して攻撃しているに過ぎないと感じた。
さらに的外れな責任論を展開し、エレノアに矛先を向けてきたことが腹立たしかった。
彼女には何の非もない。
ただ、恭介の実力を認めただけである。
それがなぜエレノアに責任が及ぶのか、見当違いも甚だしかった。
恭介は怒りを鎮めようと深呼吸するも頭の中が全く晴れない。
「荒れているわね」
聞き覚えのある声がした。
顔を向けると、プルネラが右足に重心を傾けつつ腕を組んで恭介を見ていた。
「プルネラ、ちょっと、あ、やっぱいいや」
プルネラはジュスタンの馬に跨る騎手である。
ジュスタンとオーリックの関係を迂闊に訊けば、彼女に迷惑がかかるかもしれないと思い直した。
「なによ。はっきり言いなさいな」
いったん口を開いてしまったせいで、プルネラに興味を持たれてしまった。
「いや、その、俺の騎乗スタイルはどう思うのかなって」
咄嗟に質問の内容を変えた。
そして床に放った新聞を手に取り、記者の書いたコラムの面を表にしてプルネラに差し出す。
彼女は受け取り、少し時間をかけて目を通した。
「ああ、この人。無視して大丈夫よ。ペガサス競馬の関係者から煙たがられるからみんな相手にしないのよ。キョースケも気にすることないわ。エレノアから何も聞いていないの?」
「いつもこんな感じだって聞いたけど、いくら何でもなぁ。それにエレノアに責任があるっていうのも無理筋なんじゃないか?」
「キョースケってエレノアの推薦で騎手になったんでしょ? だからエレノアにも責任があるって考えているのね」
「ああ、そういうことか」
ペガサス競馬では推薦した関係者にも類が及ぶ、ということを聞いた覚えがある。
このコネルという記者はそのことを書いていたのだ。
「けどなあ、レースに乗ったら騎手が責任を持つってのはわかるけど、推薦者にまで厳しく当たるってのは違うんじゃないか?」
「この人、強硬な保守派なのよ。ペガサスレーシングクラブでは、騎手の不始末は推薦した人の責任でもあるって昔から考えられているのよ」
「けど、まあ、うん。そんなもんか」
納得できないところはあるが、ペガサスレーシングクラブの慣習なら仕方ないという気持ちもある。
おそらく、エレノアもそのことを承知で恭介を推薦してくれたのだから、覚悟していると思った。
「それにこの記者、女性に対しても辛辣なのよ。ここ十年ぐらいで女性騎手や調教師、厩務員が増えたでしょ。あからさまに女性を差別するようなことは書かないけど、技術が未熟だってわたしも散々書かれたわ。今までペガサス競馬の関係者のほとんどが男性だったから、女性がペガサス競馬に関わることに違和感があるんじゃないかしら」
プルネラの声音が少し険を帯びていた。
彼女もこの記者にいい感情を持っていないらしかった。
「へえ、そうなんだ」
恭介が納得すると、プルネラは眉根を上げてじっとりと見つめてくる。
「この記者、偏見がひどいから毀誉褒貶が激しいのは有名な話よ。キョースケったらそんなことも知らないの?」
別の角度から切り込んできた。
列車で初めて会ったときも恭介の存在を疑っていたが、本当のことを話してもいいのだろうかと迷う。
「ああ、あんまり記者のコラムとか読まないからさ。他の陣営の情報とかの方が気になるし、ほら、記者の人ってあんまり勉強していない感じがあるから信用できなくてさ」
思わぬ形で悪口を言ってしまった。
「ふふ、たしかにそうね。でもあまりそんなこと言わない方がいいわよ。記者の悪口を言っちゃうと角が立つから」
と、プルネラは微笑交じりに忠告する。
「でも、女性関係者が増えたことを知らなかったなんてね」
この言葉に、恭介は胸を衝かれた。
プルネラの追求は思ったよりもしつこく、恭介の素性に深い興味を抱いている感がある。
「自分のことに手一杯だからさ」
と、答えるのがやっとだった。
「まあ、いいわ。今日もお互い頑張りましょうね」
「ああ、今日もどけえって叫ぶのか」
「やだ、聞こえていたの」
プルネラは右手を口元に添えて笑った。
「あれぐらい気が強くなきゃ騎手なんてやってられないだろ。どかねえとシメるぞって言うぐらいの気概がないとな」
「言ってないわよ、そんなこと」
「だから、押しのけるぐらいの気の強さが必要だってことだよ」
「わたしったらレースになると熱くなるのよ。周りが見えなくなっちゃうの」
「いいんじゃねえの。レースに熱くなるのは当たり前じゃん」
「そうね。今日のレース、容赦しないわよ。あ、それと、今度エレノアと一緒に食事でもしない? ちょっと話したいこともあるし」
「え? 別にいいけど、その、大丈夫なのか。プルネラってジュスタンさんと関係あるんだろ。エレノアと一緒にいるってなったらまずいんじゃないか?」
「プライベートなことまで干渉されたくないわ。それに――」
と言ってプルネラは辺りを見回した。
恭介もつられて控室を見回すと、他の騎手たちはレースの準備をしたり、仲間と無駄話をしていて、誰も二人に注意を払っていない。
ジュスタンの主戦騎手、デインも気の知れた仲間となにかを話していてこちらには興味がないようだ。
プルネラが手招きをして恭介に耳を貸すように促す。
恭介は横顔を彼女に近づけた。
「ジュスタンについて耳よりな情報があるのよ」
じゃあね、とプルネラは片手をあげ、くるっと背を向けた。
仲間の女性騎手たちと軽く挨拶を交わすと女子更衣室へ入った。
「耳よりねぇ」
もしかしたらジュスタンとオーリックのつながりがわかるかもしれない、と淡い期待を持った。
「っと、俺も支度しないとな」
控室の時計を見てそろそろ時間だと思い、レースの準備に取り掛かった。




