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居候は雪と狼Ⅱ

「雪ちゃん、ちゃんと家で大人しくしてるかなぁ」


 学校へ向かう通学路を歩きながら、亮人は朝からそんなことを一人で呟いていた。


 雪女と出会ってから、今日で二週間になる。最初こそ、人間ではない存在が当たり前のように自宅の中を歩き、自分と同じ食卓を囲んでいるという状況に戸惑いもしたが、不思議なもので毎日顔を合わせているうちに、その生活にもすっかり慣れてしまった。


 というより、冷静に考えてみれば。


「見た目だけなら、本当に普通の女の子なんだよなぁ……」


 歩きながら、今朝の雪女の姿を思い出す。


 腰まで伸びた真っ白な髪に、透き通るような白い肌。妙に整った顔立ちをしているものの、それだけなら少し変わった髪色をした同年代の少女と言われても納得できる。本人も十七歳だと言っているため、制服でも着せて学校へ連れてくれば、事情を知らない人間なら普通の女子高生だと思うかもしれない。


「まあ、近くにいるだけで寒いんだから、普通ではないんだけど」


 彼女が隣へ立つだけで周囲の空気がはっきり冷たくなるのだから、いくら見た目が人間らしくても雪女であることを忘れようがない。


 亮人は少し考えながら歩き続ける。


「でも……雪ちゃんって呼ばれるの、本当に嫌なのかな」


「亮人は朝から何を一人で喋ってるの?」


「うわっ」


 突然背後から声を掛けられ、亮人は驚いて振り返った。


 こちらへ小走りで近づいてきていたのは、小柄な少女だった。


 短い茶色の髪に、人懐っこそうな大きな瞳。高校の制服を着ていなければ中学生、下手をすればそれより幼く見られても不思議ではないほど小柄な少女の名前は、奈星礼火(なぜれいか)。


 亮人とは小学生の頃からの付き合いで、今では同じ高校、同じクラスへ通っている幼馴染だった。


「いや、なんでもないよ」


「なんでもない人は、朝から一人で『雪ちゃん』なんて言わないと思うけど」


「聞こえてた?」


「ばっちり」


「それは困ったなぁ」


「誰なの? 雪ちゃんって」


「秘密」


「怪しい」


 礼火が歩きながら、疑うように亮人を見上げる。


「彼女?」


「違うよ」


「じゃあ好きな人?」


「それも違う」


「じゃあ誰?」


「居候?」


「なんで疑問形なの?」


 亮人自身、雪女との関係を一言で説明しろと言われても困ってしまう。


 まさか、最近家に雪女が住み始めたなどと正直に話せるはずもない。長い付き合いの礼火であっても、そんな話を突然聞かされれば、まずは自分の体調か精神状態を心配するだろう。


「それより礼火」


「なに?」


「礼火がこんな時間に登校してる方が珍しくない?」


「うっ」


 今度は礼火が露骨に顔を逸らした。


 普段の礼火なら、亮人よりずっと早い時間に学校へ着いている。それなのに今日は、いつも遅刻寸前まで家にいる亮人と同じ時間帯を歩いているのだから、何か理由があるのは明らかだった。


