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第41話 永遠の一瞬が終わる時——

茜色に染まる公園のベンチ。

雫の口から語られたのは、俺の理解をはるかに超える、あまりにも残酷な真実だった——


「消えるって……その話……本当なのかよ、雫」

「……うん……ホントだよ……」


膝の上で手を強く握りしめた雫は、力なく頷く。

いつもなら底抜けに明るい彼女の瞳は、今は深い悲しみに沈み、微かに潤んでいる。


朝凪の行動の意味、雫の人格の危機。

全ての事を聞き終えた俺は、頭を鈍器で殴られたような衝撃に声が出せなかった。


……嘘だろ、この日がこんなにも早く、こんなにも唐突に来るなんて……。


「なっ、なぁ雫……それ、どうにかならないのかよっ!?」

「………………」


つい漏れ出した俺の悲痛な叫びに、雫はただ力なく微笑むだけで、何も答えてはくれなかった。

その沈黙が、これがどうしようもない事なのだと残酷なまでに俺に突きつけてくる。


「なっ……なんでだよっ……どっ、どうして……俺たち、せっかくこんなになれたのに……」

「……ごめんね、湊人……」


視界が歪んでいく。

……なんでだよ。なんで謝るんだよ……。


「湊人。あたしさ、もうそんなに時間がなさそうなんだ……だから言わせて——」


……雫……やめてくれ……たのむ……。


その先を聞いたら、本当にすべてが終わってしまう。

そんな気がして、俺は無意識に耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。


でも、雫の真っ直ぐな……すべてを受け入れたようなその瞳が、俺を逃がしてはくれなかった。


「これで、湊人とのおためしの恋人期間はお終いにしよう……お互い、これでフリー。ごめんね、ホントの恋人になれなくて……湊人の側にずっといたいけど、でも、あたしの役目はこれで終わりみたいなんだ……だからさ、一つだけお願い聞いてほしいんだよ……」


「……お……お願い?」

「そう……」


茜空を見上げながら、彼女は愛おしいものを手放すような、そんな優しい声で紡ぎ出す。


「あたしが居なくなったら……澪を支えてあげられる人は湊人だけになっちゃうんだよ……だから……」


「……っ……」


「……だから、澪のこと……大事にしてあげてね?これは湊人しか出来ないことだからね?」

「……雫っ……」


ポロポロと、俺の目から無様な涙が溢れ落ち始めた。

自分が消えてしまうというのに、最後の最後まで、彼女は自分ではなく朝凪の心配をしているのだ。どれだけお人好しで、どれだけ優しいんだよ……お前は。

それに比べて、俺は……。


「お願い湊人、約束して……澪のこと、絶対幸せにするって……」

「そっ……それはっ……」


頷くことなんてできない。

俺は雫のことを失いたくない。雫に生きていてほしい。朝凪を幸せにするのは雫と一緒にじゃなきゃ嫌だ。

そんな子供みたいなエゴが喉元まで出かかる。


「残酷なこと言ってごめん……でもあたし、これだけは譲れないんだ……」

「………………」


「あたしはいなくなっちゃうけど……でもあたしの中の記憶は、澪の中でずっと生きてる。あたしは澪と一緒になるんだよ……だから、これからの『あたし』を幸せにして?お願い、湊人……」


胸の中でぐちゃぐちゃになった感情が渦を巻いてゆく。

雫の身勝手な願いへの怒り、彼女が消えてしまうことへの絶望……そして幼い自分への憤り。


だけど、彼女の言う通り俺がここで首を横に振れば、雫の想いは行き場を失い、朝凪はまた一人ぼっちの冷たい世界に戻ってしまう。

それが雫の、俺の愛した少女の最後の願いだというのなら。


「………………わかったよ……お前の頼みだからな……任せろ……雫……」



血を吐くような思いで、俺はどうにかその言葉を絞り出す。

それが強がりみたいなものだったとしても。


「えへへっ……やっぱ湊人ならそう言ってくれると思ったよ……ありがと。これであたしも思い残すことはないよ……」


彼女は泣きながら……それでも世界で一番綺麗な笑顔を見せて、小さく息を吐いた。


俺の感情は、既に決壊しているみたいだ。

悲しみと、愛しさと、無力感がごちゃまぜになって、自分でも自分がどうなっているのかわからない。



「しっ……雫……俺っ——」



たまらず、彼女に何かを伝えようと口を開いたその時——





「湊人っ——!」




雫が俺の言葉を遮るように身を乗り出し、俺の首に勢いよく腕を回して、その唇を強く押し付けてきた。



それは今までで一番優しく、深く、切ない……涙の味が混ざった濃厚なキスだった。


互いの熱を確かめ合うように、存在を刻みつけるように。

それが『最後』だとわかっているからこそ、息継ぎすら惜しむように、何度も何度も唇を重ね合わせた。



しかし、その永遠の一瞬にも、終わりが来る——



微かな吐息とともに唇が離れ、俺の滲んだ視界に雫のシルエットが映る。


「湊人っ!あたしの事、大切にしてくれてありがとう。あたしの事、一人の人間として見てくれてありがとう……。湊人がいてくれたおかげで、あたしの人生、最高に幸せだったよ!いろんな事が出来て……ホントにっ……」


