第39話 斜陽と焦燥。五里霧中——
脅迫と、愛の渇望。
その日、俺は狂気に染まった彼女の呪縛から逃げ出す事は出来かなった。
いや、しなかった——
俺は雫を失いたくなかった。
そして……ボロボロに泣き崩れる朝凪の事を、これ以上見捨てておくこともできなかった。
俺がこの腕に抱いたのは確かに雫ではなく、朝凪澪だった。
ここまで悲しくて、背徳的で、それでいてひどく不器用な愛情を感じた行為なんて初めてだった。
そもそも、普通の人生において絶対に出会うはずのない、一つの身体に宿る二人の少女との恋という、歪な関係から生まれた歪み。
それを、つい少し前まで童貞だったただの男子高校生に、すべて理解して完璧に対処しろなんていうのが無理な話だろう。
事を終えた後、朝凪は俺の胸に縋り付いて泣きながら何度も何度も謝ってきた。
『ごめんなさい。でも好きなの……こうしちゃいけないのはわかってたの……』と。
幸せそうな顔なんて、そこには一切なく。ただ、罪悪感と安堵でぐしゃぐしゃになった痛々しい女の子がいた。
そんな彼女を、俺は無言で抱きしめるしかなかった。
なにより、あんなになってまで俺を求めてくれた朝凪を放っておくことなんて、到底出来なかったのだ。
俺は雫と同じように、彼女の事も……好きだったのだから。
二人を平等に愛すればいい。
言葉にすれば簡単なその響きが、俺のちっぽけな倫理観を激しく揺さぶり邪魔をして実行を許さない。自分でも自分が嫌になる。
でも、現実的に考えれば、それはクズみたいな行為じゃないか?
二人を自分の隣に置くことが、それが誠実さなのか?
結局、俺は朝凪にその行動の核心を聞けないまま、その日はひどく気まずい空気のまま別れてしまった。
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その日の深夜、日付を跨いだ頃——
暗い部屋のベッドで、罪悪感に押し潰されそうになっていた俺のスマホが短く震え、画面に一通のメッセージが表示された。
【雫:湊人、ちょっと話があるんだ。急ぎで。明日の夕方いつもの公園で会えないかな?】
雫は前に話していた。
このゲーマー御用達メッセージアプリについては、雫自身が設定した彼女だけのパスコードがかけられており、朝凪に中が見られることはない。
その事実を思い出し、俺の心に一瞬だけ強烈な安心感がよぎった。
雫は消えていない。彼女はまだ、そこにいるという絶対的な安心感。
俺はそれを見て、震える指ですぐに返信をした。心に渦巻く、醜い罪悪感を少しでも早く吐き出したいというくだらない自己満足で『俺も話したいことがある』と。
雫はきっと、俺と朝凪の間に起きたこの最悪の事態を知ってしまったのだろう。
俺は彼女に謝らなきゃいけない。どんなに罵られようと、謝って許してもらえるかわからなくても。
俺は、最悪の彼氏だ——
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そしてすぐに、約束の日の夕方が訪れた——
学校で顔を合わせた朝凪は、拍子抜けするほどいつも通りの態度で、それが俺にとっては逆に助かった。気まずさを顔に出さずに済んだからだ。
帰りのホームルームを終えた瞬間、俺は逃げるように教室を駆け出し、いつもの公園へと急いだ。
時はまだ夕暮れ時。
茜色に染まる空に照らされたいつものベンチは、どこかひどく物悲しい影を落としている。
……まだ雫は来ていないか……。
そう思い、冷たいベンチに座って待つこと10分ほど。
視界の端を、見慣れたシルエットがよぎる。
「……よっ、湊人。おまたせっ」
「……よっ、て……雫……」
片手を軽く上げて近づいてくるのは、いつものラフなパーカー姿に、黒髪の奥でブルーのインナーカラーを覗かせた間違いなく雫だった。
修羅場を覚悟していた俺は、そのあまりの軽さに完全に拍子抜けしてしまう。
雫がいつものように人懐っこい笑顔で俺の隣に座ると、風に乗って彼女の甘い香水の香りがふわりと漂ってくる、
それに、俺の張り詰めていた心が少しだけ安堵の兆しをみせた。
「「………………」」
だが、言葉は続かなかった。
二人して目線を合わせることができず、茜色の空間を重たい沈黙が包み込む。
その息苦しさに耐えかね、俺から口を開く決意をする。
『それで、話って?』なんて風に、軽く聞き返せるはずもなく——
「雫っ!ごめん!!俺っ——」
俺が勢いよく頭を下げてすべてを自白しようとした、その時。
雫がこちらを振り向き、困ったように眉をひそめながら微かに微笑むと、すっと手を伸ばし、俺の唇にそっと人差し指をあてて言葉を強制的に止めてきた。
「そんなに焦らないでいいんだよっ、湊人」
「…………?」
どこか愛おしそうに、けれど、ひどく悲しそうな表情のままの雫は続ける。
「『澪とシちゃったっ、ごめん!』……って言うんでしょ?」
「……えと、それは……」
「はぁぁぁ……まったくクソ真面目なんだから湊人は……まぁ、そんなバカみたいに真っ直ぐな所が、あたしは好きなんだけどね」
呆れたようにため息をつく雫。
だが、そこにはいつものような明るいノリは全く感じられず……俺の抱える罪悪感も、焦りも、何もかもをあらかじめ見透かしているような、不思議なほど大人びた空気を彼女は纏っていた。
「謝らなきゃいけないのはあたしの方だよ……」
「なっ、は?どういうことだよ……」
「あたし話があるって言ったじゃん?それはさ……確かにそのことなんだけど……」
雫は俺の唇から指を離すと、夕暮れの空へと視線を落とし、ゆっくりと話し始める。
「あのさ湊人。澪の事、責めないであげて…………澪があんな事したの、あたしのせいなんだ……」
「……雫の……せい?」
聞き慣れない、物悲しい声が鼓膜を揺らす。
言っている意味が全く理解できない。雫のせい?
俺に対しても彼女は全く怒っている様子もなく、それが余計に俺の不安を煽ってくる。
「そ。あたしが澪に直接お願いしたんだ……『あたしのフリをして、湊人に会って』って……」
「……えっ……な、なんでだよ? どういう事だよ、雫?!」
あまりにも衝撃的な告白に、既に脳内のキャパシティーは限界を超えそうになっている。
つい声を荒げてしまった俺を真っ直ぐに見つめ返し、雫は今まで見せたことのないような、ひどく冷静で、静かな口調で話し出した。
彼女の口から語られる内容。それは……あまりに突拍子のない事で——




