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勝利の後味

 観客からアシタスを称える声がなく、故障したドリアードと落ちたデインを気遣う声が場内を占めていた。


「大変なことが起きました。圧倒的一番人気のドリアードが直線走路で落馬、競走中止です。デイン・レギュラス騎手はすぐに立ち上がりましたが、一方のドリアード、起き上がろうとしますが、脚が折れて思うように動きません。やっと立ち上がりましたが、右前脚が地面につかないようです。あ、今医療班が駆けつけようとしています」


 実況アナウンサー、ポリー・サラバンドの声が耳を打つ。


「キョースケ。おめでとう」


 と声を掛けてきたのはガウンである。


「ありがとうございます」


「後味が悪いだろうが、勝ちは勝ちだ」


「そうっすね。けど、ガウンさんもえげつないことをしますね」


「すまんな。前をこじ開けたかったんだが、ああするしか方法がなかった」


「いえ、あれぐらいは許容範囲です。ガウンさんの戦法を見抜けなかった俺が悪いだけっすよ」


「ずいぶん、おおらかだな」


「レースってのはそういうもんでしょ」


 そう言ってガウンに一礼すると、アシタスを検量室前へ誘導した。

 ペガサス競馬にも後検量がある。

 そこで負担重量と大きな誤差がない限り、アシタスの勝利が確定する。


 埒の外れたところから短い馬道に入り、突き当りのところに検量室があった。

 恭介はその近くに行ったところで、アシタスから下馬した。

 すると、ロディが出迎えてくれた。


「よくやった」


 ロディは笑顔を見せると、アシタスの首筋をポンポンと叩いて犒った。


「アシタスのおかげっすよ。タフなレースでも気にしてないみたいですし」


「いや、お前も良かった。スタート前に足を引っかけられそうになったのを上手くかわしただろ」


 ロディは場内のマジックビジョンでその様子を見ていたらしい。


「あの野郎、落とす気満々でしたよ」


「レオポルドは以前からラフプレイが多かったが、今回はやり過ぎたな。何らかの処分が下るさ」


「ジュスタンさんの指示なんすかね」


 レース前にガウンが言っていたことを思い出して訊いた。

 七番と十四番が何かを企んでいるらしかったが、実際に罠を仕掛けたのは七番で、十四番は道中、どこにいるかわからなかった。

 おそらく早々に脱落したのだろう。


「たぶんな。それよりもキョースケ、早いところ検量に行ってこい。戻ってくるとき、ゼッケンを忘れずにな」


 そう言われて、恭介はアシタスから鞍を外した。

 ただでさえ、サラブレッドよりも重い斤量を課せられている上に、アシタスの汗を含んでいるので、いつもよりも重さを感じる。

 入口前に詰めている記者数人が恭介に興味ありげな視線を送ってくるのを一瞥したあと、検量室に入り、体重計に乗った。

 この体重計は数字を示すものがなく、天秤で重量の多寡を判断する。どちらかに針が大きく振れてしまうと失格になってしまう。

 針は奇跡的にぴったりと真中に合わさった。


「五番、ハタヤマ騎手、問題なし。確定」


 職員が高らかに告げた。


 そのとき、検量室から拍手が沸いた。

 検量室に控えていた騎手たちが初騎乗初勝利の恭介を祝ってくれている。

 中には両手を突き上げて大げさな笑顔を見せる騎手もいた。


 彼らは敵であると同時に、仲間でもあるのだ。

 勝利に酔う一方で、負けた騎手は悔しさを露わにするものの、互いにベストを尽くせば遺恨は存在しない。

 その不思議な仲間関係は世界が違っても同じようだった。


「ありがとうございます」


 と、恭介はみんなに向かって一礼をした。


 おめでとう、という声に後押しされるかのように恭介は検量室の外へ出た。

 すると待ち構えていた記者たちが恭介に寄ってきた。


「ハタヤマ騎手、ひと言お願いします。あの乗り方はなんでしょうか?」


 と女性記者が声を掛けてきた。


「すみません。撮影があるので、あとにしてください」


 と記者をかき分けてやってきたのはロディだった。


 記者たちが次々と質問を投げかけてくるなか、恭介とロディは検量室のエリアを抜け、ゴール板近くにあるウィナーズサークルらしきところへ出た。


「この世界にもあるんだな」


 妙な共通項を不思議に思う。

