ペガサス競馬 平地競走デビュー戦 2
レースに乗せてくれる調教師や厩務員たちとの挨拶を終え、恭介は他の騎手たちと一緒に控室のモニターで第一レースを見ていた。
調教師兼付添人のエレノアはアシタスの状態を確認するため、装鞍所にいる。
挨拶回りをした際、今日騎乗するペガサスについて打ち合わせをした。
なにしろ調教にすら跨ったことのないペガサスに乗るのだから、癖や実力をある程度確認しておく必要があった。
だが、調教師たちの反応は今一つだった。
というのも、資料で確認した通り、恭介の乗るペガサスたちはどれも近走の成績が振るわず、様々な工夫を凝らしても効果が出ないという状況だった。
そんな中、エレノアから恭介が今までにない乗り方をするという説明を受けて、藁にも縋る思いを抱えてダメもとで恭介に依頼をしてきたという。
それでもわずかに勝ち目のありそうな馬がいたので、恭介は一応作戦を聞き、レースではその通りに乗ることに決めた。
どうせなら勝つ見込みあるペガサスに乗りたい、と思ったが、それは贅沢というものである。
日本にいたころも、一つでも上の着順を目指すことが目標の、人気のない馬に乗るのが日常茶飯事であった。
環境が変わったからといって、いきなり力のある馬に乗せてくれるほど甘くはないのは当たり前の話である。
第一レースを見終えると恭介はアシタスに騎乗する第三レースの準備に取り掛かった。
レース前の検量を済ませ、控室で第二レースのペガサスたちが本馬場入場を行っているのをモニターで見物していたとき、エレノアが控室にやってきた。
「キョースケ、そろそろ準備して。パドックに行くから」
「了解」
恭介は他の騎手に軽く挨拶をしてから、更衣室に入った。
あらかじめ受け取ったキプロン伯爵の勝負服に身を包む。
黒地に白い星がちりばめられ、両袖には腕に沿って白い線が二本描かれている勝負服である。
ヘルメットの布地も馬主によるデザインのもので、黒地に三本の白線がある。
後で聞いたところ、キプロン伯爵が夜空に輝く星々をイメージしてデザインしたものだという。
鞭を持ち、準備が整うと、控室に戻った。
恭介の姿を見た他の騎手たちからどよめきが起きる。
「キプロン伯爵の勝負服だ」
「栄光のホワイトスターだな」
「久々に見たわよ」
「落ちぶれたとはいえ、新人がこの勝負服を着るとはなぁ」
「でも、うらやましいわ」
彼らの口ぶりだと、キプロン伯爵は本当にペガサス競馬の大オーナーだったらしい。
未勝利戦とはいえ、名誉のある勝負服に身を包んだのだと思い、身体が強張る。
「じゃあ、行きましょう。そろそろアシタスがパドックに入るわ」
エレノアは騎手たちに特段の反応を示すことなく、恭介に付き添って、控室を出て行く。
周りの反応に戸惑った恭介は言われるまま、控室の出口に直結したパドックへと向かった。
◇
パドックに着くと、すでに第三レースの出走馬たちが周回をしていた。
観客たちの後ろには魔力のモニターがあり、出馬表が映し出されている。
右には小数点第一位までの数字が表記されている。
ペガサスレーシングクラブでもトータリゼーターを使ったオッズ計算をしているようだった。
アシタスは現在四番人気でドリアードは圧倒的一番人気である。
アシタスはロディに引かれながらパドックの外側を悠然と歩いている。
観客たちの視線や話し声に気を取られることがない。
非常に落ち着いていて、なすべきことを完全に理解しているようだ。
恭介とエレノアは他の騎手や調教師たちとパドックの様子を眺めていた。
少し離れたところにジュスタンもいて、デインや他の騎手たちと小声でなにかを話していた。
このレース、ジュスタンはドリアードだけでなく、他にも二頭出走させている。
ジュスタンの勝負服は紫色で肩から袖口にかけて赤いラインが入っている。
「エレノアの親父さんってすごいんだな」
パドックを周回するペガサスと厩務員たちを見ながら言った。
「ええ、少し前まではね」
「光栄だよ、そんな大馬主の勝負服を着るなんてさ」
本心からの言葉だった。
見習騎手だった恭介は、G1をいくつも勝つクラブ馬や大馬主の勝負服を着る機会はほとんどなかった。違う世界とはいえ、有名な馬主の所有馬に乗れるのは新人としては身に余る栄誉である。
「でも、今はもう競馬場にいらっしゃらなくなったわ。もう昔みたいに勝てないって思っているの。だからジュスタンさまとの結婚を承諾したに違いないわ」
エレノアがジュスタンを「さま」付けで言ったのは、彼が近くにいるせいらしかった。
「そうはさせないさ」
不意に口に出た言葉だった。
自分でも驚いて一瞬はっとなり、思わずエレノアを見つめた。
「そうね。アシタスの状態は万全よ。必ず勝ってくれるわ」
エレノアの顔には微笑が浮かび、自信があふれ出るようだった。
