第36話 日常のアップデートと急なお誘い——
波乱に満ちた楽しい休日は終わり、俺にはまたいつもの平日が訪れていた。
俺は多分、今が自分の人生で一番充実しているようだ。
時間の流れがあまりにも早すぎる。
それはもちろん、朝凪や雫という存在のお陰に他ならない。
そして、平日もあっという間に過ぎ去ってゆき、アンニュイな空気が漂う金曜日のお昼休み——
バカな幼馴染の企みが終わってからは、またいつものように昼休みのチャイムを聞いたらあいつと合流して、学食で雑談混じりに飯を食うのがルーティンだ。
しかし、最近は少しだけ、いつもと違う光景が広がっていたりする。
「いやぁ、でもさ湊人。マジで昨日の最後の試合惜しかったよなぁ! あれ、絶対チャンピオンいけたろ?」
「確かにな……でも、あれはもう運任せだった気もするけど?」
「まあ、そういっちゃお終いだろ?それに一番活躍してたのは俺達じゃなくて……朝凪さんだったんだし。できれば朝凪さんの為にもチャンピオン取りたかったよなぁ」
「そっ……そんな……私なんて、まだまだよ」
俺の隣から聞こえてきた、むさ苦しい男の会話には似つかわしくない、凛とした澄んだ声。
そう。ここ最近、昼休みは俺と匠のバカコンビに加えて、朝凪が合流して3人で食事を取る事がすっかり定着しているのだ。
しかも、その話題も今みたいな感じで。夜に3人でボイスチャットを繋いでネトゲをして、その戦績などを熱く語り合うという、茨姫のイメージからは明らかに異質すぎる空間になっているのだが。
「でも流石だよね、朝凪さんも。完全なゲーム初心者だったのに、たった数日で俺らに追いつくくらいあんなに操作が上手くなるなんて……」
「そっ、そうかしら?まあ動画を見たりして、色々頑張ってはみたけれど……」
「いやいやマジで凄いって。湊人なんて、最初は1か月くらいまともにキャラの操作すら出来なかったんだから」
「おいっ……お前、それは今言うなよ」
俺がジト目で睨みつけると、匠はケラケラと笑いながらこんな事を言う。
「まあ……これも愛の力ってやつか」
「あっ……愛?!匠、バカッ、お前なに言ってんだよ?!」
「……愛………………」
匠の爽やかな笑顔での茶化しを正面から真に受けて、耳の先まで真っ赤にして恥ずかしそうに俯いてしまう朝凪。
本当に陽キャというのは恐ろしい。
俺も顔を熱くしながらも、どう切り返すのが正解だったのかと心中で頭を抱えてしまう。
とまあ、こんな感じで、騒がしくも温かいお昼休みが過ぎてゆくのだ。
少しづつではあるが、朝凪も匠と馴染みはじめてくれているのは素直に嬉しい事だ。
いつも一人だった彼女にも、俺以外に気軽に話せる友達がいてもいいと俺は思う。
そんな潤滑油の役回りを、匠が自ら買ってでてくれているのだから——
————————
そんな日の放課後——
俺はいつものように帰り支度を整えて、隣の席の朝凪に声を掛けた。
「よし、じゃあ帰るか?」
「ええ、そうね」
そう言って、柔らかな微笑みと共に鞄を持った朝凪。
俺達は、最近は帰りもずっと一緒だ。
クラスで『あの二人、やっぱり付き合ってるんじゃ……』と噂にもなっているし、今さら変に距離を空けて隠すのも不自然な気もして。俺はあまり深く考えず、堂々と朝凪と一緒に帰るようにしている。
まあ、帰ると言っても、最寄りのターミナル駅で別れるまでの短い道のりだけど。
校舎を出て、校門をくぐり、駅の方まで歩みを進めてゆく。
その時。隣を歩く朝凪が、不自然にあたりをキョロキョロと見渡して人目が少ないことを確認してから、俺の耳元でそっと囁いた。
「ねぇ湊人くん……ちょっといい?」
「ん?どうした、そんな小声で……?」
「あの……雫が話したいって」
「雫が?!……あっ、ああ、いいけど……」
「ありがとう。じゃあちょっと代わるわね……」
小声の理由はしっかりと把握した。