「昨日、ちょっと夜更かししちゃったの」


「何時まで?」


「…………十一時」


「十一時」


「なによ、その反応」


「いや」


「言いたいことがあるなら言って」


「礼火にしては頑張ったね」


「子供扱いしないで!」


 礼火が頬を膨らませる。


「十一時まで起きてたら普通に夜更かしでしょ!」


「高校生なら普通じゃない?」


「私は眠いの!」


「はいはい」


「その言い方が一番腹立つ!」


 言い返しながら、礼火は亮人についていこうと少しだけ歩幅を広げた。


 亮人と比べれば身体がかなり小さいため、同じ速度で歩こうとすれば自然と礼火の方が早足になる。亮人はそれに気づくと、何も言わないまま少しだけ歩く速度を落とした。


「……なに?」


「ん?」


「今、私に合わせたでしょ」


「別に」


「絶対合わせた」


「気のせいじゃない?」


「亮人って、そういうところだけ妙に優しいよね」


「そういうところだけって酷くない?」


「だって亮人だし」


「どういう意味?」


「そのままの意味」


 結局、答えになっているのか分からない言葉を返され、そのままいつもの調子で言い合いながら二人は学校へ向かった。


     ◇


「間に合ったぁ……」


 校門を通り抜けたところで、礼火がようやく安堵したように息を吐いた。


「まだ教室まであるけど」


「嫌なこと言わないで!」


「走る?」


「走る!」


 時間に余裕があるわけではないことを思い出し、二人はそこから校舎まで一気に駆け込んだ。昇降口で靴を履き替え、階段を上がり、どうにか教室まで辿り着く。


 そして、亮人と礼火が教室へ入った、その直後だった。


「お前らぁぁぁ! 扉閉めるなぁぁぁ!」


 廊下から担任の叫び声が響く。


 しかし、そんな声が聞こえていなかった礼火は、そのまま何気なく教室の扉を閉めた。


 バタン。


「……今、先生の声しなかった?」


「気のせいじゃない?」


「そうかな」


 亮人が首を傾げてから数秒後、閉じたばかりの扉が勢いよく開いた。


「奈星ぃぃぃ!」


「ひゃっ!?」


「俺を廊下に締め出すな!」


「ご、ごめんなさいっ!」


 突然怒鳴られた礼火が飛び上がるように謝る姿を横目に、亮人は特に助け舟を出すこともなく自分の席へ向かった。


 幼馴染と一緒に登校して、担任が朝から騒ぎ、やがて授業が始まる。


 何の変哲もない、ごく普通の学校生活。


 二週間前までなら、それが亮人にとって当たり前の日常だった。


「…………普通、か」


 席へ腰を下ろした亮人は、誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。


 今の生活が嫌というわけではない。


 雪女との暮らしも、最初に想像していたほど悪いものではなかった。それどころか、一人きりで過ごすことが当たり前だった広い家に誰かがいて、朝になれば声を掛ければ返事が返り、帰宅すれば自分以外の気配があることを、亮人は自分で思っていた以上に嬉しいと感じている。


 ただ、問題なのは雪女から聞かされた話だった。


『私たちが子孫を残すために、あんたみたいな人間が必要なの』


 初めて聞いた時は冗談だと思った。


 しかし、雪女は大真面目だった。


 妖魔を見ることのできる人間そのものが少なくなっていて、そうした人間は一部の妖魔にとって、種族を残すためにも必要な存在なのだという。


 妖魔が見える。


 ただそれだけの理由で、亮人はすでに普通の高校生とは呼べない立場へ足を踏み入れているらしい。


「……普通の高校生に戻りたい」


 机に頬杖をつきながら、亮人は小さく息を吐いた。


 そもそも昔から、亮人は『普通』というものに憧れていた。


 両親は大企業の経営者であり、それだけ聞けば誰もが恵まれた家庭を想像するだろう。広い家があり、生活に困ることもなく、欲しいものがあれば大抵のものは手に入れられる。


 けれど、その代わりのように両親がこの家へ帰ってくることはほとんどなかった。


 亮人の将来も、ずっと以前から当然のように決められている。


 高校を卒業したあと、いずれ両親の会社へ入り、その先では会社を継ぐ。


 亮人自身が何を望んでいるのかとは関係なく、周囲にとっては最初からそうなるものとして話が進んでいた。


 昔、大きな事故に遭った時ですら両親は見舞いに来なかった。


 仕事があったから。


 理由として聞かされたのは、それだけだった。


「…………」


 あの事故について思い出そうとすると、今でも頭の奥へ薄い霧が掛かったような感覚がある。


 幼い頃に頭を強く打った影響なのか、一部の記憶が曖昧なまま抜け落ちており、どれほど思い出そうとしても、その先へ進もうとすると霧の中へ手を伸ばしているような感覚だけが残った。


