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合同調教 4

 デインの事情が気になったが、それは後回しにする。

 知ったところで恭介の出来ることはなさそうだ。

 今は調教に意識を向けようと心掛けた。


 すでにスタートの準備ができている。

 あとはロープの跳ね上がるタイミングを見極めるだけだ。


 前方に意識を向けたとき、一気にロープが跳ね上がった。


 今日は上手くスタートが切れた。

 内側のガウンよりも首差出てしまったので、少し手綱を引いて、ぴったり馬体を併せる。

 アシタスは行きたがることなく、恭介の指示に従ってくれている。


 しかし、外のドリアードは出遅れたらしい。蹄音が聞こえてくるので右後ろに控えているようだ。

 恭介は首を回して後ろを見ると、一馬身半ほど後方にドリアードは控えていた。

 鞍上のデインは手綱をがっちり持ったままである。


 ――(あわ)せる気がないのか?


 打ち合わせとは違う。たしかアシタスを挟む形で三頭の併せ馬を行うはずだった。

 なのに、デインはドリアードを促すことなく、後ろにつけたままである。


「ガウンさん、これでいいですか?」


 恭介はガウンに顔を向けると、彼は目を見張って驚いていた。


「よく、そんなんで落ちないもんだな」


 やはりガウンもペガサス競馬の他の騎手と同様、天神乗りである。

 現代と近代の騎手が居合わせているような奇妙な光景に映った。


「慣れたら、大したことないっすよ。それよりもこれで調教は良いんですか」


「仕方ない。俺たちはちゃんと併せよう」


 どうやらガウンもデインがドリアードを控えさせるとは聞いていなかったらしい。

 彼は後ろを振りむき、ちっと舌打ちをしてから、前方へ視線を戻した。

 いったんスタートを切った以上やり直しがきかないので、このまま進めるしかなかった。


 アシタスは昨日と同様、二頭の併せ馬だと怯む気配がない。

 だからこそ、両側から挟まれたときの反応が見たかった。

 何の支障もなければいいが、外から被せられて怯むようだったら、馬群の外に回ったり、思い切って逃げたり、馬群の後方にポツンと構えるなどという選択肢も視野に入れておく必要がある。

 しかもドリアードという評判馬を観察し、アシタスとの力関係も計れるいい機会のはずだった。

 ドリアード陣営の考えが読めなかった。

 聞かされていた調教メニューと違うことをされていてはアシタスにとってもガウンの乗っているペガサスのためにもならない。


 今回は失敗だと割り切って、あとでもう一本併せ馬ができればいいと思ったが、あちらがそれに応じてくれるかわからない。

 やむを得ず、二頭の併せ馬だと思って調教を進める。


 コーナーに進入してからも、二頭とも無難にコーナリングをこなす。


 コーナーの半ばを過ぎたとき、突然後ろから蹄音が近づいてきた。

 恭介は右後方を振り向くと、デインがドリアードを促して、二頭の外をまくって来るのが視界に入った。


 いきなりの強襲に、恭介は視線をアシタスに移して状態を確認した。

 競走馬の中には外からのプレッシャーに弱い馬がいる。

 アシタスがそう言うタイプなのかを知りたかった。


 幸いにもアシタスは何事もなく走りに集中しているようだ。

 首を外に向けることもなく、耳を絞ることもない。ましてや驚いて走法を乱すこともなかった。走りに集中している。


 これがレースなら、展開によって外から来た馬の動きに合わせて仕掛けることも考慮しなければならないが、これはあくまで調教である。

 エレノアの指示通り、直線の半ばあたりから追い出しにかかるようにする。


 最終コーナーを曲がり切ったときには、ドリアードはコースの真中あたりを位置取り、六、七馬身ほど先を走っていて、差はさらに広がりつつあった。もはや併せ馬をする気はないようで、鞍上のデインは身体を揺すりながら鞭を振るった。


 恭介はそれに付き合うことなく、直線半ばあたりで追い出しにかかる。

 アシタスの首の動きに合わせて手綱を前後に動かし、腰を落とした。

 すると、内側を走っていたガウンの馬を置き去りにして、ドリアードを追いかける格好になる。

 アシタスは前に馬がいると、闘志が湧くタイプのようだ。


 ホームストレッチの坂を駆け上がりながらじわじわと差を詰めたものの、結局三馬身ほどの差でドリアードが先着した。


 ゴール板を過ぎてから、スピードを緩めバックストレッチの手前で向きを変えてアシタスを外埒沿いに歩かせる。


「アシタスの状態はどう?」


 駆けつけたエレノアが埒の外から訊いてくる。


「ちゃんと言うことを聞いてくれるし、直線の伸びも悪くない。坂も苦にすることなかったからな。ガウンさんの馬に先着出来たから、それなりにいいんじゃないか。でもあんな調教でよかったのか?」


