第6話:黄昏の宿場町
「雑魚♪ 雑魚、あたしを蕩けさせる最高級のホスピタリティ♪」
雪山を越え、過酷な冒険を乗り越えたフラウロスとエルが辿り着いたのは、暖かな灯火が揺れる宿場町。
傲慢な天才も、ふかふかのベッドと極上のスープの前では、ただの「可愛いお嬢さん」にリペアされてしまう!?
ピンクの親衛隊を森に隠し、ひとときの平穏を享受する二人。
遠い街の親友への「ツンデレ通信」も交えながら、冒険の疲れを癒やす贅沢な一夜が始まります。
「――ふん。あんたたち、そこで一ミリでも動いたら、そのメインプロセッサを強制初期化してあげるから。光栄に思いなさいよね、雑魚共♪」
あたしは、町の入り口から少し離れた深い針葉樹の影に、ピンク色の光を湛えた数千体の『親衛隊』たちを整列させた。
アイアン・クリフの垂直な絶壁を下り、ようやく辿り着いた山麓の地。視界の先には、オレンジ色の温かなランタンが点々と灯る、石造りの美しい街並み――宿場町『ノクティス』が広がっている。
流石にこれだけの物量の大軍を引き連れて正面から入るほど、あたしの演算能力は低スペックじゃない。
「いい? 外部からのスキャンはあたしのステルス・プログラムで完封してあげる。あんたたちはそこで、森の景色の一部として待機してなさい。……あたしが宿のふかふかなベッドで、あんたたちの分まで最高の睡眠を済ませてくるまでね。」
あたしが指を鳴らせば、数千のピンクの光が一斉に消失した。
光学迷彩、熱源遮断、音響消去――あたしの全技術を注ぎ込んだ「隠れんぼ」だ。例え旧世界の偵察衛星が空から覗いたとしても、そこにはただの、静かな森が広がっているようにしか見えないはず。
「よし。……行くわよ、エル。論理獣もこの岩陰に固定完了。……さあ、あたしの高貴な肉体を労わるための、最高級の休息場所へ案内しなさい。……一分一秒でも早く、この凍りついた髪を洗いたいんだから!」
「あはは、そうだね! 私も早く、氷じゃない地面の上で思いっきり背伸びしたいな!」
エルはそう言って、あたしの手を引いて走り出した。
……ちっ、雑魚。雑魚、エルの無駄なバイタリティ♪
あたしは不貞腐れながらも、彼女に引かれるまま町のゲートへと足を踏み入れた。
石畳を踏む足音が、心地よく反響する。
ノクティスは、かつての中継地としての名残を留める、古き良き時代をリペアしたような情緒ある町だった。
広場の中央には澄んだ水を湛えた噴水があり、周囲の店からは焼き立てのパンの香ばしい匂いや、熟成されたエールの香りが漂ってくる。
メイのいるレゾナンスも温かい街だったけれど、ここはそれ以上に「停滞」という名の、心地よい静寂に包まれていた。
「へぇ……。零点五点。……まぁ、あたしの疲弊した視神経を休ませるための背景としては、悪くない出来ね。」
あたしはわざとらしく鼻を鳴らし、広場に立ち並ぶ宿の中から一番「高そう」な外観の建物を選び取った。
『黄金の羊亭』――その金文字の看板は、あたしの傲慢な自尊心を満足させるには十分な輝きを放っていた。
「いらっしゃいませ。旅のお嬢さん方。お部屋をお探しかな?」
宿のカウンターにいた、恰幅の良い支配人が、恰幅の良さに違わぬ温和な笑みで出迎えてきた。
あたしは腰に手を当て、最高に生意気な角度で顎を跳ね上げた。
「雑魚♪ 雑魚、あたしを『お嬢さん』なんて一括りにする一般教養の欠如♪ ……いい? あたしは天才フラウロス様よ。……この宿で一番、広くて、静かで、お湯が無限に出てくる最高級のスイートルームを、今すぐあたしに提供しなさい。……代金? そこで目をお皿にして見てるあんたが、一生かかってもハックできないような旧世界の純正通貨で、先払いしてあげるわよ。」
あたしがコンソールから弾き出したホログラムの通貨データに、支配人は腰を抜かさんばかりに驚いていた。
「……これは、失礼いたしました! すぐに、最上階の特別室をご用意いたします。……お食事も、当店の誇る最高のフルコースを、お部屋までお運びしましょう!」
