第15話 あ〜んの上にあるもの——
騒がしくも華やかで、どこか陽気な空気が漂う店内。
目の前に差し出されたのは木の器に豪快に盛り付けられた、ボリューミーなハンバーガーと大量のサイドメニューだった——
俺たちは、今日のデートの最初の目的地であるレストラン……もとい、ちょっといい値段のするハンバーガーショップへと足を運んでいた。
案内された最奥の横並びの角の席で、俺と雫は肩が触れ合いそうな距離で並んで座り、俺達は目の前のカロリーの暴力に思わず声を上げる。
「「うぉぉぉぉ……」」
記念すべき初デートの昼食でまさかのハンバーガーショップ。
一定数の女の子なら『雰囲気ない』だの『口を大きく開けられない』だの、色々と文句を言われそうなチョイスだが、実はこれ、他でもない雫自身の希望なのだ。
その完璧な美少女の見た目からは到底想像できないが、彼女はどうやらジャンクなものが好きらしく……意見交換の結果ここに行き着いた。
まあ、俺としてはありがたいかぎりだ。
そもそも俺は、オシャレな店のマナーなんて一つも知らないド田舎出身なんだから。
「湊人っ!スゴイでしょココ!!」
「ああ、これはスゴイわ……めちゃ大人なハンバーガーだな……」
「そうなんだよ、大人なの!大人の嗜みなんだよっ!」
「そっ……そうか……」
何やらわけのわからない事を興奮気味に力説する雫。
俺はそんな彼女をチラリと横目で盗み見た。
店内はカジュアルでリラックスできる空間なのだが……隣に座るこの弩級の美少女の存在感と谷間のせいで、俺のリラックス度は帳消しどころか完全にマイナスに振り切れてしまっている。
「じゃあ、冷めないうちにたべよっ!湊人っ!」
「そうだなっ」
雫の声につられ、俺は気を取り直してハンバーガーを包み紙に押し込み、肉汁がこぼれないように慎重に口へと運んだ。
「うわ、うまぁ……」
「ねぇ〜……おいしいねぇ〜♪」
心底幸せそうな表情を浮かべる雫。
その無防備な顔を横目に、俺ももう一口大きくかぶりつく。
「はぁぁぁ〜〜、しあわせぇ〜〜♡」
幸せそうな表情の雫へもう一度目を向けると、彼女の形の良い唇の端っこにケチャップがべったりと付いている事に気づいた。
孤高の美少女・朝凪澪の顔面で小学生みたいに口の周りを汚すやんちゃな雫の姿。
そのあまりにもアンバランスで愛おしい光景を見て、俺の頬は自然とだらしなく綻んでしまう。
「……あ゛っ……ちょっと湊人?なにニヤニヤしてんの?」
「あっ……そっ、それは……」
俺の生暖かい視線に気づき、いぶかしげに眉をひそめた雫を前に、俺は咄嗟に視線を巡らせて言い訳を口走った。
「雫……口元にケチャップ付いてるぞ?」
「へっ!?……どこっ!? やばっ、はずっ……」
「ほらっ……取ってやるよ」
無意識にテーブルの紙ナプキンを一枚引き抜き、雫の顔に手を伸ばしてその口元の汚れをそっと拭き取ると、彼女の白い顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
「…………ありがと……」
「どした雫?」
「なっ、なんでもないよっ!きゅ、急に湊人があたしの口拭いてくるからびっくりしただけっ!」
どうやら、不意打ちのスキンシップに彼女も照れてしまったらしい。
さっきまでの勢いがすっかり弱まり、上目遣いで恥じらう雫の破壊力は凄まじいの一言だ。
そんな甘すぎる空気を誤魔化すように、雫が少し早口で口を開いた。
「そういえばさ、湊人ってサイドメニューなに頼んだの?」
「俺か?オニオンリングだけど?」
「あっ、あたしと違うんだっ」
「雫はなに頼んだんだ?」
「あたしはポテトだよっ♪……ねぇ湊人、ちょっとそれ貰ってもいい?」
「これか? ああ、全然いいぞ」
「やたっ♪」
雫はそう言って嬉しそうに俺のプレートへ手を伸ばすかと思いきや——
「はいっ、あ〜〜ん♡」
両手をテーブルについたまま、俺に向けて目を閉じ大きく口を開けて待ち構え始める。
……えっ……まさか食べさせろってか?!
