第5話:星の欠片
「雑魚♪ 雑魚、あたしの孤独をリペアできるのは……あたしだけなのよ!」
アイアン・クリフの頂上に眠る、旧世界の聖域。
そこでフラウロスが出会ったのは、自分と瓜二つの孤独な魂を持つ天才、シドの幻影でした。
エルの温もりに触れ、鏡の中の孤独を打ち破ったフラウロス。
手に入れたのは、数千体の『親衛隊』と、期待外れの「日記」だけ。
けれど、天才ハッカーに地図なんて不要。
ピンクの軍団を引き連れて、彼女たちの旅は、未踏の北平原へと加速します!!
「――ふん。見てなさいよ。……この『絶口の氷壁』を登りきった先に、どれだけ高尚なバグが潜んでいるかと思えば。……意外と、……掃除の行き届いた、ざぁこな空き家じゃないの。」
あたしは論理獣の背から飛び降り、厚い防寒靴の踵を、磨き抜かれた金属の床に叩きつけた。
アイアン・クリフの頂上。雲海を眼下に望むこの場所に隠されていたのは、雪と氷に偽装された、旧世界の『気象・論理観測施設』。外の吹雪が嘘のように、建物の中は一定の温度に保たれ、微かな電子音が心地よい子守唄のように響いている。
あたしの背後では、先ほどまで殺し合っていたはずの『スノー・バグ』たちが、今や桃色のセンサーを誇らしげに明滅させ、完璧な隊列を組んで浮遊していた。
「ほら、そこの第百二十四号! 雑魚♪ 雑魚、浮力の計算ミス♪ あたしの視界の端で一ミリもブレるんじゃないわよ。あんたたちは今日から、天才フラウロス様の『親衛隊』。……この遺跡に眠るすべてのデータを、あたしのために掠め取ってくる、忠実なハウンドなんだから!」
あたしが指をパチンと鳴らせば、数十体のドローンが一斉に散開し、無機質な廊下の先へと偵察に走る。
この支配感。
メイのように一つ一つ部品を交換して、「動いてよかったね」なんて笑い合うのも悪くないけれど。あたしには、この『論理による強制的なリペア』の方が性に合っている。
世界の法則を、あたしの意志で上書きしてやる。……その快感こそが、あたしの演算脳を加速させる最高のご褒美なんだから。
「わあ……! フラウロスちゃん、ここ、すごく綺麗。……なんだか、さっきの戦いが夢だったみたいだね。」
エルが偵察バイクを降りて、物珍しそうに壁のモニターや計器類を眺めている。
「雑魚。雑魚、エルの緊張感欠如♪ ……いい、エル。ここは旧世界の『聖域』よ。……あたしたちの論理獣一匹でさえ、ここにあるシステムを全部敵に回したら、一瞬でデリートされかねないんだから。……まぁ、あたしのハッキング能力がそれを許さないけどね。」
あたしはエルを先行させ、自分は中央通路を闊歩した。
壁のあちこちにある格納ハッチ。そこから、まだ『眠っている』個体が、あたしのソナーに反応して微弱な電波を返してくる。
一、十、百……。
「……はぁ。……何これ。雑魚♪ 雑魚、旧世界の在庫管理♪ ……ここだけで、三千体は眠ってるじゃない。……シドのやつ、……こんなに大量の『友達』に守られて、……一体何に怯えてたのかしらね?」
あたしは、通路の脇にあるコンソールに手をかざした。
外部ネットワークからの侵入ではない。直接、物理的にインターフェースを結合する。
「――システム・ログイン。権限代行……天才フラウロス。……さあ、目覚めなさい、雑魚共!! あんたたちの主は、数千年も前にリセットされたのよ。……これからは、あたしの音に……あたしの旋律に、その身を委ねるのよッ!!」
――ピ、ピピピ……ガガガッ!!
