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第28話 2人きりの教室で 前編——

放課後の無人の教室。

斜陽がガラスを透過して差し込み、埃で薄汚れた長机の天板を赤く照らし出している。


それは奇しくも、俺が朝凪に無謀な告白をして、見事にフラれたあの日の放課後の情景に酷く酷似していた——


嵐のように現れて、嵐のように去っていった匠。

あいつはなぜか、俺と朝凪を残してこの教室から出てゆき、その行動のあまりの不可解さに俺は未だにドアの前で立ったまま、同じくパイプ椅子に座ってポカンとしている朝凪と、ただ無言で視線だけを重ね合わせていた。


……マジであいつは、一体何がしたかったんだ?


何もかもがわからないまま、気まずさだけが充満する密室で刻々と時間だけが過ぎてゆく。


「……えっと……鳳くんは……ここになにをしに来たの?」


先に沈黙を破ったのは、朝凪の方だった。


「なにしにって……それはっ……なんていうか……」


なんて言えばいいのだろう。

頭の中ではあれほど様々な言い訳や質問を用意していたはずなのに、いざ朝凪の美しすぎる顔を目の前にすると、情けないことに完全に言葉に詰まってしまう。

だから俺は、自分の目的を棚に上げて子供みたいな意地悪な質問で返すことしかできなかった。


「むしろ、朝凪こそ匠と何してたんだよ……?」

「そっ、それはっ……別に……なんでもないわよ……」


案の定、話は平行線。

俺は小さく息を吐き、とりあえず朝凪の座る長机の方へとゆっくり歩み寄ってゆく。

そして、何気なく目線を机の上に移した時、そこには朝凪という存在には似つかわしくない不思議なものが乱雑に並べられていた。


何やらゲーム系のまとめ記事を印刷したプリントの束。自作PCの雑誌。そして、机の端に置かれた朝凪のスマホの画面では、現在進行形で有名なゲーム実況者が◯ペックスをプレイしている配信動画が流れたままになっている。


しかし、その中でも俺の視線を強烈に引き付けたのは、丁寧な字で書かれたシンプルなルーズリーフをクリップで止めた一冊の束だった。

その表紙には、どこか見覚えのある字でこう書かれていた気がした。


『鳳湊人のトリセツ』


…………いや、なんこれ……?


「朝凪……そのトリセツって……それ、なんだ……?」

「あっ?! わっ……ちょっと鳳くん!?勝手に見ないでくれる?!」

「勝手にって、思いっきり俺の名前が書いてなかったか?!」

「いやっ!?だから勝手に見ないでってば!」


朝凪は顔を耳の裏まで真っ赤にして悲鳴を上げ、慌ててそのルーズリーフの束を自分の胸に抱え込み両腕で必死に隠した。

その異常な狼狽え方を皮切りに、急激に気まずい雰囲気が流れて朝凪が急に噛み付いてきた。


「それにっ、私の質問にまだ鳳くんは答えてないわよ?!」

「それは……その……」


逃げ場なんてもうなかった。

このまま誤魔化して逃げることもできるが、それではここに来た意味がない。

俺は自分の中に渦巻く醜い感情を、全て吐き出す覚悟を決めるしかなかった。


深く息を吸い込み、拳を強く握りしめる。

これを言えば、俺は完全に彼女から軽蔑されるだろう。でも、言わなければ俺は自分の心に殺されてしまう。


「なんていうか……最低な事だって自分でわかってるけど。朝凪と匠がこっそり会ってるのが気になって……それで手当たり次第に探してたら、ここにたどり着いたっていうか……」

「……探してたの……私の事……?」


朝凪の目が丸く見開かれる。

その瞳の奥にある感情など、その時の俺は自己嫌悪でいっぱいいっぱいで読み取れるはずもなく……。


「ごめんっ!!」


勢いよく俺は頭を下げた。もう謝るしかない。本当に俺の行為は最低なのだから。


「本当にごめん朝凪!!気持ち悪いよな、こんな事してさ。俺、前に朝凪にフラれてるのに……朝凪と匠が付き合ってるって噂を学校で聞いて……それで色々考えてたらこんなことしてて……バカみたいだよな……」


