ペガサス競馬 平地競走デビュー戦 4
全出走馬がスタート地点に集まると、スターターがロープを渡し始めた。
それを合図にペガサスたちはロープの前に整列し始める。
開催初日で馬場が荒れていないということもあって、ほとんどのペガサスが内側にポジションを取ろうとした。
決められた枠に収まるスターティングゲートとは違い、バリヤー式発馬機を使用するペガサス競馬ではスタート前から駆け引きが始まる。
ペガサスの個性や馬場状態を考慮して、理想のポジションからスタートを切ろうと躍起になる。
だがそれに気を取られると、気づかぬ間にスタートが切られ、大きく出遅れてしまう恐れがある。
恭介はあまり内側にこだわることなく、真中ぐらいに並ぼうとした。
スタート前のポジション取りにこだわり過ぎると、アシタスにいらないストレスを与えかねないと考えた。
現に、内側のポジションを取ろうとするあまり、騎手の脚が触れるほど馬体を寄せている者が多かった。
恭介とアシタスはだいたい真中あたりのポジションを取れた。
幸いにも内や外から寄せてくるペガサスもおらず、間隔に余裕のある状況からのスタートになりそうだった。
首を回してドリアードの位置を確認する。
内から三頭目あたりに紫色の勝負服が見えた。
それがドリアードの鞍上デインが纏う勝負服だと見定める。
そろそろスタートが切られそうだと、ロープに注意を向ける。
すると右後ろから強引に割って入ってくるペガサスがいた。
他の騎手から怒号が飛んでも一向にかまうことなく、恭介のすぐ外側につけてきた。
――なんだ?
と思ったとき、恭介は割って入ってきた騎手の顔を見て、息がつまった。
七番の騎手レオポルドが恭介をマークする構えを見せているに違いなかった。
――ここまで強引にやるか。
恭介は自分の予測が甘かったのを認めるしかなかった。
おそらくジュスタンから、なにがなんでもアシタスの隣を位置取れと命じられたに違いない。
他の馬に迷惑をかけてまで恭介をマークするとは想像もつかなかった。
不安が胸の内に過るも、恭介はスタートに備える。
そのとき、レオポルドが恭介の前に出た。
横一列にきれいに整列しているわけではないので、少しでも前に出たい考えかもしれない。
――ロープが当たるぞ。
七番のペガサスはロープが掠めるギリギリのところまで前に出ている。
恭介としてはこれ以上前に出ると、跳ね上がったロープがアシタスの鼻先に当たる恐れがあるので、おいそれと前に出すことはできない。
恭介はアシタスをそのままの位置からスタートを切らせることにした。
スタート台に目を向けると、スターターが首を下げて手元をのぞき込んでいる。
いよいよスタートが切られるようだ。
恭介は前に顔を戻し、ロープの動きに注意を払う。
すると、ロープが上方に跳ね上がった。
「は!」
恭介はスタートを切った。
そのとき、右のつま先に何かが引っ掛かるのを感じた。
そこへ目を向けると、レオポルドが上体を大きく曲げているのが目に入った。
彼の左手が恭介のつま先に触れていたのだ。
「てめえ!」
純粋な怒りと恐怖を感じた。
レオポルドは明らかな悪意を持って恭介を落馬させようとしている。
ジュスタンの指示に違いなかった。
もしこれがバレたら、失格になるはずだ。
レオポルドは恭介をレースから脱落させる捨て駒なのだ。
その意図を感じ取り、恭介は鐙から落ちないようにして、右足を引いた。
レオポルドの指先がつま先と鐙を滑り、後方へ流れてゆく。
恭介はなんとか騎乗フォームを崩さず、アシタスを先行させることができた。
内側には八番の馬、外から十番の馬がスタートダッシュを決めて先頭争いをする。
恭介とアシタスはその一馬身後方につけ、左には偶然なのかガウンが乗るエアロファングがいた。
