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デビューへの打ち合わせ

 作業が終わり、恭介はエレノアとレース本番に向けて打ち合わせをしていた。

 

 アシタスのデビューは四日後のグレイラム競馬場開催初日の第三レースである。


 ペガサスレーシングクラブが催す競馬は同じ競馬場で連日開催されるのが通例であるという。

 今度のグレイラム開催でも連続七日間の日程が組まれており、一日に九レース行われ、メインレースが第八レースに組まれる。

 九レースのうち三~四レースぐらいの割合で平地競走が組まれており、今度のグレイラム開催では、計二十五レース分の平地競走が行われる。原則としてどこの競馬場でもこのように番組表が作られるという。


 エレノアたちは恭介に早く十勝をあげてもらうために、色々な伝手を頼って恭介を乗せてくれる馬主や調教師に当たってくれたようだ。

 スピレッタ調教場、というよりはキプロン伯爵の所有馬には誰も乗りたがらないが、恭介に関しては寄寓する騎手として見られているらしく、エレノアからの推薦ということもあって、試しに乗せてみる運びになったようだ。


「そういや、新人騎手の特典ってなんかあるのか?」


「とくてんって?」


「ほら、経験の少ない新人には少ない斤量で乗れるとか」


「ないわよ。新人もベテランも同じ条件ね」


「厳しいな」


「騎手の数が多いからよ。腕のない騎手に早く見切りをつけてもらうために、あえて厳しい条件を突きつけているの」


「そういやペガサス競馬の騎手って何人いるんだ?」


「アマチュアを含めて七百人ぐらいかしら」


「そんなにいるのか」


「ほとんどは騎手だけじゃ生活できていないわ。調教を手伝ったり、他に仕事を持っている人もいるのよ。それで、レースのことなんだけど」


 エレノアはペガサス競馬のレース体系について簡単に説明してくれた。


 ペガサス競馬では大きく分けて、未勝利戦、条件戦、重賞の三つにクラス分けがなされる。


 新馬戦という概念は存在せず、初出走の馬も未勝利戦からキャリアをスタートさせる。


 未勝利戦は日本の競馬よりも斤量が重く設定されている点を除けば別段変わったところはない。

 以前エレノアが言ったように、平地競走のみである。


 条件戦には平地と飛翔があり、基本的に一勝以上あげたペガサスが出走するが、日本のようなクラス分けが存在せず、開催ごとに細かく設定されるという。

 中には重賞馬が出走するレースもあり、レースレベルはピンからキリまで存在するようだ。

 ちなみにレースの設定は開催前に主催する競馬場から発表されるまでわからない。


 重賞については先日エレノアが言った通り、平地にも飛翔にもG1~G3までのグループが存在する。


「条件戦がちょっとわかりにくいな」


「あまり難しく考えなくてもいいわよ。主催者から発表されたときに確認すればいいから。それで、今回キョースケの乗るペガサスなんだけど」


 と言ってエレノアは紙の束を恭介の前に置いた。

 そこには写真と詳細な成績表が載ってある。

 一番上に置かれている資料にはペガサスは特徴のない鹿毛のペガサスの写真が載ってある。


 恭介は紙をめくってざっと乗る馬を確認した。


「ほとんどがランニングの未勝利戦よ。あまり人気のないペガサスばかりだけど」


「そりゃそうだろうな。レースに乗ったこともない新人に乗せてくれるだけでもありがたいもんだ。で、少しでも上の着順を取って、次の騎乗機会につなげる、と」


「それしかないわね。今回の開催で十二鞍乗ってもらうから、せめて三勝はしてもらわないと」


「ハードルたけえな」


 字面にすると、十二鞍中三勝というのは大したことないように感じるが、一流騎手でも十回に八回は負けるのが普通である。

 どんなに優れた騎手でも良い馬に乗らなければ、勝ちは見込めないのだ。


 ましてや、恭介は日本でも無名の騎手であり、勝率は一割どころか五分を切っていた。

