ありえない聴取
査問委員のカワードに連れられ、スタンド内にある査問室に入った。
部屋の奥がガラス張りになっており、リンウェルダウンズ競馬場を一望できるようになっている。
右側の壁には魔法の力で映し出されるモニターが何面も浮かんでいて、様々な角度からレースを検証できるようにしてあるようだ。
左の壁際に、長いテーブルが置かれ、そこに眼鏡をかけた女性と、固太りの中年男性が座っていた。
その前には椅子が置かれており、すでにヴォートが座っている。カワードは固太りの右側の席に腰を下ろした。
「どうぞ、お座りください」
女性の査問委員が恭介に告げる。
下手な態度はとれないと思うと、足取りが重くなった。
時間の流れを遅く感じながら恭介はヴォートの隣の椅子に腰を下ろした。
「早速だがハタヤマ騎手、彼が落馬したときの状況を説明してもらおうか」
固太りは横柄な口調で訊いてきた。
椅子の背もたれに背中を預けて腕を組んでいる。
傲慢と威厳を勘違いした男に見える。
「はあ、たしかに私は十番の馬に馬体を寄せました。でもそのときヴォートさんは落馬する様子はなかったので大丈夫だと思ったのですが」
ラフプレイをした自覚があるため、恭介は念を入れて丁寧な口調を心掛ける。
「そうですね。少々荒っぽいですが、あなたの騎乗は危険だとは言い難いですし、レースではあれくらいのこと、よくあるケースです」
女性委員は恭介を擁護するも、ルールを司る査問委員会らしくどこか冷淡な印象を受けた。
あくまで起きた事実を淡々と話しているに過ぎないようだ。
「それにハタヤマ騎手は進路を塞がれてしまっていたので、工夫を凝らす必要がったように見えました。きれいな騎乗とは言えませんが、十分許容範囲でしょう」
カワードも同じ意見なのだが、どことなく自信のない声音に聞こえた。
彼は隣の固太りの方をちらちら見ていて、落ち着きを欠いていた。
「しかし、彼が落馬したのは事実だ。ハタヤマ騎手にも落ち度があったんじゃないのかね」
固太りが余計な口をはさむ。
若い二人の意見を未熟者の戯言だと切って捨てるかのような言い方だった。
「はい。私はハタヤマ騎手があんなラフプレイをするなんて思いもしなかったものですからびっくりしてバランスを崩してしまったんです」
ヴォートは澱みなく理由を申し立てる。
あの程度で落馬するようでは到底騎手なんて務まらない。
騎手としては恥なのだが、彼はそう感じていないらしかった。
「ですが、そちらのお二人が言いました通り、俺の騎乗は荒かったとは思いますが、あれぐらい――」
「あれぐらい、なんだ? お前は自分の危険騎乗を棚に上げて彼が下手くそだとでも言いたいようだな」
決めつけるような言い方の固太りに、恭介の胸の内が波立った。
――このクソオヤジ……。
どこに目をつけてやがる、と言いたかったが、査問委員会の権限が強いことを以前にも聞かされていたので、ここはこらえることにした。
「待ってください、オーリック主席。ハタヤマ騎手の言い分も少しは聞くべきでは」
「黙れ、カワード。だいたいハタヤマがあんな奇妙な騎乗をしているからこういった事態が起こるんじゃないか」
「それはいくら何でも言い過ぎです。今までのレースではハタヤマ騎手はむしろ安全に乗っていましたし、ここで騎乗スタイルのことを言っても始まりません」
査問委員の間でも意見の食い違いが生じているようだった。
むしろ、カワードと女性が恭介を擁護しているのに対し、固太りのオーリックは恭介に責任があると言わんばかりに意見を押し通そうとしている。
「とにかく、ヴォート騎手がハタヤマ騎手のせいで落馬し、命の危険に晒されたのは間違いない。お前たち、俺が決定権を持っているのを忘れたか?」
「しかし、ここでハタヤマ騎手に重い処分を下せば、メディアやファンたちが黙っていません」
「そこは俺に任せろ。毅然とした対応を取れば問題ない。ハタヤマ騎手がいかに危険な騎乗をしたか、俺の口から説明してやる。お前たちは黙っていればいい」
嫌な雲行きになりつつある。
主席が言い放った一言で、カワードと女性委員は黙ってしまった。
――待ってくれよ、おい。
恭介はよっぽど口を出そうかと考えた。