恭介は自分の右足の感触を確かめる。
つま先はしっかり鐙に乗っており、重心がブレている感覚はない。
アシタスも淀みない走法で首を低く動かしてレースを進めている。
これなら問題ないとレースに意識を向けた。
頭の中に叩き込んだコースを思い浮かべながら緩やかなカーブを走る。
ホームストレッチに入るまで、このカーブがずっと続く。
恭介が今までに体験したことのない特殊なコースである。
グレイラム競馬場の平地コースは高低差が激しい。
スタートしていきなり上り坂になっており、残り一二〇〇メートル地点に差し掛かるあたりで頂上に至る。
そしてそこからホームストレッチに入るまで緩やかな下り坂となる。
うっかりしてしまうとスピードが出てしまう。
ホームストレッチに進入するときに外に膨れてしまい、ロスが生じる危険性がありそうだった。
コーナーを曲がりきると平坦なコースに戻るが、残り五〇〇メートルあたりから傾斜のきつい坂を上るため、かなりスタミナの消耗する、難解なコースである。
それらのことを念頭に恭介はアシタスを気分良く走らせるように心掛ける。
ところが、普段は従順なアシタスもレースになると熱くなるのか、ペースを無視して少しでも前へ行こうとする。
いわゆる「かかった」状態になっているのだ。
恭介は手綱を柔らく持った。
恭介の場合、力で抑える方法では上手くいかないことが多いので、手綱を柔らく持つように意識をして、銜が馬の口に強く当たらないように気をつける。
そうすることによって馬の気持ちを推し量りつつ宥められる、と教わったことがある。
その指示を酌んでくれたのか、アシタスは気分を損ねずにペースを落としてくれた。
息が入るようになり、スタミナを温存できるようになった。
コーナーを曲がりながら坂を駆け上って行く。
そして恭介は首を大きく下に曲げて、股の下から後方の様子を探った。
逆さまになった視界の中に映る馬群には、動きは見られない。
ドリアードの位置を探ろうとしたが、その姿は見えない。
おそらく後方の内側に控えているのだろうと思った。
頭を上げて前方に視線を戻す。
下り坂に差し掛かった。長い直線を意識してか、ここでもレースが動く様子はない。
コースの形状とペガサスのスピードを考えても、スローペースとみて良さそうだ。
恭介とアシタスは現在四番手。
先頭とは一馬身ぐらいの位置につけている。
手応えはに充分あった。
このまま直線に入って、仕掛けるタイミングを間違わなければ勝つチャンスがある。
そう思ったとき、右後方から地を叩くような響きを感じた。
恭介はその方向を振り向くと、デインを乗せたドリアードが一気にポジションを上げてきた。
ドリアードをマークするかのように他の馬たちも殺到してくる。
一瞬恭介も動きかけたが、エレノアの指示が頭の中に蘇る。
――直線半ばあたりから追い出して。
その声を無視しようとしたが、ペガサスの特性を掴み切れていない以上、勝手に動いてはまずいと思い直した。
それに下り坂でスピードを上げても、最終コーナーで膨れるばかりか、ゴールまでスタミナが持たないかもしれない。
恭介は手綱を持ったままゆったりとコーナーを曲がる。
「へえ、やるじゃないか」
蹄が地を蹴る音に混じって、左からガウンの声がした。
恭介はちらと見遣ると、ガウンも動く気配を見せなかった。
「直線勝負で充分。慌てる必要なんてないっすよ」
「たしかにな。デインの奴、勝負を焦ってしまったな。けど、ドリアードなら押し切るかもしれんな」
ガウンの口調には余裕が感じられた。
エアロファングの手応えも良さそうだ。
「それに、俺だってこのままやられるわけにはいかない」
不意にガウンの声が鋭くなり、顔が険しくなる。
――何か仕掛ける気か?
