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第2話 手を引かれ、導かれ——

何が起きたのか、エラーを吐き出した脳みそでは理解が追いつかない。

息の吸い方さえ忘れ、目の前で起きたあまりにバグじみた現実を受け入れきれないまま、俺はベンチの上でただの石像と化していた——


俺の全てを雫という優しいノイズが埋め尽くし、時間の流れは完全に停止している。


どれくらいの時が経っただろうか。

ゆっくりと唇から甘い熱が離れてゆくと、ピントのズレた視界に夜の公園の殺風景な景色と、うっすらと瞳を潤ませる雫の顔が戻ってきた。


「……んっ……」


「……っ…………しず……く?」


小さく艶っぽい、今まで聞いたこともないような声を出した雫に、俺はそれだけ絞り出すのが精一杯だった。

喉の奥がカラカラにひりついて、言葉がうまく出力されない。

いまだに心臓だけが警鐘のようにあり得ない速さで鳴り狂っている。


——なんで雫は……俺にキスを……?


そんな、あまりに初歩的で決定的な疑問が湧いてくるまでに、ずいぶんと無駄な時間を消費したと思う。


その間も雫はずっと黙ったまま、逃げ場のない距離で俺をまっすぐに見つめていた。

いつものふざける時の笑い皺もなく、からかう時の軽薄なトーンもない。

ただ、春の夜気に濡れた瞳だけが、必要以上に真剣な熱を帯びて俺を射抜いている。


「湊人……湊人はさ……今、辛いよね?」

「……それは……でも……そんなことより、なんで雫はっ——」


——俺にキスをしたんだ?


そんな単純明快な質問さえ言い終えることは叶わず、雫のひどく甘ったるい言葉が、途中で強引に割り込んでくる。


「湊人。あたしがいるよ?ずっと側に……あたしがさ、湊人のこと慰めてあげるよ……」

「慰める……?」

「うん……」

「どういうことだよ……雫」


問い返す俺の声は、自分でも情けないくらいに掠れきっていた。

まるで声帯だけが迷子になってしまったかのように、微かな震えが止められない。


「そのまんまの意味だよ……あたし、湊人のこと沢山知ってるから、だから慰めてあげれると思うんだ……」

「だから、意味がわからないって……」


正直、分かりたくないし、知りたくもない。

これ以上踏み込んでしまったら、二度と元のには戻れない……そんな予感が肌を粟立たせている。


雫は一瞬だけ、さっきまで俺の唇を奪っていたその柔らかな唇を噛んだ。

そして、視線を俺の胸元あたりに落とし、そしてまた、まっすぐに俺を見上げてきた。なにかを決意したみたいに。


「ねぇ湊人。明日土曜だし学校休みでしょ?」

「はぁ?学校?それは休みだけど……さっきからなにいってんだよ雫。それに——」

「じゃあ、いこっ……ほらっ、立って……」


雫は再び俺の抗議を遮ると、冷え切った俺の手を両手で優しく包み込み、ベンチからゆっくりと立ち上がった。

その逆らえない引力に引っ張られるように、俺もフラフラと腰を上げる。


「行くって、どこに……?」

「ん?ついてくればわかるよ……だから黙ってついてきて……」

「おっ、おいっ、そんなに引っ張んなって!わかったよ雫、ついてくからっ!」


半ば強引に手を引かれ、俺は情けなく足をもつれさせながらも、彼女の小さな背中を追う。


立ち止まって、本気で問い詰めることだって出来たはずだ。

でも、俺は結局それをしなかった。いや、できなかった。


なぜなら、振り返った時の雫の横顔があまりにも真剣で——

そしてなにより、数時間前に俺を拒絶した朝凪と重なるくらいに、ひどく寂しそうだったから。


俺の心はきっとその時から、甘い毒に当てられたように揺れ始めていたのかもしれない。


夜の街のどこかへ向かう間も、ずっと雫の手は俺の手に深く絡んだままだった。

指の一本一本が隙間なく絡み合い、雫の熱が、直接俺の血流に流れ込んでくる錯覚さえ覚える。


俺は少し前を歩く彼女の背中を見つめながら、自分の呼吸がじわじわと浅くなっていくのを感じていた。


既に限界を超えた頭の中では、今日の夕方の教室で嗅いだ桜の匂いと、さっきの雫の香水、冷たい拒絶の言葉と、熱に浮かされたキスの感触が、ぐちゃぐちゃになって混ざり合っている。


——いったい、雫はなに考えてんだよ……?


その答えは出ないまま、雫の指先から伝わる微かな震えだけが、俺の皮膚を通して確実に伝わり続けていた――


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