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第6話 バスルームでのひととき——

湯気が立ち上る風呂場。

明らかに二人で入ることを前提に設計された、ジャグジー付きの浴槽。

そこにお湯を張り、俺は浴槽の縁に背中を預け、凝り固まった思考を解きほぐそうとしていた。

俺のすぐ前には当然のように俺の胸へと背中を預けている雫がいて、客観的に見れば完璧なカップルのバックハグ状態というやつが成立している。


一線を超えてしまった俺たちは今、一戦後の余韻を洗い流すお風呂タイムを満喫していた——


今さら冷静さを取り戻して考えてみる。

一度でも肉体的な関係を持つと、それまでの距離感が急接近するとはよく聞く話だが、正直、ここまでの変化は予想していなかった。


さっきまで恐怖すら覚えていた彼女との密着が、今では当たり前のように成立していて、それが少し怖い。


髪が濡れないようにと髪留めでくるりと器用にまとめた雫は、上機嫌な鼻歌まじりにお湯を首筋へチャプチャプと掛けてご満悦の様子。

そんな彼女を後頭部越しに覗き見ていると、嫌でもお湯の浮力に逆らわずにぷかぷかと揺れる、豊満なおっぱいが視界の端に侵入してくる。

俺は慌てて理性が再びショートする前に、視線を明後日の方向へと逸らした。


「はぁぁぁ……極楽極楽っ……」

「雫……お前よくこんな状況でリラックス出来るな……」

「ん?そう?だって一緒にお風呂入るとかなんか楽しくない?」

「いや……俺はちょっとまだ緊張してるっていうか……」


雫はお湯をその小さな掌で丁寧にすくい取って再び首筋に振りかけると、呆れたように肩をすくめてみせる。


「ぷぷぷぅww湊人はホントに繊細なんだからぁ〜wwあたしたち、もう裸を隅々まで見せあってるんだし……しかもえっちしちゃったんだよ?一緒にお風呂くらいなんでもないじゃん」

「そう言われてもなぁ……」


——これが、男女の感覚の違いってやつか?


「ふふっ……ホント繊細っww弱っww」


湯船の中で雫が僅かに身じろぎするたび、連動して湯面が大きく揺らぎ、雫の誇るボリューミーな質量もまたふよふよと無防備に踊る。

俺は修行僧の如く、ムラつきそうになるのを必死に抑え込み、天井の換気扇の回転数や風呂場の入り口のタイルの目地を数える作業に意識を逃がす。


「でもさっ……なんだかんだ気持ちよかったね♡」

「だっ、だからそういうのやめろって!」

「ええ〜……じゃあ湊人は気持ちよくなかったの……?」

「そっ、それは……気持ちよかったけど……」

「にひひっ♪そうだよねぇ、あんなに沢山出してたしねぇ……アレ、意外と飲めるもんなんだねっ♡」

「……おまっ、ホント……勘弁してくれ……」


ほんの少しだけこちらに顔を向け、雫は悪戯にコロコロと笑いながら言い放った。

けれど、そんな彼女の頬はお湯の熱だけでは説明がつかないほどに赤く染まっている。


——聞かなかったことにして。色々あったんだよ色々と。言っておくけど雫からだからね?


なにげない時間がお湯に溶けて流れていく。そこにはどこか抗いがたい心地よさを伴っていて。案外、こんなのも悪くないのかもしれない。


そんな事を思っていた時――ふと、雫が風呂場の壁面に設置された鏡に視線を止めた。


「あ゛っ……」

「ん?どした雫?」

「ちょっ、湊人っ!あたしの首に跡ついてないっ!?」

「え゛っ!?」


重なり合う驚愕の声。

雫は鏡に自らの首元を執拗に映し出しながら、顔を左右に動かしてその異変を確認し始めた。


「ほらっ……ここ……」

「……どれどれ……あ……ほんとだ……」


鏡を凝視しながら首筋の一点を指差す雫。俺はその指先に視線を動かした。

鎖骨の少し上、首筋の柔らかい皮膚に、赤く滲んだ痕跡がくっきりと浮かび上がっている。

湯上がりの単なる火照りとは明らかに違う、吸い付かれたであろう生々しい熱の跡。


要するに、独占欲の象徴たるキスマーク。


彼女の透き通るような肌がキャンバスとなっているせいで、余計にその一点の赤だけが目立ってしまっている。


「あ〜あ、湊人にキスマーク着けられちゃった……ど〜しよっ、困ったなぁ〜」


口元では不満げな形を作りながらも、鏡越しにちらりとこちらの動揺を盗み見ては、すぐに視線を逸らす雫。

絶対わざとだ。だが、謝るほかない。

その痕跡を刻んだ犯人は他ならぬ俺自身なのだから。


「ごめん雫……強く吸いすぎた……」

「そんな謝れてもなぁ……これじゃ、えっちしたってみんなにバレちゃうかもなぁ〜ww」


雫は主導権を自分の側に引き寄せようとしているだろう。

からかい半分、事実確認半分、そこにひとつまみの意地悪を混ぜ合わせた、そんな絶妙な塩梅。


「ほんとにごめん……次から気をつけるよ……」

「んっ?今なんて?次から……?」

「あっ……」


——しまった。

そう気づいた時には既に遅かった。無意識に口から滑っていたその言葉。

俺がほんの一瞬でも彼女との未来を想像していた事を、認めてしまったに等しい。


雫はくるりと勢いよくこちらに振り返ると、その表情をパッと明るく輝かせる。


「えへへっ……湊人、今、次からって言ったよね?ねっ?」

「あのっ、それは……言葉のあやっていうか……」

「言ったよね?次・か・らって……?」


頬をぷくっと膨らませた雫が、逃げ道を完全に塞ぐような重厚なプレッシャーを俺に掛けてくる。

それに抗えるはずもなく――


「……はい……言いました……」

「はいっ♪素直でよろしいっ!えへへっ……」


いとも簡単に白状した俺を、雫は満開の笑顔で迎えた。

その表情はあまりに無邪気で、けれどどこか心の底から安堵したようにも見えて。

不意に胸の奥がきゅっと、締め付けられるような感覚に陥る。


これ以上、曖昧にしちゃいけない。

たとえこれが若さ故の勢いが生んだ事だったとしても。

彼女の行動が発端だったとしても。

俺の心が失恋の痛みで耐えきれないほどに弱りきっていたとしても。

それらはすべて、醜い言い訳の積み重ねに過ぎない。


雫まで失いたくないという感情に背中を押され、一歩を踏み出した俺がここにいる以上、背負うべき責任の半分は俺にある。

彼女を弄ぶことだけは、たとえこの先どんな結末が待っていようとも絶対に許されない。


それは俺なりのけじめだ。


俺の頭の中でそんな決意が巡る間に、雫の笑顔はゆっくりと別の温度を持ったものへと変わってゆく。


目元には優しさを宿したまま、けれどその口元はどこか強張っていて。

彼女が抱えていた気持ちが露わになったのは、次に紡がれたその一言だった。


「ねぇ湊人……あたしたちさ……付き合ってみない?」——


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