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第19話 姉妹喧嘩みたいなもの 雫SIDE——

雫SIDE——


時は遡る。

それは湊人と身体を重ね、つかの間の幸せと「あたし」という存在の確かな輪郭を確認したあの日のデートのあと……迎えた日曜日——


あたしは凄まじい罪悪感に苛まれていた。

あたしの幼稚な独占欲のせいで湊人を共犯者に仕立て上げ、あげくの果てに澪の身体を勝手に穢してしまった。


……最低だ。でも。それでもあたしは、あたしだけの幸せが欲しかったんだ。


湊人に貰ったあたしだけのプレゼント。

湊人があたしだけに向けてくれる、あの視線。

あたしだけをやさしく抱きしめる温かい腕。


そのすべてに勝る価値なんて、この世界のどこを探しても見つからない。


これまでは、澪の影として彼女を助ける為だけに生きてきて、自分の存在意義なんて考えたこともなかったのに。

なのに今、あたしはどうしようもなく自分という存在が恨めしい。


あたしが一人の、別の身体を持った人間だったら——そうすれば、あたしは堂々と湊人の隣にいられるのに。

澪と本当の双子や姉妹だったら、どんなに最高だっただろう。


一つの身体に一つの魂。

そんな誰もが当たり前に持っているものが、あたしにはない。


そしてなにより、あたしは澪のことも、湊人のことも大好きだから、この状況が余計に苦しくて、吐きそうなくらいに辛かった。


澪はずっと、あたしとの対話を拒んでいた。

けれど、これ以上の隠し事を彼女に黙ったまま進めることはもはや無理だろう。

だからあたしは意を決して、自分自身の内側、澪の心の扉を叩いた——



————————



そこは、あたしたちの意識が作り上げた不思議な空間。

綺麗だけどどこか無機質な、モデルルームのようなリビング。その端に二つの扉が向かい合っている——


片方はあたしの部屋。そしてもう片方は澪の部屋。

澪と仲が良かった頃は、このリビングで二人でたくさんお喋りをした。

けれど、あたしが勝手な事をして澪の友達作りを勝手にプロデュースし始めたあの日を境に……かれこれずっと、澪の扉が開くのを見ていない。


それでも、今回だけは諦めるわけにはいかなかった。

あたしは澪の部屋の扉の前に立ち、扉の向こうにいるであろう彼女に向けて必死に声を上げた。


「ねぇ澪……久しぶりだね……あたしの声、聞こえてる?」

「…………」

「あのさ、すっごく大事な話があるんだけど、聞いてほしいんだ……これだけはあたしからちゃんと言わないといけないから」

「…………」


返事はない。それでもあたしは話し続けた。


「あのね……ごめんね、澪。あたしさ……湊人と付き合ってるんだ」

言葉が虚しく冷たい床に落ちて消え、扉の向こう側は凪いだ海のように静かなまま。

あたしは震える喉を動かし、もう一度その名を口にする。

「わかる?湊人だよ……鳳湊人——」


その時だった。

あたしの目の前のドアが乾いた音を立ててほんの数センチだけ開き、その隙間から地を這うような冷たい声が漏れ出してくる。


「……雫、あなた今……なんて……?」

「澪……やっぱり聞いててくれたんだね。久しぶり……」

「挨拶なんてどうでもいいわ雫。あなたは今……なんて言ったの?」


どこか小さな怒気のようなものを孕むその声に、あたしは必死に声を絞り出す。


「あたし今……鳳湊人と付き合ってるんだよ……澪」


その宣言と同時に、ドアが勢いよく開け放たれた

そこには驚愕と怒りをごちゃまぜにしたような表情のあたし自身——朝凪澪が立っている。


「いったいどういうことよ雫……あなたが鳳くんと……付き合ってる?」


信じられないものを見るような、あるいはひどく残酷な宣告を受けたような瞳。

その震える声色に、あたしの胸がギリリと締め付けられる。

それでも、ここで言葉を濁すことは湊人に対する一番の裏切りになってしまうから……あたしは真っ直ぐに澪の目を見つめ返した。


「うん……澪の身体を借りて、あたしが好きだって告白した。そしたらさ、湊人、あたしと付き合ってくれるって……」

「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ……意味がわからない、意味がわからないわよっ!?そんなの……!」


澪が頭を抱え、後ずさるようにフラフラと後ろに数歩下がる。

自分が眠っている間に、自分の身体が自分の一番気にかけていた相手と恋人同士になっている。

その事実の重さが、澪の精神を激しく削り取っているのは痛いほどわかる。


「あたしね、澪の気持ちが少しだけ分かるんだ。だから最初は澪の気持ちを後押ししてあげようって思って、澪の身体を借りて、澪が好きだった湊人の恋愛相談に乗ってたんだよ?二人が結ばれるように。告白するよう背中を押したのだって、あたしなんだよ?……なのに……」