そんな俺の隣で朝凪は立ち止まり、そっと静かに目をつむり……。
「み〜なと!おつかれぃ!!」
パチリと目を開けた瞬間、いつものカチッとした制服にポニーテールという出で立ちのまま、雫が顔を覗かせた。
この入れ替わりには徐々に慣れつつはあるが、やはりまだ完璧には慣れない。
しかし、目の前で無邪気に笑うその表情は、確かに俺の恋人である雫だけのものだ。
「お疲れ雫……で?なんだよ、話って……?」
「えへへ〜ww実はさぁ……湊人にちょっとお願いがあって」
「お願い?」
「そ。あたしのささやかな願望を叶えてほしいなぁって……優しい彼ぴに♡」
そう言って、雫は甘ったるい声を出しながら俺の左腕に自分の両腕をギュッと絡めて密着してくる。
「願望?!なっ、なんだよ……てか、あんまりその格好で外でくっつくなって!万が一誰かに見られて変な噂が立ったら、朝凪が困るんだぞ?」
「あっ、そか……まだ澪の制服の格好だったもんね……てへぺろ♪」
……なにがテヘペロだこいつは。
少しだけ残念そうに腕を離した雫。
そんな彼女に、俺は気を取り直してもう一度聞き返した。
「で?その願望ってなんだよ……?」
「あっ、ちゃんと気にしてくれてたんだぁwwそれがさぁ……」
「おう、それが……?」
雫は俺の顔を下から覗き込むようにして、もったいぶるように唇に人差し指を当てた後、ニヒッと笑って……。
「今日……湊人のお家、行っていい?」
「……は?俺の家……?」
あまりに急な提案に俺の思考が鈍ってしまい……そんな俺の隙を突くように、雫はズイっとさらに顔を寄せて、とろけるような甘えた声で囁いてくる。
「ねぇ……いいでしょ?あたし、一度でいいから湊人のお部屋に行ってみたいの!学校帰りにそのまま彼氏のお家に行くっていうシチュエーションを叶えてほしいのっ!湊人、一人暮らしだって言ってたじゃん?」
「そっ、それは……まあそうだけど」
……そうだけど、いくらなんでも急過ぎるだろ……?
男の、しかも一人暮らしの部屋には色々と準備というものがあるわけで。
部屋にやばい本が出しっぱなしじゃないか?男臭くないか?水回りは汚くないか、など、一瞬にして脳内で部屋の状況確認をしてゆく。
「ねぇねぇ、湊人ぉ〜!いいじゃん、一回くらいお家デートしたってぇ!」
「ダメとは言わないけどよ……その、色々と準備ってのがあってだな……急に行ったら、家が散らかってたり汚れてるかもしれないし……」
「いいよ汚れてたって!一緒にお掃除して片付ければいいだけだし!……それとも湊人……あたしに見せられないような、や〜ましい何かが転がってたりするわけぇ?ww」
「そっ、そんなんあるわけないだろ?!」
「じゃあいいじゃん……ねぇ……お・ね・が・い♡」
上目遣いで両手を合わせ、小首を傾げて懇願してくる雫。
……クソ……なんでそんな可愛いんだよ……。
「……わかったって!そんな大した家でもないし、綺麗でもないから、そこは勘弁してくれよな?!」
自分の意志の弱さに若干腹が立つが、俺はついに彼女の押しに折れてしまった。
まあ、彼女が俺の家に来て遊んで帰るだけだ。健全なお家デートである。
そんなやましい展開になることなんてない……はずだ。
「やたっ!!ありがと、湊人っ♡」
俺のオッケーが出た瞬間、雫は花が咲いたようにパァッと明るい笑顔になり、その場で小さく飛び跳ねて喜んでみせた。
そんな心底嬉しそうな顔を見せられたら、もう文句の一つも言えなくなってしまう。
「じゃあ俺の家はこっちの方向だから……ついて来てくれ……」
そう言って俺は、いつも朝凪と別れるはずだったターミナル駅前を通り過ぎ、俺の住むアパートへと足を向けた。
隣にはご機嫌な足取りで笑顔を浮かべる雫がいる。
こんな夕暮れ時に、好きな子を自分の家に連れ帰る。
その事実が、小さく微笑みながら歩く彼女の横顔を見るたびに、俺の心臓の鼓動を少しずつ早めていった——




