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処分のからくり

「すぐに意見書を提出するわ。こんなの許せるわけないでしょ」


 査問委員会とのやり取りを話すと、エレノアがいきなり怒り出した。


 恭介とエレノアはリンウェルダウンズ競馬場の近くの町にある『オルコック』という宿の食堂で話し合っていた。


 ペガサスレーシングクラブの管轄する競馬場には、日本の調整ルームのような騎手専用の宿泊施設が用意されていない上に、騎乗するレースの二時間前に競馬場にいれば良いというルールがあるだけなので、ほとんどの騎手は近くに宿を取っている。


 ちなみにマルスク王国の各競馬場には担当馬の世話をする厩務員たちの宿泊施設があり騎手も泊まって良い規則になっているが、あまり良い部屋ではないらしく、レースの備える騎手のコンディションを整えるには不向きだという。

 そのため宿を取るのが一般的らしかった。調教師も騎手と同じように外部の宿を取ることが多いらしいが、これは調教師まで泊ると、宿泊施設の部屋が足りなくなる事情もあるようだった。


 オリアナはウィントンとミスクララの世話をする関係で競馬場に泊まり込んでいる。

 この辺りの不都合を解消しようと、主催者のペガサスレーシングクラブは各競馬場の宿泊施設を一新する計画があるらしい。


 二人が泊っている『オルコック』は格安の宿で一流どころの騎手や調教師が使う宿とは到底言えなかった。

 食堂の空気はどことなく淀んでいて、天井の隅には茶色いシミがある上に壁紙が少し剥がれている。

 恭介が腰かけている椅子もかなり年季が入っており、脚の一本が削れてバランスが悪くなってガタガタしている。


 エレノアは今回も恭介の付添人を買って出てくれたが、馬主たちへの挨拶回りがあり、あまり控室に顔を出しておらず、帰りも別だった。

 地理の明るくない恭介は苦労しながらもタクシーの運転手に行き先を伝えてなんとか宿に着くと、ミーティングを始めたのだ。


 騎乗停止処分を受けたあとのレース、恭介は一度も勝てなかった。

 そこまで強い馬ではなかったので、順当な結果とも言えたが、エレノアは理不尽な処分を受けた恭介のメンタルが作用したとも考えていた。

 だからこそ彼女は主席のオーリックが強権を発動したのが許せないらしかった。


 特に最後に騎乗したレースでは、手応えが良かったのにもかかわらず、馬群の間を割ることを躊躇ってしまった。

 他の騎手にいちゃもんをつけられ、騎乗停止期間が加算される可能性が頭を過ったのだ。


 査問委員会のオーリック主席は恭介を目の敵にしていると感じたため、強引なレース運びをして接触があった場合、さらなる処分を下すことだってありえるのだ。


 勝てたかもしれないレースを落としてしまい、申し訳ない気持ちが起こる。

 幸か不幸か騎乗した馬は近走冴えない成績だったので、担当スタッフたちは気落ちした様子はなく、仕方ないさと言ってくれた。


「ジュスタンさんが仕組んだことなのか?」


 恭介はテーブルに肘をついて言った。椅子のがたつきが気になる。


 騎乗停止を食らったレースだけでもジュスタンが所有するペガサスが四頭もいた。

 うち二頭はプルネラとデインが乗っていたペガサス、あとの二頭は明らかに恭介を妨害するために用意したペガサスだと思われた。

 あと二つのレースでもジュスタンのペガサスが出走して恭介を執拗にマークしてきた。

 今日のレースから考えると、恭介を勝たせないために何らかの策を用意していたのかもしれない。


「落馬はそうじゃないかしら。でも査問委員会はたぶん別ね。あの人たちはペガサスレーシングクラブの規定を執行するのが役目だもの。王様が相手でも厳格に処分を下すわ。もし特定の馬主さんを贔屓するようなことがあったら一発でクビよ」


「でも、あのデブの権限が強すぎじゃねえか。一方的に俺を悪者扱いできるんだからよ」


「こればかりは仕方ないわ。現行のルールだと主席査問委員が最終決定するから。けど、恭介もちょっと言い過ぎたわね」


「ごめん。どうしても許せなくてさ」


 恭介は素直に頭を下げた。

 上目遣いでエレノアの様子を窺うと、彼女は怒っているのではなく、むしろ仕方がないと思っているようで苦笑を浮かべている。


「でも、異議の申し立てなんてできるのか? 俺も言い過ぎてしまったし」


「審議の進め方が雑だから、恭介の気持ちもわかるわ。それに落馬についてはあり得ないわ。あと、新聞記者にも意地悪く訊かれてね。だから言ってやったの」


「なんて言ったんだ?」


「落馬した騎手が下手なのよ。あれぐらいでペガサスから落ちるなら騎手なんてやめた方がいいって記事に書いてって」

 

