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合同調教 2

 厩舎からさほど離れていないところに、楕円形の調教コースがあった。


 マルスク王国の調教場はどこも同じらしく、芝のコースしかない。

 コースの幅が広く、ホームストレッチに傾斜のついており、直線距離が長い。

 タドカスター調教場のペガサスたちが調教に励んでおり、埒の外ではスタッフたちがなにやら意見を交わしている。

 内馬場の真中あたりに監視台が設けられている。

 その中にはさっき挨拶に来たバジルもいるようで、近くのスタッフたちに指示を出している。


 エレノアは不意に立ち止まってその様子を眺めていた。


「気になるのか?」


 恭介がそう声をかけてもエレノアに反応が見られない。

 もう一度声をかけようとしたとき、バジルがこちらに顔を向けている気がした。

 しかし、二人の姿を認めると、顔をそむけてしまった。


「バジル……」


 エレノアは俯き加減になってつぶやいた。

 バジルの反応に不安を覚えたのかもしれない。


「エレノア、大丈夫か?」


 恭介はエレノアの様子が気になった。

 彼女の気持ちの揺れがアシタスに伝わらなければいいと思った。


 馬は敏感な生き物なので、ちょっとした仕草や表情のみならず、馬具を通して人間の心情を汲み取ることができると言われる。


 人間側が不安になると、その気持ちが馬にも伝播して落ち着かなくなるから気をつけろ、と恭介は日本にいたとき、口酸っぱく言われたものだ。


「大丈夫よ」


 俯いたまま言うと、エレノアは再び引き綱を引く。


 コースの入口あたりまで近づくと、ジュスタンが取り巻きを引き連れてやってくるのが目に入った。

 手元に手帳とペンを持ち、ジュスタンの一言一句を書き留めているあたり、記者たちのようだ。

 大人数を引き連れて歩く彼の顔に満足げな笑顔が浮かんでいる。

 そして記者たちもジュスタンに一言に感嘆の声を上げて褒めたたえている。


「あれでも記者か?」


 恭介の知る限り、競馬記者は気になったことを丁寧に訊いてくる印象があった。


 決して関係者に阿諛追従(あゆついしょう)するわけでもなく、かといって失礼な文言を吐くわけでもない、絶妙な距離感を持って取材するイメージがある。

 競馬関係者の中には難しい気質の人がいて、不勉強なくせに空虚な賞賛を送ったり、突っ込んだ質問をしてくる記者たちを嫌う傾向にある。

 逆によく勉強したうえで質問してくる記者には口を開く傾向があり、それが関係者との良い絆を築くコツだと聞いたことがあった。


 ジュスタンにとりついている記者たちは何の疑問もなく彼の言葉を受け入れて褒めているあたり、二流三流の記者なのかもしれない。


「ジュスタンさまは、メディアの受けがいいのよ。だから記者の人たちも重宝するわけ」


 流石にジュスタンとの距離が近いせいか、エレノアはさま付けで彼の名を口にする。


 と、ここでジュスタンはこちらに気づき、エレノアに笑顔を向けてきた。


「やあ、エレノアさま、ご機嫌うるわしゅうございます」


 昨日の態度とは打って変わって紳士的な態度をとるジュスタン。


「今日はよろしくお願いします」


 エレノアは事務的な挨拶をする。


「おお、エレノア・スピレッタだ」


 記者の誰かが驚きの声をあげると、一斉にエレノアを取り巻いた。


「スピレッタ調教師、今日は合同調教だと聞きましたが」


「調教の意図は?」


「ジュスタンさまとご結婚なさるって本当ですか?」


「婚約発表はいつでしょうか?」


「答えてください。エレノアさん」


 記者たちは遠慮なく質問を浴びせてくる。


「ちょっと、あとにしてください。アシタスが怖がってしまいます」


 と、エレノアが言っても記者たちの声がやまない。

 それどころか記者たちは段々距離を詰めてくる。

 挙句の果てに声のトーンが高くなり、耳障りになってきた。


「やめろっつってんだろ!」


 記者たちの無神経な振る舞いに、恭介は怒声を浴びせた。

 繊細な馬がいるのに、自分たちの仕事を優先して当たり前という記者たちの態度に我慢ができなかった。


 その恭介の怒りに反応して、記者たちは眉根をひそめて恭介を見上げる。

 彼らの目には敵意が宿っていた。


「なんだおまえ! 引っ込んでろ」


「引っ込むのはてめえらだ。馬が怖がるのがわからねえのか」


 恭介はこれ見よがしに、アシタスの首筋を撫で、大丈夫か、と柔らかく声をかける。

 アシタスに怯えている様子はなく、落ち着いているようだ。


「こっちは仕事なんだよ。読者の気になることを聞くのは当たり前だ」