「それよ、それ。打ち合わせと違うのよ」


 エレノアは不機嫌そうに口をとがらせる。


「まったく、なにが三頭の併せ馬よ。こっちの計画が台無しだわ」


「なあ、エレノア。もう一本併せ馬できないか? これだと調教量が足りないし、アシタスが挟まれる形になったときの反応も見てみたいしさ」


「あっちから併せ馬一回だけって言われたから、たぶん無理ね」


 といってエレノアは横を向いた。

 そこにはジュスタンが記者たちに囲まれて得意げな表情と口調で質問に答えていた。


「ご覧の通りドリアードは順調です。今度のレース、間違いなく勝利を収めてくれるでしょう」


「では、他にライバルらしきペガサスはいないと?」


「当然です。あれだけの脚を使える二歳馬、そうそういませんから」


「将来性はいかがですか? ゆくゆくは大きなタイトルも奪取できると思いますが」


「そうですね。必ず勝てるとは言いませんが、とりあえず年末のホープウィングに出走させたいですね。もちろん我々はそこでも勝つチャンスがあると見ています」


 ジュスタンが得意げに話すと、記者たちから感嘆の声が上がる。


「レースの名前?」


 と恭介はアシタスから降りてエレノアに訊いた。


「うん。飛翔競走のG1。二歳馬の目指すレースね」


「じゃあ、アシタスもとりあえずホープウィングを目標にするんだな」


「そう。デビュー戦の後に、一戦挟んでホープウィングに向かうのが理想ね」


「こっちで言う、朝日杯や阪神ジュベナイルフィリーズ、ホープフルステークスみたいなもんか」


 恭介は慣れ親しんだレースに例えてつぶやいた。


「でも、ホープウィングは数あるG1の一つって認識ね。ペガサス競馬では、三歳にザ・バートレット、古馬になってグランドキングダムに勝つことが最強馬の証って言われているの。どっちもすごい盛り上がるのよ。マルスク王国あげてのお祭りみたいなものだから」


「へえ、ならいつかレース映像見せてくれ」


 エレノアから色々聞いていたとき、ジュスタンがこちらに歩を進めてきた。

 例によって後ろには取り巻きの記者たちがついてくる。

 ジュスタンの顔には勝ち誇った笑みが現れ、こちらを嘲っている感がある。 


「エレノアさま、本日はご協力感謝します。おかげでドリアードのレベルが知れました」


「それはなによりですわ」


 エレノアは取り澄まして平坦な口調で答える。

 如才ないとも感じられるが、ジュスタンとあまり話したくない様子が見て取れる。


「おや、かなりショックを受けているようですね。そちらのアシタスの状態はあまり芳しくないようで」


「ご心配なく。レースまでには間に合わせますわ」


「はは、強がらなくてもいいんですよ。今回の調教でおわかりになられたでしょう。ドリアードは世代きっての素質馬です。あなたのアシタスもかなり良い馬だと思いますが、生まれた時代が悪かった」


「強がりではありません。今回は調教、レースとは違います。それにアシタスの鞍上にはキョースケがいますから」


「なに?」


 一瞬、ジュスタンの顔に険が過ると、恭介に鋭い視線を送る。


「この男がですか? あのおかしな乗り方でレースに乗ると」


「その通りです。見る人が見れば、キョースケが優れた騎手であることはすぐにわかるはずですわ」


「あははは。なにを仰いますやら」


 もはや嘲弄(ちょうろう)を隠すつもりはないようだ。

 ジュスタンに倣って周りの記者たちも一斉に笑い出した。


「あんな曲芸じみた乗り方がレースで通用するわけがない。落馬するのが目に見えていますよ」


「スピレッタ調教師、あなたも騎手を引退してみる目がなくなりましたね」


 一人の記者が(あざけ)る声を上げた。


「そうそう、まだ若いのに目が曇ってしまって」

「医者にかかった方がいいのでは?」

「本当に残念だ」

「あれはただのパフォーマンスだろ」

「レースで落馬して、恥をかくだけですぞ」


 なにがおかしかったのか記者たちはどっと笑いだした。


 この手の悪口には慣れているはずだった。

 日本にいたころ、見習騎手の恭介でさえSNSやニュースサイトのコメント欄で的外れの批判を受けることは日常茶飯事だった。

 いちいち怒っていては身が持たないので相手にする価値もないと割り切っていた。


 ただ、人の口から直接言われるのには腹が立った。

 調教の方針が違うだけなのに、ジュスタンの言葉を真に受けてドリアードの素質を見抜いた気になっている連中になにがわかるのか。


「ご忠告、ありがとうございます」


 エレノアが妙に丁寧な言い方をすると、記者たちの笑い声が止んだ。

 だが、彼らにはにやけた顔がまだ張り付いている。


「どうぞ、お好きにお書きになってください。新人のキョースケ・ハタヤマは奇矯(ききょう)な乗り方をしている、と」


「ほう。お認めになるんですな」


「いいえ。あなたがたが感じたままを書いてみてはいかがでしょうかと言っているだけです。ただしその記事は署名ありで書いていただき、撤回なさらないようお願いしますね。後世に残る三流記事として未来の記者への教訓になるでしょうから」


