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打ち合わせ~リンウェルダウンズ競馬場~

 オリアナとラモンの揉め事を観覧したあと大仲に行き、次にスピレッタ調教場のペガサスが出走するリンウェルダウンズ競馬場での開催について打ち合わせを始めた。


 この開催でも恭介は他の調教場のペガサスに騎乗する。

 エレノアは調教師室から資料を持って来て大仲のテーブルに広げた。


 調教やレースの合間を縫ってマルスク王国の文字を学んでいたので、少しは読めるようになってきた。糸くずのような文字にも法則性があり、文法も難しくなかった。

 まだわからない単語があるものの、文章の大意を掴むぐらいはできるようにはなっている。


 リンウェルダウンズ競馬場は独特なコースである。

 高低差が激しく、二等辺三角形に近い形状をしており、コーナーが三つしかない。

 第二コーナーから最終コーナーまで坂の上り下りがあり、最終コーナーの出口からゴール板までおよそ一〇〇〇メートルある。

 ホームストレッチに入ってから三〇〇メートルほど緩やかに坂を下り、それから四〇〇メートルの坂を上ると、ゴールまで平坦になる。


 さらに、最終コーナーから左に直線が伸びており、一六〇〇メートルの直線コースが設けられていた。起伏が激しく、心身ともにタフさが要求される厳しいコースである。


 一番難しいのはコーナーワークだと感じた。

 第一コーナーと最終コーナーの角度がきつく、どう乗っても大きく外に膨れてしまいそうだった。

 慎重なコーナリングが求められそうで、騎手の腕が大きく左右する印象がある。


 今回の開催、全体的に出走馬のレベルが低く、日本で言うところの第三場、昔の言い方でローカル開催の趣があるようだった。

 恭介を勝たせるのと同時に、スピレッタ調教場の二頭、ウィントンとミスクララを楽なレースに出走させて勝利数を増やし、賞金を稼ぐ目的がある。

 この二頭は順調に調整を重ねて、文句なしの状態で出走できそうだった。


 次に騎乗馬の資料に目を通してみると、馬質が良くなっているのに気づいた。

 前走惜敗したり、大きな不利があって負けたペガサスもいる。

 これらのペガサスは次走でも人気になるはずで、恭介のような新人に任せてもらえるのが奇跡的である。

 エレノアは騎乗依頼が舞い込んだと言っていたが、それだけでなく彼女が馬主や調教師に話を持ちかけて乗り馬を集めてくれたはずだ。


 そして、一つだけレベルの高いレースが組まれていた。


 リンウェルダウンズ競馬場開催の最終日、ペガサス競馬には珍しく、平地競走のG3がメインに組まれていた。


 そのレース、バロンクラウスカップに恭介も騎乗することになった。

 しかも実績充分の有力馬である。


「よく俺を乗せる気になったもんだな」


 謙遜を交えても弾んだ気持ちを隠せなかった。

 デビューして一月も経っていない騎手を乗せてくれるのだから、喜ぶなという方が無理である。


「アーチャーズノートね。ほら、ルテリエさんって覚えている?」


「誰だっけ?」


「ほら、ニックさんが懇意にしている調教師よ」


「あー、そういやそうだったな」


 詳細までは覚えていなかった。

 たしかにニックがルテリエという名前を口にしていた気がする。


「で、そのルテリエ先生って有名な人?」


「うん。少数精鋭で預託馬はあまり多くないんだけど、そのぶん一頭一頭の管理が行き届いていて、故障が少ないのよ。レースに使いながら本番のレースに向けて仕上げていくタイプの調教師ね」