 だからこそ亮人は、余計に思う。


 偉くならなくてもいいし、大金持ちにならなくてもいい。毎日仕事だけに追われて、家へ帰ることさえできないような人生を送りたいわけでもない。


 ただ大切な誰かと一緒にいて、朝になれば同じ食卓を囲み、出掛ける時には「行ってきます」と言い、帰ってきた時には誰かから「おかえり」と返してもらえる。


 そんな、ごく普通で静かな暮らしが欲しい。


 それが亮人にとっての、小さな夢だった。


 なのに。


「妖魔、かぁ……」


 どうやら人生というものは、亮人をそう簡単に普通へ戻してくれるつもりはないらしい。


「普通の人生って、どこにあるんだろうな」


 その呟きとほとんど同時に、校内へチャイムが鳴り響いた。


 キーンコーンカーンコーン。


「亮人!」


 少し離れた場所から礼火がこちらへやってくる。


「早く行くよ!」


「どこに?」


「化学! 今日、実験室でしょ!」


「あ」


「忘れてたの!?」


「ちょっとだけ」


「早くしてよ! 置いていくからね!」


「待って、今教科書取るから」


 亮人は慌てて席を立ち、教室後方のロッカーへ向かった。


 化学の教科書を取り出して鞄へ押し込み、礼火の方へ振り返る。


「よし」


 その時だった。


「…………ん?」


 鼻先を、何かが掠めた。


 知らない匂い。


 いや、正確には知らないというより、どこかで嗅いだことがあるような気がするのに、何の匂いなのか思い出せない。


「なんだ……?」


 亮人は思わず足を止めた。


 最初に頭へ浮かんだのは、獣だった。


 動物園のような鼻につく強い臭いではなく、もっと野性的で、濡れた土や草、僅かな血のようなものまで混ざった、生き物そのものを思わせる匂いだった。


「…………」


 もう一度、鼻からゆっくり息を吸い込む。


 しかし、今度は何も感じない。


「消えた?」


「亮人ー!」


 教室の扉の前から、礼火が声を上げる。


「早くしないと本当に遅刻するよ!」


「あ、うん!」


「あと二分しかない!」


「それはまずいね」


「だから急いでって言ってるの!」


 亮人は慌てて教室を飛び出し、礼火と並んで廊下を走る。


 けれど、身体は化学実験室へ向かっていても、意識の一部は先ほど感じた匂いへ残ったままだった。


「どこかで……嗅いだことある気がするんだよな」


「何が?」


「いや、なんでもない」


「今日の亮人、なんでもないこと多すぎない?」


「そうかも」


 礼火から訝しげな目を向けられながらも、亮人はそれ以上話すことなく、二人はそのまま化学実験室へ向かって走っていった。


 そして。


 二人の姿が廊下の角を曲がり、完全に見えなくなったあと。


『ハァ……ハァ……』


 誰もいなくなったように見える廊下に、荒い呼吸音だけが残っていた。


 そこに立っていたのは、一匹の狼だった。


 黄金の毛並みは窓から差し込む朝日を受けて淡く煌めき、本来なら美しいはずの身体には幾つもの傷が残っている。毛の一部は血で固まり、歩くたびに傷口が痛むのか、ときおり前脚が僅かに震えていた。


