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列車の一等席にて~普段のエレノア~

 マルスク王国北部にあるリンウェルダウンズ競馬場に向けて、恭介とエレノアは列車に乗っていた。


 同時に遠征するウィントン、ミスクララの二頭はペガサス専用の貨物車両に乗せ、オリアナが帯同している。

 一人で面倒を見るのは大変だと思い恭介も付き添うと言ったが、車両の中が狭く、他の調教場のペガサスと相乗りなので、あまり付き添いの人数は増やせないと断られた。

 恭介にはレースに万全の体調で臨んでもらいたいとオリアナが気を遣ってくれたおかげもある。

 それに加え、目的地まで五時間程度なので、一人でも充分らしかった。

 駅に着いてから二頭を馬運車に移し替えてリンウェルダウンズ競馬場の出張馬房に入厩させる予定である。


 列車の窓は嵌め殺しになっており、そこから見える風景が速く流れていた。

 射しこむ光で客室は明るく、ニスの色でビンテージ基調に見える木の壁や座り心地の良い長椅子のおかげで快適に感じた。


 密閉空間とは思えないほど空気が澄んでいて何らかの仕掛けで勘気をしているらしかった。


「この列車は特急なの。五時間もあれば、マルスク王国のどこへでも行けるわ」


 向かい合わせに座っているエレノアは、夏ミカンの皮を剥き、放るように口の中に入れた。

 伯爵令嬢であるが、今の彼女はどこから見てもその面影はなかった。


「てか、この世界にも夏ミカンがあるんだな」


「食べる?」


「いや、遠慮しておく。にしてもこの列車、結構スピード出てるな」


 今乗っている列車は飛行機よりも遅いものの、新幹線並みのスピードがある気がした。

 なんとなく悠長な列車旅を思い描いていた恭介は、この世界――フォルアースの文明がかなり進んでいることに驚いた。

 列車の動力は魔法らしいのだが、この世界の自動車と同じく、どういう仕組みで動いているかわからない。

 外観はSLに似ていたが、煙突から煙が出ていなかった。


 二人は個室の一等席にいる。

 エレノアたちの財政状況からするとかなりの出費のはずだが、アシタスが勝ったときの賞金が入ってきた上に、ペガサス競馬の関係者はなるべく二等席や三等席を避けて移動しなければならないようだった。

 思ったよりもペガサス競馬はメジャーなスポーツであり、一流騎手や調教師の顔は広く世間に知られているらしい。


 この列車に乗る直前、石造りのプラットフォームでエレノアは色々な人に声を掛けられた。

 競馬関係者以外にもエレノアの顔が知られていて、中には握手を求める人がいたり、騎手への復帰を願う人もいた。


 エレノアは恭介がこの世界に来る前、注目の美人若手騎手として将来を嘱望されていたため、調教師になった今でも応援してくれる熱心なファンがいる。

 なので、エレノアが二等席や三等席に座り、乗客がパニックにならないために、一等席を取った方が得策なのだった。 


「あ、そうだ。俺の賞金ってどうなっているんだ?」


 話の接ぎ穂が無くなり、話題を絞り出した。

 目まぐるしく日常が流れていたのと、スピレッタ調教場に寄寓して衣食住に困っていなかったのですっかり忘れていた。


「ちゃんと銀行に振り込まれているわよ」


 エレノアは夏ミカンを飲み込む。


「え? この世界に銀行があるのか?」


「あるわよ」


 エレノアは不思議なものを見るような顔つきになる。

 当たり前でしょ、と言いたげだった。


「俺、口座なんて持ってねえけど」


「大丈夫よ。うちには使っていない無記名の口座があるからとりあえずそこに振り込んでくれるように手配したから」


「……犯罪の匂いがすんぞ」


「なんでよ」


「俺の世界じゃありえないからな。なんか、その、マネーロンダリングとか脱税とか、そんな感じの犯罪っていうか……」


 とは言ったものの、一介の騎手にしか過ぎない恭介が犯罪の手口を知っているわけが無い。

 なんとなくそう思っただけである。


「銀行の職員がしつこかったの。無記名でも開設してほしいっていうものだから仕方なくね。なんでも成績評価につながるみたいだけど、詳しくは知らないわ」


 エレノアは恭介が冗談を言ったと思ったらしく、笑いを混じえて言った。


 ともあれ、恭介が見えないところで色々と手を回してくれたらしい。


「で、俺はどれぐらい稼いだんだ?」


 恭介は改めて訊いた。


「ええと、未勝利戦三勝、条件戦一勝。あと二着と三着もあるし、騎乗手当も込みで……しめて二十五万オーロぐらいね」


 エレノアはまた夏ミカンを口に入れて、もごもご口を動かしながら言う。


「それってどれぐらいの価値があるんだ?」


「庶民の人なら半年は暮らせるわね」


「結構多いな」


 とは言ったものの驚くほどでもなかった。

 日本の中央競馬でもそれぐらいの成績をあげればだいたい同じくらいの稼ぎがある。


「あと、賞金から税金も引かれるし、騎手組合の保険料も払わないといけないから、実際はもっと少ないわ」


「現実的な話だな……で、保険料って?」


「騎手が怪我でレースに乗れなくなったときの積立保険よ。回復魔法で治療しきれない場合、入院しないといけないし、その間レースに乗って稼げないからね。だから騎手組合が賞金の一部を積立金に充てて、それで怪我したときの生活保証をするの」