「なにが読者だ。ただの自己満足だろ。うちの調教師のプライベートまで踏み込みやがって。恥を知れ三流記者」


「なにぃ!」


「なにぃじゃねえよ! 他人に迷惑かけてなにが仕事だ、コラ」


 売り言葉に買い言葉、引っ込みがつかなくなった。


「おい、お前。名前はなんて言うんだ」


 短い黒髪を後ろに撫でつけた固太りの男が訊いてきた。

 連中のなかでもかなりの重鎮らしく彼が口を開いた途端、周りの声が一斉に止んだ


「キョースケ・ハタヤマ。あんた、ベテラン記者みたいだな。こいつらの態度を少しは注意したらどうなんだ。どうせ馬のことなんかわかってねえんだろ」


「その名前、覚えておくからな」


 固太りは喧嘩腰の恭介を意に介する様子もなく冷淡に言い放った。

 そしてまた周りの記者たちが再び怒声を浴びせてくる。


「あー、みなさん、お静かにお願いします」


 ジュスタンは両手を挙げて記者たちを制する。

 無礼な記者たちも彼の言うことには従うらしく、素直に口を噤んだ。


「彼の言った通り、馬が怖がってしまいますので、お話は後ほど聞きます。まずは調教をご覧ください」


 その言葉を聞いて、記者たちはエレノアから離れた。

 すると、ジュスタンは前に出てエレノアと対面する。


「申し訳ありません。騒がしかったでしょう」


「なら、記者さんを連れてこなければよろしいのでは? これだけの人いるとペガサスが怖がってしまいます。うちのキョースケが怒るのも無理はありません」


 エレノアの口調は冷淡だった。

 ジュスタンと話をするのも嫌な上に、記者の振る舞いが気に入らなかったのだろう。


「おやおや、これは手痛い指摘ですね。ですが、彼らはドリアードの状態を見に来ただけです。なにしろ馬券を買うファンの方々にも情報を提供しなければなりませんからね」


「とにかく、記者さんたちに大人しくするよう言い聞かせてください」


「了解しました」


 ジュスタンは悪びれた様子もなくそう言うと、エレノアの横を通り過ぎた。

 記者たちもそれに続く。


「まったく、あいつら本当に記者かよ。もうちょっとマナーってもんを考えてほしもんだな」


 記者に聞こえないように恭介は愚痴を吐いた。


「キョースケって、結構短気なのね」


「え」


 まずい、と恭介は思った。

 ロディを殴ろうとしたときのように、エレノアを怖がらせてしまったのかと後悔した。

 ところが、エレノアは興味ありげにしげしげと恭介を見上げていた。


「それぐらい気が強くなきゃ、騎手なんてできないわね」


「あ、ああ、そうだな」


「馬には優しく、人には厳しくって感じかしら」


 エレノアに微笑が浮かぶ。

 貴族令嬢というぐらいだから、下品な言葉には顔をしかめてもおかしくない気がしたが、エレノアはむしろ恭介の態度を当然と思っているようだ。


「それにあの人たちには一言二言きついこと言ってやるぐらいがちょうどいいのよ。まったく、ペガサスのことなんて、なにもわかっていないんだから」


 どうやらエレノアも普段から記者たちに思うところがあるらしく心持ち不機嫌な口調である。


「だろうな。少しは馬のことをわかってから取材に来いってんだ」


「でも、キョースケに名前を聞いてきた人がいたでしょ。あの人は違うわ。かなりの見識のある人なのよ。ミケーレ・アウィルさん。フリーの競馬ライターで新聞や雑誌に寄稿して、関係者からも評判が良いのよ」


「そうなのか。ならケンカ売ったのはヤバかったか」


「大丈夫よ。あの人は公平な視点で記事を書くのに定評があるから。レースで勝てばいいだけよ」


「楽観的だなぁ。ライターってときどき、遠慮がないのがいるからな。勝ってもケチをつけてくるだろ」


「そしたら、ケチをつけた人が読者からそっぽを向かれるわ」


「そんなもんかね。っとアシタスは大丈夫かな」


 恭介はまた、アシタスの精神状態に異常をきたしていないか気になった。

 アシタスは耳を絞ったり、くるくる回すことなく落ち着き払っているようだ。


「アシタスが怖がらなくて良かったわ」


「ほんとだ。あんだけの騒ぎでも動じないんだもんな。アシタスの精神力は相当なもんだ。かなりの大物かもしれないぞ」


「そうね。アシタスだっていいペガサスなんだから」


 エレノアは誇らしげに言うと、アシタスの首筋を撫でる。


「さて、そろそろコースに入るか」


「うん」


 エレノアは引き綱を引いてアシタスを促す。

 アシタスはエレノアに顔を寄せながら歩いた。

 

 その様子を見て、恭介は調教師とペガサスの間に確かな絆があると感じた。

 


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