 それでも、狼は立ち止まらない。


 周囲では何人もの生徒たちが教室移動のため廊下を行き交っているが、誰一人としてその存在へ気づく様子はなかった。


 狼のすぐ横を通る。


 すれ違う。


 あと少しで身体へ触れそうなところまで近づいても、誰も振り返ろうとしない。


 彼らには、狼の姿が見えていないのだ。


 けれど狼自身は、そんなことを気にも留めていなかった。


 琥珀色の瞳が見つめているのは、ただ一つ。


 亮人が消えていった廊下の先だけだった。


『やっと……』


 小さく声が漏れる。


 その瞳が、僅かに潤んだ。


『やっと会えた……』


 ずっと探していた。


 どれほど歩いたのかも、どれほど遠くまで来たのかも、もう分からない。


 傷だらけになっても、炎に焼かれても、何者かに追われても、それでも止まることだけはしなかった。


 もう一度だけ、会いたかったから。


『お兄ちゃん……』


 懐かしいものを確かめるように、その言葉を口にする。


 先ほど確かに見えた。


 昔とは少し違っていた。


 小さかった身体は大きくなり、声も変わっている。


 それでも間違えるはずがなかった。


『今度こそ――』


 黄金の狼は、傷ついた前脚で床を強く踏みしめた。


『私がお兄ちゃんを守るから』


 次の瞬間、床を蹴った。


 黄金の身体が廊下を駆け抜け、階段を一気に上がっていく。


 人間たちには見えない。


 だから、突然横を何かが走り抜けても、風が通り過ぎた程度にしか感じない者もいれば、そもそも何も気づかない者さえいる。


 狼はそんな生徒たちの間を縫うように駆け抜けると、やがて最上階まで辿り着き、その勢いのまま屋上へ飛び出した。


 扉の向こうには、雲一つない青空が広がっていた。


 冷たい十一月の空気。


 朝日。


 風に揺れる金色の毛。


 狼は校舎の端まで歩くと、ゆっくり顔を上げた。


 そして。


『ウォォォォォォォォォォン――!』


 力強い遠吠えを響かせる。


 長く、澄んだ声が朝の校舎を駆け抜けていく。


 屋上から階下へ。


 教室。


 廊下。


 体育館。


 校庭。


 学校中へ届いたはずの声だった。


 けれど、教師も生徒も誰一人として振り返らない。


 会話をしていた者はそのまま話を続け、廊下を歩いていた生徒は足を止めず、授業中の教師も何事もなかったように説明を続けている。


 誰にも聞こえていない。


 ただ一人を除いては。



     ◇



『ウォォォォォォォォォォン――!』


「――っ!」


 化学実験室。


 耳へ飛び込んできた遠吠えに、亮人は勢いよく顔を上げた。


「…………狼?」


 かなり近い。


 遠くの山から届いているなどという距離ではなく、窓の外、下手をすれば同じ校舎のどこかにいるのではないかと思えるほど鮮明に聞こえた。


「そんなわけ……」


 日本に野生の狼がいるはずがない。


 ならば大型犬かとも考えたが、それにしても学校の中で、これほどはっきりと遠吠えが聞こえる状況は不自然だった。


 亮人は周囲を見回す。


「…………」


 誰も反応していない。


 教師はホワイトボードの前に立ったまま、これから行う実験の手順を淡々と説明している。


 クラスメイトたちも教師の話を聞き、班ごとに必要な器具を確認しており、今しがた校舎全体へ響いたはずの遠吠えなど最初から存在しなかったかのようだった。


「礼火」


「ん?」


 隣にいた礼火が振り返る。


「今、何か聞こえなかった?」


「何か?」


「遠吠えみたいな声」


「遠吠え?」


 礼火は不思議そうに首を傾げ、耳を澄ませるように少し周囲を見回した。


「何も聞こえなかったよ?」


「本当に?」


「うん。犬でもいたの?」


「いや……」


 背中へ、じわりと嫌な汗が流れる。


「なんでもない」


「またそれ?」


「今回もなんでもないよ」


「変なの」


 礼火はそれ以上気にした様子もなく、すぐに教師へ視線を戻した。


 けれど亮人は、同じように前へ向き直ることができなかった。


 ――俺にしか聞こえてない?