 エレノアは笑みを浮かべているが、口にした言葉には鋭利な切れ味がある。


「はは、ずいぶん強気ですな」


「よろしい。楽しみにしていてください」


 記者たちは相変わらず薄笑いを浮かべて挑発した。


「まあまあ、みなさん。ほどほどにしてやってください。すべてはレースで証明できることですから。もっとも、私も記者さんたちと同意見ですが」


「ジュスタンさま」


 エレノアは笑みを消してジュスタンを見据えた。

 可愛らしい顔に似つかわしくない、強気に満ちた光を目に宿している。


「お約束の件、お忘れなく」


「ええ、レースがたのしみですな」


 では、と言ってジュスタンは踵を返した。記者たちもそれに続く。

 ご結婚のことですか、と問いかける記者もいる。


 ジュスタンたちの姿が遠のいたところで、エレノアはため息を吐いた。

 強張った身体が一気に緩んだようだ。


「やるじゃん」


 ジュスタンとのやり取りを見て、恭介はエレノアの違う面を見た気がした。

 エレノアは恭介の気が強いと評したが、彼女自身もまた気が強い。

 むしろ、俺よりも気が強いんじゃないかと、恭介は思う。


「頭に来ただけよ。ほんと無責任な人たちね。レースも見ていないのに、何もかもわかった気になって」


「俺ももう一回キレそうになったよ。まあ、あっちの世界でも好き勝手言ってくる連中がいるからなぁ」


「どこの世界も似たようなものね」


「かもな」


「あ、あと今日はもう一本単走で走るから。あれだけじゃ足りないわ」


「了解。そういえばさ、ジュスタンさんがわざわざ俺たちを招いて調教する意図ってなんだったんだろうな? あんなふうにドリアードを走らせても何のメリットもないだろ」


「自慢したいだけじゃないかしらね」


 エレノアは呆れた言い方をする。


「それだけ?」


「じゃないと説明がつかないわ。このタイミングで記者さんたちを読んでいるんだから」


「バカじゃねえのか」


 愛馬を自慢するために、わざわざアシタスとの併せ馬をする意味がわからない。

 調教で差をつけてもレースで勝たなければ意味がない。

 馬主の下らない自己顕示欲に付き合わされるドリアードを憐れに思った。


「よし、今日はここまで。ドリアードを馬房に入れろ」


 遠くからチャップルの声がした。厩務員がドリアードを引いてこちらに向かってくる。


「え?」


「どうしたの?」


「いや、今、馬房に入れるって」


「なにがおかしいの?」


 エレノアの疑問に答えずに、恭介はそば通り過ぎるドリアードを注視した。

 首が下がり、厩務員が前を行く形で引かれている。

 見た目で馬の状態が判断できない恭介でも疲れが出ているとわかる。

 厩務員、いや、ジュスタンを含むタドカスター調教場のスタッフたちはこの状態に気づいているかはなはだ疑問に感じた。


「エレノア、ペガサスって調教したあとすぐに馬房に入れるのか?」


「うん。どこもやり方は同じよ。疲れを取らなきゃならないから」


「そうか」


 恭介はペガサス競馬の調教に、欠点を見つけた。

 あくまでこの世界の流儀に従うと決めたが、やはりペガサスのためを思えば見過ごせることではなかった。


「エレノア、さっき言ったこと訂正するよ」


「なにを?」


「アシタスはドリアードに勝てる」


「ほんとうに?」


「けど、このままじゃだめだ。アシタスをもっと労ってやらなきゃな」


「どういう意味?」


 エレノアの目に怪訝な色が帯びる。


「アシタスのケアは俺に任せてくれないか? 大丈夫、必ず良くするから。もししくじったら、日本に帰るまで無休で働いてやるよ」


 恭介は自信をもって断言した。

 それだけの根拠がある。


 エレノアは右手を顎に当てて、俯いた。

 恭介の自信と今までのやり方を天秤にかけているようだ。


「ケアって、どんなことするの?」


 と、エレノアが訊いたので、恭介は詳細に話した。

 ケアがもたらす効果を覚えている限りの知識を駆使して説得した。


「わかったわ。キョースケを信じてみる。それだけ言うんだから、間違いないと思うわ。うん、もし上手くいったら、調教でも革命が起きるわ」


 エレノアの表情がぱっと明るくなった。

 新しい知識を得て、ペガサスに活かせる喜びを感じたらしかった。


 ――レースに勝って……。


 エレノアをもっと喜ばせたい、と恭介は思った。


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