第33話 デートが終わり、デートが始まる——
日暮れが迫り、街には柔らかな西日が差し込む頃。
俺達は今日予定していたデートコースをあらかた終えて、いつもの公園へと向かって歩いていた——
そこは、この後夜から始まる雫との待ち合わせ場所であり、今隣を歩いている朝凪澪との別れの場所でもある。
公園へ向かう道すがら、気づけば俺は、ごく自然に朝凪と手を繋いで歩いていた。
なんとも不思議な感覚だ。
隣にいるのは間違いなく朝凪なのに、手を繋いでいる時の温もりや距離感はどこか俺がよく知る雫のものと似ていて……俺の脳が、一つの身体に宿る二人の少女の存在にバグを起こしているのかもしれない。
隣を歩く朝凪の髪がオレンジ色の西日に照らされ、結い上げられたポニーテールがサラサラと黄金色に煌めいている。
そんな穏やかで優しい雰囲気の中、俺と朝凪の視界にあの夜から何度も座ったいつものベンチが映り込んだ。
「もうこんな時間なのね……なんか、すぐに時間経っちゃったわ」
どちらともなく立ち止まり、タイミングを伺うようにして朝凪が口を開く。
「そうだなぁ……なんかあっという間だったな」
「ええ、こうして誰かとデートってのをしたのは初めてだったけど……本当に、凄く楽しかったわ……これも湊人くんのおかげね」
「そうか?……俺、ちゃんとリード出来てたか?」
「もちろんよ。今日やりたいこと、全部できたもの」
「……そっか……朝凪がそう思ってくれたなら、よかったよ」
俺の言葉に朝凪はこちらをチラリと覗き込み、嬉しそうに微かに微笑んだ。
しかし、その表情はすぐにどこか名残惜しそうに揺れる。
「……次は——」
その言葉の後、少しの沈黙があり、俺の手を握る彼女の指の力がきゅっと強まった。
「次はもっと……もっと長い時間、一緒にいられたら嬉しいわ」
「……っ……朝凪……」
恥ずかしそうに頬を染め、上目遣いで告げてくる朝凪。
その破壊力のある可愛さと、『次』という言葉が意味する事に、俺の心は激しく揺らぐ。
……断れるはずがないがないだろ……。
そもそも、俺は雫だけでなく、朝凪のことも幸せにするべきなんだろうか?そんな、自分の身の丈に合わないあまりに傲慢な考えさえ浮かんでしまう始末。
朝凪は、葛藤で黙り込んでいた俺を真っ直ぐに見つめながらこう続ける。
「なんか不思議な感覚ね。ここでお別れするのに、この後も私は湊人くんは一緒にいる……この後も、湊人くんと一緒にいられるのかもって思うと……ちょっとだけ幸せな気分になるのよ」
……俺は、なんて返せばいいんだよ。
意識が途切れてしまう朝凪のその健気で切ない心情を考えると、言葉が喉の奥で詰まって出せるはずがない。
「こんな気持ちになれるなら、いっそ私と雫の二人の記憶が一つになればいいのに……なんて、ね……」
朝凪はそう言って、どこか遠くの茜空を見上げながら自虐的に小さく呟いた。
その一言に、俺の心が大きく反応してしまう。
もし二人が統合されたら、それは一体……誰になるのだろう。なにより、雫は……。
チラリとこちらを見つめ返した朝凪は、繋いでいた手をそっと離し、俺の目の前に面と向かって立ち直す。
「それじゃ、ここらへんで私は帰る……じゃなくて、雫と交代するわね」
「ああ……ありがとな朝凪。凄く楽しかったよ」
俺の言葉を受けた朝凪は、今日一番の笑顔を見せてくれた。
沈みゆく西日が彼女の白い肌を温かい琥珀色に染め上げる。
風に揺れる髪の隙間から覗く泣きぼくろが、優しげに弧を描く瞳と相まって、儚くも美しい情景を作り出していた。
その笑顔は、かつて俺が遠くから見つめ、心の隅にずっと居座り続けていた『朝凪澪』の理想の笑顔と完全に重なっていて……。
「湊人くん。本当に今日はありがとう、私の我儘に付き合ってくれて……間違いなく、人生で一番幸せな日だったわ……」
人生で一番。その言葉の途方もない重みを、俺はどこかで理解していた。
