エレノアの友人
「あら、キョースケ・ハタヤマではないですか。初めまして、騎手のプルネラ・ハートレーです」
部屋に入るなり、プルネラは折り目正しく挨拶をした。
目じりが吊り上がり、透き通る茶色の瞳をしていた。
肩のあたりまで伸びた黒髪には艶が帯びていて、手入れが行き届いているようだった。
「キョースケ・ハタヤマです。よろしくお願いします」
「ふふ、そんなにかしこまらなくていいわ。呼び捨てで結構よ」
プルネラは口元に手を添えて微笑んだ。
「はあ」
彼女のいたずらっぽい仕草にどう反応していいかわからなくなった。
あまりこういうタイプの女性と絡んだ経験がなく、ただ戸惑うばかりである。
ちらとエレノアに目を向けると、彼女はなぜか面白そうな顔で二人を見ていた。
「どうした?」
「ん、プルネラの本性を知ったらどうなのかなって」
「本性?」
恭介はもう一度プルネラに顔を向ける。
「ちょっとやめてよエレノア。キョースケが勘違いしちゃうじゃない」
「あはは、ごめん。プルネラったらレースの時と性格が違うから。そのギャップも魅力なのよ」
「もう」
とプルネラがしょうことなしに顔を背ける。
クールな感じの外見だが、親しい友人の前ではくだけた振る舞いをする人なのかもしれない。
「じゃあ、俺は席を外すんで、お二人でゆっくり……」
「キョースケもいていいわよ」
と、エレノアが言う。
「そうね。別に聞かれて困る話をするわけではないわ」
「はあ」
女二人が久闊を詫びる場にいるのは場違いな気がして、どことなく気の抜けた返事になる。
プルネラがエレノアと向かい合わせに腰かけてから、恭介はエレノアの隣に腰を下ろした。
「久しぶりね、エレノア。新聞読んだわよ。相変わらずファンサービス旺盛ね」
「あ、キョースケが勝ったときのこと?」
エレノアの顔が赤みを帯びた。
恭介が初騎乗初勝利の場でアピールしたことを思い出して照れたようだ。
「それに、ジュスタンさまを張り倒したじゃない。正義感の強いところも変わらないわね」
「ちょ、ちょっと。やめてよ」
「ふふ、ごめんなさい。ちょっと愉快だったものだから」
「もう」
とエレノアが膨れると、プルネラは右手を口元に添えて笑う。
性格のことを言われたお返しのようだった。
「エレノアったら、ずいぶん入れ込んでいるようね」
「キョースケのこと?」
「ええ」
「キョースケの乗り方を見たら、プルネラだって驚くわよ。ペガサスが何も背負っていないように見えるから」
「ええ、レースでじっくり見させてもらうわ」
プルネラがそう言うと、恭介の方をちらと見遣った。
その目元が涼し気で凄艶な印象があった。
エレノアとは違うタイプの美女である。
そのあとも当たり障りのない世間話を続けた。
プルネラが乗ったレースやスピレッタ調教場の近況、共通の友人について等々。
恭介がいることを忘れて話に花を咲かせていた。
「でも、残念ね。エレノアがレースに乗らなくなっただなんて」
「仕方なかったのよ。調教場を守るにはそうするしかなかったの」
「ジュスタンさんとは婚約破棄したのね」
プルネラはそのあたり事情も知っているらしい。
「きっぱり縁を切ったわ」
「なら、いいじゃない。調教師と騎手を兼任すれば」
「そういや、そんなことができるって言ってたな」
と言ったのは恭介である。
「あら、キョースケ。まるで今まで知らなかったかのような口ぶりね」
「え?」
「ペガサス競馬に興味があれば、誰でも知っているわよ。不思議な人ね。新人離れしているのにこんな基本的なルールも知らなかっただなんて」
――さて、どうすっかな。
下手なことを言ってしまったと後悔した。
地球の日本というところからやってきた、といってもまず信じないだろう。
せいぜい妄想癖のある変な男だと見られるのがオチだ。
「プルネラ、たまにいるじゃない。すごい天才なんだけど、全然ルールに詳しくない騎手って。ほら、マーロウさんとか。あの人ものすごい天然だけど上手いでしょ。キョースケもそうなのよ」
エレノアは澱みなく言った。
恭介の素性を探られた際の理由としてあらかじめ用意してあった科白らしく、エレノアの表情に焦った様子はない。
――天然って概念があるのか……。
恭介は妙なところに共通点を見出した。
「それもそうね。騎手がルールに詳しくなくてもレースでちゃんと乗れていればいいものね。それはそうとエレノア、騎手に戻る気はないの?」
「うん……」
エレノアは伏し目がちに答えた。
「厩舎の仕事で手一杯なの。とてもレースに乗っている暇なんてないわ」
「そう。二人でペガサス競馬を盛り上げたかったのになぁ。わたしたちがグランドキングダムでワンツーフィニッシュができたら最高だって言ってたじゃないのさ」
不意に蓮っ葉な言葉づかいをして、プルネラは窓枠に肘を置いた。
