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エレノアの事情 2

 エレノアに結婚の話が来たのは恭介がフォルアースに来る三か月ほど前だという。

 かねてからエレノアに目をつけていたジュスタン・タドカスターはキプロン伯爵にエレノアとの結婚を許してほしいと申し出た。


 キプロン伯爵はそのときは即座に断った。

 自分を窮状に追い込んだマカベウス子爵の息子の下に大切な娘を嫁がせるほど落ちぶれたと思われたくなかったのかもしれない。


 エレノアも、ジュスタンとの結婚話に嫌悪感を覚えた。

 彼はペガサス競馬に造詣が深いとは言われているが、エレノアの言い分ではあくまで素人の範囲での話だという。

 いくら新聞や雑誌にコラムを書いているとはいえ、ペガサス競馬の実務に携わったことがない。

 理屈と主観を弄んだかのような文章を書いて、一般のファンの代表面をしている上に、ペガサス競馬の関係者とうまく交流を深めただけに過ぎない。

 実業家兼コラムニストとして名を馳せて行くうちに彼の自己顕示欲は増大していった。


 そして満を持して、ペガサス競馬に本格参入をしたのだ。

 

 そんな彼がエレノアに目をつけた。

 ペガサス競馬に彩りを与える美女との結婚は彼にとって一つの勲章を授かるようなものだった。

 たとえ両家の仲が悪かろうとジュスタンは意に介さず、エレノアに積極的なアプローチを仕掛けるようになった。


 そしてジュスタンはエレノアを騎手に復帰させ、自分や父親のマカベウス子爵が所有する有力馬に乗せてやると言い出した。

 ただし、スピレッタ調教場を捨てて、自分の恋人、そしてゆくゆくは妻になるなら、という条件が入っていた。


 この言葉を聞いたとき、エレノアは憤慨した。

 調教師のバジルを引き抜き、自分たちをここまで追い詰めた挙句、施しを与えるような真似をされては我慢できなかった。

 さらに望まない結婚を条件に突き付けるあたりマカベウス子爵親子を下劣な連中だと感じた。


 ところが、事態は急転する。


 キプロン伯爵がエレノアとジュスタンとの結婚を許したのだ。

 突然の心変わりに、エレノアのみならずスピレッタ調教場のスタッフたちもキプロン伯爵に問い質した。

 彼が言うには、マカベウス子爵は今やペガサス競馬のトップオーナーである、エレノアがレースに乗れるならマカベウス子爵との確執など些細なことだと言い放った。


 さらにキプロン伯爵は、ゆくゆくはスピレッタ調教場を閉鎖し、所有馬も売り払いペガサス競馬から身を引く決意を固めた。

 調教師のバジルや有能なスタッフに去られ、経験の少ないエレノアではもう立ち行かないと判断したという。


 そのことを告げた彼には苦渋の色がありありと現れていたらしかった。

 やりたくもないことをせざるを得ない屈辱が、彼の身体を蝕んでいるかのようだったという。


 あまりにも突然の宣告を、エレノアは黙って受け入れられなかった。

 自分を育ててくれた父親の失意、騎手としてのみならず、ペガサス競馬のことを一から教えてくれたスピレッタ調教場の閉鎖は、エレノアにとって耐えがたいものだった。


 そこでエレノアは無謀な条件を突きつけることにした。


「アシタスが今度のレースに勝てたら、ジュスタンさまとの婚約は破棄、で、この調教場を閉鎖しないでってお願いしたの」


「無茶苦茶じゃねえか」


 恭介は呆れた。いくらジュスタンと結婚したくないとはいえ、レースでの勝ち負けで物事を判断するのはあまりにも短絡的である。


「キョースケ、そう思っても不思議じゃないが、俺たちにはちゃんと勝算がある。なにしろ、アシタスはかなり力がある。将来的にはG1の一つや二つ、勝ってもおかしくないぐらいの素質馬さ。今度のレース、絶対勝てるよ」


「それが無茶だって言ってるんすよ。ラモンさんも競馬関係者ならわかるでしょ。競馬に絶対はないって。それにジュスタンって人も言ってたじゃないですか。あっちにも評判の馬がいるんでしょ」


「けど、あたしたちにはそうするしか方法がなかったのよ。伯爵を翻意させるにはね」


 オリアナが腕を組んで顔を俯ける。


「けどよくわかんねえな。エレノアの親父さん、なんだって急にここを閉鎖するって言いだしたんだ」


「娘の活躍を心待ちにしてたんだろうな。たとえ気に入らないライバルのペガサスに乗ってでもお嬢さまがレースに勝つ姿が見たかったんだろう」


 ロディは湿った口調で言った。

 自分の力のなさを悔いているようだった。


「それにレースに乗るには騎手が必要だ。今のお嬢さまは技術が落ちていてレースで満足な騎乗ができるかどうかわからない。前にも言ったが、他の騎手全員に断られる始末だ」


「だから地球から騎手を拉致する計画を立てたと」


 恭介は冗談っぽく言ったが、それがロディの罪悪感を刺激したらしく、不機嫌そうに顔を背け斜め下に俯くとさらに言葉を続けた。


「お前を連れてくることに関しては、お嬢さまのあずかり知らぬことだった。そんなことを話せばお嬢さまは絶対に反対するからな」


「当たり前でしょ。キョースケがここに連れてこられて、びっくりしたんだから。それに、あのときは『転移の緋剣』の効果が本当かどうかわからなかったし、ロディを知らない世界に送り込むようなこと、できるわけないじゃない。何が起きるかわからないのよ」