そう、最初は純粋なお節介だった。

不器用でプライドの高いこの宿主を、どうにかして幸せにしてあげたかった。

だからあたしは裏方に徹して、彼との接点を無理やり作り上げたというのに——


「なのに……澪が湊人のこと、フッちゃうんだもん……」


沈黙が落ちる。

あたしのその一言が、澪の心の最も柔らかい部分を正確にえぐり取ったのがわかった。


「フッちゃうって……それは……それは仕方ないじゃない!あの時の状況じゃ、ああするしか……!」


澪の顔が苦痛に歪んでゆく。

あの日、湊人からの告白を冷たくあしらった茨姫の仮面の下で、彼女がどれほどの血の涙を流していたのか。その痛覚は、根底で繋がっているあたしにも微かに、けれど確実に伝わってきていた。


「それなら……あたしが付き合いたいってなっちゃったんだよ。それであたしの言葉で告白した。もう、好きな気持ちが抑えられなくって……えっちもしちゃった……ごめん、澪」


「!?!?はっ、はぁ!?私の身体を使って何を……なにしてんのよ!?だから腰のあたりが変な感じが——?!」


まるで空気が凍りついたようだった。

澪の思考は完全にキャパオーバーを起こしたみたいに顔を真っ赤に茹で上げ、怒鳴り散らしたかと思えば、急に泣きそうな顔をして俯いてしまう。


「ごっ……ごめんって何よ!?なんなのよ……私の気も知らないでっ!!そもそも私が鳳くんをフッたのも、こんなことになったのも、全部あなたが——!!」


澪の口から、安易に予想出来るどろりとした本音が溢れ出しそうになり、その非難の言葉をぶつけられそうになった、まさにその時——


「……ごめんなさい。なんでもないわ雫」


激昂しかけた澪が、ふっと糸が切れたように脱力した。

そう。澪は本当に優しいんだ。


「澪……ごめんね、本当に……」

「謝って済む問題じゃないでしょ、こんなの……」

「…………っ」


重苦しい静寂が、あたしたちの間に降り積もる。

澪は震える手で自身の腕を抱きしめ、自分の身体に刻み込まれた『あたしと湊人の記憶』の痕跡を、どうにかして消化しようと必死に呼吸を整えているみたいだった。


「……じゃあ何?私は知らないうちに恋人ができていて。しかもその……深い関係にもなっていたってことなのね?その相手が、よりにもよって鳳くんで……」

「そう、なるね……」


事実だけを淡々と確認する澪の横顔はひどく青白い。

やがて、彼女は僅かに残された理性を総動員して、一番恐ろしい問いを口にする。


「鳳くんは全部知っているの? 私と雫のこととか……」

「少なくともあたしたちが二重人格だってことは、あたしが話したから知ってると思う」

「そう……それで、彼はなんて?」

「なんてって……最初は驚いてたけど、でも今もあたしとちゃんと向き合ってくれるし、昨日も普通にデートしてくれたよ……?」


あたしが少しだけ誇らしげに、彼がいかに優しいかを伝えようとしたその言葉が、澪の神経を逆撫でする最悪の地雷だったと気づくのには、一瞬遅かった。


「でっ……デート!?………ちょっとなによ……本当になんなのよ雫っ!!あなたって!」


澪の瞳に怒りとは違う、もっとドロドロとした別の感情——強烈な嫉妬と羨望の色が浮かび上がった気がした。

同じ身体なのに。同じ顔なのに。あたしだけが湊人に愛され、あたしだけが彼との甘い時間を享受しているという、圧倒的な不平等への憎悪。


「ズルい……雫、あなただけ……ズルいわよ!私はずっと損な役回りで、あなただけずっと人気者で……!それなら、私にだって考えがあるわっ——!!」


それから堰を切ったように言葉と感情が溢れ出し、澪は止まらなかった。

あたしは、そんな澪の荒れ狂う言葉をただひたすらに受け止め続けた。


けれど。

気がつけばあたしたちは、自然と言葉を交わせるようになっていた。

激しい衝突が、長年の姉妹喧嘩のようなものから解放されるための作業だったかのように。

こうして、あたしと澪の久しぶりの再会は、最悪の喧嘩から始まり、再び歯車を動かし始めたのだ。


でも、あたしはこの時まだ知らなかった。

この自分勝手な告白のせいで、あたしという人格の存在そのものが、取り返しのつかない危機に晒されることになるなんて——



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