「へえ。じゃあ、このペガサスはステップレースってことか」


 恭介はアーチャーズノートの戦績表を読みながら言った。


 このペガサスは飛翔競走の実績に乏しいが、平地競走では惜しいレースが続いている。

 勝ちきれないところが多く、G1でも四着の成績があるものの、重賞未勝利である。

 どのレースを走っても勝ちきれない馬がたまにいるが、アーチャーズノートもそのタイプらしい。


「実はね」


 とエレノアは苦笑を浮かべる。


「主戦騎手が騎乗停止になって、他の騎手も乗るペガサスが決まっていたからキョースケに乗せてみようってブルーネレスキ卿が勧めたらしいのよ」


「馬主さん?」


「そう。かなりの資産家よ。マルスク王国有数の建築家で自分が設計を手掛けたホテルを経営しているの。何年か前にペガサス競馬に興味を持って馬主になったのよ」


「で、アーチャーズノートを引き当てたってわけか。運もいいし、相馬眼もあるのかもな」


「特定の調教師と懇意にしているわけじゃないし、わたしたちが食いこむチャンスがあるわね。セールでいいペガサスを競り落としたみたいなの」


「この世界も、競売でペガサスを買うのか」


「そうよ。庭先取引もあるけど、今だとセールで競り落とすのが一般的ね」


「どの世界でも考えることは一緒なんだな」


「そうね」


「だったらなおさらミスクララとウィントンのレースは落とせないな。きっちり勝ってスピレッタ調教場の手腕ってやつをアピールすれば、ブルーネレスキ卿もうちに預けてくれるってなるかもな」


「頼んだわよ」


 エレノアはまっすぐ見つめてきた。

 恭介の技術に全幅の信頼をおいて託してくれている。


「あと、バロンクラウスカップなんだけど、このレースには圧倒的なペガサスが出走するの」


「その馬ってG1を勝っているとか」


「ええ。リジーズプライドって牝馬よ。ほら、アーチャーズノートの成績を見て。負けているでしょ」


 と言われて、恭介はアーチャーズノートの成績表に目を落とした。

 たしかにアーチャーズノートの出走したレースでリジーズプライドに負けている。


「それに、鞍上も一流騎手よ。アイヴァー・コリンズさんって人なんだけど、一級品の勝負強さを誇るわ」


「手強いな。あっちのスタッフとちゃんと打合せして作戦を練っておかなくちゃな。あ、そうだ、馬主さんは俺を乗せたいっていうけど、ルテリエ先生はどうなんだ? 俺を乗せることに抵抗はなかったのか?」