突然突きつけられた高難易度のラブコメ展開におどおどしている俺に、彼女が容赦なく追い打ちをかけてくる。
「む〜!湊人っ!彼女があ〜んして待ってんじゃん!なんで食べさせてくれないのっ!」
「はあ?!あっ、えっと……」
俺は慌てて自分のフォークを握り直し、オニオンリングをケチャップにくぐらせてから、待機している雫の口元へと震える手で持っていく。
「じゃあ、ほらっ……あーん……」
「あ〜〜ん……もぐっ♡」
フォークから直接オニオンリングを受け取ると、雫は嬉しそうに頬を赤く染めながらもくもくし始める。完全に餌付けされる動物の構図である。
すると今度は、ご満悦な様子の雫が目を輝かせてこんな事を提案してきた。
「湊人もあたしのポテト食べる?」
「おっ、いいのか?」
「もちろんっ♪お返しだよっ!」
……なんかいいなこういうの。これぞまさに青春の1ページってやつだ。
そう平和に思えたのも、ほんの束の間のことだった。
俺が雫のポテトに手を伸ばそうと動く前に、雫が長いポテトを一本指先で器用に摘み上げると、それをゆっくりと持ち上げて俺の方を向く。
「じゃあ今度はあたしが——」
……こっ……これはもしや……。
ついに俺の人生にも、ヒロインから直接ポテトを『あーん』してもらうという甘酸っぱい初体験が訪れるのか。
そう期待し、思わず喉を鳴らしたその時——
「はいっ……」
雫の手は俺の口元へ来るかと思いきや、くるりと反転して彼女自身の口元へと動く。
そして、その長いポテトの先端を極浅く自分の唇で咥え、そのまま俺の方へ向き直って至近距離でその美しすぎる顔を向けてきたのだ。
「…………ん?」
「ふぁい、みなほ……ほっきーへーむ……ふぁい……」
「…………へ?」
自分の口元から突き出たポテトを指さしながら、モゴモゴと口にする雫。
……こいつ、今なんて言った……てかこのシチュエーションから察するに……おい、マジか。
多分だが、これは噂に聞く陽キャの破廉恥ゲーム。ポッキーゲームのフライドポテト版というやつではないのか?
気づくやいなや心臓が警鐘を鳴らすように激しく脈打ち、背中から冷や汗が噴き出す。
そんな俺の葛藤をよそに、雫は真っ直ぐに俺を見つめたままじりじりと顔を近づけてくる。
……こいつ……正気か?
「……雫?」
「ふぁい!みなほっ!」
「…………これ、咥えろってか……?」
「ほうほう!ふぁやくっ!」
雫はポテトを咥えたままコクリと力強く頷いて俺を急かしてくる。
その目はマジだ。
でも俺の心はひどく怯えているわけで……。
「……本当に咥えていいのか?後で文句言うなよ?」
が、ここで逃げ腰になるわけにもいかない。
チキンだと罵られ、後で雫にどんな弱みを握られるかわかったもんじゃない。
ましてや、彼女が作ってくれたこの甘い空気を俺の不甲斐なさで壊したくもなかった。
だから俺は覚悟を決めた。
最近はこんな命懸けの覚悟ばっかり決めている気がする。いい加減、キマりすぎて頭がラリっちゃいそう。
「いくぞ……」
俺は恐る恐る顔を近づけ、雫の口から伸びるポテトの反対側をそっと咥えた。
雫の顔が近い。近すぎる。そして、瞳を閉じて待つその顔があまりにも可愛すぎる。
カリ……カリ……と、慎重にポテトを食べ進めるたび、じわじわと近づく雫の顔。
鼻先に触れるほどの距離で感じる彼女の小さな体温と、甘い吐息。
そしてポテトを食べ進め、その距離が半分を超えたその瞬間——
——ちゅっ♡
俺の唇に温かくて柔らかい雫の唇が不意に重なった。
「…………っ!?」
どうやら雫がポテトを食べる勢いのまま、俺の唇に軽い口づけを落としたらしい。
脳が既に沸点を通り越して完全に煮えたぎる中、俺の視界から雫の顔がパッと離れていく。
「えへへっ♡……美味しかった?」
「…………」
……わかるかボケ。
そうツッコミを入れたいのに、俺の喉は完全に干からびて声が出ない。
言葉を失い石のように固まったままの俺の前で、雫はポテトをモグモグと咀嚼しながら満足そうに、そして少しだけ恥ずかしそうに笑っている。
こうして俺は、初デートで「あーん」という甘酸っぱいイベントをすっ飛ばし、それ以上の何かを、あっさりとクリアさせられてしまったのだった——




