第26話 心に従って。後編——
放課後の生徒たちが溢れ出す校内を、俺はただがむしゃらに駆け回っていた——
あてなどない。完全に感情に振り回された無軌道な捜索。
手当たり次第に二人が向かいそうな場所……自習教室、学食、図書室など、二人の痕跡を探して息を切らす。
そもそも二人を探し出して一体なにをしようとしているのか、自分でも未だにわかっていない。
もし奇跡的に二人を見つけたとして、なんて声を掛けるんだ?
『よう、元気してる?』なんて陽気に言えるわけがないだろう。
尾行して密会現場に乗り込むなんて、これじゃあただのストーカーじゃないか。
この衝動的な行為が俺と匠の長年の友情を、そして、秘密を共有している朝凪との関係性を決定的に……いや、修復不可能なほどの最悪の事態に引きずり込むことだって、頭の片隅では十分にわかっている。
人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて死んでしまえ——昔からある言葉の通り、フラれた男が首を突っ込むなんて最高にナンセンスな真似であり、俺は本当に救いようのないバカだ。
ただ荒い息を吐きながら校内を駆け回っていると、沸騰していた思考が不思議と少しずつ冷静に整理されてゆくのを感じた——
俺が今一番知りたいこと。
それはもちろん、あの二人の関係が一体どういうものなのか、決定的な確証が欲しいということに他ならない。
そして何より、仮にあの二人が本当に付き合っているなら、いつかは朝凪も匠に対して『自分が二重人格である』という重大な秘密を打ち明ける日が来るだろう。
となれば、俺がもう一つの人格である『雫』と付き合って、肉体関係まで持っているという最悪の事実も、自ずと匠が知る事になる。
そうなれば、俺と匠は物理的に同じ女性を好きになったも同然であり……考えようによっては、どちらかがどちらの女性を『寝取っている』ような、狂った泥沼の関係になるわけだ。
もしそうなるくらいなら。後から最悪の形で知らされるくらいなら、俺の方からちゃんと話をしてお互いに状況を理解して納得したい。
これ以上、隠し事をしたまま親友の顔を見たくない。相手は俺の人生でたった一人の親友なんだから。
——それだけか?ずいぶんと偽善的だな。他にもあるだろ?もっと自分本位で大事な理由が……。
頭の中のもう一人の自分が、冷笑しながら五月蝿く囁きかけてくる。
大事な理由。
……そう、俺は……怖いのだ。
もし、このまま朝凪と匠の関係が深まり、朝凪の恋する主人格としての自我が今以上に強固になったら……。
最近、雫は『澪が忙しいからあたしが出てこれない』と寂しそうに言っていた。
その言葉の意味を、無駄に深く掘り下げてしまっている自分がいる。
俺はもう二度と雫と……会えなくなってしまうのではないか?——
俺の彼女である雫は主人格じゃない。あくまで朝凪澪から派生した不安定な『影』なのだから。
澪が雫を必要としなくなれば、彼女は消えてしまうのでは……。
ドクン、と心臓がひどく嫌な音を立てて脈打ち、背筋に冷や汗が伝う。
俺にとっての唯一の安らぎである彼女が消えてしまう。そんな絶対的な喪失の恐怖に俺は支配されそうになっていた。根拠もないのに。
——少しは素直になったな。それで、結局お前の一番底にあるドロドロとした素直な気持ちは?
……素直な気持ち。
そうだ、俺は出来ることなら……雫を含めて朝凪澪という存在の全てを独占したい。
いや、もっと醜悪な言葉で言い換えるなら、『俺の好きな雫の身体』を、誰にも穢されたくない。たとえそれが俺の親友であったとしても。
でも、それを俺が主張するということは、朝凪澪自身の意思や恋心を完全に無視するということだ。彼女が誰を好きになろうが彼女の勝手なのに、俺のエゴでそれを阻む。
だから、それはあまりにも傲慢な考えだろ。
——まあな。でも、それを自分の中で腐らせて溜め込んでいるくらいなら、面と向かってちゃんと吐き出せよ。お前だってれっきとした雫の恋人なんだ。なにか言う権利くらいはあるはずだ。向こうだって、お前に文句を言う権利があるように。逃げるな。こんな複雑な道を選んだのは、他の誰でもないお前自身だろ。
「……そうだよな……」
俺は荒い息を吐きながら小さく呟いた。
感情はまだ完全にまとまりきっていないが、駆け回りながらも自分がどう動くべきか、その覚悟が若干まとまってきていた。
そして、ふと気づいた。
確か、昼休みに匠と朝凪が連れ立って歩いて行ったのは、いつも人の少ない部室棟のほうだったような……。
そう思い至った時には、俺の足は自然と部室棟の方へと向かっていた。
今は中間テスト期間という事もあり、どこの部室も電気もついておらず人の気配が全く無い。
静まり返った廊下を歩いていると、廊下の突き当たり近くで一室だけ明かりが煌々と付いている場所があった。
ドアの上を見上げると、そこには色褪せたプレートで『第二倉庫室』と書いてある。
忍び足で近づきドアの外からそっと様子を窺うと、 すりガラス越しに揺らめく人のシルエットが二つ。
息を殺して耳を澄ますと、微かに聞こえてくるのは俺の鼓膜が嫌と言うほど聞き慣れた二つの声。
……間違いない。たぶん、ここに匠と朝凪がいる……。
ここから先、あのドアノブを回して動けば、もう二度と平穏な日常には後戻りできない。俺たちの関係が完全に破綻する。
引き返すなら。やめるなら、今この瞬間しかない。
そんな理性の警告が脳内でけたたましくサイレンを鳴らす。
さっきまで覚悟も決まり考えはまとまったはずなのに、いざ現実を前にすると心が激しく揺らいでしまう。
親友としての友情か、それとも恋愛か。
葛藤に苛まれている間にも、気づけば外の景色は茜色に染まり、西日が差し込む廊下も赤く燃えるように染まっていた。
まるで昼ドラのクライマックスのようなムード満点な中、迷う俺の視線の端で、ガラス越しに映る二人のシルエットがふいに大きく揺れた。
そして二つの顔の影が意味深に、ゆっくりと一つの塊へと重なってゆくのが見えた。
……もしかして、二人は……。
いやな想像が脳裏をよぎった瞬間、 またしても俺の身体は理性を完全に振り切り、暴走した。
考えるよりも先に、身体が勝手に動いてしまったみたいだ。
俺はおもむろにドアノブに手を掛け思い切り引くと、ガチャッと乾いた大きな音が響く。
まるで、その薄暗い密室の向こうで行われているであろう、親友と俺の彼女の身体を持った元想い人の背徳的な行為を物理的に引き裂くように。
そして、勢いよく開け放たれた視界に飛び込んできたもの——
それは、薄汚れた長机のパイプ椅子に座った朝凪が、目を丸くして驚きの顔でこちらに視線を向け、その朝凪の背後から身体を寄せるようにして立ち、なにかを机の上で指さしている匠の姿だった。
重なり合っていたシルエットの正体は、ただ机の上の何かを二人で覗き込んでいただけだったのだ。完全に俺は終わった。最悪だ。
「おっ……鳳……くん……?」
突然の侵入者に朝凪の綺麗な唇から、呆然とした声で俺の名前が漏れる。
次の瞬間、朝凪の肩越しに匠の顔もゆっくりと俺の方を向いた。
そして匠は、一瞬だけ目を見開きすぐに呆れたような顔をして、口元を小さく緩める。
「……バカ野郎。遅せぇよ……湊人」——