その仕草に人目をはばからずに親しい友人と気軽に接している感がある。
「何年も前の話じゃない。プルネラが勝ってくれればそれでいいわ」
「本当にそう思っている?」
「……」
「エレノアは女性騎手初のザ・バートレット、それにグランドキングダム制覇を目指していたじゃない。そんな簡単に未練を断ち切れるかしらね」
「なにが言いたいの?」
エレノアが訝しげな視線をプルネラに送る。
遠慮のないプルネラの言葉がエレノアの胸に突き刺さったらしかった。
「怒らないでよ。わたしはエレノアにもっと素直になってほしいだけ」
「素直?」
「調教場が上手くいったら、誰かに引き継がせて騎手に復帰すればいいのよ」
「できるわけないわ。調教師の仕事を投げ捨てて復帰するだなんて」
二人の視線が宙で絡み合う。
お互いの真意を見抜く攻防が繰り広げられているかのような剣呑な空気が漂いつつあった。
「いえ、ごめんなさい。わたしも言葉を選ぶべきだったわ」
根負けしたかのようにプルネラは窓の外に目を遣ってエレノアから視線を外した。
すると目だけを動かして、またエレノアを見つめる。
「あなたが復帰するかどうかなんて、わたしがどうこう言う資格なんてないものね。でもね、エレノア」
プルネラは窓枠から肘を離して両手を膝の上に置くと、エレノアを見据えた。
「わたしはあなたに勝ちたかったの」
「……」
「アマチュアのときから、あなたにはいいところ持っていかれたわ。わたしもプロになってからも順調だし、いずれは大きなレースも勝ちたいのよ。そこにエレノアがいてほしかったなぁ。あなたに勝ってこそ価値があるのよ」
プルネラの表情に微笑が浮かぶ。
そこには薄い影が刷かれてどこかさみしげに見えた。
エレノアは黙ってプルネラを見つめている。
右手に力が入り、パンツスーツをぎゅっと握りしめた。
窓から射す日の光に映る彼女の瞳が揺れている気がした。
じっとしたまま動く素振りを見せないのは、エレノアの心に生じた迷いを払拭しようとしているかのようだった。
「だから、ジュスタンさまと主戦契約を交わしたの?」
「え?」
恭介は驚いてプルネラに顔を向けた。
「ジュスタンさんの主戦ってデインじゃなかったっけ?」
「わたしはセカンドジョッキーよ。いいペガサスがいるって評判だったから、契約を交わしたのよ。セカンドでも勝つチャンスのあるペガサスに乗る機会に恵まれるはずだわ」
どうやらプルネラは騙されたらしいな、と恭介は思った、
恭介の見た限り、ジュスタンが率いるタドカスター調教場の環境は最悪だった。
金に物を言わせたせいかペガサスの質は悪くないが、扱うスタッフたちの手腕はそれほどでもない。
かつての名トレーナー、バジル・チャップルがいるものの、恭介から見て今のバジルはとても腕利きには見えなかった。
恭介はついエレノアに目を向けた。
親しい友人がジュスタンのお抱え騎手になったことをどう思っているのか訊きたかったが、彼女の表情が曇っており、訊ける雰囲気ではなかった。
「プルネラ、一つだけお願いがあるの」
重い空気を破って、エレノアは静かに言った。
「いつか、ザ・バートレット、それにグランドキングダムに勝って」
「言われなくても」
プルネラは微笑んだ。
それに合わせてエレノアも申し訳なさそうな微笑を浮かべる。
「じゃあ、そろそろ行くわ。あ、それとキョースケ」
「はい?」
「エレノアのこと、よろしくね。あと」
と言って、プルネラは腰を上げた。
「空を飛ぶときも、あの乗り方で?」
「ああ、一応そのつもりだけど」
「キョースケならできるわ」
エレノアが言った。
「馬のことを考えたらキョースケの乗り方が一番よ」
「そうなの。楽しみね」
とだけ言って、プルネラは恭介に右手を差し出した。
「リンウェルダウンズでは、お互い頑張りましょう」
プルネラの口元に笑みが零れる。
しかしプルネラの瞳の奥に、どこか剣呑な光を帯びている気がした。
「ああ、プルネラもレースに乗るのか」
困惑しながらも、プルネラの右手を握る恭介。
――ん?
妙に強く握ってきたな、と思った。
騎手をやっているので一般的な女性よりも握力が強くても不思議ではないが、プルネラの右手が強張っているように感じた。
「お二人さん。じゃあまたね」
手を離し、親し気に別れの言葉を口にして、プルネラは個室を出て行った。
恭介はエレノアの向かいにどかっと腰を下ろした。
初対面の美女と話す緊張感から解き放たれて疲れが吹き出たようだ。
ふと、エレノアに目を向けた。
彼女はさみしげな微笑を湛えて恭介を見つめていた。
――やっぱり……。
騎手をやりたいんじゃないか、と思ったが口には出せなかった。
せっかくスピレッタ調教場を立て直そうとしている決意を揺するような真似は出来なかった。
なら、エレノアの代わりに俺がやってやる、と思った。