一度口を開くと、制御の効かなくなった本音が勝手に溢れ出てくる。

まあ、言いたいことを素直に言ってみたが、客観的に聞いても本当に恥ずかしい内容だ。

その痛々しい懺悔を受け、頭を下げる俺の頭上から小さく、堪えきれないようなクスッとという笑い声が降ってきた気がした。


「……まあ……ちょっと気持ち悪いわね……」


顔を上げると、朝凪は胸にルーズリーフを抱え込んだまま呆れたように、けれどどこか嬉しそうに目を細めて微かに笑っていた。

あの茨姫が、俺のこの行動を『ちょっと気持ち悪い』で済ませてくれたことに、俺は心底驚愕していた。


「まあ、これだけは言っておくけど。私は舟橋くんとは付き合ってなんかないわよ?その噂は嘘よ?」

「そっ、そうなのか……」


その明確な否定の言葉に、俺の胸の奥でつっかえていた重たい鉛が一瞬にして溶けて消え去り、圧倒的な安心感がドッと湧き上がる。

そしてすぐに、そんな安堵の気持ちを持ってしまった自分自身への強烈な罪悪感が、波のように押し寄せてきた。


「じゃあ……朝凪は、あいつと何してたんだ?こんな所で……」


結局堂々巡りだ。でも、どうしても知りたかった。

学食での密会や教室での親しげな様子。そして机の上に広げられた俺の趣味であるゲームの資料と謎のトリセツ。点と点がまだ俺の中で線に繋がらない。


「だから……そっ、それは……」


俺の真っ直ぐな問いかけに、朝凪は再びしどろもどろになり、明後日の方向へと激しく目を泳がせている。

そのあまりにも不器用な態度は、もはや俺の知る朝凪澪のそれではなくなっていた。


「ごめん、俺デリカシーないよな……いいんだよ言いたくないなら。こんな事しておいて、これ以上詮索するなんてマジで良くないよな……」


どちらにせよ匠と付き合っていないのであれば、今の俺にはそれ以上踏み込む権利はない。

だから、これ以上彼女を困らないようにと思い、俺は話を切り上げようと背を向けかけた。


そこに、朝凪が小さく、消え入りそうな微かな声をあげた。


「……教えてもらってたのよ……」

「ん、教えてもらってた……?」

「鳳くんの事教えてもらってたの!!趣味とか、好きなこととか……好物とか……休みの日の過ごし方とか……」


俺はその一言に雷に打たれたように足を止め、ゆっくりと振り返った。

夕日を背に受けた朝凪は、顔をこれ以上ないほど真っ赤に染め上げ涙目で俺を睨みつけていた。

その手には、やはり見間違いじゃなく『鳳湊人のトリセツ』がぎゅっと握りしめられている。


「おっ、俺のことを聞いてた?!……なんでまた、そんなことを……」


間の抜けた一言に、朝凪はギュッと眉を潜めて不満げに口を尖らせる

その表情は、誰もが恐れる冷徹な茨姫のものではなく、ただ単に苛立つ年相応の女の子の顔だった。


「ほんっと、舟橋くんの言ってた通りねっ……!」


……あいつ、俺のことを朝凪にどう吹き込んだんだ?


そんな事を気にしながらも、俺の脳内は目前で起きている出来事を処理するのに手一杯だった。

なぜ朝凪が俺の趣味や好みを調べてまで俺に歩み寄ろうとしているのか……?


「そんなの……決まってるじゃない——」


ギリッと唇を噛み締め、朝凪は堰を切ったように言葉をまくしたて始めた。

それは、まるで自暴自棄になったような悲痛な叫び。

手の中のトリセツをぎゅっと胸に抱き抱えたまま、彼女は震える声でその決定的な言葉を叩きつけてくる。


「私だってあなたに興味があるのよっ!……雫と同じで……えとっ……そのっ……好き、なのよ……」


限界まで声を絞り出したのか、言葉は尻すぼみになり最後の方はほとんど聞こえなかった。

目の前の朝凪は、言い切った後、顔を真っ赤に染めながら深く俯いてしまう。


一方の俺も、ドクンと心臓が異常な音を立てたのを最後に、思考も、身体の機能も、完全にフリーズしてしまう。


完全に時間が停止した室内に静寂が訪れ、遠くグラウンドで部活に励む生徒たちの喧騒だけが、やけに鮮明に部屋の中に反響していた。


「「・・・・・・・・・・・・」」



——ん、朝凪……いま……なんて……?——



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