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合同調教 3

 (らち)の近くまで行くとタドカスター調教場のスタッフが待ち構えていた。


「コースに入っていいかしら?」


 エレノアがそう訊くと、


「はい、お願いします」


 と言って、埒を外そうとしていた。

 スタッフは若い男で恭介よりも二つ三つ年上に見えた。


 ――ん?


 恭介は男が浮かない顔をしているのが少し気になった。

 頭がぼさぼさで、目の下に隈があり、青白い顔色をしていた。

 普段の仕事に疲れているようだが、どこか別種の心労がかさんでいる感がある。

 少なくともスピレッタ調教場の人たちと比べても生き生きとした感じが見受けられない。


「コースに入っていいわね」


「はい。どうぞ」


 と言って、不健康な男はすぐに踵を返して去って行った。


「ねえ、キョースケ、あの人疲れているみたいね」


「エレノアもそう思うか?」


「ちゃんと休憩しているのかしらね」


 スタッフを束ねる調教師らしく、エレノアは彼のことが気になるようだ。

 働くスタッフの健康管理も調教師の仕事である。


「馬を扱うってのはハードな仕事だからな。まだここの環境に慣れてないんじゃないか」


「だといいけど」


「これ以上気にしてもしょうがないさ。それよりもエレノア、まず速歩(ダク)駈歩(キャンター)をやるのか?」


「それでいいわ。速歩と駈歩、半周ずつね。それからスタート練習も兼ねて三頭の併せ馬をするから。あと、併せ馬のときはアシタスを二頭の間に入れてね」


「了解」


 恭介がそう答えると、エレノアは引き綱を外した。


 そして、恭介はアシタスをコースへ誘導する。


 緑の芝が一面に張られたコースには他のペガサスたちが調教に励んでいた。

 単走で駈歩をしてペガサスの状態を確認したり、併せ馬をして本番さながらの調教をこなすペガサスもいる。


 恭介は他のペガサスの邪魔にならないように、コースの大外へアシタスを誘導し、腰を浮かせてモンキー乗りの体勢を取って速歩を始めた。

 そしてゴール板を過ぎたあたりでアシタスに指示を出し、駈歩に切り替える。

 アシタスの走りは昨日と同じで澱みがないものの、スピード感に乏しい。


 ただ新しい発見があった。

 その澱みない走りのおかげでかなり乗りやすい。

 背中が柔らかく、バネのようなしなやかさがあると感じた。

 走法が安定しており、上下に揺れずに走っている。

 馬上の恭介も腰が揺れることもなく、姿勢を保てている。

 アシタスはデビュー前だと言うが、馬体は出来上がっていると感じた。


 コーナーを曲がり、バックストレッチの半ばを過ぎたあたりで、内埒の近くを走っている栗毛のペガサスが目に入った。

 恭介の感じたとおり、乗り役が天神乗りで馬に乗っている点を考慮しても、ペガサスの地を走るスピードはサラブレッドよりも劣っている。


 恭介は外埒にアシタスを寄せながらキャンターを続ける。

 エレノアたちはアシタスがかなりの素質馬だというが、タドカスター調教場のペガサスと比較すると、その判断は正しいのかもしれない。

 少なくとも、調教の段階ではアシタスは水準以上の実力があると評価してもよさそうだった。


「なんだあいつ?」


 ホームストレッチコースの外から怪訝な声が届く。

 恭介のモンキー乗りを見て驚いているらしかった。


 恭介は彼らに目もくれず、駈歩を続ける。


「立って乗っているぞ」

「変な乗り方だな」

「あんなんじゃ落ちるぞ」

「おい兄ちゃん、怪我しても知らねえぞ」

「俺たちに手間かけさせんなよ」

「医者に運んでいくってのは面倒だからな」

「ちげえよ、あんなんじゃ墓場を作った方が早いぜ」


 彼ら一斉に笑い声をあげた。

 外埒沿いを走っているので、嫌でも悪口がはっきり聞こえてくる。


「言ってろ」


 恭介は意に介さなかった。

 新しい技術を持ち込めば、おかしな目で見られるのは当たり前だと割り切った。


 初めてイギリスでモンキー乗りを披露したウィリー・シムズも普及させたトッド・スローンも嘲笑を受けたという。

 しかし、スローンがイギリスの競馬で勝ち鞍を挙げるにつれその評価を高めていった。

 やがてモンキー乗りは地球の競馬のスタンダードな騎乗方法として確立するに至ったのだ。

 そんなエピソードを聞いたことがあった。

 自分をシムズやスローンと同じ存在だと考えるのはおこがましいにもほどがあるが、彼らの気持ちが少しだけわかる気がした。


 駈歩を終えると、エレノアが外埒まで近寄ってきた。


「アシタスの状態はどう?」


