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第22話 明らかな異常と虚無——

時の流れは早い。

あっという間にやってきたゴールデンウィークの連休中、俺はほぼ毎日、朝から晩までバイトのシフトに入り浸っていた——


GWはかきいれ時であり、時給に大入り手当がつくとなれば、ド貧民の俺にとってこれを見逃す手などない。

俺はこの都会の進学校に無理を言って通わせてもらっている身であり、これ以上実家の親に負担をかけたくないからこそ、こうして生活費の足しをバイトで稼いでいる。

田舎からわざわざ上京して一人暮らしをさせてもらえるというだけでも、分不相応な贅沢なのだ。こればかりは仕方ない。


そしてバイト終わりの夜、時々雫と公園で待ち合わせをして駄弁るだけでも、俺にとっては十分に幸せで贅沢な時間だった。


GW中は雫と会う機会が極端に少なかったのだが、まあ、本体である朝凪になにか予定なりが入っていれば仕方ないだろうと、この時の俺は高をくくっていた。


欲を言えば、またあの日みたいに昼間のデートなんかをしたい気持ちもある。

だが、今の俺からそれを誘うのはハードルが高すぎるのが現状だ。

雫の身体はすなわち朝凪澪の身体なわけで、その身体を一日貸してほしいなんて雫だって朝凪に言い難いだろうし、今となっては朝凪が簡単に許すとも思えない。


なんとも歪で不思議な恋人関係だが、俺はコレはこれで慣れてきている。

そんなこんなでGWも一瞬で過ぎ去り、 五月病のダルさと中間テストの嫌な香りが漂いはじめたGW明け数日後の教室——


「それでさっきの数学の内容はわかったの?鳳くん」


数学の授業が終わった直後の休み時間。

もはや当たり前のように、自分の机ごと俺の机にくっつけてきた朝凪が、献身的な口調でそんな事を聞いてくる。


「えっと……実はちょっとわからない所はあって……」

「そう、それはどこ?」

「えっと、ここ……」


バツが悪そうにノートを指差すと、朝凪はさらに身を寄せてくる。

肩と肩が触れそうな距離に、彼女の結われたポニーテールからふわりと清潔なシャンプーの香りが漂う。


「ああっ、そこね……確かに、さっきの先生の解説が少し足りなかったと私も感じたわ……それはね——」


こんな感じで、最近の朝凪は休み時間になるたびに、こうして俺に勉強を教えてくれている。


学年一の美少女にして孤高の『茨姫』が、冴えないモブ男子に付きっきりで勉強を教える。その異様すぎる光景をクラスの連中が遠巻きに不思議そうに、そして若干嫉妬交じりに眺めているという構図が、GW明けからずっと続いているのだ。


赤点回避のためには非常にありがたいのだが、あの修羅場以来、朝凪の意図が全く掴みきれていない俺にとっては、これは新たな混乱の種でしかない。


まあ、俺たちが特大の秘密を共有しているが故の行動で、下手に俺を雑に扱って秘密を暴露されない為の監視、あるいは抑止力として機嫌を取っている、と考えるのが一番妥当だろう。


しかし、そう頭では考えていながらも、以前のような無表情とは打って変わって解説の合間に自然と微笑んだりする朝凪の『可愛さの暴力』に、俺の理性が削られていくのも事実だった。


もし雫がこの場にいたら、間違いなくブチギレるだろう。


「どう?これでわかった?」

「あっ、ああ。ありがとう朝凪、いつも助かるよ」

「んふっ……いいのよ鳳くん。また何かわからなければ言ってね?力になるから」


俺の顔を覗き込むようにして、小首を傾げて微笑む朝凪。

長いまつ毛に縁取られた美しい瞳が、真っ直ぐに俺を捉えている。

まあ、全部わかったと言えば嘘になる。が、どうにかなる。


それもこれも、朝凪の距離感が近すぎるのがいけないのだ。集中できるはずがない。

最近の朝凪からはあの近寄りがたい棘がすっかり抜け落ちて、ただ純粋に美しい花だけが残っているかのようだ。言い換えれば、良くも悪くも普通の美少女になっている。


「それと、鳳くん……」

「ん?」

「今度、そのっ……私も教えてほしい事があって……」

「教えてほしいこと……?」


……学年トップの成績を誇る朝凪が、俺に聞くことなどこの世に存在するのだろうか?