 と訊いたのは、プロの関係者の評価が気になったからだ。

 馬主に気に入られるのも悪くないが、現場でペガサスを扱う調教師や厩務員たちに認められたい気持ちがある。

 彼らから技術を認められれば、次はハタヤマに乗せる、というふうに馬主に働きかけてくれるケースだってありえるからだ。


「結果を出しているし、否定する材料がないって感じだわ。たぶん、今度の開催で見極めるんじゃないかしら」


「プレッシャーかかるなぁ」


 弾んだ気持ちが次第に萎えてきた。

 重賞で、しかも有力馬を新人騎手に乗せてくれるのはありがたいが、絶対に失敗できない気持ちが胸を圧する。

 恭介はテーブルに両肘をついて背中を丸めた。


「なに言ってるのよ。いつも通り乗ればいいじゃない」


 励ますような口調で言うエレノア。

 重賞初騎乗の、それも有力馬への騎乗も相まって重圧を感じる恭介を叱咤するようでもあった。


 すると、前にエレノアから言われた一言が頭を過った。

 それは恭介本人でさえ気づかず、心奧の闇に潜んでいた弱点を見抜いた言葉でもある。


 自信が、ないのよ。


 ここで有力馬に乗るプレッシャーに負け、不安が先立てばやりたいレースもやれなくなる。

 鞍上の心の弱さが手綱を通して馬に伝播し、負の感情に飲まれることだって珍しくない。


「そうだよな。平常心、だな」


 恭介は気を持ち直そうとした。


 ――ペガサス競馬じゃ、俺が一番上手いんだ。


 虚勢でもいい。

 不安をかき消してくれるなら根拠のない自信に当てられるのも悪くない。

 そう思うと、少し気が楽になった。


「そうそう。それに、ルテリエさんに認められれば、キョースケをちゃんと評価してくれる人たちも増えるわ」


「そういや、俺の騎乗ぶりってどんなふうに受けとめられてんだ? 競馬場の観客たちの反応は良かったし、ニックさんは評価しているみたいだけど」


「賛否両論ね。モンキー乗りをどう評価していいかわからないみたい。でもね、うーーん、どうしようかしら」


 エレノアは顎に右手を添えて考え事し始めた。

 最近気づいたのだが、考え事をするときのエレノアはいつもこういう仕草をする。

 ペガサスに触れているときの生気溢れる無邪気な表情とは違い、真剣な顔つきになる。


 右手を降ろすと席を立ち、大仲の隅にある本棚から新聞を取ってきた。

 ページをめくると、恭介の前に新聞を置いた。


「なんだこれ?」


「キョースケのことに触れたコラムよ。リュー・コネルって記者が書いてて、知らないよりはいいかなって」


 この記事を読ませるのに、エレノアは苦慮したようだ。

 日付を見ると、昨日書かれたものらしい。


 エレノアがコラムの内容を要約しながら読み上げた。


「突如現れた新人騎手キョースケ・ハタヤマは奇怪な騎乗で、数少ない騎乗機会をものにし、結果を出した。わずか七日の間に四勝を挙げ、ペガサス競馬の関係者たちからも注目の的となっている。

 だが、彼の騎乗に疑義を唱える者も少なくない。少し前まで競馬場を彩った元騎手のエレノア・スピレッタ調教師は、ハタヤマ騎手がペガサス競馬に旋風を巻き起こすと信じてやまないようだが、果たしてそうだろうか?


 ハタヤマ騎手の騎乗法は、馬上で腰を浮かせながら前傾姿勢をとる、今までにない乗り方だ。これでは騎乗中にバランスをとることが難しく、ペガサスに多大な負担をかける上に、落馬の危険が常に付きまとう。

 今のところは無事だからいいものの、他のペガサスや騎手を巻き込む大きな事故につながりかねない。


 長年ペガサス競馬を取材してきた記者にとっては、正道を無視した若者の蛮勇だと断言できる。知恵を絞り、発展に尽くしてきた先人たちを無視した愚行にすぎない。

 ハタヤマ騎手は、ただ新しい物好きの人々を楽しませるためにパフォーマンスをしているだけで、ペガサスには害しか及ぼさない。


 レースを勝負の場ではなく、ショーだと勘違いしているのだろう。ペガサス競馬に携わる関係者各位は多大な労力と努力を重ねてペガサスをレースに送り出すのだ。ハタヤマ騎手の騎乗はその高邁な志を冒涜する愚挙だと筆者は断言する。


 言い過ぎだと批判する読者の方々もおられるかもしれないが、今ここで警鐘を鳴らしておく必要がある。

 レース中に騎手、それにペガサスが命の危険に晒されてからでは遅い。

 ペガサス競馬の行く末を考えるならば、ハタヤマ騎手の暴挙許すべきではないと断言してペンを置くことにする」


 清々しいほど的外れな批評である。

 批評というよりはただの悪口ともとれる。

 新しいやり方をしたからといってここまで辛辣に書く必要がどこにあるのだろうか。


 恭介はエレノアが読み上げている途中、舌打ちをしたが、今はむしろ変な笑いがこみ上げてくる。


「どうしたの?」


 エレノアの顔に怪訝な色が浮かぶ。


「どっちがパフォーマンスだって話だよ。馬の背中にケツ乗せて走らせるほうが負担だっつうの。ったくどこを見て記事を書いてるんだかな」


「キョースケは新しいやり方で挑んでいるんだもの。反対意見も出て当然よ。それにこの記者、いつもこんな感じのコラムを書くから気にしなくていいわ。わたしもレースに乗っていたとき、さんざん叩かれたわ」