これでは主席の権限が強すぎる。
他の二人が恭介に問題ないとの結論を出したのにもかかわらず、オーリックの一存で恭介の運命を決めるのが納得いかなかった。
「最後に確認をする。ヴォート騎手、君はハタヤマ騎手が馬体を寄せたことで、落馬となった。間違いないな」
「はい、たしかに接触したときは落馬の危険はありませんでしたが、そのあと私の乗った馬がそのショックで走法に支障が出たんです。おそらくハタヤマ騎手が馬体を寄せて接触した影響だと言えます」
「待て、コラ!」
恭介は今まで懸命にこらえていたものが一気にあふれ出た。
オーリックの乱暴な意見をこのまま受け入れるわけにはいかなかった。
日本にいたころも、恭介は裁決に呼び出しを食らって聴取を受けたことがあった。
だが、裁決はレースをきちんと観察し、適切な処分を下している。
納得いかないところはあるものの、裁決の言うこと一理あると感じたものだ。
それに引き換え、今回の査問委員会、特にオーリックは主観と偏見を交えて気に入らない恭介を強引に糾弾しているようにしか感じられない。
とても審議に携わる人間のやることではなかった。
「あんたどこに目をつけていやがるんだ。たしかにヴォートの馬に接触したのは俺も認める。けど、こいつは接触したあともバランスを保って乗っていたんだぞ。なのに何秒か経ったあとに突然バランスを崩すなんておかしいじゃねえか」
「聞き捨てならないな。貴様には騎手の資格がないようだ」
オーリックはテーブルに両肘をついて手を組むと、目が鋭くなり、射竦めるような眼光を放った。
だが、恭介はその程度では怯まない。
オーリックの暴論を見過ごす気はなかった。
「その言葉、そっくりそのまま返してやる。あんたには査問委員会に関わる資格がないってな。いい年こいて競馬を全く知らない奴が偉そうな口を叩くな」
「なんだと! 貴様、誰に向かって口を聞いている!」
「あんただよ、オーリックさん。そんな調子じゃ、レースもろく見ていないんだろ。あんたみたいな査問委員がいたんじゃレースなんて成り立つはずがないだろうが。偉そうな態度取るまえにもっと競馬の勉強したらどうだ」
「そこまでです! ハタヤマ騎手!」
成り行きを見守っていたカワードがいきなり机を強く叩いて恭介を制した。
今までの様子とは違うカワードに恭介は面を食らい、押し黙ってしまった。
「この場はレースの審議についてです。落ち着いてください」
にわかに落ち着いた口調に戻るカワード。
彼はじっと恭介を見据えて黙るように促した。
恭介もつい熱くなったと思い、頭が冷えた。
そして暴言を吐いてしまったという後悔がにわかに押し寄せてくる。
「ハタヤマ騎手、今の暴言は見過ごすことはできん。本来なら、ヴォート騎手が落馬した事象について二週間の騎乗停止処分を下す予定だったが、査問委員会に盾突いたばかりか主席である私を愚弄するとは言語道断。さらに重い処分が下ると覚悟しておくことだな」
オーリックは腕を組んで傲然と言い放った。
「第二レースの着順は変更無しで確定します。しかし、キョースケ・ハタヤマ騎手には落馬の事象、及び今の発言について更なる審議をいたします。処分は追って通達されますのでそのつもりで」
カワードは心持ち俯き加減になり、どこか澱みのある口調で告げた。
元々の処分が重すぎて同情するのと同時に、暴言を吐いた恭介を残念がっているようでもあった。
頭の中が混乱する中、恭介はちらと横を見ると、ヴォートがにやりと笑った顔を目の端で捕らえた。
一瞬恭介は手を出しかけて、彼に一歩歩み寄って手を出そうとした。
しかし、ここでエレノアの影が目の前を過った気がした。
今の彼女には恭介しか頼る騎手がいない。
エレノアを困らせたり、悲しませたりする真似はするべきではなかった。
手を出せばさらに処分が追加され、下手をすればスピレッタ調教場のペガサスに乗る騎手がいなくなると思い、手を引っ込めて顔を俯けた。
「失礼します」
とだけ言い捨てて、恭介は査問室を出て行った。
廊下を出ると胸の内に虚無が訪れ、やがて熱いものへと変化した。
恭介はやり場のない怒りをぶつけるかのように床を強く蹴った。