 どの世界の競馬でも勝者を称える文化が当たり前のように存在するらしかった。


 いつの間にか連れてこられたアシタスが恭介を物欲しそうに見つめている。

 レースが終わって疲れているはずなのに嫌な素振りを一切見せなかった。


「あれ?」


 とここで恭介はエレノアがいないことに気づいた。


「エレノアは?」


「お嬢さまは、いま治療中だ」


「え? 怪我でもしたんすか?」


「違う」


 と言ってロディは笑みを浮かべる。


「お嬢さまは魔法が使えるからな」


 ほら見ろ、とロディはマジックビジョンを指さした。

 ドリアードは右前脚を地面につけずに跳ねていて、重い怪我を負ったようだった。


 「ヤバいな……」


 恭介は身体中から血の気が引いた。

 

 あの状態では治る見込みがない。

 ドリアードは重度の骨折をしたに違いなく、最悪の事態に陥ってしまったようだ。


 そこへ、エレノアが身を屈めて、故障した箇所に直接触れていた。


「エレノア・スピレッタ調教師が現在ドリアードの治療に当たっています。ちょっと前まではペガサスレーシングクラブに花を添える才媛の騎手として名を馳せていましたが――あっ、ドリアードの右前脚が地面につきました。どうやらスピレッタ調教師の治療の甲斐もあって一命をとりとめたようです」


 場内から拍手が起こった。


 エレノアはそれに構うことなく医療班らしき職員に一声かけてから馬場の中を駆け足で去って行く。


「すげえな」


 恭介は驚いた。


 あれだけの怪我をしてしまえば、恭介のいた世界の競馬では予後不良なのは間違いないはずだった。


「お嬢さまの回復魔法は効き目がいいからな」

「へえ」


 としか声が出てこない。

 安堵の気持ちと現実感のない治療を目の当たりにしたせいで、呆けてしまったようだった。


「ん?」


 不意に恭介はこの世界に来た日のことを思いだした。


「ロディさん、たしか俺の治療もエレノアがやってくれたって聞きましたけど。俺の怪我ってひどかったんですか」

「いや、お嬢さまの回復魔法は人間にはあまり効き目がないんだ」

「どういう仕組み?」

「知らん。魔法は専門的だからな。一般人の俺ではよくわからん」


 ロディの口ぶりだと、この世界の住人全員が魔法の仕組みを理解しているわけではないらしい。 

 

 やがてエレノアがウィナーズサークルにやってきた。

 恭介に気づくと、エレノアは感極まったように瞳を潤ませた。


「キョースケ―!」


 人目をはばからず、エレノアは恭介に抱きついた。

 勢いがあまって身体をぶつけるような格好となり、恭介は倒されそうになった。

 彼女の胸が身体に当たり、恭介は思わず喉に力が入った。


「ありがとう」


 エレノアが両手を恭介の身体に回して、顔を見つめてくる。

 嬉しさのあまり顔が上気して頬が赤らんで見えた。

 喜びに満ちあふれた感情をさらけ出すエレノアを直視して、恭介の顔が熱くなる。

 ただでさえ容姿の優れたエレノアに抱きつかれると、照れ臭い嬉しさが身体を浸してくる。


「おお!」


 と柵越しの観客たちがどよめく。

 傍から見ると、恋人に想いを寄せる女性の姿に見えたのかもしれない。


「そういうことか。そういうことなのか」


 なにを勘違いしたのか、中年男性らしき声が悔しげな声をあげる。


「エ、エレノア、ちょっと離れてくれ。周りの目線もあるしさ」


 もうすこしこのままでいたいと思いながらそう言った。


 エレノアも自分のしたことに気づいたのか、一瞬目を見張ると素早く恭介から離れた。


「ご、ごめん」


 エレノアは肩をすくめて苦笑いを浮かべる。


「で、ドリアードは大丈夫なのか?」


 気持ちを落ち着かせたくて、話題を違う方向へ振った。


「ええ、なんとかなったわ。でも……」


 エレノアは心持ち俯いた。

 誰の馬であろうとも敬意を払い、大切に扱いたいという気持ちが滲んでいるようだった。


「復帰まで時間がかかりそうね。半年ぐらいはかかるかも」


「魔法って聞いたけど、完全に治せるわけじゃないんだな」


「ええ。あとはあの子とスタッフ次第ね」


「お嬢さま」


 とロディが引き綱をもってエレノアに差し出した。


「どうぞ。新生スピレッタ調教場の輝かしい第一歩です」


 そういったロディの目が潤んでいるように見えた。

 

