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プルネラの忠告

 リンウェルダウンズ競馬場は名前の通り、丘にある競馬場である。

 他の競馬場とたがわず草原の上にスタンドが設けられ、自然の形状をそのまま利用したコースで手入れは芝を刈るぐらいらしかった。


 第二レースの未勝利戦、恭介の乗った六番のペガサスが跳ね上がったロープに驚いて、出遅れてしまった。

 先頭から十馬身ほどついてしまう。

 しかし恭介は慌てずに第一コーナーを曲がったあとの下り坂で、馬の気持ちに任せて走らせると、馬群の後方につくことができた。

 少し脚を使ってしまった形となってしまったが、手綱の感触と他馬のペースを考慮に入れると、無理なレース運びではない。

 スタミナは十分にある。


 そのまま坂を下って第二コーナーを曲がり上り坂に差し掛かるとペースが遅くなった。

 どの馬も無理をせず手綱を押さえたままだった。

 ところが、再び下り坂に差し掛かると、いきなり何頭もの馬がペースを上げてポジションを上げた。


 その動きに惑わされることなく、恭介は落ち着いてレースを進めた。

 この下り坂でスピードを上げてしまうと、ゴールまで脚が持たないと感じた。

 それに最後の直線で坂を上ることを考慮に入れると、ここで仕掛けるのは得策ではない気がした。


 第三コーナーを曲がって直線に入ったところで、恭介は大外に進路を取った。

 馬群の中からバテて脚の上がったペガサスが何頭もいて、下がってくるのを恐れたためである。


 それに恭介の乗ったペガサスの手応えは充分にあり、いい勝負に持ち込めそうだった。


 残り六〇〇メートルを過ぎたあたりで仕掛ける。


 内埒沿いを走るペガサスたちとの差を徐々に縮める。

 すると、一頭のペガサスが馬体を併せてきた。

 闘争心を掻き立てるためにそうしたようだ。

 だが、その馬をすぐに抜き去り、残り百メートルあたりで恭介が先頭に立つ。

 内側を走っていた三番は案外しぶとく、なかなか突き放せなかったが、なんとか半馬身の差でゴール板を駆け抜けた。


 開催初日、しかも初めて乗る競馬場で、恭介はいきなり勝ち星をあげたのだ。


「このコースじゃ、もろに影響が出るな」


 恭介は、この世界では自分しかしていないモンキー乗りの効果が絶大なのを改めて実感する。

 これだけ起伏の激しいコースだと天神乗りでは馬に多大な負担をかけてしまうのは当然だと、恭介は思った。


「乗れてるなぁ」 

「なにしてくれてんだよ」

「裏だよ裏」

「ったく、三番何してんだよ」

「金返せ! この野郎!」


 という観客の驚きと罵声が聞こえる。

 このレース、恭介は四番人気で人気薄というほどでもない。

 だが、二着に破った三番が確勝級の圧倒的一番人気だったので、一着固定の馬券を買っていたファンが多いようだった。


 検量室へ引き上げると、担当の厩務員が笑顔で迎えてくれた。


「ありがとう。あんなに出遅れて勝てるとは思わなかったよ」


 厩務員は恭介の肩を叩いてねぎらってから、馬の傍に寄って首筋をパンパンと叩く。

 タフなコースを走り切った馬の馬体は汗でぐっしょり濡れていて、鈍い光沢を放っていた。


 検量を終え、着順が確定してから控室に戻った。

 何人かの騎手から声を掛けられた。

 デビューしてから日が浅いのにもかかわらず、恭介は騎手たちの間で評判になっていて、顔を知られているようだった。

 中には遠巻きに恭介を見る騎手もいて、どこか険しい目つきで恭介を見ている。


 その視線を無視して、恭介は男性用の更衣室に入った。

 あらかじめ預かっていた勝負服に着替えてからまた控室に行くと、女性騎手たちが固まって話しているのが目に入った。

 ざっと見たところ六、七人ぐらいいて、みんな緊張した面持ちで話をしているように見える。

 他の競馬場でも開催があることを考えると、ペガサス競馬では女性騎手の数が多いらしい。

 もっとも一レースの出走頭数が二十頭を超えることも多いと考えると、必然的に女性騎手の数も多くなるようだった。


「キョースケ」


 と声を掛けてきた女性騎手がいる。

 彼女は仲間たちから離れて恭介に近寄ってきた。


「ああ、プルネラさんか」


 昨日列車で会ったエレノアの友人である。

 長い黒髪を後ろに束ねていて、レースに臨む格好をしている。

 それに化粧をしていないようだった。

 日本にいたころも、女性騎手の中には化粧をしない人もいた。

 そのあたりの事情は恭介にはよくわからないが、おそらくレースの後に顔を洗う関係で、化粧をしても意味がないと思っているのかもしれない。


「呼び捨てでいいわよ。硬くならないで」


「そうか」


「今日も好調ね。レース、観させてもらったわ」


「相手にも助けられたよ。なんであんな所からまくってくるんだろうな? 俺をマークするにしても、あれは無茶だ。自分の勝ちを捨ててやがる。ペースでも読み違えたのか?」


 と恭介が言うと、プルネラは横を見遣る。

 恭介もそれにつられて顔を横に向けると、さっきのレースでまくってきた騎手たちが気まずそうな苦笑いを浮かべて、他の騎手たちにからかわれていた。


「今のレース、リーディング上位の騎手が乗っていなかったのよ。だからじゃないかしら。あの人たちあんまり評判は良くないわ。それに、今回の開催、一流騎手はあまり来てないから」