 モンキー乗りというアドバンデージがあっても、簡単に勝たせてくれるほど甘くはないはずだ。


「キョースケなら大丈夫よ。それに、人気のないペガサスっていってもあと少しのところで取りこぼした子もいるから、乗り方一つで勝てるチャンスはあるわよ」


 と、エレノアの見通しは楽観的である。


「だといいんだけどなぁ」


 恭介はテーブルに両肘をついて、背中を丸めた。


「もう、キョースケったら。やってみないとわからないでしょ。ほら、一緒に資料を読んであげるから。あと、ペガサスの特徴も教えてあげるわ」


 そうしてエレノアのレクチャーが始まった。まだ恭介の識字能力は拙く、エレノアに読み方を習いながら、馬の特徴を教わる。


 そうした中で、恭介はエレノアがいかに研究熱心かを思い知った。

 競走用のペガサスが何頭いるかわからないが、これだけのレースが組まれるのだから、年に何千頭も生まれている気がした。

 未勝利馬、それも近走三着以内に入ったことのないペガサスのこともエレノアは頭の中にデータを叩き込んでいて、詳細な癖も(たなごころ)を読みように(そら)んじて、恭介に伝える。


 そして、エレノアがペガサスの特徴を次々と伝えている中で、恭介は彼女が楽しそうに話している姿を見るたびに、胸の内に心地よいさざめきが生じた。


 ――かわいいとか、好かれたいとかじゃないな。


 下心とは別の感覚が生まれたのがはっきりとわかった。

 エレノアが恭介の好みに当てはまる美女なのは間違いない。

 だが、恭介はエレノアを一人の競馬関係者として認めつつあったらしかった。

 普段の調教に乗り、調教場のペガサスたちを観察し、指示をする。

 さらに他のところのペガサスの情報も網羅している。

 生半可な努力でできることではない気がした。


 翻って、恭介は日本にいたころエレノアみたいに研究熱心だったのかと自らを省みる。

 たしかに競馬学校に入ってから初めて馬に触れたという不利はあったにせよ、その差を埋める努力をしてきたのだろうかと思う。

 もちろんレース映像を見たり、自主トレーニングをしたり、他の騎手や関係者たちと意見交換し、アドバイスを貰って実践したりもする。

 それでもまだ足りないのではないかと考えてしまうのだ。


 小さなころから馬に乗ってきた騎手たちは、競馬の使う筋肉や技術を自然と身体に染みこませている。

 対して恭介はあくまで習い覚えた知識をもとにして競馬に臨んでいる。

 その差は極めて大きいと常々感じていた。


 たしかにその差を埋めるのは簡単なことではない。

 しかし騎手として生きて行くと決めた以上、多大な努力が必要なのは明らかである。

 一通りのトレーニングや研究ではどうしても埋められない差が初めからあったのだ。

 人並み以上の努力をしないと生き残れないのは当たり前の話だと今さら気づく。


 恭介は、この場で初めて自覚した。同期の田口大也には大きく水をあけられ、後輩たちの追い上げも厳しい中、今まで以上に競馬に打ち込まなければ騎手として生きていけないのだ。


 ――だったらまずここで勝ってやる。


 理屈は抜きに、恭介はアシタスをはじめ、騎乗するペガサス全てで良績をあげる決意をした。


 恭介が胸の内に闘志を漲らせていると、エレノアがじっと恭介の顔をのぞき込んできたのに気づいた。


「どうしたの?」


「いや、なんでも。ただ、エレノアってすごいんだなって」


「え、なによ急に」


 エレノアは苦笑いをして少し上体を反らした。


「未勝利馬のことも知っていてさ。すごい知識じゃないか」


「これくらい当たり前よ」


「当たり前、か。そうだよな」


 平然と言ってのけるエレノアが羨ましいと思った。


「俺も、ちゃんと努力しなきゃな」


 恭介は改めて決意を固めた。


 一方のエレノアは首を傾げて不思議そうな表情で恭介を見つめていた。



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