 恭介やエレノア、それにアシタス以上に今日の勝利を噛みしめているようだ。


 ――そういえば……。


 ロディたち、スピレッタ調教場で働くスタッフにとってエレノアはどういう存在なのだろうか。

 前に聞いた話だと、彼らは代々キプロン伯爵家に仕える血筋らしいのだが、貴族の下で働く人々はみなこんな感じなのだろうか。

 エレノアのペガサス競馬に対する情熱に感化されたのかもしれないが、二十代そこそこの調教師の下で嫌な顔一つせず働くには不満があってもおかしくない。


 順調に行っているときはそれでいいかもしれない。

 しかしスピレッタ調教場、及びキプロン伯爵は今苦しい状況にある。

 見切りをつけて他に移ってもおかしくないのに、あえて傾いたスピレッタ調教場にとどまり、エレノアを盛り立てようと懸命に働いている様子が窺える。


 現に、ロディはエレノアのためを思って、『転移の緋剣』を使い恭介をこの世界へと連れてきた。

 ロディにしてみれば異世界の日本で騎手と接触し、ここへ連れてくるのは相当のリスクがあったはずだ。もしかしたら、転移先の日本で野垂れ死にする可能性もある。並大抵の覚悟でできることではなかった。

 とはいえ、ここは異世界のマルスク王国、それに貴族の慣習がわからない恭介には理解できないことがたくさんあるに違いなく、今までの常識が通用しなくても不思議ではない。そう思い、口を出すのを止めた。


 代わりに今は勝利の実感を味わおう。

 ペガサス競馬でも初騎乗初勝利はそれなりの快挙のはずだ。

 日本の中央競馬では、初勝利を収めるのに三ヶ月かかった。

 長いトンネルを抜けて掴んだ勝鞍には一生ものの感激が根ざしている。

 それとは別に違う世界の競馬も格別なものだと感じた。

 勝者を称える観客たちの眼差しや拍手、声援の温かみが沁みてくる。


 ゼッケンをつけた鞍を手に持って写真撮影に入る。

 照れ笑いが心の内からこぼれてくる。

 いつでもどこでもこの瞬間はいいものだと思う。


 撮影が終わると、エレノアがゼッケンを渡すように言った。


「ほら、みんながあなたのサインを求めているわ」


 とエレノアは恭介に目を遣って観客を見遣る。

 何人もの観客たちが、紙とペンを持って恭介にサインをねだっていた。


「ここにもそんな文化があるんだな」


「ええ。みんなあなたの勝利を祝っているのよ。どこでも同じなのよ、きっと」


「かもな。でも、今日はアシタスじゃなかったら勝てなかったよ」


「ふふ、帰ったら反省会しましょう」


 エレノアはいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「はいはい」


 恭介は苦笑いをして、観客たちのリクエストに応えようとした。


「兄ちゃん、あんたすげえな。あんな乗り方で勝っちゃうんだもんな」


 顔の角張った肉付きの良い中年男性が感心した口調で称えてくれた。

 彼の手に持った色紙とペンを預かり、恭介は書き慣れていないサインを書く。


「試行錯誤した結果です。今後もよろしくお願いします」


 と、恭介は中年男性に言ったつもりだが、周りから拍手が沸き起こる。

 集まったみんなに向けたメッセージだと感じたらしかった。


 求められたサインを書き終えて、観客たちに手を振って声援に応えた。

 また頑張れよという声に、ありがとうございますと返してから、彼らの背を向けた。

 写真撮影を終えて、そろそろ引きあげる頃合いになった。


「次は記者さんたちのインタビューよ」


 エレノアは引き綱をロディに渡す。

 ロディは万事心得た感じでアシタスを引き上げて行った。

 恭介とエレノアは控室に足を運びながら話す。


「ああ、そういうのもあるんだな」


「わたしも付き添うから」


「なんで?」


 と訊くと、エレノアが顔を寄せて小声で話し始める。


「ニホンから来たって話せないでしょ。言ったところで面白くないトークだって叩かれるわよ」


「ああ、そうだったなぁ。剣で刺されてこの世界に来ましたって言っても信じないだろうし、ネジのはずれたヤバい奴だって思われるのがオチだな」


「わたしがうまく誤魔化すからそのつもりでね」


 しかし、インタビューの時間はなかった。


 記者たちは格好の餌食を見つけたからである。


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