「雫っ……頼むっ……嫌だっ、行かないでくれっ!!」


堪えきれず、俺の心の奥底からどうしようもない本音の叫びがこぼれる。

そんな俺の情けない声を聞いて、雫はボロボロと大粒の涙を流しながら、それでも俺が一番大好きだった、雫だけの……あのひまわりのような最高の笑顔を浮かべてくれた。


「ぷぷぷっ……だっさぁ……湊人、なんて顔してんの?」


雫独特の、わざとらしく強がるような声。

彼女の小さな手が伸びてきて、俺の頬を伝う涙を優しく拭ってくれる。


「雫っ……こんな時まで……バカやろう……」


限界だった。

俺は彼女の細い身体を、壊れてしまうくらい強く、強く抱きしめた。

俺の胸の中で、雫が必死に声を上げて泣くのを我慢して小刻みに震えている感触が伝わってくる。



そして、俺の耳元で、甘くて、掠れた声が。



「湊人ありがと、大好きだよ……これからも、ずっと……」


「ああ、俺も大好きだよ……雫っ……」


ありったけの想いを込めてその言葉を返す。

彼女と出会ってから、心の中で何度も思っていたけれど、恥ずかしくて口に出せなかったその言葉。


「えへへっ……初めてちゃんと好きって言ってくれた……遅いよ、ばか……」

「……っ……ごめん……」


涙で霞む視界の中、俺の腕の中にあった確かな熱が抜け落ちていく感覚がする。



「湊人……あとは……よろしくね……」



その、消え入るような囁きを最後に。

俺の背中に回されていた雫の腕から、ふっと、すべての力が抜け落ちた。


「…………っ」


声が出なかった。

茜色が完全に消え、夜の帳が下り始めた公園のベンチで、俺は腕の中の少女をただただきつく抱きしめたまま、必死にその存在を繋ぎ止めようとする。


「……しっ、雫……行かないでくれ……行かないでくれよ……」


震える声で絞り出した俺の哀願は、もう誰にも届くことなく、静かな夜の空気に溶けて消えていく——



どれくらいの時間が経っただろうか。

不意に俺の腕の中にいた少女の身体が、微かにピクリと動いた。



「……湊人……くん……」


聞こえてきたのは、先ほどまでの甘い声ではない。

震えてひどく怯えたような、か細い声。


俺はハッとして、強く抱きしめていた腕を少しだけ緩めて彼女の顔を見つめた。

街灯の淡い光に照らされたその表情、纏う空気、そして俺を見つめ返す不安に揺れる瞳。


服装も香りも雫と同じ、だけど、それは言葉を交わすまでもなくはっきりと朝凪だとわかった。


「……朝凪……しっ、雫は……?雫はもう……」

「………………」


俺の残酷な問いかけに朝凪は無言のまま、ポロポロと大粒の涙を溢しながらゆっくりと首を横に振った。

その仕草だけで、すべてを察するには十分だった。


……雫は、もう本当に…………。



「……ごめんなさい湊人くんっ……私がっ、私が幸せになっちゃったから……私がっ——」



雫の存在意義を奪ってしまった。その耐え難い罪悪感に、彼女は今にも壊れそうになっているのだろう。



「朝凪っ!——」



朝凪が顔をくしゃくしゃにして泣き崩れそうになったその時、俺は自分を責め続ける彼女の言葉を遮るように、もう一度、今度は朝凪澪を強く、強く抱きしめた。


「それ以上言うな……いいんだよ朝凪……朝凪だって幸せになっていいんだ……誰も悪くない……それに雫は、朝凪がそんな風に自分を責めることを望んでなんかない……」



「ううっ……うううっ……」



俺の腕の中で、朝凪は子供のように声を上げて激しく泣きじゃくった。

そこには既に茨姫の面影はない。



「大丈夫だ……俺がいるから……」



彼女の背中をさすりながら、俺自身の目からも止まることなく涙が溢れ続けている。

雫を失った喪失感。そして、目の前で泣きじゃくる朝凪の痛み。

冷たい夜風の吹く公園のベンチで、俺たちはただ激しく抱き合い二人で声を上げて泣き続けた。



朝凪のことも、雫自身が愛してくれたこの関係の未来も、俺は絶対に守っていく。

雫の記憶と一緒に——




やがて、少しだけ泣き声が落ち着いた頃。

朝凪は俺の胸に顔を埋めたまま、ギュッと俺の服の胸元を強く握りしめ、震える声で紡ぎ出す。


「みっ……湊人くん……私っ、不甲斐ないけど……私っ、雫の代わりにはなれないけどっ……」

「……朝凪……」

「でもっ……あなたのこと、好きなの……大好きなのっ……!」


しゃくりあげながら、それでも必死に、彼女は自分の本当の気持ちを言葉にして伝えてくる。


そのあまりにも真っ直ぐで、不器用で切実な想いが、俺の心を震わせる。




「ねぇ、湊人くん………………私じゃ、ダメかな?」——




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