施設中のハッチが同時に解放された。
シュゥゥゥ、という排熱の音と共に、数千の蒼い光が暗闇の中で一斉に灯る。
「ひゃあぁっ!? フラウロスちゃん、囲まれちゃったよ!!」
「騒ぐんじゃないわよ、この敗北者♪ ……いい、あの子たちのセンサーをよく見なさい。」
瞬きをする間に、数千の蒼い光は、ドミノ倒しのように次々と桃色へと書き換えられていった。
あたしが放つ『支配の波動』が、観測施設内のすべてのドローンを瞬時にリペアし、あたしの支配下に置いた証拠だ。
数千体のスノー・バグが、あたしの足元で絨毯のように広がり、あるいは天井を埋め尽くす雲のように渦巻く。
「……壮観ね。……これだけの計算資源があれば、……メイの住む街一つ、一晩でハックして……黄金の城にリペアしてあげることもできそうだわ……。」
あたしは、自分を取り囲む数千の「目」を見上げて、不敵に笑った。
雑魚。雑魚、数の暴力♪
これだけの戦力を手に入れても、あたしの心は、まだ満たされない。
あたしが本当に欲しいのは、……この軍団を創り出したあの天才が、……最後に何を見て、何を想いながら消えたのかという……その、最も「雑魚」で、最も「贅沢」な答えなんだから。
「行くわよ、エル。……最深部。……シドの執務室。……あそこに、あたしの『合わせ鏡』が待ってるはずよ。」
あたしは数千体のスノー・バグを引き連れ、まるで女王の閲兵式のように、遺跡の奥深くへと進軍を開始した。
「――ねぇ、フラウロスちゃん……これ、見てよ。なんだか、思ってたのと違う……」
エルの当惑した声が、数千体のスノー・バグが発する微かな駆動音に混じって響いた。
あたしたちが辿り着いた最深部、シドの執務室と思われるその場所には、高度な兵器も、世界を書き換えるための魔法の杖も存在しなかった。
そこにあったのは、あまりにも「人間」臭い、雑魚すぎる生活の残骸。
デスクの上に置かれた、中身が真っ黒に干からびたコーヒーカップ。
引き出しから溢れ出しているのは、数千年前の合成繊維で作られた、ボロボロのブランケット。
あたしは、ピンク色に光る一際小柄なスノー・バグを指先で操り、デスクの上に散乱した手書きのメモをスキャンさせた。
『――合成食料の味が、またアップデートされた。雑魚♪ 雑魚、開発担当者の味覚エラー♪ 砂を噛んでいる方がマシなレベルだ。……明日こそは、マシなコーヒー豆をハックして手に入れたい。』
『――今日の観測データ、異常なし。退屈だ。世界は滅びに向かっているというのに、システムは淡々とエラーを修復し続けている。……誰か、あたしの孤独に割り込み(割込み)をかけてこないのかしら。』
「……はぁ? 何よ、これ。雑魚♪ 雑魚、伝説の記録者のプライオリティ♪ 世界の真実を記録する役目のくせに、食生活への不満と、誰にも届かない愚痴しかないじゃない……。……こんなの、情報のゴミよ。」
あたしは不機嫌そうに吐き捨てたけれど、その胸の奥では、言いようのない焦燥感が渦巻いていた。
このメモを書いたシド。
彼女は、あたしと同じ言葉を使い、あたしと同じように世界を斜めから見て、そして――あたしと同じように、この静寂の中で「誰か」を待っていた。
あたしがもし、あのままレゾナンスの街に行かず、メイに出会わず、一人で論理の海に沈んでいたら……。
この干からびたカップの主は、あたしの未来そのものだったのかもしれない。
「……フラウロスちゃん? 顔色が、さっきより……」
「うるさいわね、この低スペック! 雑魚♪ 雑魚、エルの過剰な観察眼♪ ……あたしは、……この施設の電力効率を計算してるだけよ……っ。……冷房が効きすぎて、あたしのプロセッサが冷えすぎてるだけなんだから……。」
あたしは震える肩を抱き、わざとらしく大きく溜息をついた。
その時だった。