 その可能性が頭をよぎる。


 以前の亮人なら、ただの聞き間違いだと考えただろう。


 疲れていた。


 何か別の音を聞き違えた。


 そうやって自分を納得させることができたはずだ。


 しかし今は、それでは済ませられない。


 普通の人間には見えないはずの雪女を、亮人は見ることができる。


 その声も聞こえるし、触れることさえできる。


 ならば今の遠吠えも、人間には認識できない何かが発したものだと考えれば説明がついてしまう。


「妖魔……?」


 誰にも聞こえないよう、小さく呟いた。


 雪女以外の妖魔。


 そう考えた瞬間、亮人の眉が僅かに下がる。


「それは困るなぁ……」


 雪女一人が家にいるだけでも、すでに十分普通とは言えない。


 これ以上妖魔と関わることになれば、自分が望んでいる平穏な高校生活から、ますます遠ざかってしまう気がする。


 その時、亮人の頭へ以前雪女から言われた言葉が蘇った。


『もし他の妖魔に遭ったら、すぐ家に連絡しなさい』


『連絡したらどうするの?』


『助けに行くわよ。当たり前でしょ』


 あの時の雪女は、普段のように怒鳴ったり呆れたりすることなく、珍しいほど真剣な表情をしていた。


 妖魔を見ることができる人間がどれほど危険な立場なのか。


 亮人自身にはまだ実感がないが、彼女が念を押すほどなのだから、無視していい話ではないのだろう。


「…………」


 本当に何かあったなら、連絡した方がいいのかもしれない。


 そう考えながら、亮人は窓の外へ目を向ける。


 そこには、先ほどまで考えていた不安とはまるで関係ないような青空が広がっていた。


 朝まで残っていた薄い雲も消え、冬が近づいているとは思えないほど澄み切った青空が、視界いっぱいに広がっている。


「綺麗だな……」


 今が授業中であることさえ一瞬忘れ、亮人は窓の向こうへ見入った。


 昔から、空を見るのが好きだった。


 何も遮るものがなく、どこまで行っても終わりがないように見える。


 旅客機に乗った時、窓から見下ろした雲の海も好きだった。


 上には青い空。


 下には白い雲。


 地上で自分を縛っているものが何一つ見えなくなり、ほんの短い時間だけ、世界から切り離されたような気持ちになれた。


 あんなふうに。


 何にも縛られず、自分が行きたいと思った場所へ自分の意思で向かえるのなら。


「俺も……自由になれるのかな」


「亮人」


「ん?」


「実験」


 現実へ引き戻すように、礼火の声が聞こえた。


 見ると、呆れた表情でこちらを見ている。


「先生にバレるよ?」


「何が?」


「サボってること」


「もうバレてるんじゃない?」


「開き直らないでよ」


「今はちょっと、外見てたいんだ」


「……あっそ」


 礼火は少し不満そうに頬を膨らませたものの、それ以上は何も言わず班のメンバーのところへ戻っていった。


 亮人は再び青空へ視線を向ける。


 先ほどの遠吠え。


 妖魔。


 家にいる雪女。


 自分だけが見たり聞いたりできるもの。


 そして、少しずつ普通から遠ざかっているように感じる自分自身。


 そんなことをぼんやり考えていたところで、ふと二週間前の出来事を思い出した。


「そういえば……」


 雪女と初めて会った日。


 突然、それまで見えなかったはずの存在が目の前へ現れ、自分の日常が僅かにずれ始めたあの日も、確かよく晴れていた。


「雪ちゃんと会った日も、こんな空だったっけ」


 亮人は窓越しに、届くはずのない青空へそっと手を伸ばした。



     ◇



 その頃。


 亮人が見上げている空の、さらに近く。


 学校の屋上では。


『…………すぅ……すぅ……』


 金色の狼が、朝日の差し込む陽だまりの中で身体を丸めていた。


 つい先ほどまで傷だらけの身体を引きずるようにして校舎を駆け回っていたというのに、今は力が抜けきったように横たわり、静かな寝息を立てている。


 ようやく見つけた。


 ずっと探していた。


 どれほど遠くまで歩いても、何度追われても、身体へ傷が増えていっても、それでも諦めることだけはできなかった相手を、ようやくこの目で見ることができた。


 もう探し続けなくてもいい。


 どこへ行ったのか分からないまま、不安に怯えなくてもいい。


 そう思った途端、張り詰めていたものが一気に切れたのか、狼の身体から力が抜けてしまった。


『お兄ちゃん……』


 眠りながら、嬉しそうに呟く。


 その声には、先ほどまでの苦しそうな響きはほとんど残っていなかった。


『やっと……会えたよ……』


 陽射しが黄金の毛並みを柔らかく照らし、冷たい風が時折その毛先を揺らしていく。


 それでも狼は目を覚まさない。


 まるで長い間迷子になっていた子供が、ようやく帰るべき場所を見つけたかのように、安心しきった表情を浮かべながら眠り続けていた。

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