 エレノアは現役時代を思い出したのか目を瞑ってため息を吐く。


「ま、記者や評論家の中には見る目がない奴もいるからな。俺の先輩も言ってたよ。あいつら、説得力のある文章書くスキルはあるけど、内容は見当違いだって。レース前に調子の良いこと言って、思い通りに行かなかったら結果論でものをいうもんさ」


 恭介はひねくれた思いを隠さずに言った。


 日本にいたころにも、程度の低い記者や評論家がたまにいて、彼らはあたかも一般論のように自説を展開していたものだ。

 彼らの意見は見当違いも甚だしく、しかもそれが一部のファンに受け入れられているものだから質が悪いと感じた。

 特に普段から注目を浴びる一流騎手は、常にその目に晒されるプレッシャーとも戦わなければならない宿命にある。


 そう思ったとき、恭介は今になってその立場にいると気づいた。

 一流とはとても言えないが、目ざといファンや記者から注目されている最中である。


「ま、どっちにしろやるしかないか。次の開催、とっとと十勝目を決めて、飛翔競走へ挑戦してやろうじゃねえか」


「その意気よ」


 エレノアはにこやかな表情を恭介に向け、ぎゅっと拳を握った。

 恭介以上にエレノアがやる気のように見えた。

 その姿を見て恭介も笑顔で応じる。


 外から物音が聞こえてきた。

 ありがとう、とロディの声が聞こえると、彼は包装された荷物を持って大仲に入ってきた。


「お、帰っていたか」


「荷物っすか」


 恭介は立ち上がってロディが荷物を運ぶのを手伝う。

 とりあえず、テーブルの上に荷物を置くと、ロディが包装を解き始めた。

 中から黒一色に染まった直方体の箱が現れた。


「やっと直ったのね」


「なんだこれ?」


「ビデオだ。この上に映像が浮かび上がる」


「競馬場のマジックビジョン、あれと原理は同じよ」


「へえ」


 恭介が興味津々に眺めていると、ロディは壁際の台にビデオを置いて、ビデオのあちこちを触り始める。

 動かすには手順があるようで、恭介にはその仕組みが理解できない。


「よし、これで見られるぞ」


 ロディがそう言うと、映像が宙に映し出された。

 マルスク王国の言葉で書かれており、ロディは映像の文字列を次々と押して行く。


「これでレース研究ができるわね」


「じゃあ、この中に収録されているってわけか」


「そうだ。ここ数年分のレース映像がすべて収められてある」 


「へえ。すげえ容量だな」


 魔力を使ったらしきビデオは恭介が思ったよりも高性能のようだ。

 下手したら安価なHDDレコーダーよりも容量が大きそうである。


「なら、俺が乗る馬の過去映像もあるんだな」


「うん。キョースケがいいならこれからレース研究でもしましょう」


「そうだな」


「じゃあ早速始めるか。キョースケ、どのレースを見る?」


 ロディがそう声をかけると、恭介はアーチャーズノートの近五走を見たいとリクエストした。

 ロディはまた文字列をタッチするとロープの前に整列するペガサスたちの映像が流れ始めた。


 少しずつ環境が整っていくのにつれて恭介のモチベーションが上がってきた。


 ――これだけ恵まれたんだから……。


 結果を出さなきゃならないな、と恭介は己を奮い立たせた。

 ビデオのことのみならず、エレノアが各方面に渡りをつけ、恭介のために勝ち負けできる有力馬を揃えてくれたのだから、下手を打つことはできないと思った。


 自信のなさが消えたわけではない。

 だが、最低限の結果を出さなければならない責任感が恭介の弱気な心を覆いつつあった。


 ――できれば、十勝目をあげないとな。


 そう心に決めて、レース研究に臨んだ。


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