第21話 微かに違うランチタイム——
昼休みのチャイムが鳴り響き、俺は席を立つと、重苦しい教室の空気を抜け出し、一目散に学食へと向かう。
その途中。
いつもの下駄箱前で、女子生徒の群れに囲まれて愛想笑いを浮かべている匠の姿があり、 俺が軽く手を上げると、匠は女子たちに『じゃね!』と爽やかに言い残し、群れを抜け出してこちらへ合流してくる。
そしてゲームの話をしながら共に食券を買い、学食の長い列に並び、今日の燃料をいつものおばちゃんから受け取ると、喧騒に包まれた広い学食の片隅、長机の端っこに匠と面と向かい合って座る。
それは、いつもと何一つ変わらない昼休み……になるはずだった——
「えっ……と……」
「ん……?」
俺の目の前にはうどん。匠の前にはカツ丼。テーブルの上には何一つ違和感のない、いつもの光景が広がっている。
そんな中、目の前の陽キャイケメンが箸を止めたまま、若干顔を引き攣らせてひどく話を切り出しにくそうに声をあげた。
そのどこか申し訳なさそうな、助けを求めるような視線は一瞬だけ俺に向けられ、そしてすぐに不自然なほどスッと逸らされる。
匠の視線は俺のすぐ真横に向けられていた。普段なら、誰も座るはずのないそこへ——
「鳳くん。隣、いいかしら?」
いつの間にか、俺のすぐ右隣から聞こえてきた澄んでいて温度の低い声。
首を回して視線をそこに向けると、学食内からこれでもかとばかりに驚愕の視線を集めている、黒髪ポニーテールの弩級の美少女——孤高の茨姫、朝凪澪の姿がそこにあった。
「えっ……朝凪?」
あまりの展開と場違い感に、彼女の名前を間抜けな声で呼ぶ以外何もできなかった。
そんな俺の混乱など意に介さず、彼女は俺の許可を待つこともなく当たり前のように俺の横の椅子に腰を下ろす。
そして、手に持っていたバッグから布に包まれた弁当箱を取り出し、そそくさと優雅に食事の準備を始めていく。
「……あっ……ああ……どうぞ……」
……朝凪ここで食べんの!?弁当を!?なんで!?
なんて野暮なツッコミを口に出せるはずもなく、眼前の匠も完全に声を失い、口をパクパクさせている。
マジで何が起こっているのか全くわからない。
しかし、とうの朝凪本人は、周囲のざわめきなど一切気にする素振りも見せず、いつもの涼しい顔で箸を握っている。
かくして俺に訪れたのは、目の前にはイケメン超人・バスケ部の王子である舟橋匠。
横には極美少女にして孤高の茨姫・朝凪澪が座るという異常事態だった。
学園の中でもトップクラスに有名で容姿も頭もいい二人が、なぜか冴えないモブ男子を挟んで邂逅している。
周囲の生徒たちからの嫉妬や好奇心が入り混じった様々な感情の視線が、俺の全身に痛いほど注がれている。そんな中——
「えっと……ども。オレ、コイツの友達で舟橋匠っていいます……はじめまして……」
「どうも。はじめまして。私、鳳くんのクラスメイトの朝凪澪です。おじゃましています」
「いえいえ……全然っ……はははっ……」
なんという地獄のような空気感だろうか。
匠の引き攣った笑顔と、朝凪の完璧すぎる無表情が交差する。
俺はこのいたたまれない空気を打破すべく、必死に声を絞り出した。
「まっ、まあ二人とも自己紹介終わったし、たべようか……?」
「おっ、おう……そうだな湊人っ……」
「ええ、そうしましょ。鳳くん」
俺にはこのしょうもない提案が限界だった。
そもそも、こんな状況でこの空気を取り持てたことだけでも奇跡に近い。
そして俺たちは、この空気感を保ったまま、それぞれの食事に無言で向き合い始めたのだった——
————————
流石はスクールカーストの頂点に君臨する匠といったところだろうか。
食事が終わる頃には、持ち前の陽キャのコミュ力をフル稼働させ、なんとか朝凪と当たり障りのない会話のキャッチボールを成立させるまでになっていた。
そして、三人で学食を後にしようと立ち上がり、教室へ足を向けていたそんな時——
「そういえば……舟橋くんと鳳くんはどんな関係なのかしら。なんか凄く仲良さそうな感じだけれど?」
朝凪の何気ない質問に、俺が脳死で答えてみせる。
「ああ、朝凪。俺と匠は幼馴染なんだよ。ド田舎からこの高校に出てきた唯一の友達って感じだよな?匠」