恭介はガウンの位置を確認した。
先頭に並んでいる二頭と外に被さっている恭介とアシタスのせいで、進路がない状態だった。
おまけに外から馬群が押し寄せてくる。
他の騎手たちもスローペースだと読んだらしい。
このままだと、ガウンは馬群に包まれてレースを終えるだろう。
なんらかの打開策に打って出るに違いない。
そのとき、ガウンが追い出した。
まだ坂を下りきっていない上に、残り八〇〇メートルを切り、もう少しでホームストレッチに進入するところである。
すると、ガウンは外に膨らんできてアシタスと馬体を併せに来た。
「落ちても知らんぞ!」
ガウンの鋭い声が耳を突いた。
彼の作戦が読めた。
エアロファングをアシタスに寄せ、外へ弾き飛ばす気でいる。
思った通り、エアロファングはアシタスを外へと徐々に押しやる。
後方からなだれ込んできた外側の馬にも接触しかねない。
それにもかまわず鞍上のガウンは遠心力を利用して外へと寄せてきた。
最終コーナーを曲がりきる直前、アシタスとエアロファングの馬体が接触し、さらに外へと膨れた。
その外側を走っているペガサスにも接触しかけた。
「なにしやがる!」
外の騎手の怒号が聞こえて来る。
直線に入ったとき、アシタスのスピードが一瞬落ちた。
その隙を突いてエアロファングが進出を開始する。
すでに、ドリアードは大外から先頭に躍り出ていて、エアロファングが追いかける形となった。
しかし、恭介は冷静だった。
これぐらいのことはレースでは日常茶飯事である。
他の馬と接触したぐらいで動揺するようでは騎手なんて務まらない。
このくらいで落馬するようではモンキー乗りなどできようはずがないのだ。
「よし。行くぞ、アシタス!」
手応えは充分だった。
手綱を持ったまま、数頭のペガサスを抜き去る。
前にはエアロファングとドリアードのみとなった。
坂の手前で恭介は追い出しに入った。
アシタスのたてがみを手綱ごと強く握り、首の動きに合わせて両腕を動かす。
アシタスのスピードを上げて行くにつれて、腰を落とし、本格的に手綱をしごいた。
エアロファングをあっという間に抜き去る。
さらに二馬身ほど前を走る、先頭のドリアードの姿を捉えた。
鞍上のデインは右鞭を何発も打ち、全身を動かしている。
天神乗りのせいか、ドリアードが走りにくそうに見えた。
恭介とアシタスはあっという間にドリアードにとりついた。
内側を一瞥すると誰もいない。
この勢いならアシタスが突き抜ける。
そう思うと同時に、恭介には悪い予感が頭を過った。
「やめろ! 故障するぞ!」
ドリアードを抜き去るとき、恭介はデインに向かって叫んだ。
ドリアードはスタミナを消耗しているせいで脚が上がり、苦しそうに頭をあげていた。
それに加え、デインの全身が暴れるように動いているようではペガサスが走りにくくなり、走法を乱してしまう。
ましてやドリアードはレース前から疲れが溜まっていて、最悪の事態を起こしかねない状態だった。
恭介とアシタスはドリアードを抜き去った。
アシタスを勝たせるのが先決である。
観客の嘆きが渦となって耳に届く。
圧倒的一番人気のドリアードがあっさり抜かれて馬券が外れた観客が大勢いるのだ。
後続の蹄音が聞こえないと感じ、ちらと後ろを振り向いた。
馬群がはるか後方に見え、勝利を確信した。
アシタスに必要以上の負担をかけないため、恭介は前を向き、追うのをやめて腰を浮かした。
最後は馬なりでゴール板を駆け抜けた。
アシタスの圧勝である。
すると、けたたましい悲鳴が轟いた。
観客たちが何かに慄いたらしい。
後ろを振り向くと、最悪の光景が目に映った。
馬場の真中で横になっているドリアードとデインの姿があった。




