第24話 公園での甘いひととき、幼馴染の言葉——
今日の廊下で見たあの光景が頭から離れない。
朝凪と匠。俺のような部外者が見ても、確実に二人の距離は縮まっている。
誰が見ても完璧な、絵に描いたような美男美女のカップル。
もし俺が、彼らと全く関わりのないただの通りすがりの生徒なら、正直どうでもいいゴシップとして消費して終わっていただろう。
しかし、現実はそうはいかない。
一方は元々俺の想い人で、見事に玉砕してフラレた相手。なのに、その別人格は俺と肉体関係まで持っている秘密の彼女。
もう一方は、俺の唯一無二の親友であり幼馴染。
あまりにもタチが悪すぎる——
「…………む〜〜ん!みなとっ!なにぼーっとしてんの?」
「……っ?!」
急に俺の頬に温かくてもちもちとした手のひらが重なり、俺を下から覗き込む美しい顔によって強引に現実に引き戻される。
今は憂鬱な学校を終え、バイトのシフトも終え、深夜のいつもの公園で雫とデートの真っ最中だというのに。
考えても意味が無いことばかりを、つい一人で深く考え込んでしまっていたようだ。
「わっ、わるいっ。今日めちゃくちゃ忙しくてさ、なんかぼーっとしてた」
『澪の恋路が心配で頭がいっぱいだ』なんて逆立ちしても言えるはずがなく。俺は咄嗟にバイトの疲れを理由にしてダサい誤魔化し方をした。
だが、雫はそんな俺の嘘を真剣に受け止め、本当に心配そうに愛おしげに俺の顔を見つめてくる。
「まじかぁ〜、おつかれ……それなら疲れてるのに無理してあたしと会ってくれて、ありがとねっ♪」
「いやっ、いいんだよ雫。俺もお前に会いたかったし」
「ええぇ〜wwまじぃ〜ww湊人かわいい〜ww」
「なっ、なんだよ雫……茶化すなって」
「えへへぇ〜♪」
屈託のない笑顔でからかってくる彼女。
それでも、この緩くて甘い調子に張り詰めていた俺の心が癒されているのは確かだった。
雫はそれから間髪入れずにベンチに座る俺の右腕に、自分の両腕をきゅっと絡めて密着してくる。
無造作に下ろされた長い黒髪から香る、雫独特の甘い香水の香り。薄い服越しに伝わってくる柔らかな膨らみと高い体温。
その全てが、今ここにいるのが朝凪澪ではなく『雫』であると俺に証明してくれている。
「でもさ、あたしも最近湊人に会えなくて寂しかったから……おんなじだね」
不意に雫の声のトーンが少し落ち、俺の腕に絡みつく力がわずかに強まる。
そのまま、彼女はコテンと俺の肩に頭を預けてきた。
「ちょっとその……澪がなんか最近、色々忙しいみたいでさっ……あたしが表に出てこれなくて……」
「そっ、そうなのか……」
忙しい——その言葉の裏にある意味を想像しそうになって、俺はすぐに思考を強制終了させる。
そして、自分が思ってもいないもっともらしい理由を口に出してみた。
「まあ、いま中間テスト前だしな。朝凪も勉強とかで忙しいんだろ、仕方ないさ」
「ほえ〜そっか!今テスト前なんだ!あたしそういうの全く知らないから……それなら納得だよっ!」
「な?そうだろ?」
俺の言葉にパァッと満面の笑みを浮かべる雫。そんな彼女を見ていると自然と俺の口元も綻んでしまう。
雫は本当に学校の行事やテストのことなんて一切知らないみたいだ。
そう考えると少しだけ胸が痛くなる。雫には、当たり前の学校生活や自分の人間関係さえも存在しないのだから。
「じゃあ湊人、そのテストが終わったらあたしたちもまた沢山会えるねっ!」
「ああ、俺が赤点取らなければな……」
「じゃあさっ——」
そう言って、雫は不意に両手で俺の頬を包み込むと、そのまま俺の顔を自分の方へ向けさせた。
そして、躊躇うことなく顔を近づけてきて——
——ちゅっ……♡
「……っ?!」
頬に走る柔らかくて温かい雫の唇の感触……不意打ちのキスに俺はビクッと小さく肩をすくめた。
しかし、そんな俺の動揺など気にせず、雫は耳元で甘く囁き続ける。
「テストが終わったら前みたいに長い時間デートしよっか♡それまではこれで我慢してね♡」
「おまっ、我慢って……」
「あたしだって溜まってるんだよ?色々……」
「雫!?溜まってるって……!?」
「そのままの意味だよ……だからテスト明けは最後までコースでよろしくっ♡」
とんでもない発言を投下しながら、彼女はあまりにも可愛らしく、そして妖艶な笑顔を浮かべていた。
その圧倒的な破壊力に、俺は完全に言葉を失ってしまう。