「なんだかよくわからなくなってきたな。ペガサスレーシングクラブって大雑把なルールしかないと思ったら、処分はきっちりやるし、騎手組合もあるし」


 恭介の所属していた中央競馬会でも日本騎手クラブという組合があるが、見習騎手の恭介はその活動内容をあまりよくわかっていない。

 たしか保険金の積み立てなんてシステムはなかったな、と思うぐらいである。


「一気に覚える必要はないわ。騎手の本分ってレースに勝つことでしょ。経験を積んでいくうちに覚えていくから気にしなくていいわよ」


「そりゃそうだけどな。けど、こっちの世界とルールが違うから戸惑うんだよ」


「比較するからややこしくなるのよ。まずはペガサスレーシングクラブのルールに慣れればいいの」


 エレノアは手に持った夏ミカンの粒で恭介を指して、決めつけるように言った。


 その仕草が妙に幼く見えたので少しおかしく感じた。


「……なに笑ってるのよ」


 エレノアはむくれるような口調で言った。


「いや、エレノアって純粋なんだなって」


 恭介は慌てて取ってつけたようなこと言った。


「ふうん」


 納得がいかないらしく、不満げな表情を浮かべてから、夏ミカンを放るようにして口の中へ入れると、靴を脱いでごろんと横になった。


 ――素が出てきたのか?


 初対面のころのエレノアと少し印象が違う気がした。

 出会った当初は、ペガサス競馬に夢中なお嬢さまでまっすぐな性格だと感じたのだが、今のエレノアは恭介に対して親しい友人のように接している感がある。


 特に列車に乗ってからのエレノアは周りの目を気にしなくて良いせいか、終始リラックスしていた。


 言い換えると、行儀が悪かった。


 一等席に入ると飛び乗るようにして椅子に座ったり、ときどき横になって頬杖をついてペガサス競馬の雑誌を読んだり、同じく横になったまま飲み食いするなど、とても貴族令嬢とは思えない振る舞いをしていた。


 もしスピレッタ調教場のスタッフがこの場にいたらどういう反応をするだろうか。

 恭介が知る限り、エレノアはスタッフたちの前でこんな振る舞いをしていないはずである。

 貴族令嬢にして元人気騎手なのだから、普段からきちんとした行動をしろと言われてもおかしくない気がする。


 そんなことを考えていると、エレノアが身体を恭介に向けてじっと見つめてきた。


「どうしたの?」


 なぜか不機嫌な口調で訊いてくるエレノア。


「い、いや、なんとなくエレノアって周りの目を気にしないのかなって」


 そして思わず本音を言ってしまう恭介。


「べつにいいでしょ、誰かか見ているわけじゃないし。わたしだってくつろぎたいときもあるのよ」


「……俺はいいのか?」


「キョースケはうちの教育係じゃないでしょ。ロディやオリアナがいないときぐらい、楽にしたっていいじゃない。それと、キョースケ、ロディたちに告げ口しないでよ。言ったら怒るからね」


 まるでわがままお嬢さまのような言い分である。

 この言葉から察するに、ロディとオリアナはエレノアの振る舞いに注意をしたことがあるらしかった。


「とにかく、人前ではちゃんとするから、今だけ好きにさせて」


「わかったよ」


 多少呆れはしたものの、エレノアが人前で見せない態度を恭介に見せているあたり、打ち解けてきたのかもしれないと前向きにとらえた。


「あ、また笑ってる」


 エレノアが指さして言った。


 恭介本人が気づかないうちに思わず笑みが零れてしまったらしかった。


「あ、悪い。人って違った一面があるんだなって思ったんだよ」


「ふうん」


 エレノアは寝そべりながらまた不機嫌そうな表情になる。


 ――ちょっと空気悪いな。


 今までのエレノアとは違う一面を見せられて、戸惑ったせいもある。

 エレノアとしては普段通りなのかもしれないが、恭介にとってはだらしない格好をする彼女を見るのは初めてなので、どう接していいのかわからなかった。


 エレノアがじっと見つめる中、不意に乾いた音が一等席に響いた。


「お休みのところ失礼します。お客様に会いたいという方がいらしてまして」


 乗務員がドア越しに声をかけてきた。


「ん」


 エレノアは、対応しなさいと言わんばかり首を振った。


「はいはい」


 笑ってしまった負い目もあったので、そそくさと立ち上がってドアに近づいた。


「どちらさまでしょうか?」


「プルネラ・ハートレーさまがお会いしたいとのことです」


「だれ?」


 恭介は振り向いてエレノアに訊いた。


「あ、知り合いよ。いいわよ入ってもらって」


 エレノアは慌てて起き上がり、靴を履いた。

 つま先で床をトントンと叩く。


 言った通り、人前ではきちんとするらしいとちょっと安心して、恭介はドアを開けた。


 通路にはエレノアとは別種の美女が佇んでいた。


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