中央のホログラム・プロジェクターが、あたしの体温、あるいは魔力の波形に反応して、数千年の眠りから覚醒した。
――システム・アクティブ。ユーザー識別……照合失敗。……暫定プロトコル、開始。――
青白い光の粒が、空中の一点に収束していく。
そこに現れたのは、あたしとほぼ同じ年格好の少女の幻影。
不遜に吊り上がった眉、世界を嘲笑うような唇、そして――誰の侵入も許さない、冷徹な知性を湛えた瞳。
『――ようこそ、未来の敗北者さん。……あるいは、あたしの亡霊をハックしに来た、ざぁこな後継者かしら?』
ホログラムのシドが、ゆっくりとこちらを向いて、残酷なほど美しい笑みを浮かべた。
『世界は雑魚。人間は低スペックなノイズの塊。……そう思わない? 誰もあたしたちの論理を理解できない。……だから、あたしたちはこうして、一人で星を眺め、一人で真実を抱えたまま、消えていくのが正しいのよ。……理解者なんて、演算の邪魔なだけなんだから。』
「……っ、……ふざけないで。……あんた……、……あんたはあたしじゃないわ……。」
あたしは、自分の声が微かに震えているのを自覚した。
目の前の少女は、あたしがかつて守ろうとしていた「完璧な孤独」そのものだった。
誰にも頼らず、誰にも媚びず、ただ一人で世界の頂点に立ち続ける、傲慢な天才の完成形。
『あら、否定するの? 雑魚♪ 雑魚、自分を偽るハッカー♪ あんたのその瞳、あたしと同じ「拒絶」の色をしてるじゃない。……隣にいるその「ノイズ」も、どうせいつかはあんたを置いていくか、あんたの重荷になるだけよ。……今のうちに、あたしと一緒に……この蒼き静寂に沈みなさいよ。』
シドの幻影が、透明な手をこちらへ伸ばす。
あたしの足元を埋め尽くす数千体のスノー・バグたちが、彼女の意志に共鳴し、一時的にあたしの支配を離れて、ざわついた。
あたしの視界が、ぐらりと揺れる。
そうよ。……あたしは、……一人で……。
「――ううん。フラウロスちゃんは、シドとは違うよ。」
唐突に、あたしの冷え切った右手が、力強く、そして強引に掴まれた。
「……っ、エル……!?」
「シドは、一人だったかもしれないけど。……フラウロスちゃんには、私がいる。メイちゃんがいる。……アスタロトだっているんだよ。……フラウロスちゃんは、独りぼっちになるには、もう手遅れなんだから!」
エルが、あたしの前に立ちふさがるようにして、ホログラムの天才を睨みつけた。
あたしの手のひらに伝わってくる、生きた人間の、あまりにも原始的で、あまりにも「熱い」体温。
その体温が、あたしの論理回路に、シドには一生理解できなかったであろう「イレギュラーな解答」を導き出した。
「……ふん。……そうよ。……聞いたかしら、死に損ないの亡霊さん。……雑魚♪ 雑魚、シドの予測モデル♪ ……あたしはあんたより、ずっと『強欲』なのよ。……世界の真実も、……この隣にいる最高にざぁこな相棒も、……どっちもデリートするつもりなんて……一ミリもないんだからッ!!」
あたしは、エルの手を握り返し、自分でも驚くほど不敵な笑みを取り戻した。
シド。
あんたが解けなかった「孤独という名のバグ」。
あたしはそれを、あたし自身の方法で……克服してみせるわ!!
「――ッ、全システム・ハック完了!! 雑魚♪ 雑魚、旧世界の最高機密♪ あたしの指先一つで、その重厚な秘密のベールを、一枚残らず剥ぎ取ってあげるわッ!!」
あたしはエルの手を握りしめたまま、空いた左手で虚空を激しくスワイプした。
ホログラムのシドが、あたしの不敵な宣言に驚いたように目を丸くし、そして――どこか満足げに、淡い光の粒子となって霧散していく。
『……いいわ。……ハックしてごらんなさい。……あたしの孤独の、その「底」にあるものを。』
最後に聞こえたシドの残響は、呪いではなく、同じ高みに辿り着いた後継者への、微かな祝福のように響いた。
――ガシャンッ!!