それは決してお世辞などではなく、周囲を恐れて心を閉ざしてきた朝凪がようやく『朝凪澪』のままの素顔でいられた、かけがえのない時間。
そう考えると、俺もたまらなく嬉しくなる。
「それと——」
言葉を切り、目の前の朝凪は自分の薄紅色の唇にそっと指先を当ててみせた次の瞬間——
朝凪の顔が急に近づいてきたかと思うと、彼女の両腕が俺の首に回され、グッと引き寄せられる。
「っ?!?!」
息を呑む暇さえなく、俺の唇にふわりと柔らかくて温かい朝凪の唇が重なる。
頭の中が真っ白になり、重なり合った唇から伝わってくるのは、ひどく甘くて、そして微かに震えている彼女の体温だった。
慣れた様子の雫とのキスとは違う、不器用で確かめるような、たどたどしい触れ合い。
数秒の後、唇がゆっくりと離れると、彼女はまだ俺の首に腕を回したまま、互いの息が触れ合うほどの至近距離で潤んだ瞳で俺を見つめ続けていた。
「これは私のファーストキス……。雫だけとするなんて許さないわよ、湊人くん。私だってあなたの事……好きなんだから」
「………………」
その強烈な一言に、俺の脳は完全に考えるのを放棄したようだ。
俺の呆けた顔を見て、朝凪は悪戯っぽく笑い、首から手を外してスッと俺から一歩距離を取ってから言葉を落とす。
「うふふっ……それじゃ、雫を呼んでくるわね……また、すぐに会いましょ」
そう言って、朝凪は一度俺に背を向けるように後ろを振り向いた。
夕陽が彼女の背中を鮮やかに照らし出し、目の前で朝凪の手がポニーテールの根本に動き、髪留めをするりと解くと、束ねられていた漆黒の髪が滝のようにサラリと解き放たれる。それが背中に揺れた瞬間、くるりと彼女が再びこちらに振り向き——
気づけばそこには、満面の笑顔の雫が立っていた。
「ち〜〜〜っす!」
「………………」
あまりにも急激なギャップと先ほどのキスの余韻が混ざり合い、声が出せない。
そんな俺に、ニッコニコな笑顔で距離を詰め、俺の顔の前でブンブンと手を振ってくる雫。
「ん?どったの湊人?ぼーっとして?」
俺の間の抜けた表情を見て、不思議そうに眉を潜める雫に、俺は慌てて現実に戻って誤魔化すように声を返す。
「いいっ、いやっ……なんでもないよ雫!?急に入れ替わったからびっくりして……」
流石にいまさっき朝凪からキスをされた、なんて言えるはずがないだろう。
「ふ〜ん……そかwwまあ目の前で人が入れ替わるのなんて見慣れないよねぇww」
いつもの明るい調子で笑う雫に俺も小さく笑顔を返すと、彼女は何かに気づいたように急に声を上げた。
「あっ、ちょっと待ってて湊人!」
なぜか雫は、おもむろに提げていたバッグの中をごそごそと漁り始める。
何をするのかと見ていると、彼女はバッグの中から細いガラスの小瓶を取り出し、それを自分の首筋にシュッと吹きかけてる。
途端に鼻腔をくすぐる、あの甘くて少し背伸びをしたような雫の香り。
これこそが、彼女が『雫』であると主張する香りの正体だったようだ。
……そうか、雫もこうやって朝凪と境界線を引いて、自分らしさを作ってるんだな。
そう思うとなんだか愛おしくもあり、同時にひどく複雑な気持ちになる。
「よしっ……これでいつものあたし!じゃ、いこっか湊人!」
「おっ、おう!」
「まずは夕飯でしっかり腹ごしらえして……えへへぇ〜♡そっからは、やっと二人の時間だね♡」
そう言って、雫はためらいなく俺の腕に自分の腕を絡めて豊満な胸を押し付けてくる。
その柔らかさと彼女特有の甘い香りに包まれながら、俺は次の場所へと歩みだす。
これからは雫とのデートだ。それも、彼女が熱望した濃厚な……お泊りの。
俺の右腕には雫の確かな重みがあり、唇には澪のファーストキスの感触が焼き付いている。
そのせいか、俺は頭の何処かでこの不器用で愛おしい『二人』を、本当に同時に幸せにできる方法は無いのかと、答えのない問いをぐるぐると考え続けていた——