「でも、一人だけならともかく、何人も仕掛けてたからな。みんな揃ってそんなミスをするか?」


 レース中からの疑問であった。

 あそこまで焦る必要がどこにあるのかわからなかった。

 いくらペガサス競馬の騎手の騎乗技術が高くないとはいえ、コースの形状を考えずにレース運びをするとは思えず、さらにペースを読み違えるほど体内時計が狂っているとも思えなかった。


「わたしにはわからないわ。みんな、焦ったのかしらね」


 とだけプルネラは言う。


 彼女が恭介に目を戻す。

 すると恭介はついプルネラの瞳の奥を見つめてしまった。

 エレノアとは違うタイプの美人なのでつい見惚れてしまったらしかった。


「どうしたの?」


「ああいや、女の人でもあんな危険なレースに乗るんだなって思って」


 両手を振って取り繕うように言う恭介。


「飛翔競走のこと?」


「いくら落馬しても大丈夫つっても、よくあんなことができるなって感心してるんだよ」


「あら、平地の方が危険じゃない?」


「え?」


 言っている意味がわからなかった。

 どう見ても飛翔競走の方が危険である。


「知らなかったのかしら? 緩衝魔法、平地では使っていないのよ」


「マジで?」


 初耳だった。

 エレノアたちはそのことについては何も言っていなかった。


「本当、おかしな人ね。あれだけのレースができるのに、何も知らないのね」


 プルネラは無知な恭介を面白がっているようで、いたずらっぽい微笑を浮かべた。


「あ、まあ、俺は馬のことしか興味なかったし、調べる気にもならなかったな」


 恭介は視線を逸らして苦しい言い訳をした。

 レースに臨む騎手が馬場の状態を気にしないわけがない。

 内に進路を取るか外に進路を取るかという基本的なことも、当日の馬場状態によって決めるのだから。

 いくら世界が違うとはいえ、馬場状態を無視する騎手はいないはずである。


「以前は使っていたけど、ペガサスが走りにくくなるから、平地じゃ使っていないのよ。フライングでも地面の走路には緩衝魔法を使っていないわ」


「うーん。ま、いいか」


 と言ったのも、馬の品種が違うとはいえ、今のところ日本でやってきた競馬とやっていることとはあまり変わらず、気にしても意味はないと思ったからである。


 控室が少し慌ただしくなった。

 次のレースに乗る騎手たちが支度を終えてパドックに向かっている。


「あ、そろそろ行かないとな。プルネラも次のレース、乗るんだろ」


 あらかじめ出馬表に目を通していたので、プルネラは九番に乗るのを知っていた。


「ええ、お互い頑張りましょう」


 とプルネラは言ったが、なにかを言いたげに恭介を見つめたままである。

 この場を離れようとしても彼女の視線に動きを止められる。


「えっと、なんかあった?」


「キョースケ、わたしから言うのもおこがましいけど、一つ忠告しておくわ」


「なにを?」


「あなたは徹底的にマークされているわ」


「まあそんなところもあるだろうけど」


「出馬表を読んでいないの?」


「読んださ。プルネラも次のレースに乗るんだろ。騎手の名前はもちろん、出走馬の戦績や脚質も頭に入れてあるし、調教師たちの指示もちゃんと聞いているから問題はないさ。それにエレノアからもアドバイスを貰ったし」


「そう……。ならいいわ。わたしの気のせいかもしれないし、お互い全力を尽くすことには変わりないわ」


 レースで会いましょう、と言ってプルネラは背を向けて、控室の外に出て行った。


「なんだったんだ? いったい」


 思わせぶりなことを言ったプルネラの真意を測りかねた。


 ペガサス競馬に乗り始めてから際立った成績を上げているので、レースでマークされるのは仕方がない。

 それはある意味では名誉なことである。

 他の陣営から腕を認められているからこそ警戒され、勝たせないように策を練るのだ。


 ペガサス競馬の関係者たちが恭介を脅威だと認めたからに他ならない。


 それを鑑みてもプルネラの忠告には納得のいかないことがある。

 何か必要な情報を見落としていたのだろうか。


「あとにするか。時間もねえし」


 恭介はヘルメットをかぶり、控室を出て行く。

 ひとまずは目の前にあるレースに集中すればいいと気持ちを切り替えた。

 それに次のレースは人気薄で一着になる見込みが薄い。

 いくら恭介のモンキー乗りが有効だからといっても、馬の力をカバーできるほどではないと予測しているので、厳しいマークに遭うことはないと考えてもよさそうだ。

 

 せいぜい上位に食い込んで少しでも賞金を稼げればいいと割り切っていた。


 ところが、恭介は間もなくプルネラの真意を思い知ることとなる。


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