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第11話 目の前の真実、心の行方——

俺の目の前にいる少女。

雫……いや、朝凪澪は、悲痛な表情を浮かべたまま、未だ声にならない言葉を口の中で空転させていた。


一方で、俺自身も自分の感情の着地点がどこにあるのか完全に見失っている。

裏切られたという怒りなのか。

好きだった相手の裏の顔を知ってしまった悲しみなのか。

はたまた、俺を救ってくれた雫という存在が虚構だったという喪失感なのか。


それら全ての感情が混ざり合い、俺の思考をぐちゃぐちゃにかき乱す中、目の前の少女はその大きな瞳にボロボロと涙を浮かべた。


「待って……まって湊人……あたし澪じゃないの……あたしは雫だよ……」


その震える声が、今の俺にはひどく都合の良い言い訳にしか聞こえなかった。

俺をフッた冷酷な茨姫が、俺を慰め、救い出してくれた雫という存在を盾にして保身を図っている。そんな、あまりにも出来過ぎた逃げ道にしか——


「やめろ……」

「違うの……」

「やめてくれ朝凪。これ以上雫のフリをしないでくれ……これ以上、あいつの事汚さないでくれ……」

「…………っ……」


腹が立った。

たった一人の大切な親友を理不尽に奪われたような、そんなやり場のない怒りがこみ上げてくる。


俺にとって雫は、唯一無二の存在だったんだ。


それを、よりにもよって俺をフった張本人が面白半分に演じていたとしたら。俺のこの数日間の浮かれっぷりは彼女にとって、どれほど滑稽で見応えのある出し物だっただろうか。


「朝凪、お前ホントに何してんだよ。俺がずっとお前の事を好きだって相談してたのも、全部知っててこんな事してたのか?……俺の事、弄びたかったのか?雫なんて別人のフリして俺と付き合って……次はどうするつもりだったんだよ?」

「お願い湊人っ!……あたしの話を聞いてっ!お願いだからっ!」


なりふり構わず、雫……いや、その器を持った少女が俺に縋り付いてくる。

細い腕が俺の服をきつく握りしめ、その小刻みな震えが布越しに俺の熱を奪っていく。


「……っ……なっ、なんだよ……」


目の前の必死な少女を一体どう呼べばいいのかもわからず、声が出ない。


「ごめんなさい……ごめんなさい湊人っ……そんなつもりはなかったの。ちゃんと説明させて、お願いだから……お願い……」


怒りに任せて振り払うことだってできた。

でも、今の俺にはそれは出来なかった。


俺の腕にしがみつく彼女の体温は、この数日間、俺の心を確かに温めてくれた雫のものと残酷なまでに同じだったから。


それに、他人を寄せ付けず孤高を気取っていたあの朝凪澪が、なりふり構わずこんな風に泣きじゃくり、すがりついてくるなんていう特大のイレギュラーを前にして、俺はどうしても彼女を冷たく突き放すことができなかった。


「…………わかった……聞くよ。少しだけな……」

「……ありがとう……湊人……」


雫はそう言うと溢れる涙を1度拭いて、俺の方を真っ直ぐ、真剣に見据えた。


「今から話すことはとっても変な事なんだけど、お願い。信じて…………まず、これ見て……」


一言告げ、彼女はおもむろに両目の目元あたりを親指で強く擦ってみせる。

すると、そこからくっきりとした泣きぼくろが覗き、月明かりの下に朝凪澪が姿を現した。


コンシーラーで念入りに隠されていたその証。

雫というヴェールを脱いだ彼女が、そこに立っていた。


もはや一抹の希望すら残されていない。

俺は朝凪澪という一人の少女の掌の上で踊らされていたのだと、視界が真っ暗になるような錯覚を覚えてしまう。だが——


「これが本当のあたしの顔。あたしは確かに朝凪澪だよ……でもね……あたしは雫なの……」

「……何言ってんだよ……お前……」


思考の処理能力はとうに限界を超えていた。

朝凪澪であって、雫である。その根本から破綻した矛盾だらけの言い訳が、俺の脳内で激しいノイズを撒き散らしている。


「あたしはね、澪の中にいる……違う人格なんだよ……澪は二重人格なんだ」

「…………っ?!」


何を言っているのかわからない。いや、分かりたくなかった。


二重人格。


そんなフィクションの中でしかお目にかかれないような現実味のないものが、俺の彼女の正体だと言うのか。

これはタチの悪い冗談であってほしい……そう願わずにはいられないほど、彼女の震える唇から紡がれた告白は、俺の常識と理解の範疇を軽々と飛び越えている。


「澪は今、眠ってるの。それで、あたしは澪の身体を借りて湊人と合ってるんだ。いつも連絡返す時も、一緒にゲームする時も、あたしが澪の身体を借りてたんだよ。だから澪が起きてる時……例えば湊人が学校にいる時にあたしにDM送っても連絡帰ってきたことなかったでしょ?」