「あ、ああ。俺もエレノアたちがやってきたことを信じて乗ってくるから」
心持ち戸惑いながらも、恭介は言い切った。
「作戦は大丈夫?」
「道中は三、四番手につけるんだったな」
「それと、追い出しはなるべく我慢して。直線半ばあたりから仕掛けるのよ」
「わかってるさ」
「あと、もう一つ気をつけなきゃいけないことがあるの」
「ん?」
「ジュスタンさま、なにをしてくるかわからないわ」
「なにする気なんだ?」
恭介がそう訊くと、エレノアは耳を貸すよう手招きをする。
顔を寄せると、エレノアが小声で話し始めた。
「レース中の妨害よ。あの人、このレースに異常に執着しているから、どんな手を使ってくるかわかったものじゃないわ」
「んなバカな。そんなことしたら、裁決に大目玉食らうだろ」
「でも、一応気をつけてね。あ、あとこっちじゃ裁決じゃなく査問ね」
と軽く訂正を入れて、エレノアは恭介から顔を離した。
大げさだとは思ったが、考えてみればエレノアとジュスタン、この二人にとって人生を賭けているレースなのだ。
改めて思えば、無茶苦茶で馬鹿々々しく、異常なレースなのだが、当事者にとっては大真面目なのである。
――人生を賭けるにしても……。
未勝利戦でやることか、と思う。
むろんどんなレースでも人の将来を賭けるのは異常であるが、大幅に譲歩したとしても、G1のような大レースですることのような気がする。
少し考え事をしていると、ライバル馬、ドリアードの姿が目に入った。
一番のゼッケンをつけている。首を下げたまま周回をしているあたり、どこか元気がなさそうに見えた。
引き綱を引く厩務員が、ドリアードの顔の真横に沿って歩いているあたり、気力があるように見えない。
やはりオーバーワークだったのだろう。
見た目で馬の状態を判断できない恭介でもドリアードが不調だとわかる。
「みんな、ドリアードに注目してるな」
パドックを囲む観客たちの視線がドリアードに集まっている気がした。
近くにいる調教師や騎手たちもドリアードが気になっていて、自分たちのペガサスと比較しては嘆いたり負け惜しみを言ったりしている。
「圧倒的一番人気だから当然ね。ジュスタンさま、記者さんたちに自慢していたでしょ。どの新聞にもドリアードは世代屈指のペガサスって書かれていたわ。多分ファンの人たちも真に受けてしまったのね」
「そういや俺のことも悪く書かれていたな」
昨日発行されたペガサス競馬を扱っている新聞に、キョースケ・ハタヤマ騎手は曲芸じみた乗り方をする狂った騎手だと書かれていた。
タドカスター調教場でのやり取りで記者たちの心証を悪くしてしまったので、仕方ないとはいえ、記者たちの文章は遠慮のないものだった。
日本のスポーツ紙や競馬新聞なら、関係者を悪く書かないものだと思っていた恭介にとって、早くもマルスク王国のマスコミの洗礼を味わった格好となった。
そのせいでアシタスの人気がいまいちなのかもしれない。
「気にしなくていいわ。人気と実力は比例しないでしょ」
「だな。アシタスの状態は万全だし、勝ち目は充分にある」
「それにドリアードが少し変ね」
「エレノアも、ドリアードの状態は良くないって感じるのか?」
「うん。とんでもない素質馬だったら勝たれてもおかしくないけれど、あの状態だと八割の力さえ出せないわ」
「今回に関して言えば、アシタスの方が有利か」
「あとは、レースに行ってみないとわからないわ」
と、ここで周りの動きが慌ただしくなった。
ペガサスレーシングクラブの職員がパドックの真中へ行くと、ペガサスたちが周回をやめて立ち止まった。
騎手たちがそれぞれの騎乗馬に駆け足で近づいていく。
「号令はなしか」
日本の競馬では「とまーれー」という号令が発せられ、それを合図に騎手たちが馬に跨る。
ペガサス競馬の習慣にちょっと戸惑う恭介であった。
恭介とエレノアはアシタスの下へ駆けつける。
ロディの補助でアシタスに跨り、鐙につま先を乗せる。
「いけそうですね」
と、ロディにアシタスの状態を告げると、
「ああ、おとなしく見えるが、気合も乗っている。万全の状態だ」
ロディは満足げに言う。
もう一周パドックを周回してから、連絡通路に入る。
パドックと馬場との距離が短く、あっという間に本馬場入場が始まり、場内実況の熱の入った声が耳を打つ。
以前フレイモア競馬場で観戦したときと同じ、ポリー・サラバンドという女性アナウンサーのようだ。
《グレイラム競馬第三レース、二歳未勝利戦。出走各馬の紹介です。一番、ドリアード、鞍上デイン・レギュラス、二歳の牝馬、負担重量五六キロ――》
途中から実況の声が気にならなくなった。恭介の意識はレースに向けて集中している。
アシタスに返し馬をさせているとき、恭介は不意に日本でデビューしたときのことを思い出した。