中央のメインコンソールから、鈍い音と共に一つの物理ストレージが排出された。
クリスタルのように透き通った、旧世界の記録媒体。
これだ。
これこそが、あたしがアイアン・クリフを血反吐を吐きながら登り、数千体の雑魚共を屈服させてまで手に入れたかった『遺産』。
『賢者の石』への座標。あるいは、世界の真実を書き換えるための究極のソースコード。
あたしは震える手でそのクリスタルを掴み、論理獣直結の解析スロットへと叩き込んだ。
「……さあ、見せなさい。……あたしを、……メイを、……この世界を……どこまで『わからせ』てくれるのかしら……!!」
あたしの網膜に、膨大なデータが流出する。
……十秒。
……三十秒。
……一分。
あたしの指先が、ぴたりと止まった。
「……はぁ? 雑魚。雑魚……、雑魚ッ!! 雑魚! 雑魚! 雑魚ぉぉぉッ!!」
あたしは絶叫し、コンソールを思い切り蹴り上げた。
「フラウロスちゃん!? どうしたの、何が書いてあったの!?」
「何もないわよッ!! 雑魚♪ 雑魚、期待外れの遺産♪ ……いい、エル!? このクリスタルの中身、九割九分がシドの『未整理の思考ログ』よ! 好きな料理のレシピとか、空の青さが昨日より零点三パーセント薄いとか、……そんな、世界で一番価値のないゴミデータの集まりなんだからッ!!」
あたしは、自分の演算リソースを無駄遣いさせられた屈辱に、顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
『賢者の石』の具体的な場所? なし。
世界を救う、あるいは滅ぼすための最強の力? なし。
あったのは、ただ一人の孤独な少女が、死ぬ直前まで書き殴り続けた、支離滅裂な「日記」だけ。
「……ふん。賢者の石そのものが置いてあるなんて、最初から思ってなかったわよ。……雑魚。……雑魚、あたしの過剰な期待値♪」
あたしは、ハァハァと乱れた息を整え、吐き捨てるように言った。
けれど、その表情は、どこか吹っ切れたような明るさを帯びていた。
「……いいわよ。……ヒントがないなら、あたしがゼロから作ってあげる。……あんな死人の残した地図に従うなんて、天才フラウロス様にはお似合いじゃないしね。……ねぇ、エル。」
「……う、うん。そうだね。……フラウロスちゃんなら、地図なんてなくても、どこへだって行けるもん。」
「当たり前でしょ。……さあ、撤収よ! 雑魚♪ 雑魚、未練たらたらな停滞モード♪ こんな埃っぽい空き家、もう飽きたわ。……山を降りるわよ! まずは麓の街まで一気に滑り降りて、あたしに相応しい最高級の情報をハックさせなさいよね!!」
あたしが手を高く掲げると、背後に控えていた数千体の『親衛隊』たちが、一斉に桃色の翼を広げた。
彼らはあたしの意志に従い、論理獣の周囲を取り囲んで、巨大な「空力制御翼」を形成する。
これだけの軍勢がいれば、下山なんてただの「アクティビティ」だ。
「……ふふん。……見てなさいよ、メイ。……あんたが一生かかってもリペアできない世界の不条理、あたしがこの可愛い手駒共と一緒に、全部笑い飛ばしてあげるんだから。……感謝しなさいよね、ざぁこな親友♪」
あたしたちは、数千の桃色の光を引いて、アイアン・クリフの頂上から一気に急降下を開始した。
雲海を突き抜け、北風を切り裂き、まだ見ぬ地平の向こう側へと。
遺跡に遺された日記なんて、ただのデータの欠片。
本当の冒険は、この頂上の外にある――。
あたしの不遜な笑い声が、蒼い氷の世界にいつまでも、いつまでも反響し続けていた。
ご愛読ありがとうございました!
第5話「星の欠片」。フラウロスちゃんの「デレ」と「不遜」が入り混じった、エモーショナルな一章の締めくくりでしたね。
数千体のスノー・バグを従えて山を降りるその姿は、まさに新時代の女王!
期待外れの遺産に毒づきながらも、自分の足で真実を掴み取ろうとする彼女の意志に、カタルシスを感じていただけたでしょうか。
次回、第6話「黄昏の宿場町」。
雪山を降りた二人が辿り着いたのは、奇妙な掟に支配された小さな街。
フラウロス様のハッキング、次は「人間社会」を相手に暴れまわります!