 エレノアは遠慮なく言ってからカップに口をつけた。

 あつっ、と声を出す。


「俺のこと、なんか言ってなかったか?」


 と訊いたのは、以前ペガサス競馬の記者が恭介のモンキー乗りについて中傷混じりの批判を展開していたことが念頭にあったためである。


「キョースケの乗り方に問題があるんじゃないかってしつこく訊いて来たわ、だから言ってやったの。記者のくせに見る目がなさすぎるって」


「さすがに言い過ぎじゃないのか?」


 ペガサス競馬にまっすぐな情熱があるのは良いとして、記者や評論家に喧嘩を売るような文言を叩きつけたらどうなるのか想像がつかなかったのかと思い、恭介は自分のことを棚に上げてエレノアを少し危なっかしく感じた。


「だって、その人ペガサス競馬記者歴二十五年とかいって色々な新聞や雑誌に記事を書いているけど、的外れもいいところ。予想は外すし、結果論でもっともらしいことを書いているだけなの。でも、読者や仲間の記者の人たちから評判が良いから質が悪いわよ」


「そんな人を敵に回して大丈夫なのか? 記者の力って侮れないぞ。俺たちが思っているより影響力が強いんじゃないか」


「結果を出せばいいのよ。批判的な意見を書いていた記者もすぐに手の平を返すわ」


「……エレノア、他人事だと思っていないか?」


 あまりにもストレートな正論を吐くエレノアを訝る恭介。


「そんなわけないじゃない。キョースケには批判や中傷を打ち返すだけの腕があるんだから大丈夫よ」


 信頼を寄せてくれるのはありがたいが、楽観的な見通しをして大丈夫なのかと不安になる。


 それにリンウェルダウンズ競馬場の開催がまだ終わったわけではない。


 あと六日ある。


 その間、恭介はレースに乗ることができるが、万が一、もう一度問題があるとみなされたら騎乗停止の期間が延長されかねない。

 騎乗停止の処分を食らわず、さらにジュスタンの妨害を潜り抜けなければならない状況である。

 十勝目への道のりはかなり険しくなった。


「あと、ジュスタンさんをどうにかしないとな。ここまであからさまにやられたんじゃどうしようもねえよ。勝てるレースも勝てなくなるぞ」


「こうなったら徹底的にジュスタンのペガサスを避けるしか手がないわね。多少のロスは仕方ないわ。プルネラやデインさんまで汚いことをするとは思えないけど、念のため二人からも離れていた方がいいわ。調教師の先生たちにはわたしから言っておくから心配しな……」


 エレノアがまくしたてるように言っている最中、急にトーンが落ちた。

 顔を俯けて右手を顎に添えて考える素振りを見せる。


「なにかあったのか」


「ちょっと待って、査問委員会のオーリックに、ジュスタン、あっ」


 何かを思い出したのか、エレノアはいきなり目を見開いて恭介に顔を向けた。


「ごめん、キョースケ。わたしのミスだわ。オーリックって人のことすっかり忘れてた」


「なにが?」


「オーリックとジュスタンに繋がりがあるかも」


「マジで?」


「オーリックには、やましい噂があるのよ。マカベウス子爵に甘いっていう話」


「たしかジュスタンさんの親父さんだよな」


「ええ。あくまで噂だったけれど、キョースケの処分ではっきりしたわ。けど、確実な証拠がないわね。状況証拠しかないし……」


 刑事のようなことを言いだしたエレノア。

 意見書にそのことを書こうとしても事実無根だと突っぱねられるとわかっているようだ。


「ちょっと難しくなってきたな」


 ジュスタン陣営にマークされるだけならともかく、オーリックの目も気にしなければならないのが厄介だった。

 馬群をこじ開けたり、最後の直線で馬体を併せるために進路変更をした際に、妨害があったといちゃもんをつけてくる恐れがある。


 エレノアの言うことが正しければ、ジュスタン陣営の騎手たちには落ち度がないと判断され、恭介が一方的に処分を下すことだってありえる。


 今回の開催、簡単にはいかない雰囲気が立ち込めている気がした。


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