……そう。俺の彼女は雫なんだ。朝凪じゃない。それでいいじゃないか……朝凪が誰と歩こうが俺には関係のないことだ。
頭ではそう理解しようとしても、その朝凪澪の身体は、目の前で俺を求めているこの雫と同一であり、そして、その朝凪の目線の先には別の人がいる。
なんとも複雑で、考えれば考えるほど頭が痛くなってしまう。
なんというか、自分の恋人が知らない男に寝取られていく過程を見せつけられているような、そんな最悪な錯覚に陥ってしまうのだ。
実際、もし朝凪が誰かと肉体的な関係を持ったら……すなわちそれは、物理的には『雫の身体』が——
……ダメだ。こんなエグい感情になるなんて予想していなかった。もう考えるのをよそう。
今考えれば、朝凪もきっとこれに似た、いやこれ以上の地獄のような感情を持っていたのだろう。
自分の身体が好きでもない男に勝手に抱かれる絶望感。その気持がほんの少しだけわかった気がした。
俺は思考を振り払うように、今度は俺の方から雫の頬にそっとキスを返す。
途端に真っ赤に茹で上がり、目を丸くする雫の顔を見て俺は小さく苦笑した。
「ちょっ、ちょっとぉ!?湊人!?いきなりは恥ずいじゃん……!」
「お前もさっきやったじゃん……お返しだよ」
この恋人同士の独特で甘い空間。
そこに自分の意識を無理やり溶かし込み、俺は全てを忘れようと必死に努めていった——
————————
その翌日の夜——
俺はテスト勉強の息抜きも兼ねて自室でPCゲームを立ち上げていた。
今日は雫も色々と忙しいらしく、DMに返信もなかった為、何気なく匠に連絡を取ってみると即座にOKのスタンプが返ってきた。
流石は完璧超人の特待生。俺と違ってテスト前の勉強など必要無いのかもしれない。
そしてPCを立ち上げ、二人でボイスチャットを繋ぎながらいつものように男同士のバカな会話を交わしつつ、画面越しの銃撃戦に勤しんでいた。
「湊人っ!そっちいった!そいつ激ローな!」
「OK!まかせろっ!」
阿吽の呼吸で華麗に連携を決め、見事にチャンピオンを獲得する。
そして、勝てば互いにボイスチャットでハイタッチをするように称え合う。
こんな気心知れた最高の幼馴染なんて、そうそういるもんじゃないだろう。それゆえに、俺は余計に悩んでしまっているみたいだ——
次のマッチに向けてロビー画面に戻り、雑談をしながら次のマッチングを待機していた、その時。
俺の脳裏にふいに朝凪の影が浮かんだ。
……そういえば、朝凪もこのゲームやってみたいって言ってたな……。
バカだった。
その一瞬の思考のノイズが、無意識のうちに俺の口を突き動かし、ボイスチャットへと言葉を乗せてしまっていたのだ。
「ああ……そうなんだ、朝凪さん……そんな事言ってたんだ……」
「えっ、あっ……まあ、やってみたいって。ただの気まぐれだと思うけど」
「ふ〜ん……そか」
匠の反応は、いつもより少しだけ素っ気なかった。
ここで話題を変えてしまえばいいのに、一度堰を切った俺の口は止まらなかった。
本当に馬鹿丸出しだ。
「そういえばさ、匠。最近……朝凪と……その、学校でよく会ったりしてんのか?前も学食でどっかに引っ張られていってたし」
「ああ、まあな……色々あんだよ……どした湊人?気になんのか?」
「いやっ……」
俺が言葉を濁すと、匠は少しだけ間を空けてからボイスチャット越しに核心を突いてくる。
「そういやお前、この前の昼休み、俺が朝凪さんと待ち合わせしてるとこ見てたろ?」
「えっ……そっ、それは……」
……気づかれてたのか?!
まさかバレているとは思わず、俺は完全に声帯が凍りつき声が出せなくなってしまう。
そして、表情の見えないボイスチャットの向こう側から、いつものおちゃらけた陽キャのトーンとは違う、ひどく真剣で、冷たさすら感じる静かな声が鼓膜を揺らす。
「まあ別に湊人がどう思おうと何でもいいけどさ……これだけはお前には言っとくわ」
その静かな前置きに、ヘッドセット越しの空気が急激に張り詰める。
「俺……本気だから——」
決定的な一言、それに俺はどう答えていいか全くわからなかった。
『応援する』とも、『やめとけ』とも言えない。
無言で固まる俺と匠の間の重苦しい空気を、ゲームのマッチ完了を知らせるけたたましいエフェクト音が強引に掻き消す。
その後、ゲーム内の匠はいつも明るい彼に戻っていた。
ただ、俺の思考は完全に匠の一言に支配され、その日の戦績は過去最低レベルにまでグッと落ち込んでしまった——