「ふん、……当然の対応ね。……さあエル、行きなさい。……あたしの膝が、……その、……あまりの空腹で、……エラーを起こしそうなんだから……っ。」
あたしは、ぐぅーと情けない音を立てたお腹を、エルの背中に隠すようにして階段を駆け上がった。
……ちっ。
雑魚。雑魚、あたしの生物的本能♪
でも、あたしの鼻が捉えた、厨房から漂ってくる「クリームシチューの匂い」には、どんな鉄壁のファイアウォールも意味を成さないみたい。
最上階の部屋に辿り着き、重厚な扉を開けた瞬間。
あたしたちの視界に飛び込んできたのは、毛足の長い絨毯に、金縁の鏡、そして――何よりも、雲をそのまま切り取ってきたかのような、巨大で真っ白なふかふかのベッドだった。
「……はぁ、……はぁ。……これよ。……これがあたしに相応しい、……真のリペア・スペースよ……。」
あたしは、まだ支配人が部屋の説明を終える前に、そのベッドに向かってダイブした。
***
「――ひゃんっ!? ちょっとぉ! エル、いきなり温度を上げないでって言ってるでしょ! 雑魚♪ 雑魚、エルの熱管理ミス♪ あたしを茹でダコにして、そのままメインディッシュにでもするつもりかしらッ!?」
あたしは、湯気が立ち込める大理石造りのバスルームで、猫のように背中を丸めて叫んでいた。
アイアン・クリフの絶対零度に晒され続けたあたしの身体は、今や極度の「解凍モード」にある。そこにエルの無慈悲な……もとい、親切な手によって注がれた適温のシャワーは、あたしの凍てついた論理回路を、文字通り溶かしてバラバラにするほどの衝撃だった。
「あはは、ごめんごめん! でも、フラウロスちゃん、指先まで真っ白だったんだよ? ほら、じっとしてて。髪の毛、凍った飛沫でガチガチになっちゃってるから、ゆっくり解かしてあげるね」
「……ふん。……勝手にしなさいよ。……雑魚♪ 雑魚、エルの美容師気取り♪ ……あんたのその、……無駄に温かい手で触られるの、……別に、……嫌いじゃない……、わけじゃないけど……。」
あたしは不貞腐れて、膝を抱えたままエルの膝の間に収まった。
エルの指先が、あたしの髪に絡まった氷の欠片を、丁寧に取り除いていく。
シャンプーの、甘く優しい花の香りが鼻腔をくすぐる。メイの使っていた石鹸とはまた違う、都会的で、けれどどこか懐かしい香り。
アイアン・クリフでは、死と隣り合わせの静寂しかなかった。でも今は、エルの鼻歌と、心地よいお湯の流れる音、そして――あたしの背中に伝わる、エルの確かな体温がある。
「……ねぇ、エル。……あんた、……後悔してないの? ……あたしみたいな、……性格にバグのあるその……変人に付き合わされて、……こんな死ぬ思いまでして……。」
「んー? 全然! だって、フラウロスちゃんがいなかったら、私はあの氷の壁を登ることすらできなかったもん。それに、フラウロスちゃんと一緒にいると、世界がどんどん広がって、新しくなっていくみたいで……私、すっごくワクワクするんだよ」
エルの屈託のない答えに、あたしの胸の奥が、お湯の温度とは別の熱でじんわりと熱くなる。
……雑魚。雑魚、エルの直球すぎる肯定♪
そんなの、あたしが耐えられるわけないじゃない。
「……バカね。……あんたみたいな雑魚は、……あたしがいないと、……三秒で世界の不条理に飲み込まれて、……消去されちゃうんだから。……感謝……しなさいよ。……あたしの隣という、……世界で最も安全な特等席に……いられることを……。」
あたしはそう言いながら、自分でも気づかないうちに、エルの膝に深く頭を預けていた。
お湯に浸かった身体が、重力に負けていく。
「よし、リペア完了! さあフラウロスちゃん、お風呂から上がったら、お待ちかねのご飯だよ!」
「……わ、わかってるわよ。……雑魚♪ 雑魚、エルの給仕係気取り♪ ……あたしの胃袋が、……あんたのその、……期待感に溢れた顔に……、……同期してるだけなんだから……。」