俺は思い返してみる。

確かに。学校での休憩時間に送ったDMが既読にならないことも珍しくなく、その返信は決まって夜や深夜だった。それは間違いない。


「でもね、身体は同じでも……中身は別人なの」

「……中身は別人?」

「そう。身体は同じでも、あたしたちの記憶の殆どは別々なんだ。だから、あたしは湊人と澪が学校で何を話したとかは知らないし……澪もあたしがこうやって湊人と合ったりゲームしてる事は知らないんだよ……もちろん、恋愛相談してたことも全く知らないと思う……」


それは本当なのか、と疑いたくなる。

でも、目の前の朝凪……いや、雫の眼差しはあまりにも真剣だった。

その声の震え、トーン、それらすべてが彼女にとっての唯一の真実であることを物語っている……少なくとも俺にはそう思えてしまった。


俺は朝凪澪にフられ、その同じ身体を共有する雫という別の人格と付き合い、あまつさえ身体まで重ねてしまったわけで。

このあまりにも歪な関係を、俺はいったいどう受け入れればいいのだろうか。


「へへっ、意味分かんないよね。だから今まで言えなかったんだ……こんな事行ったら、頭おかしいって思われるのわかってるから……それはね、たぶん澪も同じだと思う……」


自嘲気味に笑った雫。その顔が、俺の脳裏に焼き付いている朝凪澪の姿と重なる。

そして、朝凪がなぜあそこまで人を拒絶していたのか。その理由もなんとなくわかった気がした。


もし自分の身体を共有する見知らぬ誰かの存在に怯え、その誰かが自分の知らない間に時間を進めてしまう恐怖と戦っていたのだとしたら。

その孤独は俺が想像していたよりもずっと深く、暗いものだったはずだ。


そんな考えを巡らせている時、雫の手が俺の手をそっと握った。


「湊人……あたしのこと嫌いになっちゃった……?」

「…………っ…………」


嫌いになれたらどれほど楽だっただろう。

俺を無惨にフった相手のかおをしているとはいえ、この半年以上、俺をずっと支え続けてくれたのは間違いなくこの雫という人格なのだ。


けれど、それを手放しで受け入れるには、まだ心の準備が追いつかないのも事実。

俺が言葉を詰まらせ、永遠にも等しい沈黙が落ちたその時、雫はさらなる恐怖に顔を歪ませた。


「湊人……お願いっ!あたしの事嫌いにならないで……やっと付き合えたのに……あたしを捨てないでっ……!あたしこんなんだけど、でも、湊人の事好きなの……これはあたしの気持ちなの……あたしはココにいるのっ!だからっ……!」



縋り付く雫の温度。必死な瞳。

その懸命な訴えに、俺の心の防波堤が音を立てて崩れていく。

これ以上、こんな風に震える雫を突き放すことなんて俺には出来なかった。


もちろん頭の中は相変わらずぐちゃぐちゃで、 整理しなければならない現実はエベレスト級に積み上がっている。

雫と付き合うということはすなわち、朝凪澪という存在と向き合い続けることと同義なのだから。


それでも……これまで俺の隣にいてくれた雫の存在を完全に否定したくない自分がいた。

彼女に救われた時間の全てをなかったことにするなんて、俺には絶対に出来ない——


「……わかったよ……雫……お前はお前なんだな?」

「うん……」

「……まだ色々整理できてないけど……でも俺はお前の事、嫌いになれそうにないよ……」

「……湊人っ……」


握り締める雫の手が激しく震えている。

俺はその手を、今度は自分の意思でしっかりと握り返した。


憧れの人と同じかおを持つ別の心。

その歪な恋人とのあまりにも危うい新しい関係。

それが自分の未来をより複雑に書き換えていくことになると、この時の俺はまだ半分も理解していなかったのだ——



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