「うん、そう!コイツが急に都会の高校に通うって言ってきて、寂しそうだったから俺が仕方なくついてきてやったんだよな!」
「は?ついてこいなんて言ってねぇよ!?」
「またまたぁ、すぐそうやってツンツンすんだから」
いつもの調子で俺の肩を小突いてくる匠。
その様子を、朝凪は少しだけ興味深そうに静かな瞳で見つめている。
「へぇ……じゃあ、二人はお互いに色々知ってるって感じなのね?」
「まあ、そういう事になるね朝凪さん!腐れ縁だから知りたくもない事も沢山知ってるよ!」
調子に乗った匠がニカッと白い歯を見せて笑う。
そして、その勢いのまま彼は踏み込んではいけない領域へと、無邪気に足を踏み入れてしまった。
「ちなみに朝凪さんは幼馴染とか兄妹とかはいるの?」
「…………」
その言葉に、朝凪の纏う空気がピタリと凍りつく。
「まあ……なんていうか幼馴染みたいな……姉妹みたいな……そんな子なら、いるわ」
……っ!?匠っ!バカ野郎……。
その絞り出すような言い方に、俺はすぐに彼女が誰のことを言っているのかを察し、しどろもどろになりながらも二人の会話に慌てて割り込んだ。
「おいっ……匠っ!?会ったばっかでズケズケ聞きすぎだぞ!?朝凪、困ってんだろ!?」
不器用な助け舟だとは思うが、これしかない。
そんな俺の突然の剣幕に、匠は少し驚いたように目を瞬かせ、そしてなにかを察したのか申し訳なさそうに頭を掻く。
「えっ……ああ、ごめんね朝凪さんっ!ついいつもの調子で馴れ馴れしく聞いちゃって」
「いや……いいのよ、舟橋くん」
朝凪は静かに首を振り、微かに作った笑みを見せたが、その声には明らかな影が落ちているように感じた。
これは明らかな彼女の琴線なんだ。仕方ない。かといって匠が悪いわけでもない。
少しだけ俺達の間に流れる空気感が変わり、皆の言葉が途切れてしまった、そんな時——
(匠く〜ん! ねぇ、ちょっと聞きたいことあるんだけどぉ、いま時間いいかなっ?)
背後からいつものように甘ったるい、俺の全く知らない女子生徒の声が響く。
「ん……?俺に聞きたいこと?」
(そうっ!ってか、朝凪さん……!?)
匠を呼び止めたその女子生徒は俺の存在には一切目をくれず、匠のすぐそばに立つ朝凪の方へ目を向けると、信じられないものを見るように少し驚いた声を上げた。
まあ無理もない。
この学園のビジュアルの頂点である眩しい者同士が並んでいれば、誰もがそういう反応になる気がする。
「湊人っ……悪い、なんか呼ばれてるから俺行くわ!」
「おっ、おう……」
そう言って、匠はこの絶妙に重苦しい空気感からの離脱を図ったようだ。
今回ばかりは、彼のその無駄なモテっぷりによる逃走が心底羨ましい。
「じゃ、また明日な!……あと朝凪さんっ!話せてよかったよ!」
その爽やかな言葉を最後に、匠はいつものように女子に連れられ文系棟の方へと引っ張られてゆく。
そんな彼の背中を見送ると、朝凪が俺の横にスッと並び周囲に聞こえないように声を落とした。
「じゃあ鳳くん……私たちも行きましょうか?」
「あっ、うん。そうだな……朝凪」
促されるまま、俺は朝凪と並んで理系棟へと歩き出す。すると、彼女が前を向いたまま、またぽつりと落とす。
「あなたの幼馴染の舟橋くん……凄くいい人だったわね……少し、驚いたわ……」
「えっ……?」
俺が彼女の横顔を覗き込むと、そこには俺が今まで一度も見たことのない、先程の会話を思い返して微かに笑うような、柔らかな表情が浮かんでいた。
あの冷血な朝凪が、こんな穏やかな表情をするなんて。しかも、さっき会ったばかりの匠に対して……。
俺が一年以上の時間を掛けても、決して見ることができなかったその表情。
その微妙な、けれど確かな変化を含んだ表情に、俺はなぜかひどく胸の奥がざわついて返す言葉をなくしてしまった。
「いや……何でもないわ。行きましょ?鳳くん」
「ああ……」
俺の視線に気づいたのか、彼女はすぐにいつもの無表情の仮面を被り直し、足早に歩き出す。
俺の少し先を歩く朝凪の凛とした背中を、俺は追っていく。
その時、俺は今まで感じた事がない不思議な感情が胃の奥底から静かに湧き上がってくるのを感じていた。
だが、それが一体なんなのか、今の俺にはまだ全くわからなかった——