バスローブに身を包み、湯上がりの火照った身体を絨毯の上で転がしていると、部屋の扉がノックされた。
運ばれてきたのは、銀色のドームで覆われた、豪華なフルコースの数々。
「失礼いたします。シェフ特製の『白鹿肉のワイン煮込み』と、『トリュフ風味の温製スープ』、そして……お嬢様方へのサービスとして、最高級の蜂蜜を添えた焼きリンゴでございます」
ドームが外された瞬間、あたしの目の前で情報の奔流が炸裂したの。
アイアン・クリフで食べていた、あのカピカピのレーションとは次元が違う。
立ち昇る香気、完璧な彩り、そして――皿の上で踊るようなソースの輝き。
「……ほう。……零点七二点。……まぁ、あたしの疲弊した味覚センサーを……再起動させるには、……最低限のクオリティね。……雑魚♪ 雑魚、シェフの全力投球♪ ……あたしを、……味覚でわからせようなんて……、……光栄に思いなさい……。」
あたしは震える手でスプーンを握り、スープを一口、口に運んだ。
「――っ! ……ん……っ……!!」
口の中に広がる、圧倒的な「旨味」。
素材の良さが、完璧な計算に基づいた調理工程によって引き出され、あたしの脳内にある報酬系を直接ハッキングしてくる。
「おいしい……!! フラウロスちゃん、これ、すごいよ!」
「……ふん。……味付けの、……レイヤーが……重なりすぎ……よ。……もっと、……シンプルで……いいのに……。……モグモグ……ん……っ……美味しいじゃない……。……雑魚……、雑魚……、あたしの……、……咀嚼が……止まらない……バグ……っ……。」
あたしは、自分でも制御不能になったスピードで、次々と料理を平らげていった。
毒舌を吐く暇もない。
エルの笑顔と、美味しい料理。
あたしの傲慢な自尊心は、今やふかふかのスリッパと、甘いワイン煮込みのソースの前に、完膚なきまでに敗北せられていた。
窓の外には、ノクティスの美しい夜景が広がっている。
あたしの『親衛隊』たちが眠る森は、遠くで静かに呼吸をしていた。
「……ふぅ。……九点。……あ、……今の、……聞き間違いよ。……零点九点……じゃなくて、……ただの……ノイズよ……。」
あたしは、お腹いっぱいになってソファに沈み込みながら、真っ赤な顔で言い訳を呟いた。
幸せ?
雑魚。雑魚、あたしの……、……安っぽい多幸感♪
でも、……今夜だけは、このままエルの隣で、……夢の続きをハックしてもいいかもしれない。
「――ふぅ。……雑魚。雑魚、あたしの胃袋の限界容量♪ ……あんなに脂っこいワイン煮込みを、全部リペア(完食)しちゃうなんて……あたしの計算モデルにはない、致命的なエラー(食べ過ぎ)だわ……。」
あたしは、自分でも驚くほど丸くなった(ような気がする)お腹をさすりながら、部屋のバルコニーへと出た。
ノクティスの夜風は、アイアン・クリフの死を運ぶ突風とは違い、火照った肌を優しく撫でるような心地よい冷たさだった。
隣の大きなベッドでは、エルが既に「むにゃむにゃ……フラウロスちゃん、それ以上は食べられないよぉ……」なんて、最高に低スペックな寝言を漏らしながら、夢の世界へとダイブ(熟睡)している。
「……全く。……あんたの寝顔、……情報の解像度が低すぎて……見てるこっちが恥ずかしくなるわよ。」
あたしは小さな溜息をつくと、懐から手のひらサイズの通信端末を取り出した。
スノー・バグたちを森の中に「中継局」として配置したことで、この辺境の宿場町からでも、遠く離れたレゾナンスの街へ、強力な秘匿回線を通すことができる。
あたしは慣れた手つきで、指先を空中で躍らせた。
――ポート:2222。通信暗号化、トリプル・フラウロス・ハッシュ。……接続先:『雑魚整備士メイ』。――
「……もしもし、メイ? 聞こえてる? 応答しなさい。……あたしの高貴な呼び出しを無視して、まさかアスタロトに甘やかされて眠り腐ってるんじゃないでしょうね?」
数秒のノイズ。やがて、画面の中にあたしの「親友」の顔が、寝ぼけ眼で映し出された。
