グレイラム競馬場への道中
今回は短めです。
レース当日の早朝、手配した馬運車がスピレッタ調教場にやってきた。
色褪せた白の車両で、左後ろのタイヤの上に判読できない文字が書かれている。
エレノアが言うには、「フォレストマン」と書かれていて、過去の名馬の馬名だという。
馬運車に名馬の馬名が書かれているあたり、日本の馬運車と同じである。
それにしてもこの馬運車は妙に小さかった。
日本の馬運車の外観は観光バスに似ており、最大六頭乗ることができる。
側面にも扉があり、採光用の小さな窓をこしらえているのが一般的である。
エレノアが手配したのは、せいぜいマイクロバスを少し大きくした程度のサイズで、二頭しか乗れず、付添人が行き来できるスペースがあるだけである。
「大丈夫なのか? この馬運車」
恭介は隣にいるエレノアに疑問をぶつけた。
「今日はアシタス一頭だけだからね。競馬場まで三時間もかからないからこれで充分よ。それに、中は意外と快適なのよ」
この口ぶりからすると、ペガサス競馬の馬運車は他にもいろんな種類があるらしかった。
ロディに引かれたアシタスが厩舎からやってくる。
早朝の光を浴びるアシタスの毛ヅヤがいっそう輝かしく見え、堂々とした歩様でこちらに向かってくる。
この日まで順調に調教を重ね、引き運動を取り入れた結果、まずまずの出来に仕上がったと恭介は感じている。
アシタスはいつも通り平然と構えていて、馬運車の中へ引かれてゆく。
今日がデビュー戦なのに、自分のなすべきことがわかっているようだ。
「では、お嬢さま、キョースケ。またあとで」
ロディはそのままアシタスの傍に付き添う。
アシタスはいなないたり、耳を絞ったりする素振りがなく、今のところ暴れる心配はなさそうだ。
スロープが畳まれ、扉が閉まる。
この作業は運転手による人力で、機械で動くものではないらしい。
「じゃあ、わたしたちも行きましょう」
◇
グレイラム競馬場はスピレッタ調教場の南西にある。
その手前の町、ヴィルモランタウンはそれなりに栄えているようだ。
恭介はこの世界に来て初めて見る町の風景を車窓から眺めていた。
石造りの町並みという以外は、文明のレベルが現代の地球と変わらない気がした。
強いて言うならば、ちょっと昔の利器を使用している観がある。
町の歩道にいる人々を見ると、スマートフォンはおろか携帯電話を手にしておらず、
公衆電話ボックスらしき箱に誰かが入っていて、その前に二人並んでいた。
夥しい数の車が車道に渋滞を作っており、エレノアの運転する車はゆっくり町中の車道を走っている。
一風変わっているのは、車道の左側が馬専用の車線になっていることである。
「あれもペガサスなのか?」
車窓から二頭引きの馬車を見かけた。
灰色の芦毛の馬と、黒光りする青鹿毛の馬が御者の指示に従って黙々と車両を引いている。
乗合馬車らしく屋根のない木製の車両には十人前後の乗客が乗っていて、目的地まで思い思いの時間を過ごしているようだ。
「そうよ。デビューできなかったり、引退したペガサスって色々な仕事に就くのよ。もちろん現役時代の成績が良かったら繁殖に上がるけど、これはほんの一握りね」
「へえ、じゃあ馬車を引くだけじゃないんだな」
「うん、郵便配達とかに使われるわよ」
「大変だな。馬が過労死しなきゃいいけどな」
恭介がそう言ったのは、何十年も前に皐月賞を勝った名馬の末路を思い出したからである。
その馬は引退後種牡馬になったが、成績が振るわず用途変更になり、馬車を引いたり、ショーに駆り出されたりして酷使された挙句、衰弱死したというエピソードを聞いたことがあった。
「その点は心配ないわ。この国じゃペガサスの使役と保護に関する法律があるし、馬主さんはペガサスの引退後も見届ける義務があるのよ。働かせるのはいいけど、ちゃんと天寿を全うさせる義務が馬主さんにはあるの」
「いい法律だな。けど馬主の負担も結構あるんじゃないか。金が続かない人だっているだろうし」
「馬主さんが手放したペガサスを保護する制度もあるけど、そこはかなり複雑なのよ」
「ふーん。ま、騎手には関係ないか」
聞いたところで騎手である恭介がどうこうできる話ではなかった。
「あ、ほら。空を見て」
「空?」
恭介は上体を曲げてフロントガラスから空を見上げた。
建物で狭まった空に一点の影が舞っているように見えた。
目を凝らして見ると、人を乗せたペガサスが少しずつ高度を下げている様子が見えた。
騎手は鞄を肩にかけてヘルメットをかぶっている。
「郵便配達?」
「そう。近場なら車を使うより早く配達できるわ」
「だろうな。こうやって空を飛んでいるんだし」
「あのヘルメットや制服も衝撃緩衝の魔法が仕掛けられているから落ちても心配ないのよ」
「けど、命がけだなぁ。事故が全くないわけじゃないんだろ?」
「その分、手当は結構つくわよ」
思ったよりもペガサスという生き物がこの世界に住む人々の生活に根付いているようだ。
歩道をよく見ると、ペガサスを停めるための駅があるのに気づいた。
そこには何頭かのペガサスが繋げられていて、厩務員らしき人が馬糞を始末し、ペガサスに水をやっていた。丁寧に管理されているようだ。
マルスク王国は、人々とペガサスがうまく共存している文明のように感じた。