「お怒りはもっともです。しかしキプロン伯爵やお嬢さま、それにこのスピレッタ調教場を救うにはどうしたらいいかと熟慮した結果、このようなことをしたのです」


 ロディはおもむろに恭介に向き直って言葉を続ける。


「キョースケ、すまなかった。スピレッタ調教場が軌道に乗るころにはおまえを元の時間と世界に返せる。こんなことを言えた義理じゃないが、俺たちに協力してくれ」


「まあ、今さらごねたところでどうしようもないっすからね。こっちだって腹を括るしかないんだ。こうなったらレースで勝ちまくってやる」


 恭介は半ばヤケになって言い放った。

 元の世界に帰るまで時間がかかる以上、ペガサス競馬に騎乗し、賞金を稼いで生活していくしか生きて行く術がないのだ。


「まあ、エレノアたちの事情は何となく分かったよ。あと、あのジュスタンって人、ちょっと気になることを言っていたな」


 恭介がそう言うと、みんながこちらに顔を向けた。


「合同で調教するって言ってたよな」


「ええ。でも、アシタスの調整は順調だし、今の段階ではあまり意味がないわ」


「ふーん、そうか」


 恭介は後ろ首を撫でて言うと、おっと声を洩らして言葉を続ける。


「けど、考えようによってはいいかもな。敵情視察もできるし、俺だってまだペガサスの特徴を掴み切れていないから、他の調教場のペガサスを観察するのも悪くない。やってみても良いんじゃないか」


「なるほど、一理あるわね。あの人に関わるのは嫌だけど」 


 エレノアは乗り気になったようだ。

 恭介が協力してくれるとわかって嬉しいらしく、彼女は立ち上がって今後の予定をみんなに告げた。


「じゃあ、改めてスケジュールを確認しましょう。とりあえずアシタスは予定通り三週間後のグレイラム競馬場の未勝利戦でデビューさせるわ。鞍上はキョースケよ」


「了解、ん?」


 ここで一つ、気になることが浮かんだ。


「そういや、俺がいきなりレースに乗っても大丈夫なのか?」


「どういうこと?」


「ほら、騎手免許とかあるのかなって」


「ああ、そのこと。わたしの推薦状があれば騎手免許は下りるから心配しないで。レースまでには間に合うから」


「そんな簡単に免許が発行されるのか」


「うん。調教師が推薦状を出せば騎手デビューできる制度なの」


「大丈夫なのか? 下手くそな騎手がデビューしてしまうかもしれないのに」


「その点は心配しないで。もし騎乗技術がひどかったり、素行に問題があれば調教師にも責任が及ぶようになっているのよ。キョースケなら大丈夫だから」


「ならいいけどよ」


 ペガサスレーシングクラブの規定はかなり緩いようである。


 日本の競馬では、多くの騎手候補生が競馬学校で三年間学んだあとに試験を受け、合格すると晴れて騎手免許を取得できる。

 もちろん、下手くそな候補生が合格することはできない。

 他にも海外で経験を積んでから試験を受けたり、地方競馬からの移籍を目指して試験を受けるケースもあるが、恭介は多くの騎手と同じく、競馬学校を経由して騎手になった。


 調教師の推薦で誰でも騎手に慣れる制度では、技術のない騎手がレースに乗りかねないような気がして若干の不安を感じる。

 下手くそな騎手は満足にコーナーを曲がれなかったり、直線でまっすぐに追えずに斜行して他の馬を邪魔してしまう恐れがある。

 そんな騎手と同じレースに乗らないことを祈るしかない。


「よし、目処は立ったな。見てやがれ、スピレッタ調教場が一流だってこと、証明してやるからよ」


 いきなりラモンが立ち上がって気勢を上げた。

 すると、みんなの顔色が明るくなった。


「そうよ。なんだってお嬢さまが認めたキョースケがいるんだもの。アシタスが負けるはずはないわ」


 オリアナは恭介に目を遣る。

 恭介、というよりはエレノアの見立てを信じているようだ。


「うん、その意気よ。じゃあ、まず合同調教を受けるってれんらくするわ。さあ、忙しくなるわよ」


 エレノアは弾んだ声で言った。

 それに呼応するかのようにスタッフ一同が、よし、と声をあげた。


 ――けっこう、慕われてるんだな。 


 と、恭介は思った。

 エレノアを信頼しているというより、未熟ながらもやる気に満ちあふれた調教師を何とか盛り立ててやりたいのかもしれない。

 騎手として大成するのを諦める代わりに、みんなが慣れ親しんだスピレッタ調教場を守る決意をしてくれたエレノアへ、彼らなりに感謝しているようでもあった。


「面白くなりそうじゃん」


 根拠はないが、なんとなく恭介はそう感じて呟いた。


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