『――えっ? フラ、フラウロスちゃん!? わわっ、びっくりした! 今、夜中の二時だよ!?』
「はぁ? 雑魚♪ 雑魚、メイの生活リズム♪ 天才は二十四時間、世界のバグを監視してるのよ。……それより、……見てなさいよ、この景色。……あたし、ついにあのアイアン・クリフを踏破して、今は最高級の宿で……あんたが一生拝めないような最高級のスープを飲んでるところなんだから。」
あたしはわざとらしく、豪華な部屋の内装をカメラに映して見せた。
『……そっか。……よかった。フラウロスちゃん、怪我してない? 寒くなかった? エルちゃんも元気?』
「……っ!? う、うるさいわよ! 雑魚! 雑魚、メイの的外れな心配♪ ……あたしが怪我なんて、あり得ないでしょ。……それに、……寒さなんて、……エルの……、……あの雑魚な体温があれば……どうにでも……なったし……。」
あたしは顔が熱くなるのを感じて、カメラを自分から逸らした。
画面の向こうで、メイがクスクスと、あたしの心を全部見透かしたような、温かい笑い声を上げている。
『そっか。エルちゃんと仲良くやってるみたいで、安心したよ。……でも、無理しすぎちゃダメだよ、フラウロスちゃん。……あなたがいないレゾナンスは、なんだか……情報の整理が追いつかなくて、ちょっと寂しいんだから。』
「……はぁ!? さ、寂しい……? 雑魚! 雑魚、メイの感情依存プロトコル♪ ……あんたの寂しさなんて、……あたしには関係……ない……んだから……。……っ、……もう切るわよ! 電力の無駄遣いよ!!」
あたしは、心臓の鼓動が通信回線のノイズより激しくなったところで、強引に回線を切断した。
「……ったく。……あの雑魚。……調子に乗るのも……たいがいに……しなさいよ……。」
あたしはバルコニーの手すりに寄りかかり、夜空を見上げた。
かつてあたしは、一人で世界のすべてをハックできると思っていた。
理解者なんて、演算を乱すノイズ。
孤独こそが、天才の至高のステータス。
……でも、今は。
遠くで待っている、あのざぁこな整備士と。
隣のベッドで、あたしの毛布を奪い合おうとしている、この最高に低スペックな相棒。
そんな「ノイズ」だらけの毎日が、あたしの欠け落ちていた論理回路を、不思議なほど優しくリペアしてくれているのを感じる。
「……雑魚ね。……本当に……、……あたしまで……雑魚になりそう……。」
あたしは苦笑しながら、部屋の中へと戻った。
エルが蹴飛ばした毛布を、あたしは毒づきながらも、丁寧に彼女の肩までかけ直してあげた。
「……感謝しなさいよね。……天才フラウロス様に、……寝具の管理まで……させるなんて……。」
あたしも、吸い込まれるように真っ白なベッドへと潜り込んだ。
羽毛の柔らかさが、あたしの意識を心地よい眠りの海へと誘う。
シドの日記。
賢者の石。
そして、この平和すぎる宿場町の、どこか「リペアされすぎた」空気。
明日になれば、また新しいバグが、あたしたちの前に立ちはだかるかもしれない。
でも、今夜だけは。
あたしのプロセッサも、この温かな眠りという名の、最高に「雑魚」で贅沢なシャットダウンを受け入れることに決めた。
「……おやすみなさい。……雑魚共……。」
カーテンの隙間から、ノクティスの柔らかな月光が差し込んでいた。
フラウロスの長い金髪が、シーツの上で宝石のように輝き、静かな寝息が、宿屋の一室に穏やかな旋律を刻んでいた。
ご愛読ありがとうございました!
第6話「黄昏の宿場町」。今回は完全に、フラウロスちゃんの「休息」と「可愛らしさ」に特化したエピソードでした。
傲慢な毒舌を吐きつつも、エルの隣で丸くなったり、メイの声を聞いて顔を赤らめたり……。冒険の中での彼女の「人間らしさ」が、読者の皆様に少しでも伝われば幸いです。
次回、第7話「人形のパレード、雑魚な調和の不協和音」。
平穏な町ノクティスで、ついに「異変」が動き出す!?
フラウロス様のハッキング、次は「綺麗すぎる街の裏側」を暴きにいきます!