「乗り心地は良いよ。バネもあるし、背中の感じも悪くない。でも他のペガサスとの比較はわからないな。傍から見ててどう感じた?」


「状態は良さそうね。順調に来ているわ」


「そうか」


「そう言えば、記者さんたちキョースケを見て笑っていたわよ」


「へえ、あの悪口、記者だったのか」


 てっきりここのスタッフだと思っていた。

 どうやら今日来ている記者たちは品が無いらしい。


「でも気にしないでね。これからキョースケの乗り方が当たり前になってくるから」


「だといいんだけどな」


 さすがに自分の口から大言壮語を吐く気になれなかった。

 現時点ではペガサス競馬のレースに出たことすらないのに、自分の乗り方がこれからのペガサス競馬の主流になるとは言えるわけがない。

 本番のレースに乗って勝たないと説得力が出ないのは当たり前である。


 エレノアと話したあとで、アシタスに跨ったままバックストレッチまで行くと、二頭の馬がロープの前で輪乗りをしていた。

 黒みがかった芦毛の馬にはガウンが跨っていて、恭介に気が付くと右手をあげて手招きをした。

 恭介はそれに応じて彼らに近寄った。


「よろしくな。俺が内でキョースケが二頭の間だったな。こいつはすでに一勝しているからな。なるべく遅れないようにしてくれよ」


「お願いします」


「お前のところでは三頭の併せ馬ってやっていないのか?」


 と訊かれ、恭介は一瞬日本の小木厩舎のことが頭に過ったが、それは違うと思い直してエレノアたちのことだと解釈し直した。


「俺もこの間入ったばかりでよくわからないんですよ」


「まあ、それもそうか」


 ガウンは恭介の素性についてさほど興味を示していない。

 エレノアがかなりうまく誤魔化してくれたようだ。


「それにしても、お前の乗り方、かなりアクロバティックだな」


「見ていたんすね」


 恭介は苦笑いを浮かべて相槌を打つ。


「平地ならこの乗り方が一番じゃないかなって試行錯誤したらこうなったんです」


「本番のレース、見ものだな」


 さてそろそろだ、とガウンが言い、恭介はスタート台に目を遣った。


「おい」  


 不意に不機嫌そうな声が背中を押してきた。

 若々しくも異様に腹に響く声だった。


 恭介はアシタスをロープの前に整列させながら声の主へ顔を向けた。

 目つきが妙に鋭く、顎を上げて人を小馬鹿にしたような表情を浮かべている。

 彼が乗っている黒鹿毛のペガサスがドリアードらしかった。


「あ、挨拶が遅れてすみません。キョースケ・ハタヤマです」


 丁寧に挨拶したものの、顔が引きつっているのが自覚できた。

 チンピラのような見下した態度が気に食わなかった。


「こいつの、ドリアードの邪魔だけはすんなよ。こいつはな、お前のところの駄馬と違って超良血馬なんだからよ。」


「デイン、言葉を慎め」


 ガウンが注意をする。


「やってられねえつってんだよ、なんでこんなぺいぺいと駄馬が」


「いい加減にしろ」


 二人のやり取りがヒートアップしそうだった。


 ――馬が怯えたらどうするんだ。


 ガウンの注意は正しく、突っかかってきたデインが良くないのは当たり前である。

 だが、二人の剣呑な雰囲気にペガサスたちが飲まれて委縮しないかが不安だった。


 ――たしかデインって、売り出し中の若手だったっけ。


 なのに、初対面の相手にこんな態度をとるのか、と訝った。これだと関係者からそっぽを向かれかねない気がする。

 もっとも人によって態度を使い分けているかもしれないが。


「それに、こいつの乗り方はなんだよ。頭の悪い猿みてえじゃねえか」


「く、はははは」


「あん? なにがおかしんだよ」


「いや、あんたの言ってることは当たってるよ。木に登った猿みたいなフォームだからモンキー乗りっていうんだ。もっともあんたよりも頭の良い猿だけどな」


「なんだ、てめえ!」


「やめろ!」


 ガウンが仲裁に入る。


「そうそう、やめましょ。調教前にケンカ売ったところで何の意味もないでしょ」


「けっ!」


 デインはそれ以上突っかかってこなかった。

 わざとらしく恭介たちから離れたところに馬を行かせた。


「すまないな、キョースケ。普段はあんな奴じゃないんだが、どうも気が立っていてな」


 ガウンが小声でフォローを入れる。


「なにかあったんですか?」


「ちょっと込み入った事情があってな。お、そろそろスタートだ」


 スターターが台に上り、スタートが切られようとしていた。


 ――まったく、どいつもこいつも、やかましい奴ばっか。


 自分のことを棚に上げて、うるさい連中に辟易する恭介であった。


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