第17話 邂逅——
週末の背徳的なデートを終え、迎えた週明けの月曜日——
教室の自席に着き、隣に座るポニーテールの少女——朝凪澪へ視線を向けるたび、俺の胃は千切れそうなほどの激痛と罪悪感に苛まれていた。
あの日、俺の腕の中で甘く蕩けていたはずのあの身体は、今はピンと背筋を伸ばし、周囲を寄せ付けない茨姫のオーラを纏って机に向かっている。
相変わらず刺々しく、俺のことなど視界の端にも入れない彼女が、心の奥底で一体何を考えているのか、俺には全くわからない。それが、今はひどく恐ろしかった。
もし、朝凪が先週の土曜日について何か感づいていたら……そして何より、俺自身が彼女の身体に向けたあの熱を持った視線や感触をフラッシュバックさせてしまい、どうしても平常心で接することができないのだ。
そんな限界ギリギリの精神状態で、俺はどうにかボロを出すことなくその日の学校を終えた——
そして今日は、カフェでのアルバイトが入っている。
シフトが終われば、いつものように夜の公園で雫と待ち合わせをして何気ない時間を過ごす。そんな、今となっては非日常の極みのような予定が待っている。
なんだかんだ言って、俺にとってこの夜の時間のルーティンだけは絶対に欠かせない。というか、既に俺の生活に深く組み込まれてしまっているのだ。
だから俺は、放課後のホームルームが終わるや否や、逃げるように教室を後にして、バイト先であるカフェへと足を向けた——
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今日もカフェはそれなりに大盛況だった——
夕方の時間帯は学生や仕事帰りの客で特に混み合い、怒涛のオーダーを無心でこなしているうちに、気づけば俺のバイト上がりの時間が近づいてくるというのもいつものこと。
シフト終了まで残り三十分を切った頃。
だいぶ客足が落ち着いてきた店内のレジで補充作業をしていた俺の視界に、一人の少女が颯爽と入ってきた。
大胆な蒼いインナーカラーが入ったロングヘアー。
そして彼女の華奢な身体のラインをすっぽりと隠すような、少しブカブカのオーバーサイズのパーカー。
見間違えるはずもない。紛れもなく、俺の恋人である雫だった。
そんな彼女が、周囲の客の視線を無自覚に集めながら、迷うことなく俺のいるレジカウンターの方へ向かって歩みを進めてくる。
「……よっ……来ちゃった!」
「雫……珍しいな、ココに来るなんて?」
「そっ、そうかな?ちょっと早く着いちゃったから♪いま忙しい?」
少し上気した頬に、いたずらっぽい笑みを浮かべる雫。
いつもは夜の公園で待ち合わせをしているのに、わざわざ俺のバイト先まで顔を出すなんて、よっぽど俺に会いたかったのだろうか。
そんな自惚れた想像をして、俺は隠しきれない安堵とともに少しだけ口元を緩ませてしまう。
「いや、もうピークは過ぎたし暇だよ。あと30分くらいしたら上がれるから……どうせならなんか飲んで店内で待ってるか? 友達割り利かしてあげるからさ」
友達割——それはスタッフの友人を顧客に取り込むという、ある意味で個人経営に近いこのカフェだからこそ許されている、アグレッシブな割引システムだ。
「えっ……いいの?」
「もちろん!ってか、前来た時も割引してやったろ?」
「あっ……そだったね!」
少しだけキョトンとした後、彼女は納得したようにパンッと手を叩いてみせた。
といっても、だいぶ前の事だ。俺もよく覚えていたのが奇跡なくらいである。
「じゃあ雫は……いつものカフェラテでいいか?キャラメルシロップ大盛りのやつ」
それは雫の定番メニューだった。
思えば、初めてあの夜の公園で出会った時も雫はそれを飲んでいて、派手にすっ転んで俺の服にぶちまけたのだ。それで、俺が同じ物を店長に頼んで作り直してもらったのが、俺たちの奇妙な関係の始まりだった。
今思うと、あれも彼女が仕組んだ計画的な犯行だったわけだが……それでも、ひどく懐かしく、愛おしい思い出だ。
「あっ、うんと……今日はココアでもいい? あったかいの……」
「おっけ。でも雫がココアとか珍しいな?」
「まっ、まあね。ちょっと疲れてて甘いのが飲みたいなって……」
「そっか……じゃあ割引入れて350円な!」
「うん♪ありがとっ」
彼女はパーカーのポケットから小銭入れを取り出し、きっちり三百円をトレーに置く。それをしっかりとレジに入れた俺は、雫の為にと少し意気込んで腕まくりをした。
「じゃあ、せっかくだし俺が美味いの作ってきてやるから、そこの受け取り口で待っててくれるか?」
「おっけ〜!」
俺の言葉に、雫はニコリと笑って横の受け取り口へと移動していった。
確かに今日の雫はどことなくいつもと雰囲気が違うというか、目の下に少しだけクマがあるような、どこか疲労の色が濃く出ている様子だった。
朝凪自体が学校で何かあったのか、それとも雫が何かで無理をしているのか。
……後で公園に行ったらゆっくりと話を聞いてあげよう。
そう思いながら俺はエスプレッソマシンを操作し、少し甘めにココアを調整して温かいミルクを注ぐ。
さらに疲労回復のオマケとして、上からホイップクリームを少しだけ多めにトッピングし、特製のココアにスリーブを差し込んで、受け取り口で大人しく待っている彼女の元へ足早に向かった。
「おまたせっ、雫!ココア出来たぞ」
「おっ、ありがとう!」
俺が差し出したカップを、嬉しそうに両手で丁寧に受け取る雫。
「なんか疲れてるって言ってたからホイップ多めで少し甘めにしといたぞ?疲れた時は甘いのが一番効くからな」
俺がドヤ顔でそう言うと、彼女はカップを見つめ、少しだけ申し訳なさそうに、けれどひどく嬉しそうに目を細めた。
そしてゆっくりと顔を上げ、こちらを真っ直ぐに見つめ返した彼女は、静かに言葉を落とした。
「こんなに色々してくれているなんて、悪いわね……本当に優しいのね、《《鳳くん》》……」
「そんなこと——」
……ん?今、雫はなんて……?
その瞬間、俺と彼女の間に流れていた甘くて緩い空気が急激に冷却されたような錯覚を覚え、俺はその先の言葉を失ってしまった。
「雫に聞いた通りだったわ……」
その声色は、いつも俺を湊人と呼ぶあの高くて弾むような雫のトーンではなかった。
感情の起伏を完全に抑え込んだ、何倍も落ち着いていて、ひどく冷たい声。
そして、その声色には俺の鼓膜が嫌と言うほど聞き覚えがあった。
そう、それは紛れもない……教室で毎日聞いている茨姫のものだったから。
「雫……お前……いや、雫じゃないのか……?」
「……ごめんなさい鳳くん。残念ながら私は雫じゃないわ……」
ドクン、と心臓がひどく不快な音を立てて跳ね上がり、冷え切った嫌な汗が首筋を伝い落ちる。
目の前に立つその少女の容姿は、インナーカラーもパーカーも、間違いなく俺の知る雫のものだ。だが、その冷ややかな表情や、空気を凍らせるような声色は——
「……朝凪……なのか……?」
震える声での問いかけに、彼女は美しくも冷酷な笑みを口元に浮かべ静かに頷いた。
「ええ。お察しの通り、私は朝凪澪よ……鳳くん、少し話があるの。付き合ってくれるわよね?」——