俺が本気で不思議に思って聞き返すと、彼女は少しだけ視線を逸らしどこか恥ずかしそうに頬を染めて声をあげた。


「そう。実はね……ゲームのことなんだけど……」

「……えっ……げっ……ゲーム?!」

「ちょっ、なによっ……別にそんな大声で驚かなくても——」


朝凪の口から飛び出したゲームという単語。

そのあまりのミスマッチさに、俺が素っ頓狂な声で聞き返したその時だった。

次の授業の始まりを告げる予鈴のチャイムがけたたましく鳴り響き、朝凪のその先の言葉はかき消され、聞けずじまいになってしまった。


……一体朝凪はどうしたんだろう?なにが彼女をここまで変えたのだろう?


それが気がかりでならず、俺はその後の授業中ずっと上の空だった——



————————



そして迎えたいつもの昼休み。

いつもの流れで匠を拾い上げ、互いの昨夜のネトゲの戦績を報告し合いながら学食へ向かう。


何も変わらない平和な日常。

今日もそんな一日になるだろうと俺は疑いもしていなかった。


人の波に流されるまま俺はかけそば、匠はチャーシュー麺といったラインナップを選び、それを持っていつもの長机の端の席につく。

そして、食事を始めてまだ数分しか経たない頃。


俺の日常に決定的な『異常』が現れたのだ——


「それでさぁ〜、昨日の野良がマジで戦犯でさ——」


俺がズルズルと麺を啜りながら、匠の愚痴にも近い報告に適当に相槌を打っていた時……視界の端に、強烈な違和感が急に映り込んできた。


「ちょっと舟橋くん。探したわよ?ここでなにしてるのかしら?」


その声色は、いつも匠にまとわりついている取り巻きの女子たちの甘ったるいものとは全く違う、どこか凛として固い声色。

声の主が纏うのは誰もが平伏したくなるような圧倒的なオーラ。

そんな歩く彫刻のような彼女——朝凪澪の姿に学食中の視線が一瞬にして釘付けになる。


「えっ……?朝凪さん?」

「『朝凪さん?』じゃないわよ……今日の昼休みは私と約束をしてたでしょ?」


……約束……!?


その耳を疑うような単語に、俺は驚きを隠せなかった。

一方の匠は、その言葉に一瞬だけ虚空を見つめて考えた後——


「あっ!ごめん朝凪さん!そうだったね……忘れてたわ」

「まったく……私、ずっと待ってたのよ?」


呆れたようにため息をつく朝凪を見て、慌てた様子の匠は、食事を完全に諦めたように急にガタッと席を立った。


「わるい湊人っ……俺ちょっと用事があるの完全に忘れててっ……このラーメンもったいないから食べちゃってもいいし無理なら返却しといてくれるか?」

「えっ?!匠?!」

「悪い湊人!またなっ!」


事情を説明する間もなく、席を立って横に立つ朝凪に促されるようにして出口に向かい始める匠。

その時、朝凪が立ち止まりチラリとこちらを向いて一言だけ落とした。


「鳳くん。ちょっと舟橋くん借りるわね……じゃ……」

「……朝凪……?」


俺が呆然と名前を呼ぶのを背中で受けながら、二人は肩を並べて俺の前を後にする。


そしてあろうことか、朝凪は匠の服の袖にそっと自分の手を当てキュッと軽く掴んで腕を組むような仕草を見せると、俺の方など一度も振り返ることなく匠を引っ張って学食を出て行ってしまった。


その二人の並んで歩く後ろ姿はあまりにも自然で、そして残酷なまでに……お似合いだった。

誰もが振り返る王子様と、誰も寄せ付けない茨姫。絵画から抜け出してきたような完璧なつがいの姿。


長机にポツンと取り残されたかけそばとチャーシュー麺。

そしてただのモブである俺。


目の前で起きた出来事が全く理解できず、俺はその場で箸を持ったままポカンと固まっていた。


いや、違う。


頭の何処かで無意識のうちにその光景を、どうにかして忘れようと都合よく処理しようとしていたのかもしれない。

その日、俺は高校に入学して初めて昼食のそばを残したのだった——



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