エレノアの事情 1
エレノア・スピレッタは二十一歳の元騎手、現在はキプロン伯爵の所有するスピレッタ調教場の管理運営を任されている調教師である。
ペガサスレーシングクラブの規定では調教師の資格に年齢は含まれておらず、若くして開業する人も少数ながらいるという。
十五歳でペガサス競馬のアマチュア騎手としてデビューし、瞬く間にアマチュアのリーディングジョッキーに躍り出る。
可愛らしい容姿と卓越した技術も相まって関係者やファンたちの間から注目を浴びるようになり、十八歳の時、プロの騎手としてデビューを飾る。
一方で、エレノアはキプロン伯爵の娘ということもあって、良いペガサスに乗っているに過ぎないというやっかみ交じりの敵意を向ける者もいた。
キプロン伯爵はエレノアの父親でペガサス競馬有数のオーナーブリーダーであった。
数々の名馬を輩出し、大レースで何度も勝利を収め、栄華を極めた時代もあった。
その一つの要因として、スピレッタ調教場の存在があった。
肥沃な土地に水捌けが良い上に起伏のある草原は調教場としてふさわしく、そのうえ、上空の風が比較的緩やかで飛翔の調教にはうってつけだという。
キプロン伯爵と当時の調教師バジル・チャップルが綿密に調査を重ねてからこの土地を購入し、この世界としては最新鋭の設備を導入した。
結果、キプロン伯爵とバジルの名声は頂点に達し、ペガサス競馬の世界で有数の馬主としてマルスク王国に名を轟かせた。
時にはペガサスを所有している王室でさえもキプロン伯爵には羨望の眼差しを送ったという噂も流れたほどである。
やがてエレノアが騎手としてデビューするとキプロン伯爵は彼女を後押しし、調教師のバジルもエレノアの騎乗技術には目を見張るものがあると評価し、有力馬に乗せるようになった。
そういった支援もあり、エレノアは順調に勝ち鞍を重ねた。
良いペガサスに乗れたから勝てた、とエレノアは謙遜するが、恭介は一概にそう思えなかった。
たしかに勝てるペガサスに乗っていたのは事実かもしれないが、それだけでレースに勝てるほど甘くはない。
エレノアの技術があったからこそ勝てたのだ。
恭介のいた日本の競馬でも馬七人三という言葉がある。
競馬は馬の力だけで決まるものではなく、馬の力が七分、人――つまり騎手の力が三分必要だという意味であり、レースでは騎手の力をないがしろにできない事象を表した言葉である。
その三分がレースの勝ち負けを左右すると言っても過言ではない。
競馬関係者のみならず、一般のファンでも馬の力だけでは勝てないという事実が周知されている。
それはおそらくペガサスの競馬でも同じはずだと恭介は思う。
筋違いのやっかみを受けながらも、エレノアの騎手生活は順風満帆だった。
着実に勝鞍を伸ばし、日を経るごとに、評判が高まっていく一方であった。
いずれはペガサス競馬トップクラスのレース、ザ・バートレットやグランドキングダムに勝つ初の女性騎手になるのも時間の問題だと評する者まで現れた。
ところが、キプロン伯爵とエレノアに不測の事態が起きた。
長年キプロン伯爵の下で辣腕を振るってきた調教師のバジル・チャップルが裏切ったのである。
彼はキプロン伯爵のライバル、マカベウス子爵に引き抜かれたのだった。
詳しい理由はエレノアたちは知らされておらず、バジルはキプロン伯爵から逃げるようにしてスピレッタ調教場を出て行ったという。
バジルが抜けたあとのスピレッタ調教場は凋落の一途を辿った。
彼の下で働いていた厩務員たちも彼に続いて辞めてしまい、人手不足となったスピレッタ調教場には多くのペガサスを管理、調教するメソッドが無くなり、キプロン伯爵の馬主活動も縮小せざるを得なくなった。
スピレッタ調教場に残ったのはロディ、ラモン、オリアナ、ミノルといった代々キプロン伯爵に仕えていた血筋の者だけで、ペガサスもわずか十頭ほどしかいなくなった。
心血を注いで作り上げたスピレッタ調教場が衰退するにつれてキプロン伯爵は失意の日々を送り、次第にやつれて行ったという。
一方のエレノアは、一人の騎手として腕が認められ、さらに美貌であることから注目を浴び、他の馬主や調教師からの依頼が舞い込んだため、騎手としてやっていくには困らなかった。
しかしエレノアはキプロン伯爵への感謝を忘れることができなかった。
幼いころからペガサスをあてがわれ、騎手として後押ししてくれた父親に、もう一度名誉ある馬主として復活してほしかった。
だから、エレノアは若くして調教師になった。
騎手として得た名声を武器にキプロン伯爵以外の馬主からもペガサスを預かり、レースに勝てるペガサスを育てることができれば、スピレッタ調教場に再び栄誉をもたらすことができると思ったという。
「でも、甘くなかったわね。お父さまの所有馬も少なくなったし、他の馬主さんから預かってくれるなんとこともなかったわ。騎手として顔が知られても、調教師としては未熟だからね」
エレノアは寂しそうに笑う。
自分の浅慮な計画を恥じているかのようだ。
「親父さんのために騎手を引退したってわけか。ずいぶん思い切ったな」
恭介はどうも腑に落ちなかった。
いくらスピレッタ調教場を大切に思っているとはいえ、いきなり調教師になるにはどこか理由が飛躍しすぎている感があった。
「いや、正確に言えば、お嬢さまは引退していない」
と、ロディが補足する。
「どういうこと?」
「ペガサスレーシングクラブでは、調教師と騎手を兼任できるんだ」
「マジで?」
恭介は意外に思った。
調教師になる年齢制限がないばかりか、兼任できるなんて聞いたことがなかった。
分業の概念がなかった時代ならいざ知らず、現代の日本の競馬では考えられなかった。
「だからこそ、お嬢さまは調教師になられたの。調教師と騎手を兼任することがスピレッタ調教場を盛り立てる唯一の手段だと考えたのよ。お嬢さまがレースに乗るってなったら、ここに預けてくれる馬主さんも増えると思ったんだけど」
オリアナが自分の力の無さを嘆くようにため息を吐く。
「けど、兼任は無理だって痛感したわ。調教師になった以上、競走馬の管理だけじゃなくて、色々な雑事もこなさなきゃならないの。書類を書いたり、馬主さんたちに挨拶をしたりしてたら、とてもレースに乗る技術を維持できないわ」
エレノアが俯きがちに言った。
「そりゃそうだろ。俺んとこの先生――ああ、小木先生って言うんだけども、結構忙しそうにしてたもんなぁ」
恭介は小木兼人調教師の仕事ぶりを思い出して言った。
日本とマルスク王国を比較する材料が少ないとはいえ、調教師の仕事は多岐にわたるはずだ。
いくら兼業していいルールがあるとはいえ、騎手と調教師の両方をそつなくこなすのは不可能に近い気がした。
「でも、希望はある。お嬢さまは調教師になったばかりだが、素質馬がいないわけじゃないさ。少しずつレースに勝っていけば預けてくれる馬主さんも現れるはずだし」
ラモンが楽観的な口調で言った。エレノアを信頼しているらしい。
「けど、そんなお嬢さまにも横やりが入ったのよ」
オリアナがため息を吐いて言った。
「ああ、そこでさっきのジュスタンさんが絡んでくるわけだ」
「察しがいいな」
ロディが言うと、みんなが口々にまた事情を説明してくれた。




